MBS(毎日放送)

第8回 末成映薫

今日も笑いの神様を降ろしてくださいって、手を合わせるんです。

―日本舞踊の名取でいらっしゃいますね。

一番最初は、舞踊家を目指していたんです。うちは7人兄弟で、芸は身を助けるじゃないけど、1人くらいは芸事をやらせてみようということで、私に白羽の矢が立って、5歳くらいから踊りを習っていたの。小さい頃から舞踊家を目指してやっていたんですが、発表会にお金がかかって、近所の子どもを20人ほどに教えていても、それぐらいでは焼け石に水で、とてもやってられない。それで断念したんです。何十年もの夢が一瞬のうちにガタっと崩れてしまって。そのうちに歌を習わないかというお話があって、何かやっておこうと、2年くらい歌を習いました。その歌の先生と殺陣の的場達雄さんが懇意にしてはって、的場さんがレコードを出すからとキャンペーンに借り出されて、殺陣の面白さがちょっとわかってきて。じゃ、殺陣をやろうかということで、的場剣友会へ。そのうち吉本から舞台に出ないかというお話があって。それから新喜劇に入って40年(笑)、やらせていただいております。

―吉本新喜劇はご覧になっていましたか?

吉本新喜劇というのは、あんまり見てなくて。家族は吉本を見てても、私は松竹新喜劇の方を見てたんです。はっきり言って、出来たら松竹の方に入りたかったの。的場達雄さんにも言うたのよ。「先生、松竹新喜劇からお誘いはないですか?」って。「あるか!しばらく我慢しとけ!」と言われて…(笑)いや、ほんとに。的場事務所にいてもひんぱんに仕事あるわけでもないし、まあ、しょーがないわ、ほんなら我慢しとこか、と(笑)。

―入られた当時の新喜劇ではどういう雰囲気でしたか?

座長がバーンといらして、われわれは台本どおり、笑いを取る必要もなく、役に忠実にお芝居をする、女性は笑いを取らなくてもいいという時代やったんです。座長が笑いを取るお芝居ですから、余計なことは一切出来ずでした。時代劇の番組をSABホールで収録していたりもしました。ただ、殺陣をするのも座長さんクラスで、まして女ですし、舞台で殺陣をするチャンスはなかったですね。ポケットミュージカルでは、少々活躍の場はあって、歌を歌ったりとか。昔はかなり発表の場はあったわけです。コントもいろんな役をして覚えていきましたし、芝居も自分で覚えていきました。当時は舞台もテレビもいっぱいありましたから、勉強にはなりましたね。

―三枚目を目指されたのはいつ頃ですか?

何年かして…10年くらいしてからかな、ギャグを作ろうと思ってね、で「ごめんやっしゃ」を作ったんです。その頃、もう三の線(三枚目)で行こうと思ってましたから。きっかけは、あるマドンナ役を見ていて、とてもつまらなく思ったんです。私はマドンナはやめ。三枚目にしようと思った。そのおかげで今の私があると言ってもいいくらい。でも、当初は怒られましたけどね。「いらんことするな」と。それでもなお、やり続けることは大切やな、結果としてそう思いますね。3回も4回も怒られながらやっていると、先輩も「しょうがないな」と認めてくれるんですよ。だから、継続は力やな、と。ギャグも続けるとお客さんも認知してくれて、アドリブがギャグになったりして…今、いろんなギャグをやらせてもらってます。ちょうど、私は木村進さんが座長の時に、ずっと一緒に回ってたんです。その時、木村さんのお芝居を見ていて、三枚目はするわ、二枚目はするわ、なんでもこなしはる先輩を見て、私もこういう役者になりたい、こういうコメディアンになりたいと思いました。そういう見本がいたんです。おばあちゃん役ならこうするとか、しぐさをずっと見て、勉強して。私はそれで今があるんじゃないかと思っているんですけどね。当時は、教えてもらうっていう感じじゃなかったですね。ここはどうするとか、自分で試行錯誤して、先輩を見ながら勉強していきましたね。まずは、芝居を覚えないと話にならないと思ってましたから、先輩の姿をずっと見てました。長いこと続いたって言うのは、自分で笑いが取れるようになって、だんだん面白味が出てきたから。この一言でお客さんがこれだけ笑いはると思ったら、こんな素晴らしい世界はないという気持ちが、自分の中で芽生えてきて。それで、どんどん三枚目でやっていこうと。きれいに三枚目と言うか、汚くて三枚目は当たり前。きれいな三枚目を目指してます。

―たくさんのギャグをお持ちですね。

「ごめんやしておくれやっしゃ」は自分で一番最初に作ろうとしたギャグで、出ギャグで考えたんですけど、あとはほとんどアドリブです。舞台の中でアドリブで言ったことがウケたから、ギャグにしたとか、そんなのばっかり。「インガスンガスン」と「ラハーン」は売買契約しました。吉田ヒロ君に、「ちょっとこれ、売って」といって1万円で。まだ未納なんです。「姉さん飲みに連れて行ってくださいよ」と言われたので、それで成立、ということに。飲みには行ったんですけど、現金では払っていないです。(カツラの)円盤はあえて飛ばしたりしてるんですよ。アクシデントで飛んだことはあります。そんな時ってものすごいウケるやないですか。そしたら、次から飛ばしてやろうと。「こんにちは」なんて、舞台に出た瞬間にパッと思いついたんです。私、家で毎朝、仏壇にお線香上げる時に、「今日も笑いの神様を降ろしてください」って言うんです。ロケに行く時も。そうしたら、予期せぬことが起こったりしてね。神頼みしてるんですよ。

―「やめよッカナ?キャンペーン」の時はどうでしたか?

