BLOGつぶ乃ブログ2019.12.25

京都の素朴な疑問!それってホンマはどうなんどす!?

Byつぶ乃

京都には、一年通して、ようけ観光の人が来てくれはるんどす。皆さんも知ってはりますやろ? そんな人らが“これってどういうこと?”“なぜこうなってるの?”みたいに、京都で疑問に思うことがあったときに、ピシッと答えられたらカッコよろしおすな。せやから、今回は知ってたらちょっとエエ感じな京都の『初耳学』を紹介しますえ。いっしょに勉強して、京都へ来はった人らに“あぁ、それはこういうことなんどす、京都の常識どすえ〜”って、教えて差し上げましょ。

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■ つぶ乃

洛中の外れに生まれ育ち、京都を担う二次元タレントを目指して活動を開始。ホンネが見え隠れする毒っけの強い物言いで、京都の真実に斬り込んでいく予定。

わからんことはわかったはる人に聞くのが一番どす!

今回、いろいろ教えてもらうにあたって、おすがりしたのは京都市歴史資料館さんなんどす。多分ですけど、ここは京都の歴史の資料がある館やから、なんでも答えてくれはりそうや思いましてん。お願いしたら、大丈夫ですよってお返事いただいたんどす。即、突撃しましたんえ。たのも〜!(←なんで?)

京都市歴史資料館さんは1982年にオープンした施設で、御所の東側、寺町通沿いにありますんえ。1階と2階に、資料やら映像の展示室とか閲覧室とかもあるんどす。

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なんと入館無料やからビックリどすな。こぞって行くべしどすえ!

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1階の展示室はこんな感じどす。貴重な資料もようけあるさかい、好きな人にはたまりまへんえ。

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今回、ご協力いただいた京都市歴史資料館の井上幸治さんどす。お忙しいのにおおきに。いろいろ教えてもらいますえ〜!

「賀茂川」と「鴨川」ってどう違いますの?

最初の疑問はこれどす。京都の街中を流れてる「かもがわ」。知ってはる人も多いんちゃいますやろか? そうそう、カップルが等間隔で座ってるあそこですわ。私もその昔、座ってみたり、みぃへんかったり......ううう、思い出はいつも美しおますな。その「かもがわ」ですけど、「かも」の字が「賀茂」やったり、「鴨」やったり、なんやったら「加茂」やったりするん知ってはります? それってどれが正解なんやろか? どれ使てもエエの?

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ほれ! この看板はひらがな表記どす。京都府はんも、どの字使うか迷てはるんやろか?

井上さん、どれが正解なんどす〜?とお聞きしてみました。「河川法というものがありまして、法律的には"鴨"の字になりますね」と井上さん。そうなんどすか!? でも、出町柳で高野川と合流するまでは「賀茂」で、そこからは「鴨」になるって聞いたことありますえ。

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鴨川公園の近くで見つけた地図どす。わかんにくいけど、「賀茂川」と「鴨川」になってますやろ。

井上さん曰く「慣習として、出町柳の合流の北側は"賀茂"、もしくは"加茂"の二文字で、"賀茂"の方を使われることが多いです。そして南側は"鴨"を使うのが一般的ですね」。歴史的に見ても、昔っから混在してたって言わはるさかい、ホンマにどっちも使われてたんや思いますわ。ちなみ上賀茂神社さん、下鴨神社さんの神職の方のお名前も、それぞれ"賀茂"さん、"鴨"さんなんやって。

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北大路で見つけた看板はこうなってましたえ。河川法で決められてる"鴨川"が大きく書かれてるけど、慣習で呼ばれてる"賀茂川"もしっかり表記されてるんどすな。

答え......正式には「鴨川」やけど、昔からどっちも使われてたんどすえ

京都で見かける屋根の上の人形は何?

次はこれどす。京都へ来はったことある人やったら、見たことあるんちゃうやろか? 玄関の屋根の上に小さいお人形さんが載ってるん。あれってどちらさんなんどすか?

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こんな風に屋根の上にいてはるんどす。どちらさんなんやろか?

井上さんに聞いてみたら、この方は"鍾馗(しょうき)さん"言うて、中国の伝説に出てくる人なんやて。「魔除けの意味合いもあって、昔は旗印にしてる武将もいたようです。縁起物で、沖縄でいうシーサーのようなものだと思います」って。

調べてみたら、鬼より強いって言われてはるみたいで、悪い気とかが寄って来いひんみたいどすな。でもいつごろからこうやって屋根の上に鍾馗さん置くことになったんやろか?

「はっきりとはわかりませんが、江戸時代にはあったと思います。それ以前に木で作ったものがあったりしたかもしれませんが、瓦葺きの屋根が広まったのが江戸時代なので、多分江戸時代からでは......」って教えてくれはったわ。

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"鍾馗さん"って言うても、いろんなパターンがあるみたいなんどす。こんなお顔の鍾馗さんとか......。

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こっちは上向いてはります。長いおヒゲと右手に刀?を持ってはるんが共通点みたいどすね。鍾馗さんばっかりの写真集もあるって井上さんが教えてくれはりましたわ。見てみたいわ〜。

答え......お名前は鍾馗さん。魔除けしてくれてはるんどす!

京都にうなぎの寝床って呼ばれる家屋が多いのはなぜ?

これ、よう聞きます。確かに京都の古くからあるお家は、玄関から奥に細長〜い造りになってますわ。でも、この理由、なんや聞いたことありますえ。間口の広さで税金が変わるんちゃいますか? 井上さん、正解してますやろ!

