アフリカ出身の京都精華大学ウスビ・サコ学長 「優秀な留学生が増えた」その手腕とは?

3分で読める!『ザ・リーダー』たちの泣き笑い

2019/09/19 14:03

 2018年、京都精華大学の学長にウスビ・サコ教授が就任した。日本初のアフリカ出身の学長となる。京都精華大学は日本で初めて「マンガ学部」を開設した大学でもあるが、少子化で学生定員を割り込む事態が続いている。サコ学長の手腕に期待が高まる。

カルチャーショックの連続だった
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―――2001年からこちらの大学ですよね。学生のイメージは変わりましたか?
 当時と比べると学生が大人しくなったと思います。以前の学生は服装や言動が衝撃的で、しばしばカルチャーショックを受けました。

―――学内には「自由自治」と刻まれた石碑がありますが?
 大学の理念に「自由自治」と「人間尊重」の2つを掲げています。1968年の開校当時から一貫して掲げる大学の理念です。大学として学生を大事にし、人間として扱う、学生は自らこの大学の発展に参画するということで「自由と自治」をしっかりと担保するという考え方です。

親も手を焼いた少年時代
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―――出身のマリ共和国はどんな国ですか?
 マリは歴史的にも古い土地です。もともとガーナ帝国、マリ帝国、ソンガイ帝国とかに分かれていました。8〜16世紀くらいまでは様々な帝国があった場所です。その時に出来上がったそれぞれの民族に違う職業が与えられ、分業社会ができていました。「サコ」と聞くと、大抵は商人の家系と考えて間違いありません。

―――どんな少年時代を過ごしたのですか?
 私の幼少期は、いろんないたずらばかりをしていて、落ち着きのない子どもというのが一番の印象です。実は子どもの頃、私は6年の間、自宅から離れた場所に預けられていました。私がやんちゃ過ぎたので、親はそのまま自宅で育てたらヤバい大人に育つと心配して、小学4年生の時から学校の先生の家に預けられました。

―――「うちの息子の根性たたき直してください」ということですか?
 預けられた場所は自宅から300kmくらい離れたところでした。当然、簡単には自宅に帰れません。田舎町で、そこには電気も水道もありませんでした。


とにかく勉強は優秀だった
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―――国費で中国に留学したということは、かなり勉強ができた?
 成績は高校を卒業するまでいつも1、2位でした。頑張れば結果はついて来ると。国費留学でどこの国に行くかは自分で決めることはできません。国が振り分け、それに従うだけ。私は中国の大学に留学しましたが、別に中国に行きたいとは思っていませんでした。どこの国に留学したいとか希望は一切、出せません。何を学びたいのか、という希望は出せます。私は建築を学びたかったのでそれを希望しました。

初めての海外、初めての中国で...

―――初めての海外生活でカルチャーショックは?
 初めて自分の国から離れて、ワクワク感は当然ありました。だけど、カルチャーショックしかありませんでした。中国は、ちょうど解放・改革制度が始まったばかりで、外国人留学生は保護して中国の国際化を充実させようと考えていたので、かなり大学は留学生の面倒を手厚く見てくれました。私たちの住環境はとても良く、当時の中国としては恵まれた環境にいました。

肌の色を巡って国民性の違いが...
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―――日本と中国で学びましたが、国民性に違いは?
 中国の良かったことは不満が言えたことです。喧嘩もできました。例えば、差別を受けたと思ったことがあれば喧嘩をすればいい。でも、日本は差別を受けたと思っても黙っているしかありません。日本の場合は喧嘩するチャンスがないのです。だから、ストレスが溜まります。

―――はっきりモノを言わない日本人とはっきり言う中国人の違い?
 中国人は私がバス停に向かって歩いて着いたとたんに腕を触ってきて、"色落ちないね"とか言い、私も"どうしてそんなことをするんだ"と怒ります。私の印象としては、中国人は素直と言えます。日本に来て一番苦しかったのはその点ですね。日本人はたぶん、私を見たい、でも見ない。チラっと見るだけです。だから、日本人も肌の色について聞きたければ聞けばいいと思うけど、何も言わない、思うだけです。

留学生の獲得がカギ
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―――去年に学長になりましたが、これまでに大きな決断は?
 どの大学も学生の獲得を巡って、激しい競争をしています。だけど、世界的にみると人口は増えています。だから教育を受けるチャンスが日本にあるのなら、いろんな国の人に教育の機会を与えればいいと思います。私が学長になった時、全ての試験を留学生にオープンにしました。留学生試験だけではなく、日本人と同じ試験を受けることができます。すると、結構、優秀な留学生が増えてきて、ここ2年で留学生が順調に増えました。意外なことに日本人学生も増えて、大学が元気になってきました。

多様性と世界に開かれた大学
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―――日本の大学は入るのは難しいけど、出るのは簡単といわれます。
 いま、大学は入りやすくなっているので、進学率も高くなっています。でも、自分が何をしたいのか、何者になりたいのか、あるいは自分とは何なのかと考えるチャンスは非常に少ないと思います。日本の教育の中で、もっとそういう時間を増やさないといけないと思います。例えば、哲学の時間とか、リベラル・アーツ(教養教育)の時間とかを増やすべきだと思います。

―――京都精華大学をどのような大学にしたい?
 多様性である大学と、かなりグローバルなキャンパス環境、あるいはそこで育成される人間たちが、自分たちが社会を変えて行く力も持った学生になって欲しい。だから大学の存在自体は京都のみならず、世界に向けて開かれた大学、あるいは色々なところで可能性を提供していく大学にしていきたいと思います。

リーダーとは『最終責任をとる人』
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―――将来の夢は?
 夢は、寝てから見るものでしょう?(笑) ひとつ大きい夢は、社会の役に立てる人間でありたいと思います。学長は人生の最終ゴールではなく、ひとつの手段。日本や世界で学んだことを世界の新しい秩序の中でどう活かしていくのか...。日々、模索して努力していきたいと思います。

―――サコ学長が考える「リーダー」とは? 
 リーダーは、まず、最終責任が取れる人。その過程でいろんな人と話し合える。要するに、いろんな人と寄り添って物事を決めていく。そして、決めたことについて自分が最終責任をとる、ということをきちんとできる人がリーダーだと思います。


■京都精華大学
1968年、短期大学として開校。1979年に4年制へ移行、2000年に日本の大学で初めて「マンガ学科」を開設。2006年「マンガ学部」に。

■ウスビ・サコ
1966年、マリ共和国で生まれる。1985年、国費で中国の大学に留学、建築を学ぶ。1991年、来日。京都大学大学院で学んだあと2013年、京都精華大学教授。2018年、学長就任。日本国籍は2002年に取得。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:15放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。

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