第100回 山田花子

舞台でボケた時が、一番楽しいです。


―子どもの頃からお笑いに興味がありましたか?

興味というか……ま、よく見てました。
(好きなテレビ番組とかは?)
小さい時は「8時だョ!全員集合」(TBS)とか。中学ぐらいで「4時ですよーだ」(MBS)が始まって、毎日見てました。
(誰のファンでした?)
今田さん…。
(「4時ですよーだ」に出られるきっかけは?)
その前にイベントみたいなのがあって、素人さんが500円払ったら、舞台で何してもいいっていうイベントで。司会が今田さんと東野さんで、友だちが「行きや!」って言って、むりやり応募させられて、出たのがきっかけです。
(何をしたんですか?)
1人でコントやって…大爆笑やったんです。
(それはすごい!)
顔にマジックでメイクして、黒くして、友だちのお葬式に行くっていうことしたんです。すごい大爆笑で、今田さんが「また来週来てな」って言ってくれて、通ってるうちに、いつの間にか…。
(大爆笑になった時、どう思いました?)
びっくりして…こんなにウケるんやと思いました。

―初めてテレビに出られたのはいつですか?

初めて出たのは中学2年生です。何か月間か毎週行ってて…でも、だんだん行きたくなくなって。ネタ考えたりするのが面倒くさくなって。
(ギャラは出てたんですか?)
ギャラは出てました。
(嫌になったのはいつ頃?)
高校生くらい。たまにお仕事しながら高校に行ってました。ダウンタウンさんの番組「ごっつええ感じ」(CX)も毎週、その頃に行ってて、それも嫌になって。無断で休んだりとかしてました。イベントはそんなに出てなかったんですけど、ラジオとかテレビとか。
(売れっ子でしたね。そのまま芸人さんになろうとは?)
そうですね、小さい頃から家族にもプロレスラーになるって言ってたので。クラッシュギャルズの長与千種さんに憧れて。ジムがあって、そこに3年間通ってました。高校3年の時にプロレスのオーディションに合格して、団体に入れたんです。で、東京で合宿することになったんです。でも、東京の合宿は厳しくて…。受け身が出来なくて、4か月くらいした頃に脳しんとう起こして。それまでも気絶することが何回かあって、「危ないから辞めてくれ」と言われて…。

―小さい頃からの夢が消えてしまって、どうされました?

どうしようかなと思って、吉本の人に連絡して、「クビになりました」と言ったら、「新喜劇入れ」って言われて。それで入れてもらえたんです。
(そうなんですね)
新喜劇に入ったのは、17、8歳の時です。当時は、座長もいなくて、人数も少なくて。石田さんとか辻本さん、内場兄さんとかがニューリーダーになる前です。
(いきなり新喜劇に入られてどうでした?)
最初は嫌で……嫌でした。でも、みんな優しくて。ご飯とか、家に呼んでくれたりとかして、優しい人ばっかりでした。
(とくに優しかったのは?)
未知やすえさんとか浅香あき恵さんとか。ご飯一緒に行ったり、遊んだりとか。
(印象に残っていることありますか?)
え~……その頃は未知やすえさんと毎日遊んでて、内場さんが家に帰るより私の方が早くて、帰ってきたら(内場さんに)「お帰りなさい」と言ってました。

―新喜劇の初舞台は覚えてますか?

