コロナ禍でマスク作りも 播州織デザイナーが追い求める「着心地の良い服」

3分で読める!『ザ・リーダー』たちの泣き笑い

2020/07/22 18:00

 かつて、ガチャンと織ると1万円儲かる「ガチャマン景気」と称され、隆盛を極めた兵庫県の伝統織物・播州織。今は安価な海外製品に劣勢を強いられるが、質の高さは揺らいでいない。この播州織と偶然出会い、西脇市を拠点にして「tamaki niime」ブランドを立ち上げたデザイナーがいる。工房では糸の染色から機織り、縫製までを一貫して行い、併設する直営ショップは遠方からの客で賑わう。分業が当たり前だった世界に新しい命を吹き込むデザイナー・玉木新雌(たまき にいめ)さんに話を聞いた。

ひとつひとつ違う作品を生み出す播州織の魅力
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―――ラボ兼直営ショップはかわいいカフェみたいな感じですね。
 もともとは染工場があった場所で大きな窯がいっぱいありました。播州地方は織物の産地なので、布を作ることは得意です。色々な布を生み出して、洋服だけに留まらない様々なアイテムを増やしています。最近だと新型コロナウイルスで需要が増えたマスク作りに取り組みました。直営ショップの隣にはラボがあります。
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―――拠点を西脇市に移すまで惚れ込んだ播州織の魅力は?
 先染(さきぞめ)織物だということですね。織る前に糸に色が染められている。後染(あとぞめ)の場合は、糸が生成りです。一色で織り続けるので、単調にただただ毎日たくさん織るという点では効率的ですが、どうしても作業になりやすい。播州織は織りながらデザインを考えることができるし、一点一点違う作品になるのでオリジナリティの溢れるものが作れます。

ある日、「好きな服」は「着心地」で決まると気づいた
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―――小さな頃から洋服が好きだった?
 両親は洋服と化粧品の店を経営していて、自分の服を選ぶことを小さな頃からやらせてもらっていたので、服にはすごく興味がありました。ある日、「着る服」とあまり「着ない服」があることに気づいて、「何が違うのだろう?」と考えたら、「着心地が良い服」を選ぶ自分に気づきました。だから「着心地の良い服を作りたい」と思うようになり、それがいまのブランドを立ち上げる原点になっています。

―――デザイナーを目指して大学は服飾関係の学部に?
 大学を出たら自分でデザインして洋服が作れると思い込んでいました。けれど、大学で学んでもなかなか想像していた作品が作れない。「どうしてなのか?」と大学の教授に相談したら「それを学ぶのは大学ではなくて専門学校だよ」と言われて。
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―――遠回りをされたのですね。
 服飾の専門学校を卒業して、繊維商社にパタンナー(型紙を作る仕事)として就職しました。着心地の良い服を作る一つの方法は、パターンが良いことだと考えたからです。デザインはもちろん大切だし、着心地を良くすることはできるかもしれないけれど、パターンが「要」じゃないかと当時思っていました。

リストラの噂でさっさと退職 素材探しの旅に
―――就職した会社を2年で辞めた理由は?
 元々、長く勤める気はありませんでした。両親の姿を見ていたから私もいつか「独立したい」気持ちはあったし、噂でリストラがあるかも...と聞いて「いまだ!」と思って退職しちゃいました。

―――そこからどう播州織に結び付くのですか?
 その時に「着心地の良い服ってなんだろう」ってもう一度考えた時に、デザインだけではなかった、パターンだけでもなかった。「じゃあ、布だ! 素材だ!」となって、気持ちいい素材探しの旅に出ました。いろんな展示会や産地を巡って、遂に播州織に出会います。

播州織の職人さんとの出会いがブランドの道を開く
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―――播州織と出会ってすぐ「ピン!」と来たのですか?
 展示会に西角博文さんという職人さんが出店していて、生地に「世界に一つだけの生地」というフレーズが書いてあって、それにすごく興味が湧きました。生地って大量に作られるので「既に誰かが使っている何か」じゃないですか。それなら私が作らなくても世の中に出ているものだから「私が作る意味ってないよね」と思っていましたので、西角さんのフレーズに引き込まれました。

