MBS 毎日放送

2020年04月24日 16時36分 公開

「アナと雪の女王」上演へ 「劇団四季」創設者・浅利慶太氏の「志」を継ぐ

 日本各地に専用劇場を持つ「劇団四季」。創設者・浅利慶太氏の圧倒的なカリスマ性によって規模拡大を続けてきた。だがいまは、新型コロナウイルスの感染拡大で劇場を開けない状況が続く。かつて経験したことのない苦境の中で、浅利氏からバトンを受け継いだ吉田智誉樹社長(55)はいま、何を考え、どのような劇団の未来図を描こうとしているのだろうか。

新型コロナウイルス感染拡大の影響は想像以上20200424164723-728d69618cb140f6d8997b708c3a4f85961f5352.jpg
―――新型コロナウイルスの影響は深刻ですね
 今年の3月31日時点で、すでに280回くらいの公演が中止になっています。これは、専用劇場の10か月分の回数です。実に大きなダメージです。演劇は非常に難しいものだなとつくづく感じます。社会が安定していて、健康な状態でないと十分に機能しない芸術だと、改めて思い知らされました。

演劇との出会いは高校時代
20200424165015-ce1ac23a790d77f470ec60dcc4565891d5e94df2.jpg
―――そもそも、吉田さんと演劇との出会いは何だったのですか?
 高校生の時、先輩からの誘いで渋々、演劇部に入ったのが最初です。ところが、やってみるとわかるのですが、一度やってみると面白くてしょうがない。たちまち夢中になりました。大勢の仲間と初日に合わせて、集中して準備し、そこから始まってあっけなく終わる...。その感じが好きでたまらなかった。

―――大学は慶応に進まれましたよね
 大学では演劇研究会に入りました。高校時代は「劇団四季」もよく見ていましたが、大学に入ってからは先輩の影響もあって、小劇場とかで小さな劇団の芝居も見るようになりました。そんな中、当時、寺山修司さんの芝居は拝見したことはなかったのですが、書いたものをたくさん読んでいて、その中に浅利慶太さんが出てきて、本質的に演劇をとらえている人だと、とても印象的でした。

浅利氏に会いたくて受けた「四季」就職試験
20200424165403-476b3ea6a1216374e2499683f221a9caa842615f.jpg
―――浅利さんに興味を持って「四季」に入団された?
 就職面接を受けるチャンスに、浅利さんと話が出来れば、と思って「四季」を受けました。最終面接には出てくるのではないか、と...。そしたら、意外にも一次面接から出てきて...。

―――一次面接で夢が叶いましたね
 ただ、あの迫力ですから、借りてきた猫のようになってしまって...。浅利さんに聞きたいことがあって、せっかく用意してきたのに質問をする余裕は残念ながらありませんでした。ただ、よく覚えているのは、浅利さんは慶応の先輩ですが、「君は私の後輩だ。私が、劇団をつくったのは20歳の頃だった。あなたも履歴書をみると芝居をやっているみたいだけれど、なんで自分で劇団をやらないの?」と言われました。

―――答えに困りますね
 返答できなかったことをよく覚えています。

浅利さんの教え「慣れ、だれ、崩れ=去れ」
20200424165654-a3806ce50e5695eaec615d1b315f7ab0f5867ca8.jpg
―――劇団を創立して67年になります。改めて「劇団四季」の強みは?
 いろんな興行会社がありますが、「四季」の違うところは、全部が、演劇から生まれてくる利益で成り立っていることです。それをやるためには、真のプロフェッショナリズムをもった組織でないと続きません。浅利さんの教えのひとつですが、「慣れ、だれ、崩れ=去れ」という言葉があります。長期公演もあるので、だんだん演じることに慣れてきて、芝居がダレてしまって、それが全体の崩れにつながる...。そういう人はいらない、という意味です。

―――話を伺っていると、一にも二にも浅利さんの名前が出てきます。吉田さんにとって浅利さんはどのような存在ですか?
 私のキャリアをすべて作ってくれた人。卒業してすぐ「四季」に入りましたから...。社会人としての私の何から何までを作ってくれた恩人ですね。とにかく、厳しい人でした。随分、叱られましたよ。いまでも夢に見ます。

浅利さんから社長就任を言い渡され...「僕には無理です」
20200424165933-720cf4b45f496773e55da57caada7d68ef386b4c.jpg
―――6年前に浅利さんは吉田さんに社長のバトンを渡しました
 何故、私を社長に指名したのかは、いまでも全然分かりません。もちろん「社長をやれ」と言われた瞬間はありました。けれど、その時はあまりにも驚いて、「僕には無理です」と言いました。そしたら、浅利さんは「お前は俺の後輩だろ! 先輩の言うことは聞くものだ!」と怒られまして...。「わかりました」と答えるしかありませんでした。ただ実際、社長の仕事をしてみて、どんなプレッシャーの中に浅利さんがいたのだろうと感じることはよくあります。

