第24回 吉田裕

ここで生きて行きたいと思える場所に出会えたかな。


―もともとお笑いを目指されていたんですか?

もともとは中学校の先生になりたくて、小学校の頃から塾にも通っていました。高校1年の時にクラスの子が初めて「NSC行かへんか?」と誘ってくれたんですよ。僕は「学校の先生になりたいから行かへんわ」って、大学受験したんですが、失敗しまして。その時にも、同じ子が、「今しかないんちゃうか?」と声をかけてくれたんですが、学校の先生になるつもりで、浪人して合格したんです。でも、いざ入ると大学へはほとんど行かず、サボってばっかりで。単位がゼロになりまして…。
(ゼロなんてあるんですか?)
そうなんですよ(笑)。兄貴2人も同じ大学やったんで、親が家に通知表が来るのを知ってたんです。「裕の通知表が来へんな~」と。僕が家に来た通知表を捨ててたのを再発行して、「単位がゼロや!」とバレて。「とりあえず、大学やめなさい。行くんなら違うところ受け直したら?」と言われて、大学を辞めました。働こうかという時に、また、高1の時の子が、「最後のチャンスや」と。それで、学校の先生も人前に立つ仕事やし、そういう意味では、お笑いも人前に立つ仕事やな、一緒かと思って、NSCへ行くことになりました。

―その頃のNSCは?

僕らの23期から新喜劇コースが出来たんです。3年間だけ。新喜劇コースか漫才コースを選ばなくちゃいけなかったのを覚えてます。僕はお笑いとか全然わからないので、新喜劇やな、と。中学3年の時に文化祭で劇をやったことがあって、楽しいなという印象が残ってたんです。相方に聞いたら、「何を言うてんねん、漫才に決まってるやろ、漫才行くぞ!」と、漫才コースへ行くことになりました。その時のコンビ名が猿に笑うと書いて、「モンキースマイル」なんですよ。
(「えんしょう」じゃないんですね?)
それ、それ。普通「えんしょう」じゃないですか。「猿笑」という字を、誰が見ても「モンキースマイル」とわかるくらい、有名になろうって…恥ずかしい思い出ありますけど…(笑)。

―「猿笑(モンキースマイル)」はいつまで?

NSCの時から卒業して11月くらいまでやってましたね。
(誘った子が辞めてしまった?)
いや、それがですね~僕が恋愛にハマりまして…。
(恋愛にハマる!?)
(笑)大学時代からすごい好きで、追いかけてた子がいて、その子とNSCに入る前くらいから付き合うようになったんですよ。その子に夢中になっちゃって…。NSC行くのももったいないくらい、その子以外、何も見えなくなって。相方と漫才練習する時も10分くらいやって、「もうこれでええんちゃうの?」と彼女に会いに行く。彼女にも、「そんだけの練習でいけるの?」と、両方から怒られるような感じで。相方から「お前と人生賭けてやられへんわ!解散しよう」と言われたんです。彼女にも9月くらいに「そんなあなたとじゃ、将来真っ暗やわ!」と言われてフラれて、すべて無くなるっていう…。
(Wダメダメでしたね~)
そうそうそう(笑)。ほんとにダメな奴だったんで…。サボるし。今もそんなに変わってないですけど。

―その後も相方を変えて漫才を?

高校から誘ってくれた相方は、「僕としか組みたくない」と辞めたんです。僕はもうちょっと頑張ってみようと思って、兵庫県の高砂市から大阪に引っ越してきて、NSCで一緒だった子と「トリプルセブン」というコンビを組み出して、大阪での活動が始まりました。その子とめっちゃ気が合うんですよ。気が合うからこそ、また悪い癖で、一人暮らしの部屋でゲームをやりだすと、朝までやってしまう。baseよしもとのプレステージのオーディションがもうすぐ始まる、と、わかっているんですけど、お互い見てみぬふりして行かないとか。またダメダメ人生が始まりまして…(笑)。こんなんで結果出るわけないなとすぐ解散しました。この子とは普通の友達になろうと。で、またNSCで一緒やった子が声かけてくれて、「トレイントレイン」というコンビを組みました。ここで、初めて真剣になれたっていうか。その時はツッコミで、相方はボケたいから全部台本書かせてくれと。少しですけど、baseよしもとで舞台にも立たせてもらいました。

―舞台に立てるまでは何をしてるんですか?