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たくさんある中から、質問に関係する資料をパッと出して、わかりやすう教えてくれはりました。井上さん、ホンマおおきに。

「それが違ってまして......」。

!? 違うんどすか?

「全国の大きな市街地もそうですが、江戸時代にはいわゆる固定資産税のようなものは免除されてたんです。京都は秀吉か光秀がそうしたようですが」。

そしたら間口は関係ないんどすか?

「町役っていう町内会費みたいなものがありまして、その負担額は家の大きさで決まっていました」。一軒役(いっけんやく)、二軒役、三軒役って、家の大きさによって、金額が違ったみたいやけど、言い値みたいな感じで、けっこうアバウトやったみたいどす。ほな、なんでうなぎの寝床になったんどすか?

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京都の街中歩いてたら、こんな住宅地図がようけあるんどす。これ見て、昔のこと考えるのもロマンチックどすな。

元々、平安京の区画でいわゆる碁盤の目みたいになってるところに、大きな貴族のお屋敷があったんどす。そこから時代が流れて、その碁盤の目、四角の中に普通の家を建てるようになりましてん。四角の敷地の外周は通りやから、みんな通りに向かって入り口を作りますやろ。ほなら、そんなに大きな家ばっかりやないし、四角の敷地の真ん中に、空き地みたいなスペースができたんどす。そこには井戸があったり、畑があったりしたみたいなんやけど、わかりますやろか? 

四角の中に小さな四角、描いてみておくれやす。そんで、京都は人もめちゃめちゃいるし、家も足らんってなったときに、その一番内側のスペースが空いててもったいない、よっしゃ、四角の区画の真ん中に新しい道を通したろって言うたかどうかは知りまへんけど、秀吉さんがそれを推し進めはったんやて。そしたら、それまで正方形やった区画が短冊形になりますやろ。ほんで新しい道に面しても、入り口作って、家建てますやろ。そしたら長方形の、細長い家ができますやろ。わからはったやろか?ああ、口で説明するん、難しいわぁ〜。

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この地図は短冊形になってるのが分かる感じどす。町に歴史ありどすなぁ。

答え......四角い区画を短冊形に区切って、家建てたからなんどすえ!

北大路、東大路、西大路があるのに南大路はないの?

京都に来たら、わかるんどすが、通りに全部ちゃんと名前がついてるんどす。市内の北側には北大路通、西には西大路通、東には東大路通って通りがあるんどすけど、南大路通ってないんどす......ホンマや! なんでないんやろか? 井上さん、教えておくれやす〜。

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北大路通りの道路標識どす。おんなじように、東も西もあるのに、なんで南だけないんやろか......。

「北大路通りと西大路通りは、昭和の始めごろにできた新しい道なんですよ。南大路通りがないのは、そのときすでに親しまれていた九条通りという名前があったからです」。そうなんどすか、なんや京都の道やから、みんな古くからある思てたわ。井上さんに聞いてみたら、明治の京都市は今よりはるかに小さいエリアやったそう。それが周りの町村と合併して大きくなって"大京都"って言われるようになったんやって。ほんで市電、ちんちん電車どすな、通すときに大きな道を作ろうってなって、北大路通りや西大路通りができたんどす。そのときにもう九条通りはあったから、わざわざ南大路通りって新しい名前にせんと、みんなが呼んでる名前をそのまま使うことになったんどすな。

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九条通りは今も大きな道どす。片側二車線でたくさん車も通ってますえ。

でも、ちょっと待っておくれやす。北と西は新しい、南は九条通りをそのまま使ったいうんはわかりましたわ。東はどないですのん? 新しい道やないんどすか?「東大路通りは、元々あった道で東山通りと呼ばれてたんです。というか、今でもそう呼ぶ人もいらっしゃいます」って、井上さんが教えてくれはったわ。北大路通り、西大路通りって名前をつけたときに、東山通りを東大路通りって呼ぶようにしようってなったんやて。でも、もう東山通りって名前があったから、なじみのある方をそのまま呼んでる人もおるんどす。確かに京都の人でも、どっちも使わはりますわ。

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標識はこうやって書かれてますけど、東山通りって呼んだ方がツウっぽい感じどすな。

ちなみに東山の名前は今でも残ってて、例えば、京都は通りと通りの名前をくっつけて交差点の名前にしてますやろ。三条通りやったら西大路通りは「西大路三条」っていう交差点の名前やけど、東大路通りは「東大路三条」やなしに、「東山三条」なんどす。東山通りの名前が今も使われてるの、わかりますなぁ。

答え......親しまれてた九条通りの名前がそのまま使われたんどす!

京都の知らんこと、まだまだようけあります

今回、4つの疑問がわかりましたな。京都市歴史資料館の井上さん、おおきにどした。京都はやっぱり歴史のある町やから、いろんなことにちゃーんと意味があって、それがしっかりわかるいうんがエエどすな。ほかにもまだまだ京都の知らんこと、ようけあるから、また勉強しまひょ。みなさんも京都に興味があるんやったら、いろいろ調べてみておくれやす。

■京都市歴史資料館

京都市上京区寺町荒神口下る松蔭町138-1
075-241-4312
休館日 月曜、祝日、年末年始
入館料 無料

きょうとの人しか知らんこと その9

歴史ある京都やからこそ、町の疑問もようけあるし、その答えもしっかりありますえ。

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つぶ乃

洛中の外れに生まれ育ち、京都を担う二次元タレントを目指して活動を開始。ホンネが見え隠れする毒っけの強い物言いで、京都の真実に斬り込んでいく予定。