MBS(毎日放送)

第116回 よこっちピーマン

初めて見た新喜劇が、劇場が爆発するような大爆笑で「ここへ入ろう」って。

―今年4月に横地眞平から改名されました。なぜ、ピーマンに?

セカンドシアター新喜劇が出来た時に、寛平師匠の楽屋にごあいさつに行って、「今、岩手のピーマン農家さんのところでお仕事させてもらったり、地元のラジオとかテレビに出たりして活動させてもらってます」とお話したら、師匠が「覚えにくいから、お前の名前、よこっちピーマンにせい」って言われて。「ありがとうございます!」って、よこっちピーマンに変えたんです。
(寛平師匠が名付け親なんですね。緑色の髪もその時から?)
これは1か月前くらいから。でも、緑にしてから「そういえば髪の毛が緑の奴なんか、新喜劇出られへんか」って、今、若干後悔してます(笑)。

―唯一の東北出身の座員さんですが、小さい頃から芸人を?

目立ちたがり屋ではあったと思うんですよね~昔から。芸人になりたいじゃなく、漫才が好きになったというか、お笑いに興味を持ったのは、M-1。2005年にブラックマヨネーズさんが優勝した時と、2008年にサンドウィッチマンさんが優勝した時は、強烈に覚えてますね。高校を卒業してから東京の大学に入ったんですよ。そこで、軽音楽部っていうバンドの部活と、あと自動車部っていう車のレースとかをやる部に所属したんですが、車の方にどっぷり浸かってしまって。学校にほとんど行かなくなっちゃったんです。で、2回生の時に留年して、親に「頼むから大学に通ってくれ。部活も全部辞めてくれ」と言われて、部活を辞めたんですが、「人生メチャクチャつまらないな~」と。「やりたいことなかったかな?」って考えた時、目立ちたがり屋だったこともあって、漠然と、「有名人になりたいな」と思って。とりあえず、劇団に入ろうと、いろいろ探したら、唯一、無料で入れる劇団があったんです。そこ(「演劇やろう会」)は、畑嶺明先生っていう、「太陽にほえろ!」(NTV)とか、「噂の刑事トミーとマツ」(TBS)とか、僕ら世代でいうと「キッズ・ウォー」(CBC)とかのドラマの脚本を書いてた先生の劇団に入ることが出来たんですよ。畑先生は若い頃、新喜劇の脚本も書いてたみたいで、いただく役が全部3枚目の役で、先生に「何でなんですか?」って聞いたら、「僕の勘が正しければ、新喜劇とか向いてると思う」と言われたんです。それを聞いて、僕、バイクで下道で大阪まで新喜劇見に行ったんですよ。
(東京から!?)
はい。その時に見たのが、辻本さんの茂造の新喜劇やったんです。もう、劇場がボカーンって爆発するような大爆笑を取ってるのを見て、「ここに入ろう!」って決めたっていう感じですかね。
(それまで新喜劇を見たことは?)
全然、なかったですね。岩手では放送されてなかったし。小籔さんとかの名前で吉本新喜劇の存在は知ってたんですけど、見たことはなくて。新喜劇を見てから「新喜劇入る」っていうことしか頭になくて。大学3回生の時に金の卵オーディションを受けたんで、結局、大学を中退したんです。家族からは大ヒンシュクで。
(でしょう、ね。どうやって説得されたんですか?)
もう、「縁切る!」って家族に言われて。「戸籍から外れてくれ」と・・・。
(え~っ!? そこまで言われる?)
当時は僕も「入って絶対、売れる!」っていう謎の自信があって、「縁切ったるわ!」という感じで、そのままの勢いで・・。

―金の卵オーディションはどうでした?

書類が通った時はすっごくうれしかったんですけど、2次審査の時は手ごたえが全くなくて、全然ダメだなと。3次はお芝居の審査で、すっちーさんがいらっしゃってて、審査はまあまあの感じだったんですけど。その後、すっちーさんが履歴書を見て、「横地くん、特技に歌って書いてるけど、歌ってくれへん?」と言われて。僕、小学校の5、6年生と中学校の3年生の時に、地元の花巻市で童謡で3回優勝してるんです。それで、「叱られて」という童謡を本気で歌ったんですよ。「叱られて~叱られ~て~あの~子は・・・」というあたりで、すっちーさんから「何の歌やねん!」とツッコまれて、会場がボカンとウケたんです。
(あはははは~)
僕はお笑いとかも全然わからなかったし、「え? これ、笑い起こしてるかも!?」みたいな感じになって。さらに「どういう歌なん?」と聞かれたので、「この歌は継母に育てられた子があまり愛情に恵まれなくて、買い出しに行かされて山道をとぼとぼ下っていく風景を歌った歌なんです」と真面目に答えたら、「どこで、なに歌(うと)てんねん!」で、またウケて。それで、結局、合格になって・・・。もう、メッチャクチャ嬉しかったですね。劇団でお芝居ちょこっとやってたから大丈夫だと思ったし、受かった瞬間、「俺はこれで世の中に売れて行くんだ」みたいな感じに思ってましたね。

―初舞台は覚えてますか?

