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91歳で介護する側に立つ『現役介護職員』...70年の経験から学ぶ「働く意義」"生涯自分らしく生き抜きたい"

2022年11月23日(水)放送

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 働く高齢者が増えてきています。労働力調査(基本集計)によりますと、65歳以上で働いている人は、2011年は約571万人だったのが、2021年は約909万人と、10年間で約1.6倍に増えているということです。そんな中で今回、取材班は介護施設で勤務する91歳の職員を取材。70年間にわたり働き続ける理由を聞きました。

91歳の介護職員…週3回勤務・片道1時間かけて職場へ

 京都府木津川市にある「山城ぬくもりの里」。デイサービスや特別養護老人ホームが設置された福祉施設です。
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 職員の細井恵美子さん、91歳。利用者の平均年齢87歳よりも年上です。この施設で週3回勤務しています。

 (細井恵美子さん)
 「お金ではないものがあると思うんです。働くことによってみんなの笑顔が見られたりね。喜び方って人それぞれかなと思うけど、私自身はそういうふうに最後まで生きていきたいし、生き抜きたい」

 91歳。今なお働き続ける細井さんの生き方を見つめます。
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 京都府宇治市に住む細井さんの自宅から職場までは電車で約1時間。勤務の日は朝6時に起床します。朝食の定番は和食です。

 (細井恵美子さん)
 「食べないとね、やっぱり。どっちかいうと朝は干物。このごろは手間かけなくてもすぐに焼けるでしょう」

 ひとり息子が引っ越ししてからは気ままなひとり暮らし。ごはんに汁物、おかずに果物。ひとり分の朝食を手際よく準備していきます。
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 (細井恵美子さん)
 「(Q朝起きて最初に何をしますか?)身体を伸ばして、寝巻きのまま新聞を取りに行って、ちょっとお化粧して。お化粧ほどのお化粧でもないけど。(Q仕事行きたくないなと思う日はありますか?)ううん、仕事の日はそんなの思わない」

 毎朝、家をきちんと片づけてから出発。91歳という年齢、元気に出勤して何事もなく帰宅するという日々が当たり前ではないと感じています。

 (細井恵美子さん)
 「途中でどこで倒れるかわからないからきちっとしていかないと。朝は気を使います」
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 駅までは徒歩15分ほど。2年前に足を骨折してからはタクシーで移動しています。職場の最寄り駅は階段しかないため1つ前の駅で降ります。そこからは同僚の車で向かいます。こうしたサポートも受けながら片道1時間かけて出勤しています。

認知症対応のデイサービス…時間をかけて利用者に寄り添う

 午前10時、仕事開始です。

 (細井恵美子さん)
 「おはようございます。どうですか?いいお天気で。ご機嫌さん」

 認知症対応のデイサービス。一言に認知症といっても進行段階や症状は人それぞれです。
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 1年前から通う平野隆好さん(95)。耳が遠くなっていて、会話が減ることで認知症が進行するリスクがあります。

 (平野さん)「私の名前ここ書くの?ここに?なんて名前?」
 (細井さん)「平野、平野隆好」
 (平野さん)「私、平野。ほんまやな」
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 細井さんが担う役割はこうした利用者に時間をかけて寄り添うこと。この日は計算問題のトレーニングに付き添います。

 (細井さん)「足し算」
 (平野さん)「え?」
 (細井さん」「足し算」
 (平野さん)「足し算?4×6=24」
 (細井さん」「ううん、4+6」
 (平野さん)「え?電卓?」
 (細井さん)「4+6」
 (平野さん)「10?」

 (細井恵美子さん)
 「ほかの職員はスケジュールがあって忙しいから。私は特にこれというもの(担当)がないから、できるだけ今の機能を落とさないようにしてあげたいとな思っています。維持することのほうがしんどいけれども、それが我々のやりがいだし目標でもあるし」

“両腕を失った男性患者”を終戦後に担当…「退院後の人生」を考えて泣いた夜

 終戦から3年が経った1948年。17歳で看護師として働き始めた細井さん。そこでシベリア抑留中に凍傷で両腕を失った男性患者の身の回りの世話を担当しました。退院が決まり準備を手伝っているとき、ある1枚の写真を目にします。
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 (細井恵美子さん)
 「軍服姿で立派な家族に囲まれて、この人は帰ってどうするんやろうと。私が今までしていたことを誰がするんやろうか。皆さんの前に帰ってどんな気持ちになるんだろうっていうふうなことを考えたらね、もうその晩は悲しくて泣いてましたわ」

 けがや病気で「いつも」が失われたとき、「その後の人生」はどうなるのか。医療がそこまでカバーできていなかった時代です。いくつかの病院での勤務を経て、37歳の時に京都南病院の総婦長に就任。そこから退院後の人生をサポートするため訪問看護をスタートし、「山城ぬくもりの里」の開設にも携わりました。
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 (細井さん)「きょうは何ごちそうですか。鳥のつくねだって」
  (利用者)「そう言わはったん」

 お昼どき、介助が必要な入居者の食事を手伝います。たとえ一方通行の時があっても、細井さんは会話をします。相手の反応で色々なことがわかるからです。

 (細井さん)「お茶飲みましょうか」
  (利用者)「いらん!」
 (細井さん)「いらん。はい、わかりました」

 つい先ほどまでにこやかに会話をしていた人が突然機嫌が悪くなる。これも認知症の症状のひとつです。
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 (細井恵美子さん)
 「自分がわからなくなったときに混乱するんだと思うんですね。想像だけど。そんなことを考えながら接しています。一歩でも元の状態に近づいてもらえる、この瞬間だけでも元のその人らしさに戻ってほしいなと思うんですね。だから怒る人は怒ってもいいし、それがその人のその人らしさだと思うし」
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 看護から介護、ケアの現場に立ち続けて70年。細井さんの存在は利用者の家族や同僚にとっても特別です。

 (利用者の家族)
 「安心の材料です。先生(細井さん)がいらっしゃるから安心して預けられるという存在です」
 (介護職員)
 「ゆっくり関わってくださるので利用者さんも落ち着いてくれる。私たちはどうしても介護しないといけないとか、こっちにあっちにとうろうろしてしまうので」

『生涯人間らしく自分らしく生き抜きたい』

 午後5時半、1日の仕事が終わりました。帰りも同じく1時間の道のり。夜7時に帰宅。どんなに疲れていても夕飯も自炊します。1日働いたら翌日は休み。寝るまでの時間はパソコンを使って書き物や勉強の時間に。
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 91歳、大きな病気やけがを経ても働き続けた70年。働くのをやめるという日はくるのでしょうか。

 (細井恵美子さん)
 「それは来るでしょうね。もう限界かもわからないですしね。生涯その人らしく生き抜くということ。患者さんにもそう求めるし、私自身も同じように生涯人間らしく自分らしく生き抜きたいなと」

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