MBS(毎日放送)

第55回 信濃岳夫

どんな役でも1つの新喜劇を作ってると思えたらやりがいがあります。

―NSC25期生ですが、お笑いを目指されたきっかけは?

中学、高校の同級生で見取慎太郎という奴がおったんです。そいつがお笑い芸人になりたくて。僕は大学へ行こうと思って予備校に通ってたんですけど、遊んでばっかりで。ある日、キャンプに誘われて、たまたま僕が見取君の車に乗った時、「将来どうすんの?」という話になって、「一緒にお笑いやれへん?」と誘われたんです。あ、面白そうやな、と。やっぱり芸人には多少の憧れがあったんで。自分には無理やと思いながらも、見取が誘ってくれたことで、一緒にNSCに入ったんです。そしたら、そいつがめちゃくちゃスパルタで、NSCの1年間で、360日くらい、夜10時から朝5時まで毎日漫才の練習したんですよ。
(え~っ!?)
その時はそれが普通やったんですけど、今思えば、ようそんなんやったな、と。そのお陰もあって、多少、今があるんかな、と。お笑いを全くやってない状態から、舞台に立つくらいにはなれたので。

―その見取さんとのコンビで?

デビューはしました。オーディションとかもちょこちょこ受かるようになったんですけど、そいつが「やっぱり辞めたい」と。
(あら!?)
そうなんですよ。辞めたんです。僕が1人でやってたら、当時はコンビを組んでた吉田裕さんと仲良くしてもらってたんですが、「金の卵1個目のオーディションを受ける」と聞いて、「えーっ!?」と。1年経って、吉田さんが新喜劇でめっちゃ活躍してはって、金の卵2個目オーディションがあるっていう時に、周囲から「新喜劇のオーディション受けてみたら?」と言われて、受けることにしたんですよ。そのオーディション会場に行ったら、見取が現われて…。
(ウソ!?)
僕も「えっ!?」ってなって。「どうしたんや?」「ちょっとやりたいなと思って」。その時、200人くらいオーディションの会場におったんですけど、5人ずつくらい呼ばれて。たまたま一緒の組で面接を受けて。審査員の人もプロフィールみたら、高校もNSCも一緒やから、なんとなく上手いこと行き…。最終のお芝居の審査では、ツッコミとかボケとかヤクザとか、いろんな役があったんですが、僕はツッコミやったんで、ツッコミのセリフしか覚えてなくて、見取はヤクザ役がやりたかったんで、ヤクザ役のセリフしか覚えてなかったんです。役柄はくじ引きで決めるので、くじを引いたら、僕はヤクザ役、見取はツッコミになったんですよ。「ヤバ! 俺ら、覚えてない」っていう時に、こっそりくじを交換して…。それでなんとかオーディションを乗り切ったという。今、バレたら怒られるかもしれないですけど。
(いや~もう時効でしょう)
新喜劇に入るのも、お笑いに入るのも、その見取慎太郎が意外と関わっているんです。
(へ~その見取さんは?)
一緒に新喜劇に入ったんですが、また「ピン芸人になりたい」といって辞めたんですよ。けっこう、変わり者やったんです。そいつのお陰もあって、今があるという…。

―新喜劇の志望ではなかったんですね。

そうですね。あんまり新喜劇も見てなかったし、わからん状態でした。正直、ちょっとナメていたんです。ま、台本があって、お馴染みのギャグがあって出来るやろと、勝手に思って入ったんですけど、新喜劇入ったら、まっ、たく違うな、と。こんなに自分が思っていた世界と違うとは…。劇場の1000人の老若男女のお客さんを笑かすって、ナメてたら絶対出来ないって思いましたね。1回本読みして、台本読みながら立ち稽古して、舞台行って台本読みながら舞台稽古して。次の日の朝、本読みして、もう本番ですから。そんなむちゃくちゃな稽古あんねんやと。皆さん、実力派ぞろいですから、そりゃ出来るやろと思いましたけど。すごい世界でしたね、新喜劇は。その時初めて、自分がとんでもない世界に入って来てしまったな、と思いました。

―初舞台は覚えてますか?

