第30回 安尾信乃助

お笑いやっているわりに、マイナス思考なんです。


―もともと芸人を目指されたきっかけを教えてください。

まあ、笑い顔というか、小さい頃から笑われるのが…笑われるは違うな、笑うのが好きで。幼稚園の頃からずっこけたりして、キャッキャッ言うて、周りの人が笑ってくれるのが好きでしたね。その頃からですね。人が笑うっていうのが、一番エエ顔って、いうか。その顔を見るためというか、ね。
(小中学校では人気者?)
クラスの中では、そんな人気者というほどでもなかったですが、ちょこちょこ、(笑わせたり)ですね(笑)。

―NSCに入ってどうでしたか?

飛び抜けてこいつ面白いなというのはなかったかな、と。ま、ベイブルースはいましたが。雨上がりの宮迫も当時はそんな…飛び抜けてはなかったですね。僕はもともと1人でやりたいと思ってたんですが、「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」かなんかで、とりあえず、コンビを組め、となって、最後の4人くらいが残った中でとりあえず組んだのかな。(コンクールの)予選は通ったんですが。 (ピン芸人を目指していた頃はどんなネタを?)
家庭科の先生のネタとか、学校の先生のネタとかで、イベントに出たりとか。NSCを卒業してから「やめよッカナ?キャンペーン」のオーディションで新喜劇に入ったんですね。

―それで新喜劇へ?

若手はみんな新喜劇へ行くことになって、オーディションで入ったんです。僕、考えたらオーディション4回くらい受けてますわ。毎回オーディションに参加して、大﨑さん(現社長)から、「やる気あるか?」「はい」って言ったら、「がんばれ!」で、そのまま…(笑)。2回、3回受けてます。YSP(吉本新喜劇プロジェクト)のオーディションの度に呼ばれてました。
(初舞台は覚えていらっしゃいますか?)
初舞台ではないですが、それに近い頃に「月とすっぽんや」というのを「月見うどんや!」言うて、シーンとなって。「しもたー!」と言うたら、キム兄(木村祐一)から、「失敗か?」と言われて、それでドカーンと。
(ご自身で考えられたネタだったんですか?)
一応ね、「月とすっぽん」を「月見うどん」と言うたらオモロイかな~とその時はね。ふふふ(笑)。
(割と自由な感じでした?)
いや~。でもね、まあまあ厳しかったです。

―新喜劇はどんな雰囲気でしたか?

座長は今田(耕司)さん、ほかに130Rさんとか、東野(幸治)さんとか。言うても舞台に出る回数も少なくて、そんなに仕事なかったんで。3か月に1回呼ばれるくらい。なかなか慣れなかったです。先輩とかにも…。1週間終わったら、3か月仕事ない。次、楽屋に来た時はまたピシッとして「失礼します!」みたいな。行く度に緊張でしたね。
(役柄は?)
やっぱり幕開きのお客さん役とか多かったですね。台本によっては、セリフがない通行人とか、屋台のお客さんとか…「こんどあっち行こう!」で終わるとか。それにも入れへんかった(役がつかなかった)、ですからね(笑)。
(下積み時代ですね。芸人を辞めようと思ったことは?)
ありますね。
(それでも続けてこられた…)
そうですね。

―新喜劇といえばギャグがつきものですが、どんなギャグを?

転がるネタとか。殴られて転がって、下手にはけて、「止めてえ~」言うて、上手から出てくるとか…。
(舞台裏をすごい走りますよね?)
転ぶ時に同じとこ打つんですよ。背中と足とひじと…。同じところ打って青あざが出来てましたね。膝も。たぶん、膝打ちすぎて、骨折れたんちゃうかな、と。
(折れたんですか?)
野球でね、半月板です。
(体力勝負だったんですね…)

―ご自身ではいつ頃から上向いてきたと思います?

母親から電話かかってきて、「名前に“乃”を入れなさい」と言われたんです。
(は? 名前に「の」?)
「信介」でずっとやってきたんです。で、間に“乃”を入れなさい、と。「そんな今更…」と言うてたんですが、結局、字数とかで「乃」を入れた方がいいということになって。で、「乃」入れてから、ちょっと行き出したかな、と(笑)。
(え~ほんまですか!?)
ま、「おじゃまします、か」のギャグとかあって…。
(改名されたのは、98年ですから、9年目くらい?)
へえ~(笑)。
(笑…覚えていらっしゃらないですか?)
全然そんな記憶ないですね。ツイてないことの方が多かったですし…。野球してて足の骨、折ったりとか。

―「おじゃまします、か?」はいつごろ出来たんですか?