立てるまでは、みんなでbaseよしもとを目指してインディーズライブをやろうということで、スーパーマラドーナさん、モンスターエンジン、span!、おいでやす小田とか、その辺のメンバーでやったんです。オーディションに勝ったとしても(舞台は)1か月に1回くらいなんで。プレステージを受かったメンバー同士で上位何組かがレギュラーメンバーと入れ替え戦やるとか。人数がメッチャ多かったんで、夜中からbaseよしもとに並んで、抽選会でピンクの棒を引いたらオーディション受けられる、というのを何年もやりましたね。
(下積みは大変ですね)
同期の子とかがたくさんいたんです。みんながインディーズで終わるメンバーじゃなかった。上見て行こうっていうメンバーばっかりやったんで。仲良しクラブになったら「このままでエエか」ってなってしまうけど、いい刺激をもらえたんです。負けてられへんな、と。

―当時はそのまま漫才をやって行く、と?

なんて言うんですか、これでいいのかな? というのはずっと思っていたんです。どっちかというと引っ込み思案なので、前に出れないし。お笑いでご飯食べるっていうのもあんまりよくわかってなかったですね。20代前半やったんで、仕事としての見方が一切出来てなくて。先輩に誘われても「行けたら、行きます」って言ってほぼ行ってなかったんですよ。スーパーマラドーナの武智さんは年齢が一緒でも先輩なんです。僕は年齢が一緒やったら同級生みたいなもんやって、思ってて。すごいプロ意識に欠けるというか、ただただ楽しいことをしてただけというか。芸人としてやっていくことを想像できてなかった気がします。
(青春ですね)
そうなんですよ。そんな時にbaseの楽屋で新喜劇のオーディションがあると聞いて、NSCに入る時に迷った自分を思い出して、受けてみたいな、と。
(金の卵1個目ですね)
久しぶりの新喜劇のオーディションで、大々的でした。でも相方は「俺は興味ない、漫才がしたい」と。で、話し合いして、方向性が違うということで、解散しよかと。相方にもわかってもらえる形で解散しました。
(受かった時はうれしかったですか?)
うれしさと言うよりも、こっからどうしたらええんやろ? と言う感じで。「やった!」というより、一歩前に行けたみたいな。

―初舞台はどうでした? 

同期6人で一緒にオープニングに出て、小籔さんもいて。すごい安心感がありました。コンビ2人やったら寂しいやないですか。6人おってわいわい言う時、さみしくないな、みんなおるねんや、と感じたのは覚えてますね。稽古の時はNGKは小さいなと思ったんです。でも、お客さんが入ったら、景色が違うんですよ。こんな広いんやと。その差はありました。
(緊張より、まず安心だったんですね)
その後、みんなでOPを考えたり。新喜劇って、役が変わって、ツッコミだけじゃない時があるんですよね。ボケなあかんという回は、ゲー吐くぐらい緊張しました。1000人のお客さんの「何やってんの?」という眼、劇場の空気。その時は「もう死んだろ」と思うくらいなんです(笑)。最初はお客さんの顔を見れなかったですね。少しずつ、オープニングで早く自分を出せるようにならなあかんな、と。先輩ってみんな素(普段どおり)じゃないですか。緊張はしてるでしょうけど、そう見えない。若手って、緊張してるからか、声はうわずる、違うこと言われたら、あわあわしちゃう。お客さんに気づかれるんですね。大丈夫かな、と。いち早く空気感出せるように慣れていかなあかんなと思って、意識してお客さんの顔を見ることから始めていきました。

―印象に残っている舞台はありますか?

辻本さんの3人ヤクザの時に、森田(展義)と刑事の役で出してもらった時、辻本さんって、威圧感ありますし、貫禄もありますし、独特の空気があるじゃないですか。そこでちゃんとしたセリフが言えなくて。「覚せい剤取締法違反」が出てこないんですよ。舞台袖では言えるんです。でも舞台に上がったら、火曜日から土曜日のアタマくらいまで、「か、かかか」とか、「覚せい、え、法」とか、ようわからんセリフになって…。
(「言えてへんやん!」ってツッコまれる訳ですね)
そうなるんですけど、そこは美味しいんじゃなくて、ダメじゃないですか。自分が生み出してる笑いじゃなく、失敗してる笑いなんで。すごい悔しくて、足のふるえが止まりませんでした。

