MBS(毎日放送)

第117回 佑希梨奈
(ゆうき・りな)

父が元チャンバラトリオのゆう輝哲也。「沢木の親分」なんですよ。

―新喜劇にはいつから所属されましたか?

20年ほど東京に住んでまして、2018年の11月に正式に東京吉本の俳優部から移籍したんです。
(長いキャリアをお持ちですね)
12歳くらいから劇団に通って、子役からやって来たので、結構、芸歴は長くて。父が元チャンバラトリオのゆう輝哲也なんです。
(それで、佑希なんですね!)
チャンバラさんの舞台とかで、昔から、吉本さんのなんば花月とかは出てたんですね。もうNGKになってたかな? 舞台に立たせてもらっているという意味ではけっこうな年数が経ってますね。あはははは~(笑)。でも、東京にいたので、あんまり知られていなくて、父がゆう輝哲也ということにも結びついてる人がまだ少なくて。新型コロナで活動出来てる期間も少ないので、新喜劇ではまだ全然知られてないし、いろんな意味でまだ知られてない状態です。
(チャンバラトリオさんと言えば、ハリセンですね)
そうですね。ハリセンを知ってる世代の方もいらっしゃると思うんですけど、今の若い人は「ミナミの帝王」の沢木の親分のイメージが強いかも知れないですね。

―この世界に入られたきっかけは?

そうですね~母も東映のニューフェイスだったので、両親の影響ですかね。入ったのは確かに自然の流れだと思います。両親が通っていた劇団に入ったんで。自然とそうなりましたね。
(何という劇団ですか?)
最初、劇団麥の会という名前からスタートして、演劇塾長田学舎になったんです。そんな有名な劇団じゃないんですけど、年に1回「町かどの藝能」というのを毎年されていて、江戸時代の芸商人(あきんど)の再現みたいな。それと別に春は「小さな劇場」という普通のお芝居をするという。その時は自然とお着物を着たりとか、「町かどの藝能」では南京玉すだれをやったりとか。江戸時代の芸商人(あきんど)になって、千代紙折ったりとか、いろんなことをやってたんですけど、春の劇場の時は普通のお芝居で、劇団の勉強の成果を発表するって感じでしたね。

―最初のお仕事は覚えてますか?

はい、たぶん初舞台が日本橋にある国立文楽劇場のこけら落としだったと思います。子どもの頃にも「家族対抗歌合戦」とかで親子でテレビに出たりとかありましたね。18歳くらいの時には父と共演してフジテレビさんのドラマとかやらせていただいたり。その後は花博のミュージカル。その時、ジェニファー・ロペスさんとかダンサーで出てらしたんですけど。ご一緒させていただいて。
(すごい! もう、舞台度胸は満点ですね!)
数はけっこう、やってきてるんですよ。吉幾三さんの舞台とか、天童よしみさんの舞台とか、「アニーよ銃をとれ」を新宿コマ劇場で2週間やったりとか。結婚しまして。10年くらい間が空いたんですが、その間、ちょこちょこは(お仕事)してたんです。宅間孝行さんの東京セレソンデラックスとか。だから時代劇はやってるし、ミュージカルはやってるし、新劇、劇団、商業演劇、いろんなことをやってきて、最後にたどり着いたのが新喜劇で。舞台数も度胸もお芝居の経験もけっこうあるつもりなんですけど、新喜劇は手も足も出ないというか・・・。
(え~っ!? そうなんですか?)
お笑いを目指していたわけでもなかったんですが、大阪=子どもの頃から見てた新喜劇っていうのは、憧れはありました。恐怖もありましたけど、新喜劇の中でもお芝居の人は必要ということだったので、再チャレンジをするなら、新喜劇に1回チャレンジしてやってみたいなと思って。皆さん、ベテランさんばっかりやし、色もんの方にはやっぱり勝てないなと思います。父はコメディアンと俳優と両方してましたから、やっぱり素晴らしい、改めて偉大やなと思うんです。そこは継いでなかったのかな、って。

―新喜劇に入られてみて、どうでした?

新喜劇はお芝居の稽古がないじゃないですか。そこは前から聞いてたから、わかってたんですけど。やっぱり、セリフ覚えるのも難しいし、稽古がないのでぶっつけ本番みたいな感じなので、そこでされてる方は器用やなと思います。覚えるだけで必死で、今までのキャリアを全然活かせてないというか、アップアップしてて、棒読みじゃないですけど、頭の中で考えながら喋ってるだけで。(舞台)袖で見ながら、皆さん凄いなあ、なんでこんなに生き生きと自由に出来るんだろうって、尊敬してます。
(これまでとは全然違う世界ですね)
ちょっと場違いかなと思ったり、間違えたかなって思う時もあります(笑)。自分が生かせてないかなと思ったり、悩んだりしたこともありましたし。場数も踏めてないので。皆さん、何十年もされている方が多くて、出来上がっていらっしゃるので、その中で慣れていくだけで必死っていう感じです。

―新喜劇の初舞台は覚えてますか?

