MBS(毎日放送)

筒井亜由貴

2023年9月22日、番組収録で来社された筒井さんにお話を伺いました。筒井さんは「金の卵9個目オーディション」を経て、2016年、新喜劇に入団。「美声のブレイクダンサー」キャラとして注目を集めています。秘蔵っ子リーダーとしての想いとは?

―2023年3月に秘蔵っ子が結成されて半年が経ちますが、率直な気持ちは?

最初集まったときはサークルみたいになってたんですよ。若いし、キャッキャッしてるみたいな。それに結構バラバラというか、秘蔵っ子のなかで皆がやりたいことも違っていたと思います。でも、話をしていくなかで少しずつですが、結束力が強くなっていったのかな。若手のなかでは、例えば、けっけさん(松浦景子)は新喜劇の本公演でも「あ、バレエの人だ」っていうキャラクターが定着してますが、半年やっていくなかで、ほかのメンバーのことも少しずつわかってきました。「この子はこういうキャラなんだな」とかメンバー内でもわかってきたので、これからはそれを外に発信できるようになったらいいなと思います。

―リーダーとしての心構えは?

実は僕、インターネットで知ったんですよ。自分がリーダーだって! 「あれ!?」ってビックリしました! リーダーは絶対、松浦景子さんだろうなと予想してました。最初に秘蔵っ子のメンバーが発表されて、その後、リーダーの発表があって。僕はその記者会見に仕事でいけなかったんです。リーダーってことも事前に何も言われてなくて。それがネットニュースで、「秘蔵っ子のリーダーは松浦景子と筒井亜由貴」と取り上げられていて驚きました! 「あの大学のサークルのメンバーのような、あいつらを僕まとめなあかんのか!」って(笑)。最初は不安でしたけどね。今は、段々まとまってきたかなと。

―松浦景子さんと2人リーダー制ですね。

けっけさんに何かをさせるということは「絶対にしたくない!」と思っています(笑)。僕が頑張って、けっけさんは、もっとどっしりとリーダーでいていただいて。僕が「もっとこうしよう」とか、けっこうチクチク言っちゃうので、嫌われ役じゃないけど、そんなんも必要かなと思ってやっています。けっけさんがいてくれるから、みんなもまとまっているんだと思います。秘蔵っ子について、けっけさんとそんな話をしたこともないですけど、リーダー同士で分担はできているのかなと思いますね。

―1か月ごとに全員でミーティングをおこなっているそうですね。

(間)寛平師匠とメンバー全員で毎月やってます。秘蔵っ子って新喜劇を盛り上げるためにあるのと、僕ら若い世代がどんどん活躍できる場を広げていくなかの一環だと思ってて、寛平師匠はミーティング以外でも、会うたびにすごい優しいお言葉とか、アドバイスとかかけてくれるんで、ありがたいと思っています。この前なんか深夜2時くらいに、寛平師匠から電話がかかってきて、「お前、元気にしとるか?」「なんかあったら言えよ、じゃあな」って。「なんやねん」と思いながら(笑)。でも、その電話は秘蔵っ子初ワンマンライブの9月3日の前々日くらいにかかってきて。公演を前に心配してかけてくれたんだと思います。寛平師匠なりの優しさだと思います。

―間寛平GMからの言葉で印象に残っているのは?

ちゃんと褒めてくれる。秘蔵っ子以外でも、新喜劇とか、セカンドシアターの舞台とかもちゃんと見てくれるし、そのなかで「あれがよかった」とか、ちゃんと覚えて褒めてくれる。本当にすごい見てくれるし、耳を傾けてくれるし、だいぶ若手が活躍できる場が増えていってすごいなぁと思います。そこまで寛平師匠がやってくださるので、だから、恩返しといったらアレですけど、舞台で頑張って笑いをとっていこうと。お客さんを喜ばせて、そうやって恩返しができることを、自分たちのモチベーションにして頑張っていかなければいけないと思いますね。

