MBS(毎日放送)

第105回 多和田上人
(たわた・まさと)

「多和田と言えば、これだな」っていうギャグを作りたいですね。

―沖縄の出身ですが、小さい頃からお笑いはお好きでしたか?

小学校くらいから、ですかね。こういう見た目なんで、周りの友だちから顔のことで「変わった形だな」言われたりとか(笑)。それをきっかけに、面白い返しをしたいというか、そういう勉強の意味もこめて、バラエティを見だしたのはありますね。
(漫才をやったりは?)
積極的に自分から「お笑いしようぜ」っていうタイプではなかったですね。逆に前に出て行くのはちょっと恥ずかしさの方が勝ってたんで。普通にイジられたら返す、みたいな。絡んで来た人に存在をアピールするくらい。出身も沖縄なんで、そこまで「お笑い」っていう感じでもなかったんです。
(沖縄ってお笑いの文化が大阪と違いますよね)
ツッコミっていうのが、なかったと思うんですね。その頃からツッコミやりだしたのは、僕、同世代の中で初めてなんじゃないか、っていう自負はありますね。だいぶ、過大に言ってますけど(笑)。

―お笑いをやろうと思い始めたのは?

お笑いをしたいな、と実際に思ったのは、中3くらいですかね。当時、ちょうどM-1グランプリとかが始まったばかりだったのかな。2003年のフットボールアワーさんの漫才を見て、メチャメチャ面白いなと。それで芸人なりたいな~と思って。自分のこの見た目でイジられるのもあるし、なれるんじゃないかな~って、思い始めましたね。その当時はメチャメチャ自信満々で、クラスでも笑かしてるし。高校でも同じスタンスで、クラスの中でも男子だけでしたけど、人気あるしっていうので。

―高校を卒業して、大阪のNSCへ?

高校は工業高校で、だいたい卒業したら就職するもんだという感じでした。親にも直前まで、何も言ってなくて、まさか、という状態でしたね。家でもまったく喋らない方だったので、その進路を言った時にはメチャメチャ驚かれて、親父に関しては、もう寝込むほどのショックを…。
(そうだったんですね)
で、なんとか、「フルマラソンを完走したら許してやる」っていうことで、42.195キロ完走して、大阪へ行けることになりました。
(えっ? フルマラソン!?)
地元のNAHAマラソンという公式な大会があって、それを完走したらいいよ、ということで。フルマラソン走って、その根性があるんだったら、認めよう、みたいな。
(すごいですね!)
いや~もう、その時は「大阪へ行きたい」っていう一心だったんで。お笑いのために頑張りましたね。
(人生で一番頑張ったくらい?)
ほんとにそうですね。ほほほほっ(笑)。入る前、一番頑張ってましたね。

―大阪での生活はどうでした?

その時は、独り暮らしがしたくてしかたがなかったので、めちゃくちゃ楽しくて。別にホームシックにかかることもなく、ずっと楽しかったですね。やりたい放題というか。好きな時に寝て、好きなものも食えるし、苦労した感じはないですね。「後は売れるだけだ」と思ってたんで。NSCに入ったら、絶対売れるだろうと。ちょうど2年先輩でオリエンタルラジオさんとかがいてたんですけど、そういう活躍を見てたので、すぐに売れるだろうと思ってました。こんな面白い奴、吉本がほっておかないだろう、くらいのテンションでいたんで…。
(すごい!)
超思ってましたね。今考えたら、トガってましたね(笑)。

―NSCに入られてからは?

