鋳金師・小泉武寛&裕司 #478 2025年11月02日(日)放送


                今回の主人公は、鋳金師小泉武寛・裕司さん。
弥生時代、祀りごとにつかわれていたと想定されている銅鐸。その製法や目的は未だ謎に包まれています。滋賀県野洲市には多くの銅鐸が発掘されています。日本最大と言われている銅鐸「大岩山銅鐸」。
その銅鐸の復元を手がけたのが小泉武寛さんです。
弥生時代の製法の資料もなく、その復元は未知。
弥生人は、村をつくり米作りを行って暮らしていました。銅鐸は、弥生人にとっては共同社会の中心的な存在で打ち鳴らしていたのではないかと推測している武寛さん。復元方法を見つけるため弥生時代と同じような状況にたち自然に分け入り、弥生人に問い竹で文様を描いていたことを発見します。
京都大山崎に創業115年の工房和銅寛を構えます。銅鐸の復元もここで行われました。
銅鐸制作は土で固めたものに竹べらで文様が描き材料となる銅・鉛・錫の配分を1200度の高熱で溶かし、一気に鋳型に流しこみます。冷まして型を外し磨いていきます。
描かれた流水紋は生命の循環や調和への願いが託されています。
今息子裕司さんと共に銅鐸復元を手掛けています。
裕司さんは、今では制作が途絶えた伝統工芸品の泥七宝の復活に挑戦しています。
アメリカへ輸出しインテリアとして泥七宝の花瓶は人気を博しましたが、円の高騰により制作を断念。
今再び釉薬づくりなど武寛さんに学びながら、現代の暮らしにあうペーパーウエイトや香立ての製品づくりを行っています。
親子2代にわたり古代人の声に耳を傾け古代へのロマンを追い求め、工房に立ち続けます。
【INFORMATION】
●和銅寛
https://wadokan.co.jp/?srsltid=AfmBOoo9YnX_0Lz5jeIUkDNQE2eSQU7yhuv_1JKWvvjVezM4ZmkVAwNU
            弥生時代、祀りごとにつかわれていたと想定されている銅鐸。その製法や目的は未だ謎に包まれています。滋賀県野洲市には多くの銅鐸が発掘されています。日本最大と言われている銅鐸「大岩山銅鐸」。
その銅鐸の復元を手がけたのが小泉武寛さんです。
弥生時代の製法の資料もなく、その復元は未知。
弥生人は、村をつくり米作りを行って暮らしていました。銅鐸は、弥生人にとっては共同社会の中心的な存在で打ち鳴らしていたのではないかと推測している武寛さん。復元方法を見つけるため弥生時代と同じような状況にたち自然に分け入り、弥生人に問い竹で文様を描いていたことを発見します。
京都大山崎に創業115年の工房和銅寛を構えます。銅鐸の復元もここで行われました。
銅鐸制作は土で固めたものに竹べらで文様が描き材料となる銅・鉛・錫の配分を1200度の高熱で溶かし、一気に鋳型に流しこみます。冷まして型を外し磨いていきます。
描かれた流水紋は生命の循環や調和への願いが託されています。
今息子裕司さんと共に銅鐸復元を手掛けています。
裕司さんは、今では制作が途絶えた伝統工芸品の泥七宝の復活に挑戦しています。
アメリカへ輸出しインテリアとして泥七宝の花瓶は人気を博しましたが、円の高騰により制作を断念。
今再び釉薬づくりなど武寛さんに学びながら、現代の暮らしにあうペーパーウエイトや香立ての製品づくりを行っています。
親子2代にわたり古代人の声に耳を傾け古代へのロマンを追い求め、工房に立ち続けます。
【INFORMATION】
●和銅寛
https://wadokan.co.jp/?srsltid=AfmBOoo9YnX_0Lz5jeIUkDNQE2eSQU7yhuv_1JKWvvjVezM4ZmkVAwNU






 
		
 
    








