第18回 やなぎ浩二

ほんまにずるずるっとおった感じやね。


―三遊亭柳枝さんの内弟子でいらしたんですね。

もともと柳枝の弟子でございました。最後の弟子です。当時は漫才が厳しい時代でしたが、ラジオで聴いたり演芸場へ見に行ったりして面白かった。一度、学校で卒業生を送る時に、友だちと一緒に10分くらいの漫才をしたんですよ。しょーむない漫才やけど、それがえらい受けて。自信といったら何やけど。中学生の2年くらいの頃に友だちと西条凡児さんのラジオの「素人名人会」に出るのに、当時の新日本放送(毎日放送の前身。阪急百貨店の屋上にあった)に録音に行ったこともあるんですよ。中学を卒業する頃には「漫才をやりたいねん」というて、うちの近所で詩吟をやってた人の知り合いに、秋田實先生の友達がいて、「こんな子おんねんけど、どやろ?」と人づてに聞いてもらって、その人が一度秋田先生に尋ねてみるわ、となったんです。その当時は珍しかったんです。そういうの(芸人)をやるのは。

―秋田先生は上方漫才界を牽引した重鎮ですね。

僕はちょうど、市立高校へ行きかけてたんですが、秋田先生に紹介してもらえるという話が来たから、当時あった新歌舞伎座の地下の演芸場で師匠と面会したんです。秋田先生と柳枝師匠が昵懇で、「柳枝さん、預かってえな」と言うと、師匠が「ボク、やる気あんのか?」と言われたので、「はい」と。その時はまだ親にも言うてないんですよ、会うただけで。で、家に帰って「実は…」というと、「そんなん芸人なんかなれるわけないやないか」と言われたけど、学校の勉強もあまり好きではなかったから、「行ってみ」ということになって。内弟子なんで、師匠が「何にもいらん」というから、ボストンバッグに着替えだけ持っていったんです。そしたら「この子も、正直やな。何もいらん言うたらほんまに何も持って来えへんな」と言われました。17歳の時でした。僕は最後の柳枝の弟子ですわ。一番弟子は南都雄二さん。1回も会うてませんけど。

―漫才コンビを組まれたのは?

内弟子に入ってしばらくして劇団アクタープロにいた泉ひろしが「漫才がしたい」と、通い弟子で来たんです。2年目くらいで漫才コンビを組んだんです。初舞台が新世界にあった新花月です。その時は柳豊作・万作でした。3年目で師匠が死にはったんです(1961年死去)。漫才はやってましたけど、さりとて仕事があんまりない。劇場も新花月と角座くらいしかない。で、泉ひろしが「お芝居に戻りたい」と。(1人では)仕事がないから、漫才でも組まなしょうがない。ルーキー新一から「万ちゃん、漫才しよか?」「自分、やってるやん」「別れるしな」という話もありました。当時、(ルーキーは梅乃)松夫・武夫いうたんです。そのルーキーが「ショウ組もう、ショウ」と言い出して、ショウの名前はホワイトボーイズ、「誰が楽器弾けんねん?」と聞いたら、誰も弾かれへん。話だけですね(笑)。酒飲みに行ったら、そんな話ばっかりしてました。そこに桑原和男君と中の島大学・小学として組んでいた、中の島大学というのがおったんです。別れて一人でいたから、「万ちゃん、組んでくれへん?」と。ネタを合わせて、最初スイッチヒッターと言う名前を考えたけど、大学だったから、中学にしよか、と。それで1年半か2年くらい組んでたんですよ。大学がやめてコンビを解消しました。

―お芝居にも出ていらしたとか。

ちょうどミスワカサ・島ひろしさんが(松竹)とんぼり座を作ったんです。当時の松竹の部長やった人が「とりあえず、そこへ入っとき~な」ということで、そこへちょっと入れてもろてたんですよ。ちょっとの間(1、2年)ですけどね。とんぼり座には竜じい(井上竜夫)も来てましたよ。とんぼり座で、横山ホットブラザースの弟子で小野田と言う子がおったんですよ。コンビ組もかと。で、名前どうしよう、サンデー・マンデーにしよか、と。以前、僕は万作で「万ちゃん、万ちゃん」言われてたから。呼び方も「サンちゃん、マンちゃん」って呼べる。それで千日劇場の千土地興業へお世話になったんです。若手はあまり居なかったですね。でも、わりと仕事があってね。千日劇場で3年か4年お世話になりました。ちょうどその頃、笑福亭松之助さんが千日におって、かわいがってもらってました。松ちゃん劇団をやってたんです。1年か2年くらいやったんですよ。それから松之助さんが中邨(秀雄)さんに呼ばれて吉本に帰りはったんです。松之助さんから「万ちゃん、吉本には若手おるで、おいでえや」と誘われて、「ほな行きますわ」で、中邨さんの前で手見せ(オーディション)して。そしたら「おったらええがな」と。サンデー・マンデーのままで吉本に行きました。

―新喜劇に入られたのは?

サンデーが3年半くらいで辞めるということになって、コンビを解消した時に吉本の八田(竹男)さんから「しばらく新喜劇におれ」と言われました。結局、仕事がなかったから別れたような感じでした。新喜劇では一番最初に京都花月で原哲男さんの組に入りました。50人くらいの座員で、3組で3劇場を回っていたんで、休みなしですよ。「休ませてください」と言ったら、「ええよ、永遠に休んどき」と言われる。「給料上げてください」っていうたら、「いつも、勉強させてもらいます、って言うてるやろ。勉強するのに、お金持って来んと、もらってるねんで」と。当時は給料制でして、1か月3万円。ポケットミュージカルスなんぼ出ても一緒。今の子は安くても1回なんぼかくれる。ごっついええやんと思います。当時は一日に舞台に9回くらい出ても、それでも一緒なんです。

―吉本新喜劇はご覧になってましたか?