覚えてます。高校生の役で、藤井隆君と2人で、石田さんが警官役で出て来て、名前聞かれて、「エリザベス」って言ったのが、最初の「エリザベス」。
(初舞台で「エリザベス」だったんですね! それはご自身で考えて?)
急に…。「お前、名前なんて言うねん?」って言われて、とっさに出たのが「エリザベス」(微笑)。
(すごい~瞬発力あるんですね。ほかのギャグも当時から?)
はい、その頃から。「汗ばむわぁ~」「カモ~ン」とかは、辻本さんが「こうしたらええんちゃう?」と動きつけてくれて、教えてくれたんです。いつも言うてる「バカボン」のやつ、あれも古いんです。その頃からやってます。
(最初は嫌だった新喜劇、いつ頃から楽しいと思われました?)
もう、すぐに楽しくなりました。
(新喜劇のお芝居を教えてもらった先輩は?)
石田靖さんとかは小声で「これ言え」とか。ボケるの教えてくれたりとかしました。
(石田さんに技をかけられたり?)
2人ともプロレスが好きなんで。石田さん、レスリング部だったので、絶対痛くないようにしてくれるんですよ。石田さんの方がたぶん、痛かったと思います。
(全国放送された「超!よしもと新喜劇」(1997年MBS)では、ポスターのメインビジュアルに。センターで微笑む花子さんの頬に内場さんと辻本さんが左右からキスする衝撃的なビジュアルでした)
覚えてます(笑)。あの頃はまだ大阪に住んでいて、東京に通ってました。22、3歳の頃です。

―本格的に東京へ行かれたのはいつですか?

(2001年4月に)「ルミネtheよしもと」が出来て、そこで短い新喜劇やってました。次第に東京の仕事が増えて来て、東京事務所へ移籍する(2004年)ことになって。ルミネに毎日に出てました。
(忘れられない舞台上でのハプニングとかは?)
ルミネなんですけど、酔っ払って。昔はお正月はお祝いで、ちょっと飲んでてもよかったんです。ルミネに出てて、途中から出れなくなって、たまたま漫才で来てた品川庄司の庄司君が、私の代役してました。
(あははは~酔いすぎて?)
酔いすぎて、ダウンしてしまった私の衣装着て。庄司君がセリフもわからんのに、舞台に出てました(笑)。
(お正月スペシャルですね~)

―2010年に結婚、お子さまも生まれ、12年ぶりに大阪の新喜劇に戻るきっかけは?

2人目が生まれる時に、やっぱり、大阪の方が育てやすいと思って。知り合いも多いし、元々いつかは大阪に戻りたいなと思ってて、(子どもが)小学校に入る前にと思ってました。
(久しぶりの新喜劇、変わったと思われたところは?)
そう、ですね……1人1人がキャラクターがちゃんとあって、笑いも取ってて、みんなすごいな、と。若手とかも自分で考えて笑い取って、すごいと思います。昔は台本があって、ちょっと変えるくらいやったので。
(いろいろな仕事をされて来ましたが、一番楽しい仕事は?)
やっぱり、舞台。セリフが決まっているので、安心して出られます。
(セリフ覚えは得意な方?)
いや、遅いです(笑)
(稽古は前日だけですよね)
最初は早いと思ったんですけど、今は慣れました。

―これから新喜劇でやっていきたいことは?

母親役とか、やってみたいです。最後にお芝居をして、子どもを説得して、みんなが感動して泣くような…。そういうお芝居をあんまりしたことないので、バックに感動的な音楽が流れて、セリフしゃべってみたいです。
(お芝居とギャグとでは?)
どっちも半分半分くらい。舞台でボケた時が一番楽しいので…。
(習っていらしたサックスを吹いたりも?)
それはあるんですよ。何回かやったことあります。「ヘタクソ!」と言われてコケるんです。

―花子さんにとって新喜劇はどんな存在ですか?

ひとつの家族みたいな感じです。
(この先、先輩として後輩に教えていきたいことは?)
え~あんまり教えたくないです。地位が危なくなりそうで…。
(ライバルは?)
今のところはいないです。

―ご自身が最近ハマっていることとか、趣味はありますか?

え~なんやろ?……趣味…え~どういうのがいいのかな。
(思いつかなければ大丈夫です。ちなみに今、お子さまは何歳ですか?)
7歳と3歳です。
(舞台とか見に来られます?)
上の子は見に来ます。
(何か言われますか?)
何かすごい笑ってくれてて、「面白いんや~」と思ってたら、家帰って来たら「無理して笑ってたんや。疲れた」とか言ってました(笑)
(仕事と子育てで大変ですが、大阪で頑張ってください)

2019年12月16日談

プロフィール
1975年3月15日 大阪府堺市出身。