―9月にはセカンドシアターで秘蔵っ子初のワンマンライブ『吉本新喜劇・まるごと秘蔵っ子 vol.1』がおこなわれました。

空気が温かかったですね。僕の知り合いの方とか来ていただいたんですけども、「授業参観に来てるみたいだった」って(笑)。もうそれくらい「大丈夫かな、うちの息子は。ちゃんと舞台でツッコめるのかな、歌えるのかな、踊れるのかな」って。「でも実際に見てみたらちゃんと12人そろって頑張ってたから、すごいいいイベントだったよ」って言ってくれたのもすごいうれしかったです。幕が開いた時のお客さんの拍手の勢いとか、本当にうれしかったですね。今回は、僕が舞台に1人だけいて、開店準備をしてるシーンから始まったんです。そこで幕が開いてお客さんがワーッと盛り上がって拍手みたいな瞬間に、「あっ、このイベント成功だ!」って思いました。そこで逆に安心してリラックスして、最後まで楽しく出来ましたね。

―若手だけのライブはいかがでしたか?

若手だけで集まって作品を作っているので、けっこう普段できないようなことに挑戦できる。やりたいことをできるし、多分お互いに言いやすいんですよね。例えば、先輩に「こんなネタ作ったんですけど、やっていいですか?」っていう時に、「どこが面白いのか?」とか先輩の立場だと言いづらいこともあると思うんです。けど、年齢が近い世代で集まってるから、みんなやりたいことをやって、近い世代だからこそ、「もっとこうしたらえんちゃうかな」って切磋琢磨しあえるというか。若い世代だけで新喜劇を作るのも良い経験になるんだなと思いました。

―台本の制作にもかかわっておられましたね。

今回は、僕と小林ゆうちゃんと新井崇史くんと、咲方響ちゃんが担当で台本を作りました。僕が最初にコンセプトとして挙げたのは、「この4人の新喜劇だけはやめよう」ということでした。秘蔵っ子12人全員が活躍できる機会というか、全員に出番があって、アピールできる。全員の新喜劇を作りましょうってことで。僕だけがツッコミの役で、ほかの11人全員が面白さをアピールできるような場所を作りたいと思いました。それが結果的にいい感じに表わせたんじゃないかなと思っています。自分のなかでは良かったなと思いましたね。台本を作るっていう経験もめったにないことなので、自分の勉強にもなりました。あとは、メインで回し役をやったのもほぼ初めてのことなので、成長もできたかなと思います。次に活かせるイベントにはなりましたね。

―今後の目標は?

秘蔵っ子の目標としては「紅白出場!」っていってますけど(笑)。20代で集まって、10年後、30年後、この先の何年後かに、新喜劇の中心となっていけるようなメンバーというか、座員になれるように、技術だったり、ネタとかを磨いていきたいなと思います。あと、個人的な目標でいえば、お芝居だったり、最近はツッコミを頑張って勉強してやっていきたいなと思っています。あと、コロナ禍で僕、手話を始めたんで、いつかこう耳の聞こえにくい方でも楽しめるような手話新喜劇とかを作れたらいいなと思います。

―視聴者の方へメッセージをお願いします。

本当に感謝しかないので、これからもよろしくお願いします。いつもありがとうございます! 今から秘蔵っ子を応援してもらえれば、10年後、古参ファンになれますよ(笑)。今から若い世代を応援してください!

2023年9月22日談

▼以下は2019年12月2日に伺ったインタビューです。

第97回 筒井亜由貴
(つつい・あゆき)

ほんっとに、先輩がメチャクチャ優しいんですよ。

―お笑いを目指されたきっかけは?

元々お笑いは好きで、小学生の時から「エンタの神様」とか、中学、高校、大学とお笑い番組はずっと見てたんですが、僕は群馬県出身なんで、吉本新喜劇は全然知らなかったんです。役者とか俳優にも興味があったんで、映画とか舞台に出たくて、お芝居を学べる大学を捜して、城西国際大学へ行きました。ホームキャンパスは千葉なんですけど、お芝居とか学べる学部だけ東京にあったので、それを機に上京して、お芝居を学んでました。その頃、「人志松本のすべらない話」(CX)で、小籔さんが吉本新喜劇最年少座長という肩書きで出ていて、「新喜劇って何やねん?」って思ってたんですよ。大学2年の時、ふとしたきっかけで、YouTubeで調べて初めて見て、「これ凄いなあ、こんな喜劇見たことない!」と思って、「これがやりたい!」となって。「卒業したら大阪へ行って新喜劇をやりたい」と決めて、大阪へ来ました。最初は吉本新喜劇って、役者さんの集まりだと思ってたんですよ。
(はあ?)
新喜劇を知らない僕からしたら、吉本の中の面白い役者さんが集まった劇団、みたいな。
(あ~なるほど)
小籔さんも芸人というイメージはありましたけど、漫才をやってたことも知らなかったですし。大阪へ来て、「吉本新喜劇に入りたいんです」と言ったら、「あ、芸人になるんか?」「いや、役者です」「何言うてるの?」って言われて、「大阪の人、全然新喜劇わかってないやん!」と思ってたくらいで。全然わかってないのは、僕の方やったみたいな。
(あははははは)