正式に入団したのは2018年11月なんですけど、その前にも新喜劇に出させてもらったことがあって。名古屋で毎年1回新喜劇のバラエティショーがあるんですけど、そこに2、3回出させていただいたりとか、営業的な舞台にはたまに出させてもらったりしてたんです。正式に入ってからも名古屋の御園座さんの「よしもと爆笑公演」の新喜劇の舞台が最初でした。
(大阪の方では?)
2019年の3月の新喜劇60周年で、全員が出た舞台ですね。通常公演のNGKはすっちー座長さんが初舞台だったと思います。島田一の介兄さんの奥さん役で。緊張しか覚えてないくらい、緊張してました。舞台は全然平気だったんですけど、けっこう長ゼリフだったので、セリフ覚えてるかな、という緊張ですね。間違えたらどうしようとか、そういう感じですね。その後もすっちー座長さんには色んな役をやらせて頂いて、アドバイスも沢山頂き、慣れない私が活きるように、いっぱい絡んで頂いて、感謝しかありません。
(何か失敗とかありました?)
初日にセリフが飛んだことはありましたね。NGKで。芝居とかはそこまでないんですけど。それが一番大きかったかなあ。
(そういう時は周りの皆さんが助けてくださる?)
でも私の役はどちらかというと助けられない役が多いんですよ。
(助けられない役?)
女社長だったりとかしたら、1人で出て行って、1人でしゃべって、けっこう、会社名とか説明ゼリフとか難しいことが多いんですね。ほかの人が知ってたらおかしいみたいな内容なので。日常会話だったら、「こうじゃないの?」って皆さん助け合ってやってらっしゃるからうらやましいなと思うんですけど。

―新喜劇の難しさは?

やっぱり、アドリブとかに返せるだけの、新喜劇ならではの経験を積んで慣れて行きたい、というのはありますね。普通のお芝居とはちょっと違いますもんね。
(アドバイスとかありました?)
お笑いに関して「ここをこうした方がいいよ」とか。例えば拍手があって、拍手を待つとか、相手がアドリブされてる時に、自分の番だからセリフを言うんじゃなくて、相手の間を見ながらいいタイミングで入らないといけないとか教えていただいて。だんだんわかるようになってきて、ちょっと余裕が出たりしたら、「あ、なるほどな。こういうことなんだ」ということが凄く勉強になりました。普通の舞台では、拍手を待ったりとかないし、セリフ言ったら、その通りのセリフが返って来るだけなんで、変わることがないんですけど。新喜劇は変化がすごく多いので、面白くするのも普通にするのも座員さんの腕というか、キャッチボールとかの力だと思うんで。今はその辺を壊さないように、邪魔しないように真面目にしてるだけですけど。もっと臨機応変に返せて、面白いことでも言えるぐらいになれたらいいなと思います。

―新喜劇に入られて4年、だいぶ馴染まれました?

私の場合は異例な感じだと思うんですよ。スタッフの方も出演者の方もいろんな方が私のことわからないですから(笑)。NSCから若手で、若い頃に入ってきた新人ではなく、俳優部から来てるので、どちらかというと、皆さん、アドバイスもやりにくいんじゃないかと思うんです。新人さんだったら、アドバイスしないととか、歳も若いから言いやすいところもあると思うんです。私の場合はいろんな意味でしゃべりにくいというか・・・。父のことを知ってらっしゃる方も多いんで。ベテランの方は父の現役時代から知ってらっしゃる方がたくさんいらっしゃるし。私も子どもの頃から、未知やすえ姉さんとかあき恵姉さんとかも知ってたし、一の介兄さんとかもそうですし。子どもの頃から知っているっていうのは、不思議な感覚ですよね。NSCとか金の卵とかは同期とかあるじゃないですか。私は新喜劇は浅いけど、先輩やし、キャリアは長いし、「お姉さん」と言うてくれはるし。でも新喜劇は向こうの方が長いし。そういう微妙な立場なんで、みんな当たらず障らずみたいなとこもあると思うんです。だから、セカンドシアターとかには入って行きにくいし、NGKはベテランの方がいらっしゃるし。ちょうど微妙な位置にいるのかな、と。その辺も早くコミュニケーション取れていって、若手のセカンドシアターとかも出れたらうれしいですよね。これからですね。

―この先、どんな役をやりたいですか?