「信乃助」に改名する前には出来てたと思います。東京のアルタスタジオで新喜劇をやっていた時です。ルミネが出来る前、「笑っていいとも!」(CX)がない土日に、「吉本新喜劇」の公演をやっていたんです。そこで老人役になった時に、初めてやったんですよ。相手は川畑(泰史)で。「おじゃまします、か?」「か」はいらんやろ! 「ルピスください」そこは「カ」いるねん! で、「ばあさん先に死んでしもて、おばあかさ~ん!」そこは「か」いらんねん。みたいな。
(最初は東京の舞台だったんですね)
もともとはスナックのカラオケで歌っているオッサンが、歌に「~か?」とかを勝手につけているのを見て、お酒飲まないんですけど、ヘンな「か?」やって。それが最初やったんですけど。なんか当時、入りのギャグとか全然ない状態だったんで。チャーリーさんとか桑原さんとか入りのギャグがあるのに、若手には「ないな~」と。なんかないかな~と捜していたんです。
(すっかり定着したギャグになりましたね)
まだ定着してない…(笑)。まだまだです。

―新喜劇に来られて、ご自身としてはどうですか?

ウケなかったら、「ごめんなさい」と思ってしまうんですね。お笑いやっている割にマイナス思考なところがあって。
(もともとですか?)
まあまあネクラな方ですね~。
(悪い方へ考えてしまう?)
そうですね。いい方向に考えな、と。そう思う努力をしているところです。
(どんな努力を?)
「不安を取りのぞく音楽」を聞くとか…(笑)。

―26年間、新喜劇にいらして、今やりたいと思うことは?

そんなに…。普通に何でもやりますよ。
(今の新喜劇は割と自由に出来ると思うんですが?)
昔はやっぱり、「いらんことせんでええねん」って言われることが多かったですね。「そんな必要ない」とか。それに比べると、今の若い子は好きなことさせてもらっている感じやな、とは思いますけどね。僕らが入った頃は萎縮してしまったっていうか。「やめよッカナ?」の時は、壇上先生(作家)の頃で厳しかったです。

―長い舞台歴の中で、印象に残っているのは?

やっぱり「月見うどん」かなあ。ははは(笑)
(あれですか!)
いや、もうあれは…なんで~?っていう。キム兄がおらんかったら、ヤバかったですよね。あれ、1回だけですね。もう終わってからは「すみませんでした!」って言って謝って。そしたらめだか兄さんが、「あれ、狙いやったん違うんか?」って…(笑)。

―新喜劇の良さは?

昔からの定番というか、大阪にあるもの。島木(譲二)さんの「大阪名物パチパチパンチ」じゃないですけど、「大阪名物新喜劇」なのかな…と。笑わせるという点では、決してお客さんを裏切らないし。子どもからお年寄りまで楽しんでもらえる。セットもそんなお金かけずに…(笑)。普通のお芝居やったら、もっと豪華やけど、屋台とか机だけとか。そこがいいんかなと思いますけどね。今のお客さんにも、年齢(とし)がいっても見てもらいたい。年齢とっても、常に見てもらいたい。お父さんになったら、子どもを連れて、おじいさんになったら孫と。三世代で見に来て欲しいですね。

―これまで続けてこられたこととか、趣味はありますか?

フィギュアとか…ですかね。
(何のフィギュアですか?)
「ワンピース」とか好きです。
(家がフィギュアだらけとか?)
えらいことになってますね。一番最初は映画の「仁義なき戦い」から。菅原文太さん、松方弘樹さん、成田三樹夫さんとか10体くらいあるんですけど、そっからスタートしました。さらに北大路欣也さん、金子信雄さんとか。10年以上前からですね。「ワンピース」は漫画でハマってからです。間に「クローズ」とかもありましたけど。
(フィギュアの魅力は?)
普通やったら眺めて、似てるなあ~かっこええな~なんでしょうけど、箱に入ったままのもいっぱいあるんですよ。
(出してない?笑)
そうなんです。買って満足してる、みたいな。かっこええなあ~ええなあ~で買って、箱から出さずに置いたままとかありますね。
(ひょっとして、全く開けてない?)
全く開けてないのありますね。1回も開けてないのもありますね。
(どこが楽しいんですか?)
わからないですね。持ってるっていうのが。「なんで?」って言われても…。好きで集めているだけなんで…。それは登山家と一緒じゃないですかねえ。
(何か深いですねえ…)
ふふふ。ははは(笑)。

―そんな安尾さんにとって「笑い」とは?

いろんな答えがあるので、正解はわからないんですよ。めちゃめちゃウケたらそれで正解、というのかどうかもわからない。ウケても次の芝居につながってるかどうかって考えたら、今の違うんちゃうか、と。それが間違っているのかどうかもわからないですね。新喜劇って、お芝居の流れで取る笑いが一番やと思います。ギャグはギャグで、ありますけどね。(僕は)自信のない人間なんで。(お笑いは)好きなんですけどね。自信があるかといわれたら、そうでもない。大丈夫かな? こんな不安で…。

2015年8月17日談

プロフィール
1967年7月16日 兵庫県生まれ。1988年3月 NSC大阪校7期生。