第54回 佐藤太一郎

やりたいことをやってたら、もっとやりたいことが出てくるんです。


―佐藤さんはお笑い志望ではない、ですよね?

ムフフフッ。いや、そんなことないですよ。お笑い志望っていうか、新喜劇志望ですね。僕はNSCには行ってないですが、子どもの頃に見た新喜劇で、感動して泣いたことがあって…。
(ほお~)
ただ笑わせるだけじゃなく、人を感動させるってすごいな~っていうのがずっとあったんです。19歳から劇団で役者をやっていて、27歳で劇団が解散することになって、役者活動をどうして行こうかという時に、子どもの頃に新喜劇を見て感動したことを思い出して、笑わせて感動させられる劇団ってすてきやなと思って、ぜひ受けてみたいと思ったのがきっかけです。たまたま金の卵オーディションというのがスタートして、年齢不問で、NSCとかも関係なく受けられるということで。
(ちなみにその感動された新喜劇って?)
もう、うろ覚えなんですけど、3兄弟がいて、ダメな兄貴2人に弟が1人で一生懸命うどん屋を守ってる。そこへ兄貴たちの借金取りが来て、店を売らなアカンとなった時に、兄貴たちが、この店を守ってくれたのは弟やから、どうかこの店だけは助けてくださいと言うて、最後は3兄弟が仲直りして頑張って行こう、みたいな話やったんですけど…。土曜日のお昼間にご飯食べながら見て、泣いたのを覚えてますね。

―演劇を志されたきっかけは何だったんですか?

一番の原点はというと、小学生の時に国語の授業の本読みで、すごく先生にほめられたんです(笑)。スポーツが得意なわけでも、勉強が得意なわけでもない、自分の中に特別なものがなかったんですけど、その時、初めて人に認められた気がして…。それで、人前で表現することに向いてるのかもなあって。本格的に始めたのは、高校入学してからです。ある高校の演劇部に入りたくて、その学校を受けたんです。僕が入学する前の年に地区大会で準優勝してて、ここで頑張って行くんやと思ってたら、前年度に地区大会に行ったメンバーが全員2年生で、入れ違いに大学受験のために全員退部しちゃったんですよ。で、誰もいなくなって、そこから1から声かけてまっさらな状態から演劇部を作って、2年生の時に地区大会で準優勝したんです。地区大会で優勝すると、大阪全体の大会に出られるので、もう1年やらせて欲しいと頼み込んでやらせてもらったら、地区大会で優勝できて、大阪府全体の大会で、個人演技賞をいただいたんです。大学進学するか、悩んでた時期やったんですけど、役者でやって行きたいという気持ちが固まりました。それで東京の芝居の専門学校へ行ったんですが、在学中に、ランニングシアターダッシュという劇団の公演を見て、メチャクチャ感動して、「ここの劇団で芝居をやりたい!」と。劇団を受けて合格したのはいいんですけど、本拠地が大阪の劇団だったので、大阪に帰ってきました。

―本当は東京でずっとやるつもりだったんですね。

前の劇団に合格してなければ、前の劇団が大阪の劇団でなければ、もしかしたら、新喜劇にも入ってなかったかもしれない。劇団から新喜劇に来た時に、「役者やめたんや」って言われたんですけど、僕のやりたいことの延長線上に新喜劇があったんで。笑って感動させて元気になれるお芝居を作りたい、っていうのはずっと変わらない思いです。
(劇団と新喜劇ではずいぶん違う気がします)
入るまでは、正直、同じお芝居だし、笑いがメインかそうじゃないかくらいの感覚やったんです。入ってみてから、すごいカルチャーショックで…。劇団は1か月くらいかけてずっと稽古して公演を打つ、でも新喜劇は稽古1日しかなくて。劇団では「稽古で出来ないことが本番で出来るか!」って、稽古で100点出さないといけない感じだったんですけど、新喜劇入ってから、本気で稽古したら、「稽古、本気ですな」「うるさい!」って(笑)。「なんだこれは!?」って。
(はははは~)
全然作り方違うな、と。劇団では、出てくる時のきっかけとかあって、ちょっとでも遅れたりしたら、「なにしてるんや!」って言われたりしたんで、きっかけどおりに出たら、「まだ早い!」と。「まだつないで喋ってるから」。なるほど、表現の方法も違うねんな~というのはありましたけど、来てくださったお客さんを楽しませるという根本は一緒なんで。
(劇団から来られると大変ですね)
最初は、違いっていうてもソフトボールと野球ぐらいの感覚だったんですけど、サッカーぐらい、球技というのが同じだけくらい、違いました。

―初舞台は覚えてますか?

