2023年07月26日(水)公開
子どもの性被害 心の傷と共に生きる2人の証言『一時の快楽によって子どもらしい子ども時代を奪う』『被害にあっても夢をかなえることはできる』
編集部セレクト
子どものころに性被害を受けた2人の女性。トラウマを抱えながらも前を向いて生きています。2人の心の交流を取材しました。
5歳のときに友人の父から受けた性被害 意味を理解したのは中学生のとき
人目を気にせず自分らしく生きる。彼女には遠い世界の話でした。
(柳谷和美さん)
「幸せになったり笑ったりするのが加害者に対する最大の復讐。絶対幸せになったんねんみたいな」
柳谷和美さん、55歳。性被害当事者として全国で講演活動をしています。
(講演会で話す柳谷和美さん)
「子どもらしい子ども時代を奪うんですよ、性暴力は。そのときだけの加害者の一時の快楽によって、私はずっと自分を殺したいと思うんです」
性被害を受けたのは5歳のとき。隣に住む友人の家に遊びにいったときでした。友人は外出していて、家にいたのはその父親だけ。「お医者さんごっこしよう」と声をかけられました。
(柳谷和美さん)
「本当に遊びと思っているから、『全部脱いで』って言われて全部脱いで。自分で二段ベッドに上がっていって寝て、『じゃあ今から診察しますね』と目隠しをされて、そこから体の感覚だけですよね」
受けた行為の意味を理解したのは中学生のとき。自分の体が汚く思え、自傷行為がやめられなくなりました。
30代のときに出会った夫には被害のことを話しました。全てを受け入れてくれ、時々「死にたい」と暴れる和美さんに優しく寄り添ってくれたそうです。
(柳谷和美さん)
「生きている価値がないみたいな感じ。私の存在がみんなに迷惑をかけているから私は消えた方がいい、みたいな思考になっちゃうんですよ」
実名で経験を語り始める「その後の人生に大きな影響を与えると知ってほしい」
転機は2009年。参加した講演会で性被害当事者が数百人の前で話す姿に衝撃を受けます。「子どもの性被害はその後の人生に大きな影響を与えることを知ってほしい」、そんな思いが募るようになりました。和美さんも実名で過去の経験を語り始めました。
(講演会で話す柳谷和美さん)
「自分が好きな相手でもないのにそんなことをされて、自分の体が許せないんです。だから傷つけたくなるんです。もうこんな体、嫌やって」
これまで警察や学校など全国100か所以上で経験を語ってきました。
思い出したくもない過去を勇気を出して話しても、批判の声がSNSに届くことがあります。それも性被害当事者からです。
【和美さんへのメッセージより】
「まだまだ俺からしたらマシとしかいいようないわ俺も性犯罪とか普通にされてたし」
この男性に対して、和美さんはこう返しました。
【和美さんの返信より】
「判ってもらえなくても、聴いてくれなくても『声をあげる』ということからはじめていかなければ、被害者は、いつまでも泣き寝入りを強いられるのは悲しすぎると思います。私は、私にしかできない範囲ですが声をあげる選択をしました」
8歳のときに性被害を受けた女性 「死にたい」とも思うように
今年6月、和美さんは大分県を訪れました。ある人に会うためです。工藤千恵さん(51)。2人は10年来の友人です。
千恵さんが受けた心の傷。それは43年前に遡ります。1980年、大分県内の小学校近くの路上で誘拐事件が起きました。小学3年生の少女が56歳の男に連れ去られ、性犯罪の被害にあいました。8歳の被害者A子が千恵さんです。
(工藤千恵さん)
「ちょうどこの辺です、声をかけられたのは。加害者はあちらから歩いてきて、私はこちらから歩いてきて、ここで道を聞かれたので」
いつもと変わらない塾の帰り道。突然、見知らぬ男に「道を教えてほしい」と声をかけられました。「知りません」と返すと、手首をつかまれ、そのまま引っ張られながら連れ去られました。
(工藤千恵さん)
「本当に怖いときって声が出ないんだというのが自分の経験でわかります。ひとことも出ないし、かすり声とか小さい声さえもここで詰まるんですよね。助けてって言いたいけど」
そして約1km離れた畑で性被害を受けました。近くを通りかかった人が110番通報をして、まもなく複数の警察に囲まれ、男は取り押さえられました。
事件の概要は翌朝の新聞に載りました。
(工藤千恵さん)
「次の日、学校に行って教室に入った途端、クラス全員が私を囲んで『新聞に載っていたA子ちゃんって千恵ちゃんなんやろ』『暴行されていたって書いていたけどお前どこもケガしてないやん』ってみんなから言われ放題、聞かれ放題になってしまったんですよね」
「A子は私じゃない」と否定して隠し続けました。次第に心を閉ざすようになり、友達はできませんでした。女性らしくなっていく自分の体に、また被害にあうのでは、と感じるようになります。鏡で自分の姿を見ると気持ち悪くなり、「死にたい」とも思うようになりました。
転機は和美さんとの出会い 「生きて会いにきてくれてありがとう」の言葉に涙
10年前、和美さんとの出会いで人生が大きく変わります。大阪で開かれた性被害当事者の集まりに初めて参加したときでした。
(工藤千恵さん)
「大分まで帰るって話をしたときにハグをしてくれて、『今日まで元気に生きていて会いにきてくれてありがとう』と言われたんですよ。それで涙が止まらなくて。当事者同士だからわかる、今日まで生きていたのはすごいよねっていうところをすごく感じた」
和美さんとの出会いが前を向く力になったと話す千恵さん。今でもフラッシュバックや過呼吸が起きることがあります。けれど家族の支えもあり、トラウマと付き合いながら生活ができるようになりました。
フルーツ店をオープンへ「被害にあっても夢をかなえられると私自身で証明できれば」
千恵さんはこの夏、長年の夢だったフルーツ店を夫と一緒にオープンします。
(工藤千恵さん)
「直接的に被害当事者に手を差し伸べてサポートするとかカウンセリングをするということを今は全然していないですけど、被害にあっても何歳からでも夢ってかなえることができるんだよなってことを、私自身の生きている様子で証明ができたら」
自分が生きている姿や経験を伝えていくことが、被害者も加害者も生まない社会につながると2人は信じています。
(工藤千恵さん)
「私は和美ちゃんというちょっと先を行く、私が理想としていた生き方というか、被害にあっても楽しんでいいんだっていう。和美ちゃんに出会うきっかけを見つけた自分をちょっと褒めたい」
(柳谷和美さん)
「顔も名前も出すことによって、泣くときもあるよ、暴れるときもあるよ。でもそうやりながらも生きるという選択をしているわけじゃない。生きるっていうのを選んでいるのよ、ちゃんと。死にたい、死にたいって言いながら生きているんよね」
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