覚えてます。辻本さんの週で、最初は警官の役で、「強盗や!」で4人くらいで出てきて、犯人を持ち上げて去っていくだけの役やったんです。急きょ、オチが変わることになって、最後に茂造さんが、「身寄りがないんや。もうちょっとここで働かせてくれ」て言うたら、孫が「おじいちゃん、ご飯やで」と呼びに来て、「身内おったんかい!」というオチに変更になって。孫役で一言だけですけどセリフもらって、全然寝られへんくらい緊張しました。その一言でも、何回か噛んでオチを台無しにしました(笑)。めちゃくちゃ緊張したのを覚えてますね。
(しばらくは緊張の連続?)
その時は、半年に1回しか出番もらえなかったんで。毎回出るたびに緊張してました。
(漫才の経験とかは?)
まったく通用しなかったです。やっぱり、川畑さんとか烏川さんとか、清水けんじさんとかにめちゃくちゃ教えてもらって。川畑さんが座長になられてからも、僕ら若手と同じ目線で、ネタとか考えてくれたり。めっちゃ教えてくれはったおかげで、ちょっと新喜劇が出来るようになりました。

―具体的にどんなことを教わったんですか?

「うそはアカン」というか……なんて言うか、「ボケも、本当に勘違いして、間違えてるのでないとアカン」と。「なんでもかんでもウケればいいわけじゃない、ちゃんと理にかなうことをしなさい」、そんなことをすごい教えてもらって…。例えば「かわいい」と言われて、「いややわぁ」と鞄で思い切り叩くっていうのがあるんですけど、あれも普通なら、ポン! と叩く延長線上にあると、そういうことやと思うんです。間違ってたら、川畑さんに「そういうこと違うねん!」と怒られそうですけど…(笑)。思わずやってしまったというのと、無意味に叩くのとは違う。無意味に叩いてもウケるのはウケるかもしらんけど、それではおかしな人になってしまう。「ボケにも理由がある」というのを、懇々と教えてもらって…。どれくらい理解出来てるかわからないですけど。

―ご自身の中で変わってきたなと感じられたのは?

楽屋とかですっちーさんとか中川(貴志)さんとかがすごいいじってくれるようになってからです。それまで楽屋とかでワイワイ喋れるタイプじゃなかったんです。清水さんもいじってくれるようになって、先輩とかも「こいつこういう奴や」というのをわかってもらって、打ち解けるようになって。舞台でもそれが生きるようになるというか。それがきっかけやと思いますね。
(それはいつ頃のことですか?)
3年~4年目くらいだったか、1回、すっちーさんと中川さんと壱岐島に営業に行ったんです。初めて夜通し遊ぶことがあって、その辺からですかね。それまで僕を暗い奴や思って、喋ってもおもろないなと思ってたらしくて。そこから仲良くなれて、楽屋でもめっちゃいじってもらったのを覚えてますね。
(わりと静かなタイプだったんですか?)
自分ではそんなつもりなかったんですけど。今の若手もそうですけど、あんまり喋って、出しゃばって、(先輩の)邪魔するのも悪いな、とか、僕みたいなペーペーがしゃしゃり出るのも違うかなと思って黙っている。どうも、そっちの方が間違っているようで。やっぱり、楽屋で喋って、こいつこういう奴かと理解してもらって、それが舞台に生きてくる…ということですね。同期とか後輩の前でワイワイ喋るのは当たり前。そこで喋ればいいわというのではなくて、上の人と喋るというのが大切かも知れません。

― 一番お世話になった先輩は?

すっちーさんもそうですし、清水さんは家も近いんで、よくご飯とか連れて行ってもらったりしました。もともと漫才をやってはった時から、後輩として、この人面白いな~と思ってて。新喜劇入られて、年もだいぶ離れてますし、清水さんにはずいぶん教えてもらってます。普段の礼儀とか人との接し方とか。けっこう細かい人なので、すごい細かいとこまで指摘されて。僕はけっこう適当なんで、勉強になってます。すっちーさんには、普段のノリとかお笑いに対する姿勢とか。すっちーさんも細かいんで。
(緻密に考えられてますよね)

―記憶に残っている舞台は?

