2025年03月22日(土)公開
10か所以上刺され小学5年の息子は殺害された‥加害者から謝罪の意思も未だ進展なく父親が再び問いかけ「一体どうなっているの?」事件から10年で決意
編集部セレクト
2015年、和歌山県紀の川市で当時小学5年の男の子が殺害された事件。事件から10年が経ち、遺族は加害者に辛く悲しい思いを伝えた。「謝罪の手紙を書いて送る」と伝えてきた受刑者だが、一向に遺族のもとに連絡はない。意を決して遺族は再び制度を使って受刑者に問いかけた。
「ズタズタで見せられない」10か所以上刺され息子は殺害される
和歌山県紀の川市に住む森田悦雄さん(77)。森田さんは最愛の息子が、自宅近所にある空き地で奪われた。小学5年生だった森田都史くん(当時11)。都史くんは2015年2月、刃物で頭や体など10か所以上刺され殺害された。
(森田悦雄さん)「体はズタズタやから見せられないとそんな風に言われた。普通では考えられないぐらいひどい傷やって。(肩から)下まで包帯がぐるぐる巻きやった。あれだけ突かれて救急車来た時に心肺停止状態、即死に近い状態だった」
切り裂かれたジャケット‥今も残された事件の跡
森田さんの自宅には、当時都史くんが着ていたダウンジャケットが残っている。ジャケットには、複数の箇所が切り裂かれ、一部に血が付くなどの状態で残されている。都史君の傷は心臓にまで達するものもあったという。
「手を握り続けていたが徐々に冷たくなりつつあったので、『私の手から離れていくな』と感じていました。今までよう頑張ってくれてありがとうと耳元で言いました。何であんなことをほんまに…」
殺害したのは近所に住む男 1円たりとも賠償も払われず
逮捕されたのは近所に住んでいた中村桜洲受刑者(32)。殺人罪などで懲役16年の実刑判決を受け服役している。刑事裁判中から含めて、受刑者側から森田さんへの謝罪の言葉は一度もなかった。
一方、森田さんは中村受刑者に対し損害賠償を求める裁判を起こし、約4400万円の賠償が認められている。しかし受刑者側からこれまでに1円たりとも支払われていない。
(森田悦雄さん)「直接都史君のことをみているわけです。あれだけむごいことをして、そんな涼しい顔で…」「地に頭をつけてすりつけてでも謝るのが普通やって。自分がそれだけ大変なことをしたという自覚があまりないかなと」
森田さんはこれまでの民事裁判での費用などおよそ40万円を約6年かけ分割で支払い続け、ようやくおととし末に支払いが終わった。しかし新たな不安が残っている。このまま支払いがされなければ、10年で時効を迎えるため、森田さんが再び提訴しなければならないからだ。
「連絡一度もない」受刑者へ父親がぶつけた「鬼畜生だと思った」
心情伝達制度はまず刑務官が被害者や遺族の思いなどを対面で聞き取り、その内容を加害者に口頭で伝える。そして、それに対する反応や答えなどを刑務官が聞き取って被害者側に書面で通知するというものだ。
去年9月、森田さんは近畿地方のある刑務所を訪れ、職員と3時間にわたり面談をした。その中で加害者へ伝えたい思いをまとめた。
【森田さんが中村受刑者に伝えた内容】
「事件の起きる前まで、休みの日には、子どもたちと近所の公園で遊んだり、一緒に遊園地にも遊びに行った思い出が残っている。都史はゴルフが上手で、夢はプロゴルファーだった。それが事件で泡となって消えてしまった。当時、都史と遊んだことを思い出すと今でも辛くて仕方がない」
「事件の一報があり、すぐに病院へ向かったが、道中は『都史がんばれ。都史がんばれ。』と言い続ける事しかできなかった。ICUにすぐに通されたが、医者から都史君は背中や頭など、約10か所も刺されズタズタの状況であったと聞かされ、鬼畜生だと思った」
また、面談では命日の日には加害者側の姿を一度も見たことがない、事件への反省の姿勢について、伝えた。
受刑者からの返答は「謝罪の意思あります」「手紙書いて、親に送ります」
森田さんの思いを中村受刑者はどう受け止めたのか。約3週間後、森田さんのもとに「返事」が送られてきた。書かれていたのは「取り返しのつかない事をした」など謝罪や賠償の意志を示した内容だった。