あの頃は漫才ブームで、お客さんはいっぱいでしたけど、漫才が終わったらダーッと帰りはるんですよ。お客さんが3分の1くらいになるんです。これはみんな「新喜劇、やばいのと違うかな」と言ってました。私の中でも(芝居が)だるいというか、ゆるいと思っていて、結局、「やめよッカナ?キャンペーン」になって。これはもう一掃して新しい風を入れないとアカンのやろなという思いはありましたね。会社としてはすごい決断をなさった。現在こうして残っているんですからね。
(その時は全員解雇になったんですか?)
今やめたら、3か月分の退職金を払います、そうでない人はもう1回面接をしてふるいにかけて、残す人は残す、落とす人は落とす、やめさせる人はやめさせるという形になったんです。我々も面接受けて、残るかどうなるかはわからなくて。でも私は何の心配もなかった。こういう世界では生きていくつもりで、新喜劇に残らなかったら、よその劇団に入ってお芝居しようかとも考えていましたから。
(お芝居は続けて行く?)
もちろん、そうです。全然心配してなかったですね。

―長年いらっしゃる新喜劇の魅力とは?

新喜劇というのは世界一ですからね。これだけ短期間の稽古で、これだけのお客さんを笑わせるんですから、こんな集団ってほかにはないと思うんです。これはすごいなと思うんですけど、たまにはほかでシリアスなドラマに出たいなとか、思います。外に出てそういうお芝居をすると、新たに新喜劇ってすごいな、っていうのが再確認できるんです。外へ行ったり、戻ってきたり、そうすることによって私の中ですごい発見があるんです。これからもそういう仕事はやっていきたいな、と。もちろん、ベースは新喜劇にありつつ。だって、こんだけ笑いを取るところはほかにないですもんねえ。

―昔と今の新喜劇で変わったと思うところは?

お芝居も何も知らない、若い子たちがドッと入ってきた時には、一緒にやるのは、戸惑いというのか、できるのかなと思いましたけど、ただ、昔の新喜劇より今の新喜劇は、芝居は別にして、ネタをやったり、笑いはよく取ってますからね。昔は若い子がそんなことしたら、怒られてましたもん。「いらんことするな!」と言われて終わり、でしたけど。今は若い子にどんどんやらせて笑い取らせてというのは、これは時代ですよね。私、最初のころはなかなか認められなかったんです。もっとなんで芝居せえへんの?という思いがいっぱいあったんですけ。最近はその子らは自分らの笑いの取れる範囲内の笑いも取ってるし、これはこれで認めてあげないといけないんだな、と思うようになりました。先輩が受け入れてあげないと出来ないことですからね。
(若い人には教えられますか?)
あまりにも目に余る時は「ここはこうした方がいいよ」とは言いますけど、基本、出しゃばっては言わないですね。やっぱり、芸事というのは自分で体験しないとわからないんです。「こうするのよ、ああするのよ」といったって、何年か経って、「あ、先輩が言うてはったのは、これやったんや」と自分でわかるまでは、なんぼ言ってもダメなんですね。それは静かに見守ってないとね。

―今、ハマってるもの

趣味はね、ステンドグラスをやってます。今まで趣味というと、日本舞踊にしても歌にしても仕事でやって来たことばかり。長い人生の中で趣味がひとつもなかったなと思って、何かひとつ作らないと、と思ってはじめたんです。ロケに行って、体験で作ってみたら、私にあってると思って入門して。6年くらいになります。もうひとつは、ゴルフ。最近やり始めました。今までは太陽アレルギーで日光に当たるとダメで行かなかったんです。去年の12月にたまたま1人メンバーが足りなくて、雨だったし、「行くわ」と言ったのが始まり。打ちっぱなしに行ったりするようになりました。あんまり遠くへ飛ばないけど、真っ直ぐ飛ぶんです。まあまあええ感じで。
(料理もお上手ですね)
料理は趣味の領域を超えてますからね。テレビの番組でもやってますし。あと、毎朝のトレーニングは欠かさずやっています。ウォーキングマシンでだいたい50分くらい競歩して、ダンベルやって、ストレッチやって、大体1時間20分くらいを毎日。やらないと気持ち悪くなってしまう。
(すごいですね!)
手を抜かないんです。食べ物にしても、お肌のことや健康のことも考えつつです。今は健康のことを第一に考えているから。お肌も歳の割にはきれいと言われるけど、健康の上でのこと。病院で検査もよく受けます。この歳だから、長生きしてるわ~と思う(笑)。笑いを提供するから、こっちがまず元気でいないと、ね。

2014年7月談

プロフィール

1947年3月1日山口県出身。

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