強盗役で、辻本さんの週やったんですけど、大げさなリアクションする奴をやったんです。ちょっと押されただけで転がって、最後に血を吐く演技をしたんですよ。気合入りすぎて、転がって、カーッって血を吐く演技をしたら、タンがお客さんの方にポーンと飛んで行って…。
(お客さん、気の毒に…)
舞台上で、「お前、謝れ!」って言われて、舞台上から謝ったという…思い出がありますね。

―ほかに印象に残っている舞台ありますか?

初めて台本上にボケがもらえた! と思ったのが、川畑さんの週の銀行強盗の役で。当時は手書きの台本やったんです。手書きで「靴から銃を出す」って書いてあるから、「なるほど。どっから出してるねん!っていうボケやな」と思ったんです。誰にも気づかれないように、ずっと靴の中に拳銃を隠してて、靴から銃を出したとたん、「お前何してんねん!」って怒られて。「え?台本に書いてありますけど…」「そんなわけないやろ。鞄やろ」。よく考えたら、手書きの人が「鞄」を「靴」と書き間違えてて…。
(あははは~でも、事前に稽古してますよね)
稽古の時は小道具を使わないので、本番の前日の舞台稽古の時でした。誰にも気づかれず、完璧なフリをしようとしてたので…。
(本番でなくてよかったですね)

―今、すっちーさんが佐藤さんのモノマネをするやりとりがウケてます。

メチャクチャありがたいですね!! 前から楽屋とかで僕のマネをされてて「マネするの止めてください」というのが、舞台上へ。とくにヤクザとか刑事とかちょっとイキってる奴がイジられるのが面白いじゃないですか。僕自身も楽しいですし、お客さんが笑ってくれるのが嬉しいですね。僕は本気で汗かいて、「やめてくれ!」と言い続けるだけで…(笑)。ほかにピッコロ大魔王に間違えられるとか、アフリカの赤ちゃんに間違えられるとか。「怖い人が来た」とか「厳しそうな人が来た」というフリが効いてる時に、アニメのキャラクターに間違えれるというのが笑いも大きくなりますし。しっかりしてそうな奴がバカにされるのは面白いじゃないですか。芝居やる時も僕、悪役が好きなんです。物語を面白くするのに貢献出来てるというか。ドラマでも映画でも悪役が上手いと物語がすごく面白くなると思うんです。アイツが痛い目におうたら、痛快やのにな~というポジションをやれたら面白いかな、と。同じ真面目な悪役でも西川忠志さんが白い芝居やったら、僕は黒い芝居の方を…(笑)。

―新喜劇にはギャグとお芝居の2本柱があると思いますが、どんなポジションを目指されてますか?

僕は物語がすごく好きなので、ギャグをするというより、物語に引きこめるようなポジションをやりながら、本人は本気やけど、周りから見たら滑稽に見えたりとか、かっこ悪かったり、いじられたりとか、そういう笑いを取れたらなあ、と。今まで回しとかボケとか、いろんなポジションの方がいらっしゃいますけど、やっぱり新喜劇って物語の中にそれが入っているから面白いんで、役者として、物語のお芝居を支えるというジャンルを確立できたらと思ってますね。
(そういうポジションの方はあまりいないような…)
そうですね。あまり日の目を見ることが少ないというか。バラエティに出る方は沢山いらっしゃいますけど、役者の仕事で映画やドラマに出演して、「あの役者誰やねん。あ、吉本新喜劇にこんな役者がおるんや」という形で新喜劇を知ってもらえるような、広がりを作れたらなと思いますね。新喜劇を全国区にしていきたいです。新喜劇の役者さんたちは子どもの頃のヒーローだったので、それを北海道から沖縄まで広げていけたらなと思いますね。お芝居が出来る芸人というより、おもろい役者になりたいと思います。阿部サダヲさんとか八嶋智人さんみたいな感じですかね。

―佐藤太一郎プロデュース企画を17回続けられています。最初は?