―NSCへ入られたきっかけは?

3月に大学を卒業して、5月に大阪へ来て、新喜劇にどうやったら入れるかがわからなかったんで、取りあえず、なんばグランド花月のホームページで進行係募集というのを見て、履歴書を持って、NGKに行ったんですよ。進行係が何をするのかもわからない状態で。その時、副支配人の方にたまたまお会いして、「働かせてください」って言ったら、「何やこいつ? 急に来て」みたいな感じで追い返されたんです。その後に連絡が来て、「進行は人数足りてるけど、吉本の養成所があるから、そこへ入ったらどうや?」ってNSCを紹介されたんです。お金も貯めてたんで、6月からNSCに途中入学しました。正直、NSCがどういうとこかもわかってなくて…行き当たりばったりというか。6月なんで、もうグループとかも出来てて、ずっと一人ぼっちだったんですが、「漫才やってくれへん?」と言ってくれた子とコンビ組んで。最初から「僕は新喜劇に入ろうと決めてるから、NSCが終わる時にはどうなってても解散するよ」って言ったら「それでもいいよ」と。NSCにいた11月くらいに、また副支配人からご連絡をいただいて、「今やったら進行が空いてるけど入るか? NSC入っててもいいよ。両立してやり」と言ってくださって。そこから半年くらい、NSCに通いながら進行もやってという時期がありました。

―新喜劇のオーディションはいつ?

僕がNSCにいる間に金の卵9個目のオーディションがあったので、それを受けて、卒業の時には新喜劇に入ることが決まってました。
(特技披露は何を?)
大学の時にダンスサークルに入ってまして、ちょっとだけ出来るので、ブレイクダンスをやりました。その時、一緒に進行をやっていた同期の速見めぐみとかと3人一緒にオーディションを受けてたので、3次審査の芝居の時は、台本いただいてから、時間が合ったら3人でずっとお芝居の練習してました。10人くらいの役を3人で交代で演じて…。
(結構忙しそう…)
あはははは(笑)。回しの人は1人なので、それを男2人で変わりばんこにやって、残りを2人がやるという。でも何が正解かわからないんで、取りあえず、詰まらず、大きな声でやったらいいやろと。
(そんな大きな声、どこで出してたんですか?)
それは、進行係の仕事が終わって、すごい贅沢な稽古場ですけど、誰もいないNGKのステージで…。
(えーっ!? 舞台でやってたんですか? あはははは)
幕は閉まってましたけど、幕の裏で。誰もいないのを見計らって。進行でずっと新喜劇も見させてもらってたので、こういう言い方であっているのかな、と。進行係として舞台袖にいた時は、距離は近いけど、全然離れている存在というか。早くそこに行きたい、あの中に入りたいとずっと思ってましたね。だから、合格の時はメチャクチャうれしかったですね。親も僕が「役者をやりたい」と言って大学を選んだ時点で、諦めてたみたいで(笑)。親は群馬に住んでいるんですけど、元々大阪で、祖父母もいとこもみんな関西。両親も新喜劇は知っているので、喜んでくれたというか、安心してくれたみたいで、初舞台の時は見に来てくれましたね。

―念願の新喜劇に入ってみて、実際は?

入ってから半年間、川畑さんが稽古をつけてくださって。「ここはこういう笑いだよ」という、お笑いの仕組みを教えてもらって、それがすごい勉強になりました。例えば、隠し事がバレちゃいそうな時とか、いざやってみると、「これ以上言うと、○○がバレてしまいますよ」という人が、ほんまに止めてるんだぞ、それがポロっとバレちゃう、っていうお芝居。そこは入ってみないとわからなかったことだと思います。
(これまで学ばれたお芝居とは違う?)
普通のお芝居だったら、1か月稽古して、1週間本番、セリフも言葉通り、作家の人が書いた言葉をちゃんと言う、このセリフでこの位置、このセリフで動くとか、決まってるんです。新喜劇は自由というか、その時々で間も変わるし、アドリブがあったりするんですが、その部分に関しては抵抗はなかったですね。

―初舞台は覚えてますか?

