サントリー1万人の第九 2025 REPORT
1万人で歌を贈る日にしよう。
2025年12月7日(日)。
年末恒例のコンサート『サントリー1万人の第九』が、大阪城ホールで開催されました。ベートーヴェン「交響曲第九番」を1万人で合唱する——大阪・関西万博のオープニングを飾ったことでも話題になり、そのスケールと迫力をメディアなとでご覧になった方も多いと思いますが、実体験は想像以上です。
今年のテーマは「1万人で歌を贈る日にしよう」。
戦後80年、阪神・淡路大震災から30年という節目の年。万博会場でも大屋根リングから“世界中の兄弟たち”に歌が贈られました。「人と人が抱き合う、その先によろこびが生まれる」。総監督・指揮を務める佐渡裕さんは、ベートーヴェンが残したこのメッセージを、100年先へ手渡すように、今年で27回目の指揮台に立ちました。
「世界中の友よ、こんな音楽ではない」――
やさしく、やわらかな微笑みを浮かべ、大阪城ホールに集まったひとり一人に語り掛けていく俳優・蒼井優さんの朗読が心に残りました。
『サントリー1万人の第九』は今年で第43回ですが、ドイツの詩人・シラーの「歓喜に寄せて」の日本語詞を舞台上で朗読するようになったのは、第31回(2013)から。ドイツ語の歌詞をなぞるだけなく、合唱団の誰もがその意味を実感して歌えるようにとの想いからでした。平和について考えさせられることが多かった2025年はより深く、より鮮烈に、ベートーヴェンのメッセージをひとり一人に贈ろうと蒼井優さんがステージに立ったのは第九・第四楽章の直前。「愛の章」と呼ばれるメロディアスな第三楽章が終わり、センターのライトが黒いロングドレス姿の蒼井さんを照らしました。
蒼井さんは語り始めました。時に声色に厳しさを交えながら、ソプラノ側、アルト側、バスとテノールが並ぶ正面、そして観客それぞれに目線を向け、その声は隅々にまで舞い届くよう。手に持っていた台本には目を落とさなかったように思えました。天使の羽に包まれるような、陶酔の時間でした。「世界中の人々よ、抱き合え。その口づけを万人に届けよう」——読み込んでいくうちに蒼井さんは、このフレーズが最も胸に沁みたと話されました。
1日を、振り返ってみましょう。
大阪城公園の銀杏並木がカラフルに色づき、凛とした冬の空気です。1万人の合唱団は朝から大阪城ホールに集まり、リハーサルをしているそうです。開演は、午後3時から。入り口付近では、プログラムやキーホルダーなどの記念グッズを買い求める方で賑わいます。『サントリー1万人の第九』は約3時間のロング・コンサート。第1部と第2部に分かれています。前半はクラシック音楽に限らず、毎年さまざまなジャンルのゲスト・アーティストによるパフォーマンスを1万人の合唱団もいっしょになって楽しみ、後半でベートーヴェンの第九が演奏されます。まずは前半ステージから振り返ってみましょう。
■太鼓芸能集団 鼓童のオープニングアクト
舞台中央、大太鼓が鎮座します。オープニングを飾ったのは、佐渡ケ島(新潟県)を拠点に、国際的なパフォーマンスを魅せる太鼓芸能集団 鼓童の皆さん。一打が放たれた瞬間から、空気が一気に変わります。“音”というより“心臓の音”そのものが身体中に流れ込んでくるよう。大迫力の『大太鼓』に続いて、笛や太鼓を鳴らすメンバーがアリーナ席に姿をあらわします。まるで和のパレードが会場を横切っていくような高揚感のもと『結』が賑やかに響き渡りました。
鼓童による演奏のハイライトは、オーケストラとのコラボ演奏『いのち第6楽章』。この楽曲は、太鼓とオーケストラのために作曲されたもの。佐渡さんとの共演は、今年5月のウィーン公演に続いて二度目。鼓童のリーダーである平田さんは「オケと共演する場合、太鼓のボリュームを抑えてほしいと言われる場合が多いけど、佐渡さんはもっともっと!と熱量をあげてくださる」と話します。なるほど、オケと太鼓が掛け合い、熱をあげて立ちのぼります。日本人のDNAをも感じさせる太鼓の連打には、魂が震えるほど。鼓童の活動理念「ひとつの地球」は、言うまでもなく第九のメッセージとも響き合い、素晴らしいオープニングを飾ってくださいました。
■司会は松岡茉優さん&三ツ廣政輝アナ
『サントリー1万人の第九』の大ファンという俳優・松岡茉優さんは、昨年に続きMBS三ツ廣政輝アナウンサーと共に、司会を務めました。袖がふわりと膨らんだ純白のドレス姿。二年目とあり、練習を積み重ねてきた1万人の合唱団のこころに寄り添い、司会者というよりも1万人の「兄弟たち」としてエールを送り続けていらっしゃる様子が印象的でした。
今年のテーマである「1万人で歌を贈る日にしよう」とは、歌のちからで人と人をつないで世界中の人々をひとつにという願いが込められています。佐渡さんは、「声というものが誰もが持っている一番身近な楽器。人の心と一致していますからね」と話します。ちなみにベートーヴェンが活躍した200年前の時代では、交響曲に「人の声(合唱)」が入ることそのものが前衛的なことだったようです。ベートーヴェンは、人類の平和を願う交響曲の最後のピースとして、「人の声」を選んだということなんですね。合唱参加者は47都道府県+海外からも。年齢は6才から最高齢は98歳。90代以上の方が12名も!!誰かと声をあわせる合唱は、身体にも、心にも、よろこびを蓄えてくれるのかもしれません。
■阪神タイガース・小幡選手がサプライズゲスト