ずっとやりたいっていうので企画書は出してたんです。入団から5年後での2010年6月に初めて1回目をやらせていただきました。当時、京橋花月で「よる芝居」という枠があって、担当の方が、ずっと僕がお芝居をやっていたのを知っていて、「太一郎さんやりませんか?」と声をかけてくださって。京橋花月は1公演で500人入るんです。1人で500人かあ~、でもこんなチャンスないし、是非やらせてくださいと言ったんですが、最低2日はやってくださいと言われて。自分のプロデュース公演で1000人呼ばないといけない。でも、これでアカンかったら仕方ない。とにかく全力でチャレンジしてみようと思ってやったら、立ち見が出るほど2日とも超満員になったんですよ。それで、2回目、3回目とやらせてもらえるようになって。10周年の時は、キングコングの西野さんと藤井隆さんと3人でNGKで2日間、やらせていただきました。新喜劇見てたら、なかなか役者として見られることが少ないんですけど、「こんなお芝居も出来る子がいるんだ」というのを知ってもらうには、まず発信して行かないといけないと思うんです。「何でお芝居なんかするの?」といわれることもあるんですけど、僕はそこが強みだと思うので、突き抜けていけたら、と。

―新喜劇だけでも大変なのに、何でしょうね? その原動力は。

あはははは~いや、もう好きやから、ですね。新喜劇も好きやから、芝居も好きやから、ですね。やりたいことだから、全然苦じゃないというか。やっているうちに次やりたいことが出てくるんですよ。やりたいことをやればやるほど、もっとやりたいことが出てくる、その連鎖でやっているというか。たぶん、この先、熱量をかけたものとか、時間をかけたものでないと、生き残っていけないと思ってるんですね。2030年頃には、AIとかが発達して人間の変わりに仕事してくれる。1週間に15時間くらいしか働かなくても生活が回る用になっているとか。その時にコンピュータが出来ない、熱量や思いをもって時間を注げるものでないと、生き残れないんじゃないかな~て。10年後には、新喜劇も40代の座員ばっかりになるんですね。ただやってるだけではポジションがなくなると思うんです。どれだけ自分をレアカード化していけるか…。
(いろい考えてますね)
今までやってきたことも周りからみたら、遠回りに映ると思うんですけど。

―プライベートでの趣味とかはありますか?

1人旅ですね。旅がとにかく好きなんです。旅をするようになったのは35歳くらいから。それまで芝居以外に趣味らしい趣味がなかったんです。きっかけは父が他界した時に、親父はもっと見たいものややってみたいことがいっぱいあったんじゃないかなって。いつ死ぬかわかれへんし、死ぬまでに自分が見たことがないものとか、やったことがないことをひとつでも多く経験したいと思うようになりました。旅行って友だちと行って、すごく楽しいものだったりしますけど、旅って僕は感動しに行ってるんです。その時感じたまま、いい景色やな~と思った時、1人旅なら、そこに2時間でも3時間でもいていいし、詰め込もうと思ったら、4か所5か所まわってもいい。初めて出会った人との出会いを大事にしたいし。一人旅が好きな人って、感覚が似てる気がして、喋っていてめちゃくちゃ楽しいんですよ。最初の頃は、ゲストハウスとか知らなくて、他の人と一緒に寝るなんて、抵抗があったんです。瀬戸内海の直島という芸術の島に行って、ドミトリーに泊った時に、来てる人が芸大生とか美大生とか、デザイナー、建築学科…喋ってみたらすごい面白かったんです。海外青年協力隊で働いていた人とか。僕が知らない世界を沢山知っていたり。感覚が似てるんで、すごくいっぱい刺激を受けたんです。そこからゲストハウスに泊るようになって、旅人に出会うために旅してる、みたいな。

― 一番印象に残っている場所は?

屋久島ですかね。縄文杉とかウィルソン株とかもすごいですけど、太鼓岩から見る景色はすり鉢状に森林が広がっていて、空の上から森を眺めているみたいな感覚でした。「もののけ姫」の背景にもなった白谷雲水峡とか、平内海中温泉という干潮時にしか出てこない温泉がありまして。波打ち際の岩場にあって、脱衣場もない。男の一人旅だから全然気兼ねなく、海に向かって裸で波の音を聞きながら、沈む夕日を見ながら温泉に浸かるっていうのはすごい感動でしたね。カヌーにも乗ったんですけど、ガイドさんに「水がきれいなのに、魚がいないですね」って聞いた時の理由のひとつにすごい感動したんです。水がきれい過ぎて、エサになるプランクトンがいないって。きれいすぎて、魚がおれへん川なんて、見たことあります? 超軟水で、カヌーをこぎながら水を飲めるくらい。その美しさとかにすごく感動しました。屋久島の地元の焼酎・三岳を縄文水で割って飲んだら、ほんとに美味しくて。旅に行って地元のものを食べて、そんなんはやりたいですね。
(充実してますね)
やりたいことだけやってますね。

2016年12月5日談

プロフィール
1978年2月25日 大阪府生まれ。2005年9月 第1個目金の卵オーディション。