祇園花月で諸見里さんの週です。太田さんとヤクザ役で、西川忠志さんに取り立てに行く芝居でした。とにかく周りが、先輩がメチャクチャ優しいんやな~と思いました。あはははは~(大笑い)ネタのこととかじゃなくて、楽屋のこととか、舞台以外のこととかいっぱい教えてもらったり。緊張しましたけど、お昼ご飯おごってもらったりだとか、進行の時にはわからなかったことがいっぱい見えて来て。
(印象に残ってる舞台は?)
う~ん…ふふふふ。祇園花月のすちさんの週で、旅館の大将の娘さんの彼氏役で、跡継ぎ争いに巻き込まれるという役ですね。結構メインの役どころで、舞台にいる時間も長かったので、すごいいろんな経験をさせていただいたと思います。
(印象に残ったアドバイスとかは?)
お客さんのクレームを処理していくシーンで、エアコンのリモコンを使ってすちさんがボケた後に出て来る時に、同じボケをしたらオモロイかなと思って、すちさんに言ったら、「ウケると思うねんけど、お前にやって欲しいことは、そこじゃない、カチッとした芝居としての部分を求めてるから」と。なんでもかんでもボケればいいという訳じゃなくて、すちさんみたいにメインでバーンとボケる人のまわりには、回しとツッコミがいて、その他にもちゃんと芝居してる人がいて、それで締まるから、すちさんが思い切りボケたり出来るのかなと。そういうのを感じるようになって、なるほどな、と。そのことは今も意識してますね。

―舞台での失敗とかは?

いっぱいあると思いますよ。忘れようと思って、忘れてるんで。あははは。
(忘れるタイプ?)
はい、引きずってもしょうがないな~と思って。失敗から反省して次につなげるとか。その時は考えるんですけど、次の日になったら、「もう、ええやろ、次の時にちゃんとやろ」と。その1週間だけで忘れるので、失敗とかは…ないです。あはははは(大笑い)

―何か持ちネタとか考えてますか?

身体は動ける方だと思うので、ブレイクダンスとか。ダンスだったら、アキさんとかいますけど、グルグル回るとかはまだ誰も試してないので。ブレイクダンスで何かネタが出来ればな~というのは考えてますね。松浦景子姉さんとか小林ゆうちゃんとかがバレエをやってたりするじゃないですか。あんな風に身体使ってネタ作ってみたいな、と。周りの方も、「じゃあ、折角だからブレイクダンスで考えてみよか」言ってくださって、今まで何回か使っていただいてます。祇園の信濃さんの週で台本に「筒井ブレイクダンスありまして」と書いてもらったり。あき恵さんの鼻油で皆が滑る時に、僕だけブレイクダンスさせてもらったり。景子姉さんがバレエで知られて、「あ、バレエの人だ」ってなってるんで、対抗して「ブレイクダンスの人や」と言われるように頑張ります。ただ、ブレイクダンスでぐるぐる回っても拍手だけしか貰えないので、それをちゃんと笑いにつなげられたら、また一つ成長できるのかなと思います。

―新喜劇で憧れの人とかはいますか?

憧れの人は吉田ヒロさん、ですね。
(ほ~)
僕のタイプとか、今までの話からしたら、全然違いますけど。あはははは。大学時代に新喜劇をずっと見てた時は、「メチャクチャ面白いな、この金髪の人」と。ちょっとしか出ないのに、バーンとその場の空気を変えてしまう。今まで何10分もかけて作り上げたものを、バキャンと壊して帰って行く。「カッコええな~オモシロ~」みたいな。
(舞台では「どうしてくれんねん!」って言われてますけど…)
そう、そう、そう(笑)その感じが。その時もヒロさんのことを役者として見てるので、「こんな役者さんいるんだ~凄いな、この役者さん」と思ってました。
(なるほど~)
一応、オーディションの時にも、「憧れてる座員さんは?」と聞かれた時に、「吉田ヒロさん」って言いました。あはははは。「全然タイプ違うな」と言われましたけど。
(お世話になっている先輩は?)
諸見里さんには良くご飯に連れて行っていただいたりしてます。音羽さんとかも。結構、近い先輩の方がご飯誘ってくださって、その時に「ここはこうした方がいいよ」とアドバイスも言うてくれますし。吉田ヒロさんには可愛がっていただいて、よく家に呼んでもらって、鍋会とか。その時も「もっともっと、こうしたらいいよ」とか。
(優しいですね~先輩の皆さん)
ほんっと、優しいんですよ~うはははは(笑)。メチャメチャ優しいですよ。