新喜劇に入って、金の卵10個目のデビューライブがあって、すぐに、今田耕司さんの「大阪芸人掘り出しライブ」に呼んでもらったり、NGKの初舞台ではすっちー座長の「すち子の、カゲッシーで村おこっしー」で、同期入団の女の子と観光客の役でした。その後、祇園花月でちょっといい役をいただいたりとかいうのもあって、「これが売れていく若手の道なのかなあ」とか、ぼんやり思ってたんですけど、メチャクチャ気のせいでした。
(初舞台は緊張されました?)
メチャクチャしました。最初、客席の方を全然見れなくて。正直「何がなんだか」みたいな感じがありました。実は新喜劇って、アドリブとかでやってるから面白いんだろうな、くらいにしか思ってなかったんです。実際は、アドリブとかもそんなになく、しっかりやってらっしゃるんだ、と。
(新喜劇の難しさに気づいた?)
いや、でも、実は最近まであんまり新喜劇の難しさに気づいてなくて。
(えっ!? 最近まで?)
そうなんですよ。最初の方にポンポンといい役をいただいちゃったこともあって、なんか、完全に調子に乗ってたんです。新喜劇のことも特に考えることもなく・・・。そしたら、急に、半年くらい劇場の仕事が来なくなったんですよ。たまに営業とかはいただいてたんですけど。そんな時に、西梅田劇場で諸見里さんがリーダー週の新喜劇に出させていただいたんです。それが久々の劇場公演で。ご飯に連れて行ってもらった時、「1年目の入りたてでモヒカンの奴がおる。使いにくいな」みたいな感じになってたことを、そこで初めて知って。僕、1年目の時に、かなり横を刈り上げたおしゃれ髪形をしてたんです、新喜劇の舞台でそんな人いないじゃないですか。「うわ~っ、全然わかってなかったなあ」って。

―新喜劇の難しさに気づいたのは?

今年、セカンドシアター新喜劇が始まってから、信濃さんとか諸見里さんのところに2回ほど出させていただいたんです。直近の舞台で言うと、高校のバレーボール部の生徒の役で、試合に1回も勝ったことがない設定で、試合に勝ったら、諸見里さんが扮する諸子先生のおっぱいを見せてもらえるっていう。
(あ~映画の「おっぱいバレー」ですね)
そのオープニングのネタ作りの時に、僕が作ったネタに「そういえば、横地、好きな子おるっていうてたやんか」っていうセリフを入れたんです。そしたら、「諸子先生のおっぱいを見たいと思うような高校生が、普通の女の子を好きになったり、告白してフラれたりとかあるかな? そういうとこ、ちゃんと整合性が取れてないとあかんで」と教えていただいて。「そこまでちゃんと考えて来なかったな。言われてみればそうか」と。そんなちゃんと作られてるんだなと最近になってようやく気づいたというか。なんとなくわかって来たのかなという感じですね。

―今は岩手を中心に活動されてますが、きっかけは?

新型コロナの流行で劇場とかが閉まった時、バイトだけしてる生活が1年くらい続いたんですよ。2020年ですね。地元でずっと昔からお世話になってる社長さんから「大阪でバイトしてるくらいやったら、地元に戻ってバイトした方がいいんと違う?」と言われて、「確かに」と思って。そのタイミングで、新喜劇で1座員1企画っていう、1人の座員が1つの企画を成し遂げましょうみたいなのがあって。いろいろ企画を出したんですけど、当時のマネージャーさんに、「僕、最近、岩手でピーマン作りませんかって言われてるんですよ」と言ったら、「いいじゃないですか! 岩手帰りましょうよ」ということになって、背中押してもらったこともあって、岩手に帰って来たんです。最近、気づいたんですけど、今、1座員1企画やってるのは僕だけで、その企画自体なくなってるんですよ。なんか、強い目に肩たたき的なやつにあってたんかなあ、と。今ちょっと思ってます。
(あはははは~それはびっくりですね)
振り返ったら誰もおらん、みたいな。メチャクチャびっくりしましたね。
(岩手に帰られてどのくらい?)
1年半くらいですね。新喜劇のことも全然わからないですし、こんな髪形して言うのもあれですけど、僕も新喜劇好きなんで、出させてもらえるのであれば、メチャクチャ嬉しいです。

―芸人としての岩手での生活は?

