「人生100年時代」を迎え、老後の備えに頭を悩ませる人たちは少なくないのでは?業界最大手の三井住友信託銀行を中核として巨大金融グループを形成する「三井住友トラスト・ホールディングス」の高倉透社長は、資産運用や不動産管理・継承、相続など、ありとあらゆる面で徹底した顧客へのサポート体制を敷く。運動不足解消のため執務室での仕事はほとんど立ったままで行うという高倉社長に、「人生100年時代」を生き抜く知恵と、信託銀行を中核とする特徴をどのように生かしグループを導こうとしているのかを聞いた。
1970年万博は「未来を感じた」 2025年万博も"子どもたちが夢抱くイベントになってほしい"
―――学生時代の思い出は?
私が子どもの頃は、よく野球をしていました。スポーツと言えば野球だったのでみんな野球をやっていましたね。高校は大阪府立天王寺高校だったんですが、3年生の運動会では「陸上ボート」という出し物をクラスごとに考えるんですね。私のクラスはクジラを作ったんです。クジラだから潮が吹いた方が面白いだろうということで、消火器をクジラの中に持ち込んで大会本部の前で吹き上がる仕掛けにしました。事前に言うと止められるだろうから黙ってやった思い出がありますね。
―――1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」も思い出深いとか?
子どもたちにはすごく楽しかったと思います。未来を感じる万博でしたね。私は9回くらい行きましたよ。2025年にまた大阪・関西万博がやってきますが、これからの未来を作っていってくれる子どもたちが「こんな社会がいいな」と思えるような新しい技術とかがいろいろ披露されればと思っています。1970年の万博では、会場を電気自動車が走っていたんです。それがいまEVで社会に広まり現実になったわけですけども、今度の万博が、これから50年経った時に現実になるようなものを子どもたちが体験できればいいなと思っています。
就職の決め手は「信託銀行の役割を話す先輩の目が輝いていた」
―――信託銀行に入ろうと思われたのはどうしてですか?
信託銀行という仕事の性質だと思うんですが、その時代に合ったことをやっていくことが望まれるわけですから、お客さまから期待される事柄を一緒になって実現し、できればお客さまの期待以上の結果を提供していくことが大切です。我々の先輩も信託銀行の役割を話す時に目が輝いていたのが、就職先に選んだ理由の一番大きなところかなと思っています。
―――会社の特徴は?
私どもは、商業銀行とちょっとタイプの違う金融機関です。個人のお客さまは、日常の入出金は私どもをあまり活用されずに、どちらかというと資産運用とか管理とか不動産といったお悩みのある時、あるいは相続のお悩みがある時にお見えになるという特徴がある金融機関です。この10年ぐらいを見ても資産運用、資産管理のお取り扱いしている残高が2倍以上に増えていますし、これからも更にその分野が大きくなっていくと考えています。
危機管理の大切さを学んだ阪神・淡路大震災での緊急対応
―――いままで取り組んだ仕事の中で一番のピンチは?
私自身が一番大変だったのは阪神・淡路大震災の時です。朝起きてテレビを見ていましたら、関西で地震が起きたことは分かったんですけども、大阪の本店や支店に電話をしてもほとんど通じない状態でした。「これは大変なことになっている」ということで、安否確認のために社員の自宅に電話をしようとなりました。地図を横に置いて地域ごとに担当を分けて、電話を東京からかけることをしたんです。
死亡者リストを見ていると「同じ名前の社員がいる」というのを見つけたケースがあって、その時は非常に残念でなりませんでした。3日が過ぎてもまだ100人以上は安否確認をできていませんでしたし、逆に電話が通じた方々の様子を聞いて、例えば自宅では危ないのでどこかに避難したいという方には、我々の社宅を案内してということもしていました。
―――災害時はマニュアルがあったのですか?
当時、マニュアルは何もなかったですね。危機の時とか大変な時は、その場で判断できることがとても大事だということを学びました。それからは、どう対処するかを前もって考えておく癖がつきました。阪神・淡路大震災をきっかけに私自身、前もって考えておく行動の仕方になったのは、いまの私にとってはプラスに寄与していると思います。
豊かな未来のために「資金」を必要なところへ
―――人事部時代には大きな制度改革に取り組まれたとか?