一番記憶に残っているのは、川畑さんが座長で三重県の桑名に行った時、初めて廻し役をさせてもらったことです。ちょうど、帯兄(帯谷孝史)の復帰の舞台(2008年1月)でもあったんで。
(先輩には気を使われたのでは?)
帯兄も気さくな方なんで、向こうからしゃべりかけてくれて、すごいやりやすかったです。後輩にはこうしてあげなアカンなと思いました。あとは、小籔さんの週とかで、初めて主役をやらせてもらったことも覚えてますね。

―廻し役をやって行こうと?

そうですね。教えてもらっているのが、川畑さんとか、烏川さんとか、清水さんなんで。このお3人は越えられないと思うんですが、自分なりのツッコミ方を考えていって、出来るだけ近づきたいなと思ってます。僕はしっかりしてるように見られるんですけど、意外としっかりしてないので(笑)。振り回されながらも、一生懸命突っ込んでいければいいなと。まあ、ツッコミなんで、なかなか目立つことは難しいんですけど、あの人のツッコミ面白かったなと思ってもらえるよう、少しでもインパクトを残せれば。

―信濃さんの水色のスーツに、松浦さんが「ガリガリ君」の曲を弾くのはヒットでした。

あれは、みなさんのおかげで上手くできましたね。ああいうのが出来た時は楽しいですね。
(どういう風に出来たんですか?)
僕、ヤクザ役の時は毎回水色のスーツなんですよ。すっちーさんもよく「薄ブルー」とかいじってくれはったり。今回、松浦が相方なんで、ネタどうしようかな~と。なんか見た目を生かせたらいいな~というところから、最初は天然水っぽいとか、言うてたんですけど、烏川さんが「ソーダみたいな色してるけどな…」「ソーダ? ガリガリ君いけるやん!」と思いついて、「俺が何て呼ばれてるか教えたるわ!」と言う時に「ガリガリ君」の曲を弾いてもらって、出来上がったみたいな。
(1週間の公演中に?)
そうです、そうです。テレビ収録までにネタを考えなアカンので…。初日から奇跡的にめっちゃ上手く出来る時もあるんですけど、毎回いろいろ試行錯誤しながら作って行ってますね。松浦のギターの腕も相当なんで、こんなん弾いて、こんなん弾いてって言った時にすぐ出来るから助かります。「ガリガリ君弾いて」って言ったら、すぐ弾けるんですよ。最後も違う曲がだんだんガリガリ君になっていくんですよ。「お前ガリガリ君弾いてるやろ!」「ピンポ~ン」でオチ。だんだん曲がガリガリ君になっていくネタにしようかって、言うのは簡単じゃないですか。いざ弾いてもらう時、イメージどおりにやってくれるから、凄いなって思いながら。
(ご自身も「何でもすぐに弾けるのが特技」と言われてました)
そうですね。ロクでもない奴ですけど、そこの腕だけはかなわんなと思います。あ、「ロクでもない奴」とだけは書いといてください。
(はははは…)

―廻し役の難しさは?

僕の中で、なんですけど、「ウケたらボケのおかげで、スベったらツッコミのせい」と思ってやってるんですよ。だから、酒井藍ちゃんとか諸見里とか、若手とかと組んでやらせてもらうことが多いんです。藍ちゃんも諸見里も面白いし、こいつをウケさすためには、自分がちゃんと振ってあげなアカン、自分がちゃんと振られへんかったら、この2人をスベらすことになるんで、そこを徹底してやっていこうという反面、そこが一番難しいというか。ツッコミ役は全然目立てへんとか言われるんですけど、逆にそこに美学があるというか、自分を殺してボケを立てる、そのボケがめっちゃウケた時、うれしいというか。フリがアカンかったら、どんなボケもウケないんで。そこをちゃんとやるというのが難しいですね。川畑さんとか烏川さんとか、そこがめっちゃ上手いんです。

―廻し役でうれしかったと思うことは?