―――まだ若いのに強い信念みたいなものがあったのですね。
 西角さんの「一点もの生地」は、試みは面白いけど、見た目は一点ものっぽく全く見えない。だから「こうしたらどうですか?」とアドバイスしました。すると、1週間後に西角さんから電話があって「作ってみたから見においで」って言うの。驚きました。「発注かけてないですよ」って感じですよね(笑)。それで見せていただいたのがすごく良くて、最初の作品に繋がりました。

理想の布を追求し「自分で織る」...するとバッシングの嵐!
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―――西角さんとの出会いでブランドは始まったのですね。
 私は織り方は分からないけど、もうちょっと固くしたいとか、張りを持たせたいとか、きれいな色にしたいって希望はいくらでもあります。西角さんは「こういうこと? こういうこと?」ってどんどん提案してくれます。だから、いまできる一番柔らかいところまで到達しました。でも「もう一発、柔らかくしたい」となった時に西角さんから言われたのは「これより柔らかくするなら、自分で機械を改良しないと織れない」ということでした。

―――そこで自ら織り始める訳ですね。でも、持ち場持ち場がある織物業界で反発は?
 ありましたね、バッシングはね。直接言いに来てくれたら私も説明するじゃないですか、「こういう意図があって、こういうビジョンがあるから協力してください」って。でも、まわりまわってしか耳に入ってこない。「玉木さんまた文句言われているよ」って言われるから、気になって一時は引きこもりになりました。

激しいバッシングを受けて人間不信に
―――バッシングを受けて引きこもりになった?
 「玉木さん!」って好意的に声を掛けてくれる人も増える一方で、「陰口を言っている人がいる」って情報も入ってくるし、「あなたは文句を言っている人なの? 応援してくれている人なの?」みたいに不安になって...。

―――播州織の狭い世界では、なかなか精神的にしんどいですね。
 ただ、覚悟は決めたというか...今はバッシングにあうかもしれないけど、100年後とか自分が死んでからでも、播州織の歴史を紐解く中で私の試みが「重要な分岐点だった」となることを信じて突き進むことにしました。「目の前の人に認めてもらわなくてもいいや」と思うようになってからは随分気持ちが楽になりました。

スタッフ採用の基準は「経験者、お断り」
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―――玉木さんはスタッフ採用の基準が「播州織の経験者はお断り」ですよね?
 経験者を採用したほうが簡単で楽ですけどね。ただ、経験者は固定概念がどうしてもあるし、新しいものを生み出すとか「柔らかい織物」となった時には、播州織への固定観念が邪魔をすることが多い。だから大変だけど、まっさらな状態でここに来て、学ぶスタイルをとっています。

―――会社のトップとして心がけているのは?
 その点は新型コロナウイルスの影響で変わりました。コロナ禍までは、播州織の名前を借りてやっているから失敗したらいけない、と勝手に背負っていたというか...。けれど、新型コロナウイルスで、これまでは当たり前だったことがそうじゃなくなった。「いつこけるか分からない。どうなるか分からないのに、守りに入っていてはおもしろいもの作りはできない」と思うようになりました。

リーダーとは「母親みたいなもの」
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―――今年から田植えを始めたそうですね。
 古くから織物と共に作物を育んできた播州地域の先人たちにならいました。それに部署が違うと一緒に何かをすることは難しいですが、年に何回かは「共同作業」も良いかなと。加えて、新しく社員寮に古民家を購入したのですが、そこである「実験」を始めています。播州織を使って壁紙や家具などのインテリア作りを目指しています。

―――作品作りが全てで、玉木さんのプライベートが見えてきません。
 お店の上に家があってというのが子どもの頃から当たり前だったから、いまは理想の形です。休みに何かをしたいとか思ったことはありません。遠出したいとか思わないです。「仕事」「プライベート」「生きる」が、ぐちゃっと一つになっている感じかな。お風呂でよくひらめいて、すぐにやりたいから織機を動かして...って。まさに理想の環境です。楽しくてしょうがない。
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―――最後に、玉木さんが考える「リーダー」とは?
 「母親」みたいなものかなと思っています。いつも「カミナリお母さん」みたいになっているけど、朗らかな母親のようになれたらいいなと思っています。


■玉木新雌 
 1978年、福井県勝山市生まれ。武庫川女子大学卒業後、服飾専門学校に入学。就職した繊維商社を2年足らずで辞め、2004年、ブランド「tamaki niime」を立ち上げる。2009年から兵庫県西脇市を拠点に。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。

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