―これから新喜劇の中で目指す役割は?

それで言うたら、回しです。NSCで漫才コンビを組んでた時は、ずっとボケをやっていたんですけど、川畑さんの稽古の時に、「お前は回しのタイプやから、出来る出来ないじゃない、新喜劇の中で目指す方向としたら、そっちだと思う」と言われたんです。新喜劇の中では、信濃さんや清水さんを見てた方が成長するぞ、って。そのつもりで見てたら、ああ、やってみたいなあ、出来るようになりたいなあ、って。回し、やりたいですね。今は、清水さんとか信濃さんですが、その次の代ってなった時に、僕の中では、回しの人が見当たらないと思うんです。8、9、10、11個目の代が上になって、公演にどんどん出るようになった時に、同期の野下とかが1ボケで、野下の隣でツッコミたいな、と将来的に考えてます。今は何も出来ないですけど、10年後とか考えた時に、そこを目指して積み上げて行きたいですね。
(素晴らしい! 新喜劇2030ですね!)
そうです、2030です! あはははは(笑)
(頼もしい! ぜひ頑張ってください)

―プライベートでハマっていることや趣味は?

趣味は映画見るのが好きだったりとか、あとバイク乗るのが好きだったりとか。漫画の「ONE PIECE」とか。
(座員にファンが多いですね)
この前、伊丹さんと親泊さんと、「ONE PIECE」の今後についてとか、尾田栄一郎さんの伏線はこうだとか言い合いしてました(笑)。バイクは東京の大学生の頃から乗ってて、最近、もりすけさんがバイク買ったんで、「どっか行きましょうよ」となって、吉田裕さんが「俺もスーパーカブ乗ってるから行こう」と、裕兄さんともりすけさんと辰巳さんと僕の4人で、バイクで箕面の大江戸温泉物語にご一緒しました。
(ちなみに何に乗られているんですか?)
僕はNS250Rという、1980年くらいのバイクなんですよ。
(旧い型?)
そう、旧車っていうか、レーサーレプリカみたいな。すちさんとかもバイク好きなんですが、すちさんが20代の頃にハマってたバイクなんです。今の40代、50代の人に言ったら、「スゲーな」って言われる…。
(結構、こだわりありますね~)
それは2台目なんです。最初に乗ってたのが、ホンダのVTR250っていうので、メチャクチャ運転しやすかったんですけど、調べたら、「ライダーに優しい母のようなバイク」みたいな。僕の中ではバイクってロックな感じがするんですけど、「母のような優しいバイク」に乗ってる俺ってなんやろ? と思って。そっから、だんだんバイクの知識も増えて行った時に、荒々しい80年代の昔のバイクに乗ってみたいなと、今のバイク選んで。
(へえ~どちらがお好みなんですか?)
これね、言ってもわからないと思うんですよ。あははは~写真見せてもいいですか? これがNS250R、その次のモデルがNSR250で…めちゃくちゃ人気車なんですが、その前のモデルを選んでるんです。マフラーの位置が違ってて…。昔のバイクはすごい細かいところまで、エンジニアの愛が詰まっているというか…。
(へええ~)
信号待ちとかしてたら、隣の軽トラに乗ってるおっちゃんとかが、わざわざ窓を開けて「懐かしいな~」って。ガソリンスタンドでもよく声をかけられます。新喜劇の筒井じゃなくて、バイクが顔さすというか…。
(バイクに負けず早く顔をさされるよう…)
そうなるように頑張ります!

2019年12月2日談

プロフィール

1993年12月25日群馬県出身。
NSC39期生。
2017年金の卵9個目。

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