コンビを組むまで時間かかりましたね。その頃、ダウンタウンの松本人志さんの影響でもないんですけど、「芸人たるもの全員が敵。仲良くするな」じゃないですけど、「同期はライバルだ」と思ってたんです。トガり過ぎてて、仲良くなる同期も全然なくて。根はそんなに陽気なタイプじゃないので、自分からしゃべりかけることもなく。だから、当初は授業に出るだけで、コンビを最初に組むまで、だいぶ手こずりました。ネタ見せも大して参加してなかったので、2か月くらい相方出来なくて。相方を見つけるための芸人同士の合コンみたいなのがあって、その時、初めて組んだんです。でも、2か月くらいですぐ解散しちゃったんですけど。その後、ピンになって、授業には参加するけど、1人でネタを披露する度胸がなかったんで(笑)。周りから当時の話を聞いたら、「授業には参加するけど、何もしない。なんだ、こいつ?」みたいな。逆に「なんかすごいネタを隠し持ってるんじゃないか」って。
(能ある鷹は爪かくす、とか)
そんな感じです。結局、爪を見せぬまま、卒業する、っていう。
(あはははは~)
当時、NSCにABCのクラス分けがあって、結局何もしてなかったんで、最下位のCクラスでした。そこから、ちょいちょいコンビを組んでは解散してた感じですかね。

―コンビは何回くらい組まれましたか?

4回くらいですかね。一番長かったのが「フラワーズオブロマンス」っていうコンビを組んでた時で、それが5、6年くらい。その時が一番良かったんじゃないですかね。「ぐるナイ」(NTV)の「おもしろ荘」とかも、その時初めて出させていただいたり。メディアに一番出てたのは、その時だったんじゃないかな。ちょいちょいいろんなテレビとか出させていただいて。コンビ歴で言えば、一番絶好調でした。
(当時はボケ? ツッコミ?)
ツッコミですね。この見た目なんですけど、ボケるのが苦手で。だからずーっと、「こいつがツッコミかい!」みたいな感じでした。でも、解散しちゃって。その後、kento fukayaと[あまえんB(ビー)]というコンビを組んで、すぐにMBSの「せやねん!」で若手芸人移住計画という企画に抜擢されて、和歌山県の田辺市の方へ半年間ほど移住させてもらいました。備長炭作りの職人さんのところで働いて、毎週、その様子が番組で放送されるというのをやらせていただきました。ネタ作ってるより、炭作ってる方が多かったっていう感じで。ネタ披露もやりましたけど、炭を作る方に集中してました。「あまえんB」は、漫才コンビとしての歴史が一番謎でしたね。メディアに出るんで知名度は上がりましたけど。そのコンビも1年経つか経たないうちに解散しちゃったんですけど。

―コンビの時の目標はM-1でした?

はい、でもM-1は2回戦くらいがMAXでした。あんまり上手いこといかなかったですね。全然、ダメでした。メチャクチャ緊張しいなんで、ベストパフォーマンスが出ないとか、直前で噛んだりとか、そういうのがあったり。1回戦はうまいこと行くけど、2回戦になったら急にメンタル的に「うわ~っ」てなっちゃうことが多くて。その時に、コンビは無理なのかな~と思ったりしました。
(売れる自信が揺らいだのはいつ頃?)
もう、2~3年目で、これはすぐには売れないなと思ってたかもしれないです。当時「baseよしもと」の劇場メンバーに上がるのが難しい状況で、同期の見取り図、吉田たち、コマンダンテ、ヘンダーソンとかが、そのメンバーがポンポーンと入ったので。「やべぇな、これはすぐ売れる感じではないな」というのはありました。でも何となく楽観視はしてましたね。「いつかは売れるだろう」と。
(ポジティブなのはいいですね)
ま、オリラジさんは早すぎただけなんだと。都合のいいように解釈して(笑)。

―新喜劇に入ろうと思ったきっかけは?

正直、「あまえんB」を解散した時に、新喜劇に入りたいなという気持ちもあったんですけど。悩みながら、1年くらいピンで活動してました。コンビの時にもネタを書く方でもなかったんで、だいぶ苦労しました。「うわ~しんど~」と思いながら、舞台でもウケないし、「どうしよう」と思ってた時に、新喜劇に入団した方が自分の持ち味が開花するんじゃないかなって。その時に、金の卵オーディションが11個目の募集をかけてたんです。正直、メチャメチャ怖かったですね。一般の方も来ますし。何百人と応募がある中から、久々にオーディションで精査されていく感じが。自信はあったり、なかったりで、毎回、毎回緊張してましたね。だから合格した時はうれしかったですね。
(新喜劇はよく見られてました?)
漫才劇場にコンビで所属してた時に、「極(きわみ)新喜劇」というのがあって、新喜劇の座員さんと一緒に出させていただいたこともあったんです。その時に新喜劇の楽しさとか面白さも体感できたんで、入りたいなという気持ちもありました。

―新喜劇に入られて感じたことは?