【中村受刑者からの返事】
謝罪の意思はあります。謝罪の手紙を書いて、親に送ります。慰謝料の支払いの意志もあります。支払い計画は親と相談します。
受け取った森田さんは、これまで分からなかった受刑者の考えを知ることができ「大きな一歩になった。うちに親が謝罪に来るとか賠償の話とか、どんな風にしたらこっち側が納得するかをお話してもらったら、都史くんもやっと安心できると思うので」と話した。
受刑者の返事から未だに連絡なく不安に思う遺族
返事を受け取ってから約3か月半の今年2月。森田さんによると、「謝罪の手紙を送る」と述べていた受刑者からの便りは一向にないという。森田さんは「このまま何も反応がなく、どうなってしまうのか」と不安を感じると話した。
「何の連絡もないから、私も不安です。何でこんな気持ちになったのか。初めて文書を開けてみた時に『やった』という気持ちが私の中ではあって、少しはよかったのかなと思うんですけど…。不安がだいぶ出てきました」
2回目の制度利用 「何の進展もない一体どのような状況か知りたい」
「このまま何も反応がないのか‥」1月下旬、森田さんは再び近畿地方のある矯正施設を訪れました。返事にあった中村受刑者からの手紙がないことから、森田さんは意を決して2回目の心情伝達制度を使うことを決め、受刑者に問いかけた。
(森田さん)「手紙も送ってきて親と相談する話だったけど、それはなされていない状態かなと感じています。書面上での謝罪は誠意ある謝罪とは言えないので」
【森田さんが受刑者に問いかけた内容(一部抜粋)】
「被害者対して今後、どんなやり方で謝罪等を具体的にしていくのか、もっと踏み込んだ内容を話していきたいと思っている。事件後から、加害者側は全く何の謝罪もしていない。ましてや加害者の親も今回の件に対して、全く何の具体的謝罪をしていないことにも納得がいかない」
「形式的には『ごめんなさい』という言葉で謝罪をしたと言うかもしれないが、誠心誠意の謝罪をしたと言えることを本当にやったのか、どうしても疑問がある」
「前回、被害救済を考えて親に相談するなどと言っていたようであるが、結局何の行動も目に見えていないし、当時からもっと誠意ある行動をしてくれていればと思う。現時点も、何の進展もないので、一体どのような状況か知りたい」
面談を終えた森田さんは不安な思いを抱えながら、施設をあとにした。
受刑者から再びの返事「出所したら、家に行って手を合わせたい」
2度目の制度利用から約2週間後、受刑者からの返事が返ってきた。
【受刑者からの返事】
「申し訳ありません。被害者と家族に対してすみませんという気持ちです」
「親との面会と手紙で、刑務所を出た後、自分で働いて被害弁償していく話になっています。出所したら、家に行って手を合わせたいと思っています」
「手紙が届いたら受け取ります」
返事を受け取った森田さんはじっと書かれた紙を見つめながら次のように話した。
(森田さん)「再び書面上ではあるが『すみません』と謝罪の意思を示してきたが、これがどれほどの思いであるのか。ぜひ今後、手紙を書くなどして本人にその意思・真意を確かめてみたい」
事件から10年「まだまだ置いてきぼり」「家族が納得出来たら納骨したい」
事件から10年となった今年の2月5日、雪が降りしきる中、森田さんの姿は事件現場にありました。森田さんは花を手向け、数分間にわたりじっと手を合わせた。
(森田さん)
「私らは加害者から置いてきぼりを食らっているように未だ感じます。心情伝達制度を利用したが、未だに真心を込めた謝罪をしてくれているようには感じられない。家族の思いや期待に応えてもらえているような状況になるまでは、納骨はできないなと思います。もう10年来たかとそれでもまだまだこれからやと、再度スタートラインに立っていろいろ取り組んでいきたい」
亡くなった息子が戻ること、そして心の傷が癒えることはないが、森田さんの言葉からは10年という節目で改めて事件に対して向き合いながら、進んでいくという決意が見えた。
2025年03月22日(土)現在の情報です