昨年、「新喜劇2026」という若手のイベントをやらせてもらって、決勝に残ったのは諸見里と藍ちゃん、そのどっちものツッコミをやらせてもらっているんです。優勝したのは諸見里ですけど、結果的に僕が優勝したようなもんかな、と。
(なるほど! お2人ともボケですからね)
この2人を面白く見せれたな、と。結果、あの2人が面白いだけなんですけど、ちょっとは協力できたかな~と。
(ボケの方にとって、ツッコミは重要になってきますよね)
新喜劇はたぶん、どの役も重要というか。オープニングから、芝居の人からボケからツッコミから。僕のイメージですけど、1つの台本をその時に出ている15人で振り分けてるみたいな。だからどの部分も大切というか。その中にはフリだけの人もおるし、「うん」というだけの人もおるけど、それでも1つの台本のなかでは重要な役まわりかなと思うんで。どの役が来ても、そういう意味では一生懸命できるなあと思います。最初とかは「なんやこんな役か」と思ってしまってたんですけど、ある時からそんな風に考えるようになって、どんな役でも1つの新喜劇を作ってると思えたら、やりがいがあるなあと、思うようになりましたね。
(いい話ですね)
いつか言おうと思ってずっと考えてたんです。

―プライベートでの趣味とかはありますか?

後輩と遊びに行くことも趣味のひとつですし…。映画見に行ったりも好きやし…。休みを見つけたら、どっか旅行に行ったりとか。
(アウトドア派ですね)
家でじっとしてるのは苦手なんです。一日もったいないな、と。どっかのご利益のある神社に行ったりとかもしてます。
(面白かったところありますか?)
最近、天河神社(奈良県吉野にある芸能の神様といわれる神社)に行って来て…。あそこって、神様に呼ばれてなかったらたどり着けない、車が故障したり、誰か病気になったりとかするって聞いてたんです。行けるかなと思ったら、道にも迷わずすぐ行けたんですよ。「これ、呼ばれてるわ」と思ったら、年に数回しかない大きな祭りの日で、境内で能をやっていて、すごい日に来たな、ラッキーやなと思ってしばらく見てたんですけど…。ご祈祷をして欲しかったんで、「ご祈祷してもらえますか」と聞いたら、「すみません、年に数回しかない大きな祭りなのでやってません」。え!? 結果、呼ばれてなかったんやな、と。あと、僕は「真田丸」がすごい好きで、真田丸好きの吉田裕さんと、幸村たちが幽閉された九度山ツアーに行ったんです。行きたいところが何か所かあったんですけど、まず1か所目が平日で閉まってて。次に真田幸村そばを食べようと思ったら、僕らの直前で品切れ。結局、たこ焼きを1人45個食うて、真田丸ミュージアムだけ見て帰ってくるという…。
(意外にツイてないですね)
ツイてないです。ただそういうエピソードが生まれたりするんで、休みの日はどこか行くのが楽しいですね。あ! あとお墓参り好きですね。なかなか行けてないですけど、お墓参りに音羽(一憲)っていう後輩を連れて毎年行ってるんです。
(誰のお墓へ?)
僕のおじいちゃんの…(笑)。
(え? 後輩連れて行くんですか?)
そうです。なんか知らんけど、恒例になってるんです。音羽に「何で僕が連れて行かれるんですか?」と文句言われながら、雑巾とか渡して墓を磨いて。毎年、なんとか音羽に嘘ついて強引に連れて行ってます。
(旅は1人では行かないタイプ?)
1人では行かないです。その時の気持ちを誰かと共有したいんですよ。1人で行ったら、なんか寂しくて。今、こう思ったとかを言えないのが嫌なんです。人見知りなとこあるんで、現地の人と喋るのも、キャラを作って喋らんと無理なんです。そういう時は素でいたいんで、仲ええ奴と行くのが一番ですね。
(人生の伴侶と行ける日が来るといいですね~)
行けんのかなあ…。

2016年12月5日談

プロフィール

1981年6月21日兵庫県宝塚市出身。
2002年NSC大阪校25期生。
2006年金の卵2個目。

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