第22回 清水けんじ

ほんとに恵まれてやってこれたと思います。


―NSC15期生に入られたきっかけは?

ほんまに不純な動機です。普通に仕事をするのが嫌だっただけで。不純な動機やったからか13期は落ちて、その年から半年ごとにオーディションがあったのも知らずに結局、15期まで待って入ったんです。お笑いは好きでしたけど、「絶対やりたいねん!」とかいう熱意はなかったですね。同じ15期の麒麟田村のお兄ちゃん(田村研一)と組んでいたんですが、そのお兄ちゃんが結構面白いネタを書いてくれてたんで。NSCの中ではポンポンと上に上がれて、卒業してすぐにテレビにも出れました。相方のお陰で、僕の力なんかゼロですけどね。

―漫才コンビはどのくらい続きましたか?

田村の兄貴とは3年くらいです。解散してすぐに、「ななめ横断」というコンビの中に入りました。そこにいた堂園君という子が辞めて、残った光岡(均)君と「フロントストーリー」というコンビを組みました。この時も恵まれていたというか、相方の光岡君がめっちゃ頑張ってくれる子やったんですよ。で、僕はほんまに何にもしなかったのに、一生懸命ネタ考えてくれて。当時、baseよしもとに出てたんですけど、ポンポンポンと勝ち上がって。まだランディーズとかもいたんですが、若い世代で新たなメンバー決めるという時に、対戦で勝ち上がったらレギュラーになれるというイベントがありました。正直、負ける気はしてなくて。根拠のない自信なんですけど。実際、勝ち上がって決勝まで行ったんですよ。相手は、当時出たてのミサイルマン。オーディションライブでも落ちたりしてたので、「絶対、勝てるやろ」と思てたら、結果、負けたんですよね。そこで、頑張らなアカン、と。

―フロントストーリーは何年くらい?

何年くらいかなあ。8~9年くらいやったんと思うんですけど。結局、解散しましたね。解散する3年位前から無理やなあ、どうせ売れへんやろな、とはずっと感じてました。でも、baseよしもとでやるライブや前説とかの仕事が、すべてなくなるのが怖かったんじゃないかと思うんです。解散したらゼロになるし、ピンで頑張らなアカンようになるし、何もしたいこともないし。生きる気力がなくなるのが怖かったというか。解散を言い出せずにいましたね。結局、このままじゃアカンなと思って、思い始めてから3年目くらいに言い出しました。
(解散後は?)
正直辞めようかとも思ったんですけど、辞める根性もなかったですね。辞めてすることもないし。せっかくやし、ピン芸人をやってみようかなと思って、ピン芸人を1年くらいやった感じですよね。
(ピン芸人の頃のネタは?)
実家がペットショップなんで、ペットショップあるあるとかを、R-1とかでやってました。あとは、それこそ恵まれてるんでしょうけど、先輩にメッチャ面倒見てもらってて。一番見てもらってたのが、たむらけんじさん、ブラマヨの吉田さん、バッファロー吾郎さん、野性爆弾さん、数え出したらキリないです。その辺りの方たちに、毎日誘っていただけてた状態やったんです。解散して可哀想やということで、お仕事を振ってくれはって、生活は解散した時の方が安定してました。自分の力ではなく、みんなの優しさだけですけど。すごい小さな泡なんですが、プチ清水バブルでした。

―新喜劇はどなたかに勧められたんですか?

コンビを解散した時に、世話になってた作家の森さんという方から、「どうすんの?お前?」って聞かれて、「ちょっとピン芸人やってみようかと思っているんですけど」というと、森さんが小籔さんの同期の方なので、「新喜劇っていうのは頭にないの?」と。僕はその時、まったく興味なかったですし、こんなん言うたら先輩とかに怒られますけど、僕、新喜劇を見たこともなかったんですよ。
(えっ!?珍しい!)
記憶にはギャグは残ってたので、知らんうちに見てたんでしょうけど。たぶんゴールデンでやってた「超よしもと新喜劇」を見てただけで、土曜のお昼にテレビつけて新喜劇を見るって言う習慣が全くなかったんですよ。
(子ども時代はアウトドア派?)
いえ、ほんま、ただ尖っていただけの、ただただ痛い若者なんですけど、「ダウンタウンよりオモロイ奴おらんやろ」と。ダウンタウンさんがやっていることがお笑いの最先端やと思ってたんです。めっちゃ失礼な話なんですけど、新喜劇は毎回同じベタなことやってる、「これ何がオモロイねん!」と思てたんですよね。だから見る気もしなかった。ぜんぜん興味なかって…。

―どうして入ることに?

