コロナ禍でも快進撃続く「ニトリ」 なぜ消費者に支持されるのか

3分で読める!『ザ・リーダー』たちの泣き笑い

2020/10/01 16:15

 北海道の小さな家具店として1967年に創業した「ニトリ」。いまや日用品からショッピングモールまでを手がける巨大企業に成長した。「お、ねだん以上。」のキャッチフレーズは、あまりにも有名だ。創業者の似鳥昭雄会長が一代で築き上げた「ニトリ」はコロナ禍でも業績を拡大させ、快進撃を続ける。何故、それは可能なのか。そして似鳥会長は、どのようにして成功を手に入れたのか。その秘密を徹底的に聞いた。

家具専門店からの脱却で成功
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―――33期連続で増収増益と絶好調です。ニトリの強みはどこにありますか?
 全国に600店舗以上あるという販売力、そして商品のデザイン、スタイル、構造など全てオリジナルで製造し、他社と比べて販売価格を何割か安くできるのが1番の強みです。品質はもちろん、機能もドンドン他社にはないものを作る。あとは品数が豊富なのでニトリの商品だけで家の中をコーディネートできることだと思います。

―――いまは、家具と日用品の比率は?
 家具や日用品は1万4000点以上あります。売り上げに占める家具の割合は37%ですね。家電も扱うようになりました。27歳の時に米国研修に行きましたが、その時すでに家具専業店が縮小、倒産しているのを目の当たりにしました。いずれは日本もそうなるなと思い、家具専門店からの脱却を目指しました。こうなるのに30年以上かかりましたけどね。

成績はいつもビリ 高校時代はカンニングの名手

―――北海道の小さな家具店から、どのようにして巨大企業に成長できたのか?
 経営者にロマンとビジョンがあると意欲、執念、好奇心が湧いてくる。この5つがあれば、誰でも成功できると思います。

―――いまや成功を手に入れた似鳥会長は、どのような子どもだったのですか?
 小学校では当時、ひとクラスに60人の児童がいましたが、いつもだいたい成績はワースト3でした。親には「成績は1が1番よくて、5が1番悪い」とウソを教えていました。親は私が3年生くらいになるまで、そのことを信じていました。だから近所の人には「うちの息子は勉強ができる。いつも1と2ばかりだ」と自慢していました。

―――なんて我が子は優秀だと?
 近所のお母さんたちも「仕方が無いね、聞いていてあげようか」という調子で、知らぬ顔をしてくれていましたが、3年間も4年間も聞かされていると飽きてきちゃって...。隣のおばさんが本当のことを教えたら、うちのお袋が「そんなはずはない!」って怒ってしまって。それで学校に先生に聞いたら「1が1番悪い」って言われましてね。その時はお袋にガタガタにされてね。ホウキや鉄の棒で殴られて、立ち上がれなくなりました。

―――高校時代も勉強は引き続きあまり得意ではなかった?
 全然できなくてカンニング、カンニングでね。カンニングの名手だった。コツは厚紙を作って答えを書いた紙を貼って、厚紙にゴムを付けて袖の中に隠すという仕掛け。あまり言えないけど、悪いこといっぱいやっていました。

悪知恵をはたらかせて1号店に大胆な名前
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―――確か、創業した1号店は大胆な名前をつけられましたよね
 「似鳥家具卸センター」。漢字で「似鳥」、「卸」は安い、「センター」は大きいと。30坪で小さいから、バカにされないように「北支店」って書いてね。お客さんに「本店は?」って聞かれたら「1時間半ぐらい車で行った南にあります」って説明しました。お客さんはそんな遠くの場所まで行く暇がないから、あとはカタログを渡して商売をしていました。

―――言葉は悪いですけど、ハッタリを利かせるのがお上手ですね
 ハッタリですね。悪知恵がはたらくっていうのかな。それでも月に40万円しか売れなくてね。60万円ほど売り上げがないと黒字にならない。食べていくには80万円は必要だったのですが、全くダメでした。

接客上手の百百代さんと結婚 すると業績好転
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―――妻・百百代さんと結婚されたのが、成功のスタートだったとか
 妻は愛想が良くて、接客業をやったことがないのに接客がとても上手かった。気さくだったのでお客さんに人気が出ました。だから私は配達と仕入に専念していました。すると、商品の仕入をしているうちに「売れる商品と売れない商品」の違いは「価格」だと気付いた。

「2号店」失敗で失意の中、米国研修で大逆転

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―――「支店」という名の「1号店」を作って、そこそこ成功して...
 年間の売り上げが1000万円になって、勢いづいて250坪の売り場面積がある「2号店」を作りました。でも近くに1200坪もあるライバル店が出店してきて、たちまちお客さんをドッと取られて、倒産しそうになりました。
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―――その時はどのようにして乗り切りましたか?
 その時は乗り切る方法が全くなくて、毎日死ぬことばかり考えていました。死ぬか、夜逃げをするかだね。毎日そんなことばかりを考えていました。完全にウツ状態だね。その時、たまたま米国での家具店研修があるという話があって、迷ったけどね、おカネがないし。でも、最後に米国を見てから決断をしようと。

