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若者から若者へ『ライブ配信』で伝える震災の記憶 当時生後2か月の乳児だった女性が父親と同じ「語り部」に

2022年01月17日(月)放送

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発生から27年となった阪神・淡路大震災。震災を知らない世代が増える中で、当時の記憶が薄れつつあるのも事実です。そんな中、震災当時はまだ生後2か月だった女性が記憶を語り継ごうとしています。

「震災の記憶がどんどん薄れていっている」

現在27歳の米山未来さん。会社員として働く傍ら、スマートフォンを使ったライブ配信を行っています。米山さんのライブ配信は日常の明るい話題でいつも盛り上がります。

【ライブ配信する米山未来さん】
「みなさんきのうは楽しいクリスマスでしたか。高校の友達が2人会ってくれて、シャンパンじゃなくて日本酒を空けましたね」
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そんな米山さんにはライブ配信を通じて伝えたいことがありました。

(米山未来さん)
「私にとって1月17日はすごく大きな日。だけど、どんどん(記憶が)薄れていっているのかなと。興味関心も薄れているのかなと感じて、これはダメだと」

「記憶がない人が何を話すの?」と批判も

27年前の1月17日、兵庫県の淡路島北部・旧北淡町を震度7の地震が襲いました。米山さんはこの町に住んでいました。当時は生後2か月で震災の記憶はありませんが、家族や知人らから震災の話を聞いて育ちました。
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大学への進学を機に東京に移り住んだ米山さんは、あることに衝撃を受けたといいます。

(米山未来さん)
「1月17日当日でもまったく阪神・淡路大震災の話は出てこない。1月17日に『どこ出身だっけ?』って話をされた時に『淡路島だよ』と言っても、『へー玉ねぎのところだよね』と。それだけで終わってしまったり」
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米山さんは3年前に阪神・淡路大震災の記憶を語り継ぐことを決めました。しかし批判を浴びることもあったといいます。

(米山未来さん)
「『記憶がない人が何を話すの?』という厳しい意見が届いたことも実際にあった。語り部は実体験を話すというイメージが強いのかなと」

語り部である父親の“記憶”も語り継ぐ

米山さんが語り部になろうと思ったきっかけはもう1つありました。父親の正幸さん(55)は淡路島にある北淡震災記念公園の総支配人を務めていて、16年前から語り部として被災した経験を伝えています。父親が書き記した当時の記憶を未来さんは受け継ごうとしているのです。
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(未来さん)「私としては語り部をやっているときに泣きたくないけど、まだ泣いてまうわ」
(正幸さん)「1000回以上しとるけど、やばいな」
(未来さん)「泣くときある?」
(正幸さん)「入ってしまった時は」

(米山未来さん)
「『平林の火災』は何回聞いても私自身、毎回涙が出る。何回も読んで何回も聞いて落とし込んではいるけれども、なるべくお父さんが聞き取りをしたそのままを伝えられるようにと思っています」

自らが目にした光景や聞き取った話を語り継ぐ父親

北淡震災記念公園に中学生たちがやってきました。父親の正幸さんは生徒たちに語りかけます。

(生徒たちに話す米山正幸さん)
「私はその日、2か月の赤ちゃんを間に挟んで奥さんとベッドに川の字になって寝ていました。ドンという大きな音と突き上げるような衝撃と『あっ』という奥さんの声に目が覚めました。気がつくと奥さんが赤ちゃんの上に覆いかぶさっていた。私もその上に覆いかぶさりました。怖くて怖くて本当に動けなくて…。私の親友が平林の消防団で消火活動にあたっていました。最初『助けて』だったと。それが『助けて、熱い』に変わっていった。途切れ途切れになっていった。小さくなっていった。聞こえなくなってしまった。もうそこや、手の届くようなところで声がしてるんや、でも近づくことができない、どうすることもできない。その時の悔しさは今でも忘れられないと、その親友は言っています」

正幸さんは自らが目にした光景や聞き取った話を交えて「自然災害に備えてほしい」と語りかけていました。

(正幸さんの話を聞いた中学生)
「当時の様子が鮮明に頭に浮かび上がってくるような感じでした」
「あんまり家で(防災の)用意をしたりしていないので、少しずつでも非常食をためたりとか、特に水をためることをしていきたいと思います」
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記憶がなくても、震災を経験した人に直接会って話を聞くなどして、未来さんは当時何があったのかをつかもうとしています。震災で本堂が全壊した神戸市兵庫区の済鱗寺では明石和成住職から話を聞きました。

(明石住職)「この町内が震災の炊き出しで神戸で最初ちゃうかなというぐらい。1月17日のお昼ご飯では食べとったから」
(未来さん)「早かったんですね」

独自に聞き取りをして少しずつですが父親に近づこうとしています。

ライブ配信では自分なりの言葉で語る「周りの大切な人にもたくさん伝えて」

そして、去年12月30日、語り部としてのライブ配信が行われました。

【ライブ配信する米山未来さん】
「その家ではお母さんがちょうどお弁当を作っていた時間だったんですよね、5時46分」

父親が聞き取った北淡町の火災を未来さんなりの言葉で語りかけます。

【ライブ配信する米山未来さん】
「消防団員の方々が駆けつけて必死に消火活動を行って、最初ははっきり声が聞こえていたんです。『熱い、助けて』と。でもだんだんその声が途切れ途切れになっていって、だんだんちっちゃくなっていって、最後はまったく声が聞こえなくなってしまった」
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地震が起きたとき、命を守るにはどうすればいいのか。27年前の出来事を基に伝えています。

【ライブ配信する米山未来さん】
「『いつも奥の部屋で寝ているから奥の部屋におばあちゃんがいると思う』と、地域の人たちそれぞれが知っていたから救い出せた命がたくさんあったんです。いろんな情報を持ち寄って、いろんな知識も技術も持ち寄って、助け合いができたんだと思うんです」

未来さんの話を聞いたのは30人ほど。北海道から大分県の人までライブ配信は全国の人たちと繋がっています。

【ライブ配信する米山未来さん】
「いざというときに本当に1つでも多くの命が助かりますように。みなさん自身がみなさんの周りの大切な人にもたくさん伝えていってください」
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こうした娘の活動について、父親の正幸さんはどう感じているのでしょうか。

(米山正幸さん)
「若い子に伝えるには若い子が発信する方が伝わりやすいと思いますので、やってくれることは大賛成です。当時を知る人に聞き取ったり、聞き取りをした人から聞いたり、それを自分の言葉としてきちっと伝えるのであれば、それは立派な語り部だと思っているので」

震災から27年の朝もライブ配信

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今年1月17日朝、27年目の1.17。未来さんはその瞬間を北淡震災記念公園からライブで伝えました。
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【ライブ配信する米山未来さん】
「モニュメント前で精霊流しを行っています。今この時を生きたかった人がたくさんいたこと、みなさんが災害に備えられるのはそのような命の上に成り立っていることを忘れずに、みなさん過ごしていただけたらなと強く思います」
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画面の向こう側では全国から祈りが捧げられました。
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(米山未来さん)
「去年、コロナの影響でこの場に来ることができなかったので、きょうここから日本さらには世界に届けられるっていうのはすごくうれしく思います。ここで起きた事実に加えて、遺族の方々、被災者の方々の気持ちも合わせて届けられるような語り部になっていきたいなと思います」

記憶を風化させてはいけない。震災を知らない世代が増える中、その思いは確かに受け継がれようとしています。

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