昨季、1年生ながらリーグ戦全試合に出場した日本大学のスクラムハーフ・前川李蘭(りらん)。彼には、今も憧れ続けている存在がいる。それは、ラグビーを始めるきっかけをくれた5歳上のお兄ちゃんだ。しかし、兄と会ったのは高校1年時の花園で「緊張しているのかよ!頑張れよ!」と優しく励ましの声をかけてもらったのが最後。李蘭は今、兄と共に生きている。
大好きなお兄ちゃんの背中を追いかけて
岩手県出身の李蘭。4人家族で父母、そして兄がいる。楕円球に初めて触れたのは5歳の時だった。ラグビーをしていた兄の影響で、岩手県の北上ラグビースクールに入った。
「どんなきつい練習でも笑顔で、純粋にラグビーを楽しんでいたお兄ちゃんの姿を覚えています。当時は、プロの試合を見るよりもお兄ちゃんのプレーを見る方が上手いと思うことが多かった。目標にする選手はお兄ちゃんでした。」
兄弟揃ってスタンドオフを務め、憧れの存在として練習に励む日々。そして、中学は地元のクラブチーム・矢巾レッドファイヤーズに所属。高校は、親元を離れて東京の目黒学院高校に進学した。
初めての花園は今も楽しかった良い思い出。だが・・・
高校1年時。入学当初から才能を見込まれていた李蘭は、スクラムハーフとして春から全試合スタメン出場を果たすなど、チームに欠かせない存在になる。そして、東京の地区予選で優勝を果たし、花園の出場権を獲得した。
「親元を離れて東京に来たので、なかなか家族と会えていなかったのですが、花園が決まった時にお兄ちゃんから珍しくラインがきたんです。花園頑張れよ!大阪旅行に行けるから良かった!と書かれていました。」
ツンデレの兄。兄弟げんかもあったが、どこかで常に自分のことを気にかけてくれる優しい存在だったという。
2017年12月30日。ついに花園の初戦がやってきた。その試合前、グラウンドに向かう途中で兄とばったり出会った。「緊張してるのかよ!頑張れよ!」兄には李蘭がガチガチなように見えたのだろう。一言だったが、優しく声をかけてもらった記憶を鮮明に覚えている。そして、初戦は長崎南山に26対20で勝利。ベスト8をかけて、大阪桐蔭と第一グラウンドで試合をすることがきまった。
2018年1月1日。大阪桐蔭戦の朝。目が覚めてスマートフォンを見ると、兄からラインが届いていた。「死んでも勝ってこいよ!」この日も短い言葉だったが、勇気をもらった。正月の花園は、ラグビーファンでいっぱいになる。結果は負けてしまったが、たくさんの観客の前でプレーできたことが何よりも嬉しかったという。
しかし、花園と新人戦を終え、3月上旬に帰省した李蘭に信じられない話が舞い込んできてしまう・・・
「目の前が真っ白になって、何も考えられなくなってしまって」
それは、大好きだった兄が遺体で見つかったという父からの報告だった。実は1か月ぐらい前から兄が行方不明になっているという話は聞いていた。しかし、少しやんちゃだった兄の事だから帰ってくるのだろうと気に留めていなかったというが・・・
「親も最悪の事態が想定されるまでは、寮生活の僕には言わないようにしていたと思います。しかし、帰省して親戚が集まっている席で、警察から連絡を受けて兄の訃報を聞きました。みんな泣き崩れ、母は過呼吸になっていた。自分も父から、俺の前では泣いていいんだぞと言われた時に泣き崩れてしまいました」
花園の試合前に優しく声をかけてもらったのが、最後に会った瞬間に。そして大阪桐蔭戦の前にきたラインが最後のやりとりになってしまった。家族が沈んでいるときに自分に何が出来るのだろう?と考えた時、李蘭の答えは一つしかなかった。
「お兄ちゃんとの共通点はラグビーです。お兄ちゃんが大好きだったラグビーを自分がすることで家族を元気づけたい。お兄ちゃんを見送った後は、すぐに東京に戻ってラグビーをすると両親に伝え、練習に取り組みました。」
大好きな兄を超えたい!
昨季、李蘭は大学1年生ながらリーグ戦の全試合に出場。ラグビーファンに鮮烈な印象を与えた。実は試合会場には常に、兄が愛用していたヘッドキャップを持ってきている。
「普段はベッドに飾っていますが、大事な試合には持っていきます。お兄ちゃんのことを考えると落ち着くんです。自分が今も目標としているのはお兄ちゃんなので、超えたいと思ってプレーしています。1年生でメンバー入りしてもまだ勝ててないなと思いますね」
そんな李蘭に将来の夢を聞いてみた。
「お兄ちゃんの夢が日本代表でした。なので、日本代表になることです。そのためには、世代別のジャパン候補にも絡みたいと考えています。自分がラグビーをやっている以上は、2人で日本代表を目指したいなという気持ちがあります」
5月2日から大学ラグビーも新たなシーズンが始まる。前川李蘭は、亡き兄と共に今を生きている。
文:進藤佑基
写真提供:日本大学ラグビー部