関西の方は予想していたかもしれないサプライズ。シークレットゲストは、今年のプロ野球界でリーグ優勝を飾った阪神タイガースから小幡竜平選手。佐渡さんの表情がいっきに緩みます(楽屋でツーショットを撮ったと嬉しそうでした!)。『ラデツキー行進曲』からのアレンジで『六甲おろし』が演奏されると、大阪城ホールが球場かというほど大合唱がはじまりました。合唱席には、タイガースタオルなど応援グッズを掲げている方も。さすが関西です。この様子をはじめて目にした松岡茉優さんは驚き、「あんなにスルっと(六甲おろしの歌が)出てくるもんなのですか?」と尋ねると、「(関西人の)遺伝子に組み込まれていますから」と三ツ廣アナが答えました。
■一青窈さん×1万人×高校生『ハナミズキ』大合唱
花を思わせるアーティスティックなドレスで一青窈さんが登場。冒頭で、子どもを産んでから、若い世代が自ら命を絶つニュースに触れるたび、胸を痛めてきたと語ります。その想いから、友人の森山直太朗さんに依頼して生まれたのが、1曲目『耳をすます』でした。続いて、佐渡さんとオーケストラとの共演で、デビュー曲『もらい泣き』、そして新曲『アレキサンドライト』を披露。一青窈さんはお父様が台湾生まれで、その独特の節回しには、台湾の民謡を意識した表現もあるそうです。
クライマックスは、1万人との大合唱『ハナミズキ』。「きみと好きなひとが百年続きますように」というフレーズが印象的なこの曲。もともとはアメリカの同時多発テロ事件に巻き込まれた友人を想って書き下ろした曲ですが、20年以上、カラオケなどで大勢に歌われてきました。一青窈さんは「まず愛すること。そして、その人にも大切な人がいることを忘れなければ、世の中はやさしくなる」と語りました。高校生合唱団と1万人の歌声が重なります。二番の歌詞、「母の日になればミズキの“葉”を贈ってください」。花ではなく、これから育っていくものの象徴としての“葉”。未来へ手渡されていく歌の奥行きを、感じさせられる場面でした。
■1万人で贈りあう、ベートーヴェン「第九」
第二部。いよいよ、ベートーヴェン「交響曲第九番」が始まります。「抱き合え、1万人の人々よ」「(人と)人が抱き合うところから、よろこびが生まれる」。その言葉どおり、直前には蒼井優さんの朗読があり、その余韻が残っていました。第九は、約70分におよぶ大曲で、第1楽章から第3楽章まではオーケストラのみ。合唱が加わるのは、最後の第4楽章です。演奏を担うのは、兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)。阪神・淡路大震災からの復興を願って誕生したオーケストラで、結成20年を迎えました。
第九合唱をリードするのは、4人のソリストです。「いま、僕が考える最高のメンバーを国内外からそろえた」と佐渡さん。舞台に立つ姿だけで、これから始まる時間の格が伝わってきます。
ティンパニーが鳴り響き、1万人が一斉に立ち上がる——この瞬間が、最大の見せ場といっても良いかもしれません。歌の先陣を切るのは、バリトンのグスターボ・カスティーリョさん。そこへ男声合唱団が力強く「フロイデ!」と唱和し、会場の空気が一気に張りつめました。モニターには、動画投稿で参加した人たちの姿も映し出され、YouTube配信を通して、遠い町や自宅からの想いも合流します。
ただ、ここでふと気づきます。——あれ?テレビなどでよく出てくる合唱団全員で「よろこびのメロディ」を歌う有名な箇所は、まだ出てこない。そう、第九のクライマックスといってもいいあのメロディ(練習番号M)、実は、終楽章が始まって約15分後に出てきます。そこにいたるまで期待をじわじわと高めながら進んでいく構成に、はじめて体験する人ほど驚かされるかもしれません。そこからラストまでは、一気呵成。大きな流れに身を委ねるように、1万人はそれぞれの「フロイデ(よろこび)」を、思う存分、歌いあげました。
約20分間の大合唱が終わり、オーケストラがエンディングを奏で終えた瞬間、大阪城ホールにグリーンのリボンが舞い飛びます。言葉にならないあたたかな感動に包まれ、自然と涙があふれます。
第九を歌いあげた後は、『蛍の光』で今日の日を締めくくります。ペンライトが右に左に揺れ、光の海にいるような幻想的な雰囲気に。グリーンのフライングハートが降ってきます。そばに舞い落ちたので、お隣にいらした「はじめて来たの」とおっしゃる年配の女性にプレゼントしました。
そばにいる人と手をつなぐ。まわりにいてくださる人と抱きあう。その先に、真の「よろこび」があることを教わった2025年、『サントリー1万人の第九』でした。
大阪城ホールを出ると、外はすっかり夜の顔。ライトアップされた大阪城が浮かび上がり、余韻を包み込むように輝いていました。来年また、歌を贈りあえる一日が迎えられますように。
mikamurakami
SETLIST
- 第1部
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鼓童
『大太鼓』/『結』/『いのち第六楽章』
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『ラデツキー行進曲』/『六甲おろし』
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一青窈
『耳をすます』/『もらい泣き』/『アレキサンドライト』/『ハナミズキ』
- 第2部
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L.v.ベートーヴェン
『交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」』
『蛍の光』



コンサートの模様は、
2025年12月20日(土)午後4:00~4:54、
MBS・TBS系列全国ネットの特別番組「サントリー1万人の第九2025~1万人で歌を贈る日~」として放送予定。