正直、大阪にいた時と比べると、考えられないような金額を芸人でいただけてるんですよ。具体的な金額で言うと、大阪に住んでて、5万円を越えるのは相当難しいことで、1回もお給料が5万円超えたことなかったんです。岩手に戻って、最初の方は1万円くらいやったんですけど、今年の4月から、ラジオの冠番組をいただいたりとか。
(ほお~すごい!)
テレビの番組にもちょくちょく出させてもらうようになって、給料が最近初めて10万円超えたりとか。地元という環境とか、新型コロナとかいろんなことが相まって、運よく今、大阪で出来なかったことを地元でやらせていただけてる状態なので・・・。何とかさらにいい方向に持っていけないかな、と考えてます。
(ご家族も喜んでいらっしゃるのでは?)
最初は喜んでたんですけど。僕、岩手に帰ってYouTubeを毎日頑張ってたんですけど、最近あんまりやらなくなって来て、親もそれを見てるから、「(家を)早く出て行ってくれ」みたいによく言われるようになって。そのタイミングで髪を緑にしてしまったので、親に「そんなんしてる場合か。売れてからにしろ!」ってメチャクチャ怒られました。
(あはははは~思いついたら即行動のタイプですね)
そうですね。行き当たりばったりで生きて来ちゃってるので。もうちょっと、先々長い自分の人生を見て行かなきゃいけないなと思ってます。ある意味、農業とかをやってるというのは、強いところでもあるのかなと思ってるんですけど。

―遠く離れた岩手の座員として、今思うことは?

こんなこと言ったら、先輩方に怒られるかもしれないんですけど。あくまで僕個人の考えなんですけど、新喜劇って僕が住んでる東日本の方には全然浸透してないんですよね。名前は知ってるけど、見たことない。たまに放送されても「何が面白いの?」と言われることの方が多いんです。で、僕が出来ることとしたら、東日本で新喜劇を広めて盛り上げるってことかな、と。僕自身が今、新喜劇で頑張るよりは、「新喜劇の知名度を地元とかで上げたいな」という方向に走ってるというのが、正直なところです。大阪にもずっと通い続けてる理由としては、少しでも多く、新喜劇を生で、肌で感じて、いろいろ吸収して勉強しないと、というのがあって。とにかく今はまず、地元とか東北で、新喜劇の知名度を上げれるよう活動していって、東北の方で新喜劇というか、僕らとか東北の芸人で新喜劇みたいなのを作ってやれたらいいな、というのが夢というか、企んでることかな、と思います。

―新喜劇でやってみたい役柄は?

新喜劇に入った頃、デビューライブもそうでしたし、金の卵11個目の時も出させてもらったんですけど、どっちも回し役で、ツッコミだったんです。だから、僕はもうツッコミの人間なんやろな、というのを、勝手にちょっと思ってたんです。今、岩手に帰って、ラジオとかテレビに出させていただく時に、見てる人は、僕がツッコミとか関係ないし、「吉本新喜劇の芸人、よこっちピーマンです!」と言ったら、ボケを求められるというか。見てる人にとっては、1人の芸人として面白いものを求められているんだな、と。それでボケとかネタを初めて考えるようになったんですよ。新喜劇だったら、どういうことが出来るかなあ、と、今は1ボケとか、メチャクチャやってみたいです。新喜劇の舞台に緑の髪で出るというのが直近の目標ではあります。
(セカンドシアター新喜劇とかは?)
セカンドシアターのおかげで実力のなさというのを改めて感じました。「やっぱり、実力なかったんだ。新喜劇ってこんなに難しかったんだ」というのを勉強したような気がします。これから、祇園花月、NGKにも出させてもらえるよう、頑張っていかないといけないなと思います。
(寛平さんからもらった芸名で頑張ってください!)

―ハマっていることや趣味は?

最近だと、車とか釣りとかになるのかな。釣りはコロナになってから覚えたんですけど、大阪の頃に先輩に誘ってもらって。僕はけんたくんさんと一緒に住んでたこともあって、結構仲良くて。けんたくんさんや、入澤さんと釣りに行ったりとか。音羽さんとかも。知り合いの社長さんに長崎県に連れて行ってもらって、1メートルくらいのブリを初めて釣った時の感触は忘れられないです。釣りは今でもしょっちゅう行ってますね。
(大学では自動車部でしたね。今はどんな車に?)
今はおじいちゃんの形見のトヨタのアクアに乗ってます。本来はスポーツカーとかに乗りたいなと思うんですけど。
(憧れの車ってありますか?)
え~っ、10台くらいあって・・・。
(10台も!?)
僕、ツーシーターの車がすごい好きで。最近、いいなあ~と思ったのが、ルノーっていうフランスの会社のⅤ6ルノースポール。それが今、欲しいんですけど。何百万とするので、到底買える額じゃないです。あと、BMWのZ3とかZ4とかのオープンタイプが欲しいですね。割とピュアスポーツタイプの車が好きなんです。
(好きな車に乗れるよう、頑張って売れてくださいね)

2022年10月29日談

プロフィール

1995年9月18日岩手県花巻市出身。
2018年金の卵10個目。

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