「カステラ」で100年『長崎堂』 老舗菓子店の社長に聞く「困難を生き抜く知恵」

3分で読める!『ザ・リーダー』たちの泣き笑い

2021/05/12 17:10

 新型コロナウイルスは、贈答品市場にも暗い影を落とす。おもたせに人気の「カステラ」も例外ではない。カステラを主力商品に大阪・心斎橋に本店を構え、創業100年あまりになる老舗菓子店「長崎堂」も新型コロナウイルスの影響を免れない。4代目社長になって18年となる荒木貴史社長は、就任以来初めてとなる赤字を経験した。厳しい状況だが、「困難は必ず乗り越えられる」と言い切る。その根拠とは?コロナ禍を生き抜く企業の知恵を探った。

同じ商品でも日々作り方は微妙に変化する20210302143259-bb01e3fdf64a81680228e8a55d93eacf3b211a96.jpg―――大阪に本店を構えて70年になるそうですね
 1919年に長崎で創業し、1951年、大阪に移転しました。本店は2度改装していまして、いまも会社にとって象徴的な存在です。商品はカステラやドラ焼きなど。商品作りは毎日毎日地道な同じ作業の繰り返しです。でも、工場では気温だとか窯の温度などに気を使いながら日々微調整をしています。
20210302143432-edc61d808959324def8429c913619ee2446841ec.jpg―――同じ商品を毎日作っていても出来上がりはその日によって違うと?
 違います。だからこそ実直に製造工程に向き合い、モノ作りの原点を大切にしています。商品は品ぞろえを横に広げるのではなく、深掘りしようと。カステラならカステラの味わい・食感・原材料などを極めていく。つまり深掘りの考え方で新商品や新ブランドの開発に取り組んでいます。

芸大からお菓子の道へ 学生結婚して婿養子になる
20210302143630-8a59a7486645e44ceabe7ead4f3014615e344a99.jpg―――関東の出身で、大学は大阪芸術大学を卒業されました。最初の就職先は?
 大阪で修行と言いますか、お菓子の製造現場の厳しい所で揉まれました。私にとっては非常に大切な経験でした。その後は、大手企業の研究部署で白衣を着て油脂の勉強をしていました。

―――就職のときは長崎堂を継ぐというか、奥さまと一緒になることが前提だったわけですか?
 前提といいますか...実は、妻とは学生結婚です。大学1年の時からお菓子屋さんの娘だと聞いていましたので、当時デザインの勉強を生かした仕事に就きたいと考えていたのですが、「はたしてどうなるのか?」と思っていました。結局、4代目の社長として家業を継ぐことになりました。

会社の危機を招いた大手流通チェーンの倒産
―――社長になって18年がたちますが、これまでで大きな決断は?
 私が社長になる直前、会社の危機がありました。20年前にマイカルという大阪を拠点に全国展開していた大手流通チェーンが倒産したのです。マイカルは私どものメインの取引先でしたので、たちまち危険な状態になりました。

―――ピンチはどうやって乗り切ったのですか?
 ちょうどマイカル倒産の1年前に大きな設備投資をして、大幅にコストダウンして生産できるラインを作っていました。これが幸いしました。おかげさまで、商品さえ売れると非常に利益が出やすい体質になっていました。

社長として一度も有頂天になったことはない
20210302144053-d7e69169578634fdf609288d4f9271ca350f2a34.jpg―――大変な時期に社長になることになったのですね
 大変でしたが、危機を乗り越えたことで社長になってからは「あんな酷い状況を乗り越えられた」と自信がつきました。経営者は常に楽観的という訳にはいきません。「ひょっとしたら駄目になるのではないか」と、いつも防御策を考えています。だから、一度も有頂天になれないというか。「まだダメだろう、まだまだだ」といつも肝に銘じています。「何が起こるかわからない」と。社長になる直前のマイカル倒産がいまでも私に大きな影響を与えています。

―――「家業」から「企業」へとの転換を図ってきたと聞きました。その過程で最も重要視したことは?
 「家業」から「企業」に転換するためには、なにより営業力が大事です。社長になってまず営業本部を立ち上げ、大阪だけだった営業拠点を東京・名古屋・沖縄などに全国展開しました。もう1つは、私どもの1番の強みであるモノづくりの強化です。デザイン部門を独立させました。独立すると他社のデザインだとか情報が入ります。「井の中の蛙」になってはならないと考えたのです。

「白黒デザインは縁起が悪い」『黒船』ブランドに社内の9割が反対だった
20210302144239-6a5fc210bfdb69f344af797cd933453f7bd8e71f.jpg―――老舗ゆえに新ブランドや新規事業を立ち上げる時の苦労はありますか?
 ものすごくありますね。例えば「黒船」のブランドを立ちあげる時、社内では賛成は1割、反対は9割でした。「黒船」って白と黒の世界です。「モダンでオシャレだ」と言っていただく場合もありますが、長くお菓子を作ってきた人たちにとって「白黒」は縁起が良くないデザインだとなる。「贈り物の世界に『白黒』はとんでもない」と反対されました。

―――どうやって説得を?
 とにかく私の考えを押し通しました。もちろん、色は後からいくらでも加えられますし、「私たちの思いとか商品自体のクオリティで判断してもらおう」と反対意見を押し切りました。

1970年万博で飛躍 2025年万博に向け着々と準備を進める
20210302144406-4f028f1dc3389b393c841582b08a668233016f24.jpg―――1970年の大阪万博は飛躍のきっかけになったと聞きます。2025年の大阪・関西万博への期待は?
 1970年の大阪万博はいまの相談役が社長の時代で、「実にたくさん商品が売れたよ。毎日毎日商品を運んでも運んでも売れたよ」と思い出話をよく聞かされて、羨ましく思っていました。私の時代に万博が来たらいいなと。

―――夢がかないましたね
 まさにそうです。だから、いまから準備を進めています。いまは新型コロナウイルスで非常に大変な時期ですが、開発部隊はとても忙しいです。でも、いまやらないと2025年の万博には間に合いません。開発段階からモノを作り出すまでの一番元の部分をやっていて、いま力がとても入っている時期です。

失敗しても再び立ち上がる リーダーは「危機から逃げず前を進む」
20210302144552-9ddf7f06094a834ac3ee75dca1069cd7757ae6f2.jpg―――100年企業になれた理由はどこにあると?
 やはり、苦境から再び立ち上がる時に力を蓄えるということでしょうか。例えば、戦争で休業して完全にストップしましたが、終戦後すぐに復活しました。倒産もしましたが、間もなく再建を果たしました。失敗しても反省して再び立ち上がるということが大切です。いまはまさに新型コロナウイルスという大きな問題に直面しています。

―――最後に、荒木社長が考える「リーダー」とは?
 会社が危機に直面した時、そこから逃げないで前を進む。社員はそういう時に私の姿を見ていると思っています。私自身がそこから逃げてしまうと話にならない。常に前を向いて社員にメッセージを送ることが大事だと思っています。


■長崎堂 1919年、荒木源四郎が長崎市に創業。1951年、大阪に本店を移転。1930年代に保存が可能な「缶詰カステラ」で特許を取得。海外に販路を広げる。カステラを主力商品に様々な菓子を製造販売。「黒船」や「然花抄院」などの菓子ブランドを展開する。グループの売上高50億円、従業員は約300人。

■荒木貴史 1956年、神奈川県生まれ。大阪芸術大学卒。2003年から現職。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。

SHARE
X(旧Twitter)
Facebook