師匠方とかいろんな年代の、ベテラン座員の方から同年代や、ちょっと上のお兄さん方もいる楽屋にいることが、芸人時代もなかなかないことで、そういう楽屋にいるのが新鮮でした。これまで同世代の楽屋が多かったんで。師匠方とかも気さくで面白い方ばっかりで、優しい兄さん方ですし。そういう意味では芸人時代よりメチャメチャ新鮮な楽しさばかりで。面白いっていうのはありますね。

―初舞台は覚えていらっしゃいますか?

NGKに出るまでは時間かかりましたね。半年くらい。同期の中では一番遅かったです。祇園花月とかは出させていただいたんですけど。
(祇園花月の初舞台は?)
川畑さんの舞台だった、と思います。メチャメチャ緊張しましたね。メチャメチャ噛んだと思います、たぶん。あははは~頭が真っ白になったくらい。
(役柄は覚えてます?)
あ~何だったかな? お客さん、やったと思います。カップルの彼氏の役で…だったと思います。いやあ~ヤクザかな?
(緊張して覚えてない感じですか?)
あかん、これは! え~こんな忘れることあるのかな? たぶん、ヤクザかな? すんません(笑)。

―印象に残っている舞台は?

小籔さんの年末特番新喜劇で。僕ともりすけと辰巳さんと玉置の、見た目が似てるような4人で、ももいろクローバーZの「行くぜっ!怪盗少女」とオリラジさんの「PERFECT HUMAN」を踊るっていうシーンがあったんです。本番の1か月前から稽古を始めて、ダンスレッスンとかもつけていただいて、4人で一致団結して練習して。それを当日、ミスなく披露出来て、僕の人生で一番拍手もらったんじゃないか、というのを覚えてます。あとは川畑さんの週の時に、見た目でイジられて返すみたいな、僕の得意なシーンを作っていただいて披露できたのは、メチャクチャうれしかったですね。千葉公平さんと僕とが関東から来たヤクザで、関西のヤクザと対決するっていうシーンやったと思います。
(ご自身のキャラがだんだん生かされて来た?)
いや~どうでしょう? あははは(笑)自分でもよく分かってないですね。自分の持ち味ってほんとにそこなのかな、と思いながら。新喜劇は芸人時代とはボケる言い方とか全然違うので。芸歴10年越えてても、ボケ方とか、立ち居振る舞いとか、声のボリュームとか、言い方とか、関西弁のイントネーションだとか、間の取り方とかは、まだちょっと。正直、苦戦してますね。舞台に出させていただいて、そこで勉強させてもらっている状態です。

―印象に残る先輩からのアドバイスは?

川畑さんから「とにかく、新喜劇を見ろ」と言われたことです。セリフを台本に起こすくらいのいつもりで見たら、新喜劇がここでこうボケるんだという、ボケる前のフリも勉強になるし、と。台本の見方も、自分以外の役の人をやってみて、自分だったら、こうするなと考えながら見るというか、そうした方が、めちゃめちゃ伸びるよ、技術としても、演技も幅が広がるよと言っていただきました。とにかく新喜劇を見て勉強しろというのが、心に響きましたね。

―新喜劇でやってみたいことは?

