里山の習慣
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BLOG里山の習慣
2019.02.01
世にも奇妙な木箱
今の家に引っ越して来て1年くらい経った ある日玄関を開けると,そこには謎の古い木箱がありました。それは明らかに私のものではありません。その日は妻も実家に帰っていて、なんなのか聞くこともできません。鳥肌マックスで少し怖くなり、玄関の外に出ました。何かの気配を感じたので辺りを見回してみましたが、もちろん誰もいません。(お隣さん家まで200mは離れているので、逆に誰かいたら怖いのですが・・。) 私はこれはきっと狐が何か持って来たのではないかと想像して、本当にビビりました。 そして、恐る恐る玄関に入り箱の中を開けてみると、箱の中は空っぽ。内心は稲荷寿司が中に入っていたら・・という期待と恐怖でいっぱい外から鹿の鳴き声や物音がするたびにビクリとしながら、とりあえず妻に電話してみました。 しかし妻は「何それ? 知らんで〜!けどなんか不気味やな・・。お隣さんに聞いてみたら?」と。 そこでお隣さんに電話してみると「ん?ああ、それか!なんの説明もなかったの?毎月1日、月の初めにお稲荷さんにお赤飯を木箱に入れてお供えするんやで。」なるほど、お稲荷さんへの五穀豊穣のお供えですな。一件落着。こういう風習があるのは面白いです。私は霊感ゼロですが、狐っぽい感覚を感じたのは、まんざらでもなかったようです。いやーそれにしてもビビりました。
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2018.11.29
京北ミステリーシリーズ① 「謎の黒い明智光秀像」
秋が日増しに深まる京北、周山交差点からも見える、大きな銀杏の黄金色に誘われて歩いていくと、そこには「慈眼寺」さんというお寺があります。 慈眼寺は、明智光秀ゆかりのお寺であることを、ご存知ですか? 明智光秀は、「本能寺の変」で自分の主である織田信長を討ちました。その後の足取りは諸説がたくさんあり、ミステリアスな武将であることでも知られています。 実はここ京北には、ある言い伝えがあります。それは明智光秀が、当時京北で悪政を尽くしていた宇津氏という豪族達を戦わずして降伏させ、村民から慕われたというものです。実際に、この慈眼寺には光秀の木坐像と位牌が安置されています。 この木坐像は、作者やいつ頃作られたのかも不明だそうです。そしてさらにミステリアスなのは、この像は全身を真っ黒に塗ってあるということです。一説では、自分の主を討った光秀が逆臣の汚名を着せられていることを気の毒に思った当時の村民が、どうしてもこの木坐像だけは守り抜きたいと、人目をはばかるために像を黒く塗ったとされています。現在もその黒く塗られた像を拝見することができます。境内の紅葉も、謎多き光秀公の歴史を彩っているかのようでしたよ。 京北の歴史ロマン、お越しの際はぜひ、足を運ばれてみては?*曹洞宗 慧日山 慈眼禅寺・・・〒601-0251京都市右京区京北周山町上代4(アクセス)JRバス 周山駅から徒歩5分