かわいがってもらってたたむらさんに、「ピン芸人は何か違う、僕はやっぱり突っ込みしたい、新喜劇ってどう思います?」って相談したら、勧めることもせず、止めることもせず。「お前がしたいようにしたらええと思うで。もしやるだけやってアカンかったら、俺の店で雇たるから、お前は心配せんとやれや」みたいに言うてくれはったんですよ。あ~優しい先輩やなと思って。その後、京橋花月のプレオープンで、円形ホールでコメディをやることになった時に、主力メンバーは決まってたんですが、オープニングとか若い子でもいいような役を誰にしようかという時に、川畑さんが「使てみよか」と。それが新喜劇に触れる初めての場所になりました。
実はその後、川畑さんと会った時に、たむらさんが「もしかしたら、しみけんというのが新喜劇入るかもしれんから、頼みますわ」と言うてくれてはったと聞いたんです。俺の知らんところで動いてくれはったんです。それで新喜劇にまったく興味なかったんですけど、たむらさんがこれだけしてくれてるのに、顔に泥を塗るわけにいかんな、と。それで自分の人生を決めた感じですかね。川畑さんとかが、途中から入ったらどう? と言うてくれはったんですが、「金の卵から入らせてください」ということで、第4個目金の卵を受けさせてもらって、入った次第です。

―初舞台は覚えてますか?

覚えてます、覚えてます。川畑さんの計らいで、入ったひと月目でもう出番いただきましたね。それもオープニングではなくて、途中から出てくるようなそこそこええ役です。(ランディーズ)高井君が同期なので、高井君と組んだらやりやすいやろうと、だいぶ気を使ってくれはりました。
(結果は?)
こんなスベんねんやと思いました。むっちゃスベりました。もともとbaseよしもとだったので、NGKの広さにもびっくりしたし。1000人近く入ってるのに、1人も笑わんのか、と、引くほどスベりましたね。川畑さんとかが、いろいろアドバイスくれはって、その週はなんとかやり遂げましたけど、川畑さんが考えてくれはったネタで笑い取れた感じで。
(なかなか厳しいですね…)
たまらんかったですね。落ち込みました。僕はロールプレイングゲームみたいにこれまでの経験値が使えると思ってたんです。でも、いろんなものが違いすぎて。1週間で辞めたなりましたね。でも、ここで辞めたら恥ずすぎるわ~と思って。頑張ろうと思いましたけど、同じことの繰り返し、何が面白いのかわらない。でもそれがウケる。その時は分析する気もないですし、「おもんないやん、こんなん」と。

―芸人としてのキャリアはどのくらいの時?

その時で言うたら、14、5年目ですよね。なのに、1、2年の若い子と前説組まされて。僕はひねてたんで、下に見られてるような気持ちでいたんですよ。腐ってるというか。虐げられている気がしてたんです。今考えたら、毎月1回ある金の卵ライブでもいい役させてもらってましたし、優先的に出番ももろてました。メッチャ恵まれた環境やったんですけど、その時はアホやからわかってなくて。ちょうど、すっちーとランディーズのイベントがNGKであって、金の卵で入って1年目だったので、強制的に見に来い、と。「何で俺が同期と後輩のイベントにわざわざ行かなあかんねん」と思ってしもてね。でもしかたないなと思って行ったんです。一方は舞台の華やかなところでやっている、僕は2階席の暗いところで見てる、「何で来なあかんねん!」と思ったのが頑張ろうと思えた一番かも知れません。1年後、すっちー、ランディーズ、清水けんじになって、イベントで舞台に一緒に並べるように。常に先にすっちーがおったので、そこに追いつこう、追いつこうと…。
(すっちーさんは以前からご存知でしたか?)
いや、しゃべったことなかったです。入ってからもしばらくしゃべったことなかったです。お互いに人見知りなので。新喜劇入ったから歩み寄ってしゃべらなあかんかな、みたいな感じでした。

―どうやって新喜劇を学ばれました?