―吉田さんはけっこう、いじられキャラですよね。

いじってくれる方が多かったので、ラッキーといいますか、皆さんに助けられましたね。
(最初は?)
マキバオー。須知さんとか内場さんとか、奥重敦史からよく、「マキバオーに似てるな」と言われてたんです。それを舞台で使ってくれはって。それで「ひょっとこ」でいじられてる烏川兄さんから、「いじられた時は相手が言葉を出しやすいようなツッコミの言葉を選んでいったら、広がっていく」と教えてもらって。「マキバオー」と言われたら「おまえ馬鹿か」と返すと、「馬に鹿で馬鹿」、「そういうことやないねん!」とか、ね。
(ほかには?)
昔、めだか師匠がだいぶ推してくれたコウモリ(顔が似てるから)、内場さんが僕の髪の毛を岩のりと間違えて、「ごはんですよ」「髪の毛ですよ」とか、須知さんの「ブラックバスちゃうねん」とか。OPで出させてもらって、たこ焼きをかけられるとか、叩かれることも多かったので、その辺のところから、リアクション芸に行ってたかもしれないですね。若手の中でひとつだけ絶対負けへんところを作っておこうと思ってました。例えば元気さであったり、声のでかさだったり、自分なりにここは勝てるぞというものを。

―リアクション芸とも言えるドリルが出来たのは?

出来て4年、5年くらい経ちます。京橋花月の頃なんです。今でこそ須知さんが座長になりはったので、月に1週くらいですけど、前は、3か月に1回とか、半年に1回とかいうペースやったんで、「最近出来たやつやろ」と言われることも多いんですが。実は4、5年前に内場さんの週で出来たんです。内場さんの婚約者、五十嵐サキさんが浮気してるんじゃないか? ということで、アルバイトの須知さんと内場さんが旅行に行くふりをして店の中に隠れて相手を突き止めることに。僕はサキさんに依頼された電器屋の役なんですが、浮気相手と勘違いされて須知さんに棒で叩かれる、という台本やったんですよ。「わー、やめろ、やめろ、何すんねん!」というところで、須知さんが遊び心で、いきなり上の服脱がされたんです。で、つま先だけ叩きはったんで、「つま先やめろ!」、「アゴやめろ!」、ワキに来たので「ワキやめろ!」で、「乳首ドリルすな!」ってけっこう早い形で言うたと思うんですけどね。「何これ? お客さん反応ええな」って。須知さんのアドリブも含めて、ほんとに自然に出来上がって。当時は京橋でやったものを次の週にNGKへ出すというサイクルで、NGKでも反応があったんです。「これはいけるな」って。

―ドリルは広がりましたね。

新喜劇のOAに乗せていただいていたので、関西で知っている人は増えてきたんですけど、関東にいらっしゃる宮川大輔さんがたまたま大阪で見て、「ドリルが好きや」、と。で、東京でいろんな方面に推してくれはったんですよ。小籔さんにもドリル推してくれて。(雨上がり決死隊の)宮迫さんの耳にも入って、昨年の「笑いの王者が大集結!ドリーム東西ネタ合戦」(2014年1月1日TBS系放送)に呼んでいただいて広がりましたね。それを(ナインティナインの)岡村さんが見て、ほとんど東京に出たことないのに3月に「めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)」(CX)に呼んでくれはって。芸人さんに知ってもらえることはありがたいな、と。

―これからの目標は?

新喜劇に入って、ここで生きて行きたいと思える場所に出合えたことがうれしいですね。基本サボりですが、必然的に今、寝てる場合ちゃうなとか、後輩に恥ずかしいところ見せたらあかんな、とか思うようになりました。ここで大きくなりたい、新喜劇の看板になりたいなとは思うんです。泣き笑いがすごい好きで、同時に泣きながら笑う、笑いながら泣く的な新喜劇をどんどん作っていけるようになりたいなと思いますね。
(ストーリー作りから?)
そうですね。「そういうタイプちゃうやろ!」という声も多々あるんですけど、でも、やりたいですね。どっちかというとツッコミ兼ストーリーみたいなところへ行きたいんで。面白さの中に、また見ようと思ってもらえるような、そんなスパイスをふんだんに出して行けるようにしたい。

―ちなみに憧れの先輩とかは?

新喜劇で憧れる先輩やったら…Mrオクレ師匠とかね。
(あははは…)
出てきた瞬間に「こんにちは~」で爆笑とかあんまりないでしょう? 普通は考えて考えて、考えた結果、結果出なかったけど、偶然の産物で生まれたギャグとかってよう言うじゃないですか。「こんにちは」って普通の言葉ですからね。学ばなくても出てくる。ギャグでもなんでもない。でも誰も(オクレ師匠の)「こんにちは」言えないですから(笑)。

―今、ハマっているものは?

バイクが好きなんです。ツーリングで1人旅に行きたいな、と。とりあえず、山口県に行きたいです。今、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」をやっているんで、長州藩の野望というか、日本を変えた人たちが集まったところに行ってみたい。歴史好きなんで、若い世代が時代を変えていったというところに惹かれます。そんな場所へ行ってみたいですね。

2015年2月24日談

プロフィール
1979年3月29日 兵庫県生まれ。
2000年NSC大阪校 23期生。2005年金の卵オーディション1個目。