いろんな役をいただいたりするんですが、自分が今、向いてるかなと思うのは、極妻系とか、スナックのママさん系とか、派手なオバちゃんみたいな感じ。毛皮を着てるようなゴージャス系のセレブとか、そういう感じなのかなと勝手に思ってるんですけど。父が沢木の親分だったので、出来たら、極妻とかスナックのママとかね、なんか自分に合ったキャラみたいなのが確立していけばいいなと思うんですけど。今はいろんな役バラバラなんで、自分でも何が合ってるのか、まだわかってないんです。ハマリ役があればいいな~とは思うんですけど。もし、自分がわからないようなもので、誰かに「こんなんどう?」って言っていただいて、新しいものが見つかったら。あと、父のファンの方もたくさんいらしゃるので、親子だというところを気づいてもらえたらいいなとは思いますね。
(ハリセン持って出られます?)
そうですねえ~そういうキャラも出来たらいいとは思うんですけど。皆さん、キャラが際立っていらっしゃるから、何かそういう面白い役があったらいいなと思いますね、確かに。着物着て出て行って、ハリセン持ってたら面白いですよね。そういうのもいつかやってみたいですね。酒井藍ちゃんが姐さん役もやってられるので、あれに絡めたら面白いですよね。
(ぜひ、ハリセン復活させてください)
叩かれてくれる人がいるかな?
(それは大丈夫ですよ)
まずは、父と親子というのを知ってもらいたいですよね。それに結び付けたらハリセンの方にも行けますもんね。極妻というものイメージ沸くと思うんですよね。お客さんにも覚えてもらいやすいかなと。やっぱり、ゆう輝哲也の娘の方が、皆さん、チャンバラトリオ見てたとか、沢木の親分好きやったという方もいらっしゃるんで、娘としても(父のことを)覚えといてもらいたいなと思うので。娘と知ってもらって、自分のキャラも出来上がっていって、早く慣れて舞台を楽しめるようになるのが、夢ですかね。ふふふ。
(ぜひ、夢を叶えてください)

―ハマっていることや趣味は?

韓流、K-POP、韓流ドラマを見るのが好きですね。
(韓流はいつから?)
長いですね~もう、10年くらいは経ってます。「冬ソナ」の時期は全然興味なかったんですけど、「天国の階段」だったかな、クォン・サンウのドラマをたまたま見る機会があって。1話見たらハマって、だんだん見だしたら、「面白い」ってなって。そしたら次、また違う俳優さんのを見て、「これは面白いぞ」ってなったら、韓流好きの人がいっぱい紹介してくれるんですよ。そうやって見てたら、まんまとハマっていたという(笑)。たぶん、服部ひで子ちゃんとか、高橋靖子さんとかも好きやと思うんですけど・・・。あとは、バンド活動が楽しいですね。
(バンド活動!?)
妹と「ボンバーガールズ」っていう姉妹デュオで歌を歌ってるんです。東京にいる時にライブをやったりとか、バンドとかでちょっとコントを入れながらとか、そういうのをやってたんですけど、大阪に戻ってからずっとやってなくて。そろそろそういうのをやろうかなと思ってるんです。妹とはリアルにスナックもやってるんですよ。これからまた、ちょこちょこ活動して行けたらいいなと思ってます。それが楽しいことかな~。
(ボンバーガールズはどんな歌を?)
一応、昭和歌謡なんです。カバーでやって来たのは、ザ・ピーナツさん。妹が先に歌手をやってて、私はずっと劇団だったので、歌うことはないと思ってたんですけど、とあるきっかけで、老人施設のイベントで歌わないといけなくなって、2人で急きょユニットを組むことになって。イベントを企画した社長さんのリクエストで歌ったのが「BOMBER GIRL」っていう曲だったんですよ。2人で「BOMBER GIRL」をハモってたんで。その場限りで終わるはずだったんですけど、何故か、気に入っていただいて、2人で歌う機会が増えて。その時、急やったんでユニット名もなかったんですけど、歌から「ボンバーガールズ」になって。「ガールズやないのに何でガールズやねん?」って皆さんに言われますけど、「歌の題名や!」って(大笑い)。結局、店の名前も「ボンバーガールズ」になったんです。ユニットは8年くらい経つのかな? 小さな舞台とか、ライブハウスが多かったんで趣味みたいなもんですけど。
(是非、大阪でもライブを)
新喜劇の方で確立しないといけないのに、違うことやってるって言われそう(笑)。でも、見てくださる方が「これ、面白いな」と言ってくださるかも知れないですしね。大人しくしてても誰にも知られてない状態じゃ、結局ダメなんで、やっぱりアピールしていかないといけないなと思うんですけど。東京は20年住んでて知り合いも多いんですが、大阪はまだまだなんで。今はまず、大阪に慣れることと、同時にいろんな活動をして、友だちとか知り合いを増やしたりしていかなきゃいけないな、という時期ですね。ぼちぼち頑張って行きますので、覚えといてください。
(もちろんです!)

2022年10月28日談

プロフィール

大阪府出身。
2018年11月東京吉本俳優部から移籍。

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