小籔さんに相談に行って、何でウケるか説明してもらって、「新喜劇は見たらわかるから」と教えてもらって、1年ぐらい一日何本も見ました。同じ新喜劇を山ほど見ましたね。その時、小籔さんに「何になりたいかを早目に決めなあかん」と言われたのもありがたかった。僕はツッコミだけがしたいというのがあったんですが、当時、周りから新喜劇はボケなアカンし、キャラがないとアカンってよく言われてたんです。でもそこまでブレてしもたら、これまでこんなぐうたらな息子を育ててくれた親にも胸張ってしゃべれなくなる。小籔さんに「僕は回しがしたいんで、回しで頑張りたい」と言うと、「ええと思うよ。回しの方が長いことメシ食えるし」と、背中押してくれはったんです。で、これも小籔さんに教えてもらったんですけど、「内場さんの完コピでいい。完コピしたって絶対バレへんし。内場さんの“拾い”が新喜劇の中で一番上手いから、真似せえ」と。それで、内場さんはこう回すんやというのを勉強しました。入って3か月目くらいかなあ。それまでは「何で俺が怒られるねん」「何で俺がスベるねん」「何で俺があの週出てへんねん」そんなんでした。

―どんな役をされていましたか?

最初はオープニングかヤクザばっかりでしたね。確かにヤクザって登竜門ですよね。僕は松浦とよく出てたんですが、最初にギターネタをやり出した感じですね。松浦ってそこまで全然出番なくて。3~4か月に1回とか、仕事がない状況。しゃべられへんし。でもギター弾けるのは知っていたので、ギターは絶対受けるし、大丈夫やみたいな。烏川さんが京橋花月で仮座長やっている時に、僕と松浦が組むことになったんです。リハーサルの時に、みんなが「大丈夫?」みたいな、不安な感じの空気出してくるんですよ。「何やねん!絶対受ける!本番見とけよ!」ぐらいに思ってたんです。ありがたいことに松浦がやっぱりすごいので、ドドンとウケたんですね。ヤクザを1年くらいやって、その辺からですかね。(僕に)まかせても大丈夫なんやろな、と。川畑さんが座長で回しがいない時に、初めて僕を(回しに)使ってくれました。

―今では「座長になりたいんや!」ですね。

座長になる気は自分では全然なかったんです。小籔さんが、「すっちーと一緒に盛り上げなあかんの違う?」と。それで2人で座長を目指そか、と頑張ってたんですけど…。
すっちーだけ先になりよったんですよ。なんやねん、あいつ。松浦かてすっちーとコンビ組んで。地盤作ったの俺じゃ! って(笑)。
(1人になりましたが…)
いっぺん座長に手を挙げてもうたんで引き下がれないし、やる気なかったんですけど、仮座長週を祇園とかNGKでやらせてもらったら、やっぱりそこにある楽しい世界が見えてしまったというか。一回味わってもうたら、ずっと欲しいですよね。だから、今はなりたいです。回しだけで座長になった人もまだいないっていいますし。僕はチャンスやと思ってます。回しで座長になったら初、って言われるわけだから。見出しに載りやすいですよね。回しで座長になる人間は自分だったらええな、と思いながらやってます。
(座長になったら?)
おこがましいですけど、すっちーと2人で新喜劇を盛り上げたいな、と。新喜劇に世話になったし、僕らが出来ることといったら、もう一度新喜劇ブームを作って、やっぱりゴールデンでもう一度、新喜劇を放送したいんです。今、すっちーだけが座長なので、お互いが座長にならないと、2人で動くことが出来ないので、まずはすっちーに追いつき、そこから、ですね。座長にまずなって、「座長になったんや!」というイベントをとりあえず2人でしたいです。

―趣味や息抜きは?

競馬ですかね~。
(競馬されるんですね!)
小籔さんのお陰で関西テレビで「うまンchu」とかに出れるようになって、仕事にもなってますし。実家がペットショップなんで、動物が普通に好きなんです。馬はほんまに好きですね。高校時代、淀の競馬場と家が近かったので、毎週土日になったら、パドックに行って、ずっと馬の写真を撮ってました。普通に強い馬とか見るのが好きなので。
(好きな馬は?)
だいぶ昔の馬ですが、ミホノブルボン。好きになったきっかけの馬です。血統悪いのに、鍛えに鍛えて二冠取った。バックボーンが自分の中でグッと来ましたね。それでエエ子ども出ないとか。
(一代限りですね)
そんなところも。馬は1頭1頭ドラマがありますから。

2015年2月24日談

プロフィール
1975年7月16日 京都府生まれ。1995年NSC大阪校15期生。