当時の人事制度は年功序列で、そこからの大きな切り替えですね。反対意見も多数あったわけですけども、いろんなテーマですね、給与や賞与、福利厚生、教育研修の分野で「未来に向けてはこれの方がいいよね」ということで、共感してもらいながら進めていきました。
―――社長になって一番大きな決断は?
これまでも取引先との関係をしっかりと維持しながら「政策保有株式」の売却をやってきているんですが、最終的には「政策保有株式」をゼロにまでにもっていこうと、次元を変えた方針を出しました。狙いは、我々「資金・資産・資本」の好循環と言っているんですが、豊かな社会が次の時代に繋がっていくには、お金がしっかりと必要なところに回っていく必要があるんですね。いまで言うと、例えば脱炭素、カーボンニュートラルを実現していくのに必要なインフラや設備に社会全体が投資していく必要があるわけですから、そこにどう円滑に資金を回していくかということをグループ全体で考えています。
―――中学や高校での金融教育、大学との連携に力を入れているとか?
2022年度から高校で金融教育が義務化され、出張授業をしています。社会に出ると働いて収入を得ることは大事なんですけど、将来のために金銭面でも備えていく必要があるわけで金融教育は大切だと思います。大学に関しては、金融機関として国内初となる国立大学との共同出資会社を東北大学と設立しました。社会課題を解決していくうえで「ヒト、モノ、カネ」の循環がすごく大事になってきます。ヒトは人材、そしてモノは大学であれば知財でしょうか、それに加えて、お金の循環がすごく大事になってくると考えています。
幼稚園で娘が着るブラウスにアイロンをかけていたことも
―――お忙しい中でも、家庭で担当する家事があったそうですね?
ワイシャツにアイロンを自分でかけていた時期が結構長くありました。子どもたちが幼稚園の頃に、幼稚園に着ていくブラウスとかにかけるんですけど。感謝されていたかは別として、その後、娘たちが私のワイシャツのアイロンをかけてくれていた時期がありました。
―――穏やかな語り口ですが、腹が立ったりきつい口調で言ってしまったりすることは?
それは、あります。腹が立つ時もありますし、きつい口調のこともあるんですけど、結局、感情の起伏が大きくなると自分自身が疲れてしまうので、その次に考えたり決めたりする必要のある時に少し後手に回ってしまうので、極力感情の起伏はないように努力しようと思ってやっています。自宅でもそうありたいと思っています(笑)。
"次の世代が望む未来作り"に貢献したい
―――関西経済は、どのように見ていますか?
この30年ぐらいは結構苦労した時期だったと思います。これからグリーンな社会を作っていくのは、地域ごとに再生可能エネルギーなどのエネルギー源を作って経済を組み立て直すことが大事だと思います。関西は大学もあって研究者も多いですから、科学的な知見とビジネスと両方があいまって新しい時代を作っていくという点で、関西は期待できる30年になるのではないかと思っています。
―――プライベートの夢は?
次の世代のためにどういった社会を作っていくかということに貢献できればと思っています。少しでも私が寄与できることを若い人たちと一緒に取り組んでいきたい、次の世代が望む未来づくりに少しでも貢献できたらと思っています。
―――最後に、高倉社長が考えるリーダーとは?
多くの人に共感してもらいながら大きな挑戦をする。そして関係する人たちが、挑戦しやすい環境づくりとともにそれぞれの人たちの挑戦をサポートしていく。これを地道に繰り返していくことが、リーダーではないかなと思っています。
■三井住友トラスト・ホールディングス 業界最大手の三井住友信託銀行をグループ傘下に収め、資産運用残高127兆円、従業員2万2500人。1924年に生まれた国内最初の信託会社「三井信託」の流れをくむ中央三井信託銀行と住友信託銀行が統合し2011年に発足。2024年度中に女性管理職2割以上を掲げ、役員自らが次世代の女性幹部候補の育成に当たる。
■高倉透 1962年大阪市に生まれる。1984年に東京大学法学部を卒業、当時の住友信託銀行に入行。2012年三井住友トラスト・ホールディングス常務。2017年同社専務。2021年59歳で社長就任、現在に至る。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
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