あんまり見てなかったけど、千日劇場でサンデー・マンデーで出てる頃に、ルーキー新一もよく出てました。それが(新喜劇の)座長になる、と聞いて。「え、座長になるの?」と思ったけど、舞台を見たら「うまいな、才能あるな」と思いました。行きたいなと思った時に、松之助さんが声かけてくれて、行ったような感じですわ。お金は安いけど、舞台に出れますやんか。舞台に出たかったんですよ。お金は漫才の方がよかったですけど。その後は、常に花紀(京)さんと岡(八朗)さんが芯でした。昔、楽屋に水槽があったんです。その魚を見ながら、この魚は花紀さん、これが岡さんやな、これは誰や、と、順番に見ていったら、わしらあれへん。結局「わしらは砂やな」という笑い話があるんです。「砂でもええやん、水槽の中におれるだけな」って。

―新喜劇に入って感じたことありますか?

なんで吉本は全部コケるか、知ってまっか? ウケへんとあかんからみんなコケますねん。ヘタな奴ばっかり呼んできてるから。コケたらたいがいお客さんがびっくりしたり、ウケるやないですか。バーン!とコケたら、何でも受けるんですわ。そやからみんなコケるんですわ。舞台でシャレで言うてますけど、「吉本入ったら、まずコケることを覚えなはれ。コケるだけで5年かかる。後は楽やで~」と。コケるのは伝統芸。今、誰でもコケるでしょ。ギャグ言うたら、誰かコケる。竜ちゃん(井上竜夫)が「おじゃましまんねやわ~」って、あれはコケへんかったら面白くもなんともない。コケるからおもろいな、となるんです。

―辞めようと思ったことは?

何べんも思いました。(間)寛平が辞めた時(1989年新喜劇を退団)にわしも辞めよかなと思たんですよ。寛平・(木村)進といつもポケットミュージカルスで一緒だったんですよ。寛平の時はみんなで止めたんですが、決意は固かった。で、「がんばれよ」と送り出して。辞めよかなと思ったけど、辞めても何もでけへんし、中途半端な歳やし。ほんまにずるずるっとおった感じやね。辞めたいけど、仕事はないし、辞められへんし。そう思ってやっていたら、面白いときもあるし…。

―「やめよッカナ?キャンペーン」の時は?

その時は、病気やったんですよ。「やめよッカナ?」で新喜劇に残る奴と残らん奴が出てきた。僕は入院してたから、当然、残らん方に入ってました。これもうあかんなあ、と。退院してきた時、中邨(秀雄)さんから「まあ、出ときいな」と言われて。誰かいるんですね、助けてくれる“月光仮面のおじさん”が。そのうち、体制がまた変わる。3人のニューリーダーが出来た時は、旅公演に出てて、吉本は辞めてなかったけど、新喜劇は半分やめたようもの。ニューリーダーが出来たのも知らなかったんです。でもまた当時の吉本の課長が、「お兄さん、戻っておいで~な」と。いつも、「戻り~な」、「おり~な」と言ってくれる人がいたんです。

―ご自身にとって新喜劇とは?

まあ、ええとこでしょうね。優しい友達がいっぱいでけるんですよ。吉本のええとこ言ったら、薄情なようで人情がある。絶対首にしないじゃないですか。仕事なくてもずっとおったらええねん。金にならんだけです。「やめろ」とは言わないんですよ。それが吉本。でも僕は居心地がいいんです。ぼちぼち、辞めなアカンなあと思うときはあるんです。こないだ、芝居の稽古で、「コケてくれ」と言われて、ギャグでコケたら、ドターンとまともに腰打って。腫れあがって。「兄さん、下手やなあ」と。これからもうコケへん。もうコケられません。あかんなあ~と思っているけど、この先、今売れっ子の吉田裕とかが座長になるのを見てから辞めたいねんけどね。川畑(泰史)からすっちーが座長になるまで間があったでしょ。
(7年ですね)
ほんとは3年くらいで(次の座長を)作ったらいい。年寄りはゲストに回って、昔みたいに2人座長、3人座長で組んだらいいと思います。

―やなぎさんはギャグをお持ちですよね?

「ちゃ~っそ、 ちゃそ、 ちゃそ、ちゃっそ」(最後だけ小さく言う)いうのがありますね。以前に飲み屋で2人で言い争っていた男性がいたんです。「何言うてんねん、何か文句あんのか、殴ったろか」みたいなことを早口でまくし立てるんです。手は出しませんよ。お互い言うだけで。それが、「ちゃそ、ちゃそ、ちゃそ、ちゃそ」ってリズミカルに聞こえてね。おもしろいなあ、と。そこからですわ。

―趣味とかハマっていることは?

毎朝3キロくらい歩くんですよ。歩かないと気持ち悪いですね。武庫川という川があるんですよ。家から出てちょっと体操して、帰りにコーヒー飲んで帰る。喫茶店がないので、マクドナルドで。沿いを行って、帰って。6時半くらいラジオ体操がどこからとも流れてきて、どこからともなく50人くらい老人が集まってくる。雨降った時は傘を差して。歩かないと気持ち悪いんですね。
(歩くのは健康の基本ですよね)
今日は渡り鳥が来てるなとか。カモが子ども産んだな~とか。サギが団体でぐわ~と来たり。子どものシーズンがあるんですね。親鳥が横で立って子どもを見てる。えらいもんやな、どこの世界でもオカンが見張りしてんねんなと思ったり。夕方散歩していると、たまに50匹くらいが一斉に飛び立つ。たまにしか見られませんが、これはものすごい素敵ですよ。

2014年11月7日談

プロフィール
1942年4月26日 兵庫県生まれ。