―――どんな世界が広がっていましたか
 1972年、昭和47年の時です。米国に行くと高層ビルが建ち並んでいて、とにかく凄い。圧倒されました。北海道とは全然違う風景を目のあたりにしました。家具のチェーン店は50店舗とか100店舗とか抱えていて、とにかく巨大でした。住宅を見に行くと、部屋は全てコーディネートされている。米国は日本よりも5、60年は進んでいると思いました。米国のように日本国民の生活を豊かにするのが、私の使命だと。

―――考え方がガラリと変わった?
 変わりました。売り上げとか儲けじゃなくて、人のため、世のために働く。それまでは考えたことも無かったことです。それまでは売り上げや儲けとかね、毎月、毎日の売り上げのことばかり心配していました。ところが米国に行って、「日本人で生まれたからには日本人の5、60年遅れている暮らしを米国並みにすることが使命だ」と思うようになりました。

「会社を大きくしてやろう」と燃えに燃えたものの...

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―――米国に行く前は死ぬことばかり考えていたのに?
 燃えましてね、逆に「店を増やしてやる!」「米国に負けていられない」と。店舗を全国に出して、チェーンストアを作って「価格を3分の1にする!」だとかね。ところが、会社を大きくすることに怖くなってきて「店舗は北海道だけにしよう」と社員に言ったら、大卒4期生が「それなら、私たちは辞めます」と言い出しまして。

―――本州に展開しないでどうするのだと?
 「全国展開は入社する時の約束じゃないですか!そう言ったから入社したのに、約束を破るような社長は信用できない!!」と。いまの白井社長も4期生ですが当時、社内では「華の4期生」と言われている世代でして、辞められたら困るし、会社がやっていけなくなると思いましたね。だから4期生たちに「ちょっと待ってくれ」と言って1年くらい考えたかな。

命がけの大勝負で関東進出!初の東京店が"当たる"

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―――道内に留まるか、本州に行くか、大きな決断ですね
 飛行機で行くと関東平野は広くて。こんな場所に出店したら絶対失敗して倒産するだけだと思いました。同業他社には太刀打ちできない。だけど4期生との約束だけは守ろうと、「絶対に倒産する」と思って出店しました。ただ、東京に出店するのは怖いから、あまり人がいない茨城県勝田市、人口15万人ぐらいだったかな。ここだったら北海道と似ているから大丈夫だろうと。

―――まさに大勝負ですね
 命がけですよ。その後、いくつか出店したけど利益は2、3%程度でね、苦労しました。店を出すのは大変でした。それから思い切って、東京の南町田にダメ元で出店してみようかと思ってやってみたら、これが当たって3倍、4倍と売れるようになっていました。

―――それが全国展開する大きな足がかりに?
 なりましたね。1番大きな足がかりになりました。すると今度は「イズミ」というスーパーのオーナーが「出店してくれ」と頼まれました。それで九州に店舗を10店舗以上、出店することが出来た。その後に名古屋も大阪も、となって。「イズミ」のオーナーが声を掛けてくれたおかげで全国展開がスピードアップしました。

コロナで会社全体の「問題続出」 改善点はいくらでもある

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―――いまは、95%が海外生産ですよね。新型コロナウイルスの影響は?
 新型コロナウイルスの影響で、モノの見方、考え方、暮らし方が、日本国民はもちろん、世界中、うちの会社もそうですが、私自身も変わりましたね。私は1年のうち半分は海外に行っていましたが、いまはゼロ。一番の発見は「出張をしなくても仕事はできる」ことがわかったことです。

―――なるほど。パソコンひとつあれば、という?
 これまでは商品構成や店舗運営など任せきりだったが、時間が出来たからそれぞれの担当者を呼んで報告を聞いたら、問題が山のように出てきた。細かく洗い出したら、基本の基本ができていないことがたくさんあることが分かりました。だから「原点に戻ろう」と。在庫が多くなって、倉庫も家賃も膨れ上がってしまっていて。改善することはいくらでもあります。

景気は後退する だから後悔しない生き方を

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―――新型コロナウイルスの影響で業績が悪化する会社が増えています
 数年前から言っていますが、東京オリンピック・パラリンピックの時から不景気は始まると。2023年頃までは毎年景気が落ち込む、とね。これは前の東京オリンピックの時もそうでした。今年はそれに新型コロナウイルスが加わった。だから来年からはさらに厳しくなるでしょうね。あまりこのようなことは言いたくないけどね。

―――人生観は変わりましたか?
 人生、いつ何時どうなるかわからないですからね。後悔しないように、やりたいことをやって、1日1日を大事に生きていきたいと思っています。「やらないで後悔するより、やって後悔しよう」とね。ますます考え方が変わってきました。

―――最後に似鳥会長が考える「リーダー」とは?
 リーダーとは、10年先のことの目標と計画を立てて、それをピタリと一致させる人のことを言います。

■似鳥昭雄 ニトリ創業者。ニトリホールディングス会長。1944年、旧樺太生まれ。1966年、北海学園大学経済学部卒業。1967年、似鳥家具店を札幌市で創業。78年、社名をニトリ家具に変更。86年、社名をニトリ。2010年、持ち株会社へ移行し現在。17年、国の内外に600店舗以上を構える。業績は33期連続で増収増益。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。

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