―――吉田さんも日々プレッシャーを?
 もちろんです。一番緊張するのは、毎年4月に新しく入団してくる人たちを迎えて話をする時です。「希望でキラキラとした目を曇らせてはならない」ということと、「彼らが10年後、20年後にも組織が継続していないとならない」、その責任が自分にあると思うと緊張します。

縮小するマーケットへの対応...それは「オリジナル作品」
20200424170130-7aaa6936b3e3942333e32ee44cd21f9102eddda4.jpg
―――浅利さんが残されたものを踏襲しながら、劇団をどう変えていくのか?
 一番思うのは、「キャッツ」や「ライオンキング」のような外国でヒットした作品を翻訳して上演している作品も、もちろん大事にしていきますが、それだけではいけないだろうと思っています。我々自身のオリジナル作品を作って、これをしっかりと日本でヒットさせなくてはならない。オリジナル作品を作る仕事の比重をできるだけ高めていきたいと考えています。

―――オリジナル作品は、なかなかハードルが高いですよね
 高いです。でも、あえてオリジナル作品というハードルの高い方を選ぶのは、未来の日本を考えてのことです。この国はこの後、深刻な少子高齢化社会を迎えて、このままでは、規模を小さくしていかないとならない。でも、もうこれだけのメンバーがいますし、新しく団員も入ってきます。安定的にこの仕事で生活するには、縮小するマーケット以外で、活路を見出していく必要がある。そこで、オリジナル作品なのです。「キャッツ」などの海外の作品を東南アジアで上演することは契約上、許されていません。

―――オリジナル作品で日本以外のマーケットを開拓するということですね
 オリジナル作品を作る仕事は、浅利さんも一時期、非常に熱心にやられていました。元々、浅利さんたちが、特に1970年代~1980年代にやろうとしていた「劇団四季」の姿に戻す感じですね。

「改革者」だった浅利さんの「思想」を守る
20200424170500-77a96d78a7ebeaff8b0e847b37089d3566dc8bbe.jpg
―――それにしても、常に浅利さんとともに歩んでこられた年月ですね
 「四季」に入団して33年になりますが、2018年に浅利さんが亡くなってもなお、浅利さんと心の中で対話する毎日です。浅利さんの教えである「自分に慣れ、だれ、崩れはないか」などは、いつも自分に問いかけています。

―――心の中で浅利さんと対話することでひらめくとか、降りてくる言葉はありますか?
 何かを決める時には「浅利さんだったらどう判断するかな」と考えることがあります。「恐らく、浅利さんはこう言うだろうな」と思う方向に進むようにはしています。でも、どんどん世の中は変化します。言うまでもありませんが、改革者だった浅利さんの思想も守らなければならない。時にはやったことない、前例のないことにもチャレンジする必要はある、と思っています。

「春」「秋」劇場リニューアル 9月に「アナと雪の女王」
20200424170637-2ebca7e607844570cd92e481e7b19987e99c264b.jpg
―――いまは公演が出来ない状況ですが、今後の戦略は?
 いま、東京・港区の竹芝にある劇団四季の「春」と「秋」劇場をリニューアルしています。このうち「春」劇場では、ディズニー映画で大ヒットした「アナと雪の女王」を今年9月に開幕させようとしています。劇場には最新のテクノロジーが使われていて、例えば、劇場が「凍る」のです。エルサの氷の魔法が、お客さんの目の前で展開されるような仕掛けを考えています。

いつか、ビジネス抜きでお芝居を楽しみたい!

―――リタイアした後の夢はありますか?
 いつまでたってもお芝居が大好きです。自分の劇団の舞台も好きだし、いろんな所で行われている「四季」以外の舞台も見ます。だから、リタイアして時間が出来たら、好きなものだけを選んでのんびりと仕事のことを考えずにお芝居を楽しみたいですね。

―――ビジネスとか、数字こととか、関係なく楽しみたいと?
 自分の好きなものだけ選んで舞台を見て、のんびり過ごせる余生があったとしたら、これほど嬉しいことはないですね。

理想のリーダーは「夢を語る人」

―――最後に、吉田社長が考える「リーダー」とは?
 「夢を語る人」かな、端的にいうと。劇団のメンバーには、その夢に共感してもらいたいし、お客さまには舞台を通して夢や勇気を与えられたらと思っています。


■四季
1953年、慶応義塾大学と東京大学の学生10人によって結成。創設者は浅利慶太氏。1964年「はだかの王様」で初ミュージカル。1983年初演の「キャッツ」は、国内初となるミュージカル専用の仮設劇場を作り、ロングラン公演を成功。「ライオンキング」の公演数は1万2000回を超え、国内最多を誇る。現在、1300人が在籍する。

■吉田智誉樹社長
1964年、神奈川県横浜市生まれ。1987年、慶応義塾大学文学部を卒業後「四季」入団。営業や広報を担当したのち、取締役宣伝広報担当などを経て、2014年に社長就任。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。

バックナンバー

番組ページ