そうですね、代表的なギャグを作るじゃないですけど、新喜劇の多和田といえば、こうだな、っていうギャグを作って行きたいなというのは思いますね。この見た目なんで、それを生かせれるような、代表的でキャッチーなギャグを作れればいいなと日々思ってます。「多和田と言えば、これだ!」っていうものをギャグにしろ、一連の流れにしろ、作っていけたらな~と思います。
(ピン芸人時代のギャグは?)
ピン芸人の時のギャグですか? あるんですけども、全然面白くないというか…。
(面白くない!?)
なんか、けっこう陽気な感じでもない、センスを見せつけようとする一発ギャグをしてたんで。これはよくないギャグをしてたな、って。今はちょっと、もう封印したいです(笑)。ピン時代のギャグを見てたら、トガってたんだなって思いますね。見た目でイジられて返す以外にも、お笑いのセンスありますよ~みたいな感じをどっかで見せたいんだろうなっていう、恰好つけるというか、2枚目なところはたぶんあるんじゃないかと思います。街なかを歩いてても、鏡とか窓ガラスとか(で自分の姿を)見ちゃったりしますね。
(何をチェックしてるんですか?)
身だしなみですね。このバランス、この服の感じ、大丈夫かな? とか。見ちゃいますね。「誰が見てるねん!」って話ですけど、見ちゃうんですね~やっぱ。僕、プライベートでしゃべってる声がめちゃめちゃ小さいらしくて。だいたい2度聞きされたり、「声ちっちゃいな」って言われるくらい、2枚目のスタンスでいるんで。めちゃくちゃ相手からしたら、腹立つやろな~って思うんですけど。
(あははは~でも、イジられキャラだから。愛されるのでは?)
そうだったらうれしいんですけど。

―新喜劇の中で目指すところは?

おこがましいんですけど、川畑さんとか吉田裕兄さんとか、イジられたりとか、ツッコミも出来るみたいなところにたどり着けたら、もう最高だな、とは思います。ツッコミキャラも出させていただいているんですが、もっと改良が必要かなという感じですね。「愛されて、イジられて」というのは、まさに理想的だなと思います。まずは実力をつけて、舞台数を増やせるように頑張らないと。
(「よしもと新喜劇NEXT」でも、かなりイジられてましたね)
そうですね、ありがたいことに。緊張しながら目いっぱい頑張ってるだけなんで、出演してる時は、あんまり記憶ないです。「NEXT」は基本、記憶はないですね。いいのか、悪いのかなんですけど。ここまで来たら前向きに頑張って行きます。

―今ハマっていることや趣味は?

バスケが好きなんで。NBAをよく見たりしてますね。暇さえあれば、バスケを見てたりします。
(バスケはいつ頃から?)
小4の時からバスケ部に入っていたので、その頃からですね。中1の途中でやめて、高校に行った時も、バスケをする予定はなかったんですが、サッカー部に入った、ちょうどその時期にバスケの新人大会があったんです。友だちから「名前書いとくわ」って言われて、冗談だと思ったら、ほんとにエントリーされてて。バスケ部の顧問から「ほんとに出るの? バスケ部に入らないとダメなんだけど」と言われて、半ば強制的にバスケ部へ。そこから高校もバスケをやってましたね。
(バスケって、すごい運動量ですよね)
そうですね。ずっと走りっぱなしのスポーツなんで。
(フルマラソンを完走されたの納得しました。多和田さんにとってバスケの魅力は?)
魅力? 魅力ですか? なんでしょう? たくさんの人数で出来るっていうか。結構、試合中の入れ替わりも激しいんで。1点を取り合うサッカーとはまた違って、見ててもさくさくと試合が進みますし、ダンクシュートとか、派手なプレーもありますし、野球ともまた違う技もあるし。見ててもやってても面白いです。バスケはずっと好きですね。新型コロナの前は、たまに芸人仲間でやってましたし。チームプレーが大事ですね。シュート決まった時やスリーポイントシュート決めた時の喜びとか。バスケでしか味わえないんじゃないかな、と思います。
(新喜劇もチームプレーですね)
バスケで培ったチームプレー力を生かして、頑張りたいです。
(ぜひ、新喜劇でもスリーポイントシュートを決めてください)

2021年5月31日談

プロフィール

1987年6月23日沖縄出身。
2006年NSC32期生。
2019年金の卵11個目。

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