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"森友文書改ざん"存在を明確にしようとしない『赤木ファイル』「夫が命を懸けて残したもの」国は5月6日に"存否"を回答

2021年05月05日(水)放送

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森友学園への国有地売却`を巡り、財務省の決裁文書が改ざんされていた問題。国は改ざんを認める一方、“誰の指示だったのか”などは明らかにしていない。そんな中、全容解明の糸口とされるのがいわゆる「赤木ファイル」。これを書いた職員の訴えに迫る。

森友学園の国有地売却を巡り公文書改ざんを命じられた赤木俊夫さん

近畿財務局に勤めていた赤木俊夫さん(当時54)。2018年3月、自ら命を絶った。俊夫さんの妻・雅子さんは今、当時の財務省理財局長・佐川宣寿氏や国に対し、慰謝料など1億1000万円余りの賠償を求めて裁判を起こしている。
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(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「夫が何をさせられて、どういう経緯で改ざんをすることになって、とにかく真実が知りたいというだけです」

2017年に大阪府豊中市で小学校の開校を目指していた森友学園に約8億円値引きし国有地が売却されていた問題。小学校の名誉校長には安倍晋三前首相の妻・昭恵氏が就任していたことがわかり、巨額の値引きに安倍氏の関与が疑われた。そして、この発言をきっかけに事態は動き出した。
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(安倍晋三首相(当時) 2017年2月17日)
「私や妻が関係していたということになれば、これはもうまさに間違いなく、総理大臣も国会議員も辞めるということをはっきりと申し上げておきたい」

国と学園側との事前の価格交渉をうかがわせる記述や昭恵氏の名前が削除されるなど、国有地売却に関する財務省の決裁文書14件で改ざんが行われていたのだ。改ざんを命じられた1人が赤木俊夫さんだった。

初めて命じられた改ざんから命を絶つまで

(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「たぶんね、この辺だったんですよ。この辺で(電話が)かかってきたのは覚えているんですよ」

2017年2月26日。俊夫さんと雅子さんは神戸市内の公園で休日を満喫していた。すると、上司から突然呼び出しを受け、初めて改ざんを命じられたという。

(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「『僕がしている業務がもう手一杯で回らないから来てくれないか』っていう電話が(上司から)あって、一度家に帰ってから車で職場に向かいました。徐々に壊れていく姿を見ていたので、行かなくて済む方法がなかったんだろうとか(思います)」

この時、俊夫さんに電話をかけたのが当時の上司だった近畿財務局の元統括官。公文書改ざんに関わった2017年2月以降、俊夫さんの様子が変わっていったという。

(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「一番は笑わなくなりましたね。笑いが絶えない人だったんですけど、(2017年の)3、4月ぐらいから様子が本当におかしくなって、疲れきっている感じでしたね」
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俊夫さんの手帳には連日、深夜まで残業が続いていたことが記されている。

【俊夫さんの手帳より 一部抜粋】
『7月18日 頭が重い 胃もたれ感』
『7月22日 夜眠れない』

俊夫さんはちょうどこの頃、うつ病を発症し休職を余儀なくされた。

(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「幻覚ですね、耳も全然音がしていないのに『僕の悪口を近所中の人が言っている』とか、『表に検察が来ていて見張られている』とか、ヘリコプターが通れば『僕の家を見張りに来ている』とか」

当時、雅子さんは俊夫さんから改ざんについては明確に知らされなかったという。そして、2018年3月2日に改ざん問題が報じられた。

その2日後、幻聴に悩まされる俊夫さんの病状を主治医に説明するため雅子さんが撮影していた映像。俊夫さんは「自分たちの騒音を巡り、マンションの住民が訴えてくる」と思い込んでいた。

俊夫さんが命を絶ったのは、この3日後だった。

手記には『全て佐川理財局長の指示』

俊夫さんが残した「手記」。そこには手帳に書かれていなかった改ざんの経緯や誰が指示したのかが記されていた。

【俊夫さんの「手記」より 一部抜粋】
『本省の指示と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではありえない対応を本省は引き起こしたのです。元は、すべて、佐川理財局長の指示です。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ』

俊夫さんの死から5日後、財務省は公文書改ざんの事実を認めた。その後、俊夫さんは公務員の労災にあたる「公務災害」と認定された。

「公務災害」開示された文書には「公文書改ざんに関する記述は一切なし」

雅子さんは夫の死の真相を知るために、人事院に公務災害に関する情報公開請求を行った。公開された文書は72ページ。そのほとんどが、黒塗りだった。そして今年1月、裁判でようやく黒塗りが外れた文書が開示された。そこには…。
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【近畿財務局から開示された文書より 一部抜粋】
『批判報道が過熱するのを見聞きする中で、発作的に自殺をするに至った』

俊夫さんを追い込んだのは「マスコミ報道」と記され、公文書改ざんに関する記述は一切なかった。

(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「一切何もないです。改ざんの『か』の字も書いていないです。もうそこはなかったことにされているんだろうなと感じましたね」
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俊夫さんの死後、近畿財務局の幹部らが弔問に訪れた時のやり取りを雅子さんが録音していた。俊夫さんが亡くなった翌日、近畿財務局の管財部長とのやりとりだ。

【近畿財務局の管財部長とのやりとり 2018年3月8日の音声】
(管財部長)「遺書かなんかはあった?」
(雅子さん)「ありました」
(管財部長)「ちょっと…見させて」
(雅子さん)「それは見せるわけにはいかないです」
(管財部長)「あっそうですか」

弔問に訪れた直後、近財の幹部は手記について詮索をしていた。

「赤木ファイル」の存在

そして、2018年8月、上司だった元統括官が弔問に訪れた。

【上司だった元統括官 2018年8月の音声】
「赤木さんは本当に最初から、改ざんといいますか、そういったことをやる必要もないし、こんなことは公務員としてはあるまじき行為やということで、(俊夫さんは)徹底的に反対をされていました」

『俊夫さんが改ざんの経緯をまとめた資料を職場に残していた』と証言したのだ。

【上司だった元統括官 2018年8月の音声】
「これまでの過去の経緯、東京からどういう指示を受けて、どういう修正があって、前後、きれいにきちんとまとめておられた。ドッチファイル(パイプ式ファイル)にとじてあって、それは(検察に)出しているんです。それ以外にも、例えばデータとかあったとは思うんですけど、そういうのは、もう包み隠さず全部出ていますから」

いわゆる「赤木ファイル」の存在だった。

雅子さんは裁判で重要な証拠として国に提出を求めている。しかし、これまでの裁判で国はファイルが『あるのか』『ないのか』さえ明らかにしておらず、「探索中」と回答している。

(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「私は夫からも、そういう物を残していると聞いていたんですよ。『それを残したことをよかったと思うの?悪かったと思うの?』と聞いたら、夫はそれで苦しんでいたけれども、『残してよかったと思う』とぽつっと言っていたので。探そうと思えば、すごく簡単に探せるものだと思うので、夫が命を懸けて残したものなので、早く出してほしいなと思います」

裁判で国は5月6日までにファイルの存否について改めて回答するとしている。公文書改ざんという前代未聞の事態はなぜ起きたのか?全容解明が必要ではないのだろうか。

(5月5日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特命取材班スクープ』より)

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