そうなんです。幼い時から芸能界に憧れてまして。出来ることならお芝居をしてみたいと、女優さんに憧れていました。
(いつ頃からですか?)
もう物心ついた頃からドラマを見るのが好きだったので。小学校の時は、土曜日、走って帰って新喜劇見ていました。やすえ姉さんがマドンナをされていたので、やすえ姉さんみたいになりたいな~と。小学生なので、テレビで見るドラマも新喜劇も一緒で、区別はなかったんです。でも、恥ずかしくて誰にも言えず。学校で書かされる「将来の夢」とかには、母が小学校の教師をしていたので、当たり障りのないことを書いたりしてたんですけど。でも、当時は「いつかは女優になれる」という根拠のない自信があって…。今、そんな自信が欲しいくらいです。
小・中学校の頃は普通に過ごしていたんですが、高校1年の時に、「ちょっとこれは(女優に向かって)動き出さないとほんとにヤバいんじゃないか」と思って、16歳で焦り始めまして…。「今のうちに夢を追ってみます」と、入っていた吹奏楽部を辞めました。そっからは、オーディション雑誌を買い込んで…。休みになると自然にいろんな事務所さんがオーディションかけるんです。春休みオーディション大会とか。大小100社以上がバーッて出てまして、募集要項で自分が合うところは、ひたすら履歴書書いて。それこそ100社以上、同じところに何回も送ったりもしました。でも、書類すら通らずで。唯一、参加できたのが、ホリプロのスカウトキャラバン。書類審査なしで、会場に行ったら受けられるという、それも1日のうちに何回も落とされるんですが、その日の最終までは残れたんですが、その後は進むことができず…。
一旦諦めかけて、視野を広げるために大学へ行こうと思って、進学しました。大学は東京にあったので、新喜劇を見る機会もなく。いざ、就活って時に、自分を見つめ直す機会があって。目立つのが好きだったので、安易な考えでアナウンサーになりたいなと思ったんです。チャレンジしてみよう、と思って、ES(エントリーシート)を書いて、先輩に添削してもらって、アピールポイントに高校時代オーディションを頑張ったことを書き足したら、「これって、タレントと間違えてると思われるよ」と言われたんですね。「あ、そっか」って自分がやりたかったことに気づいて、その先輩の言葉で割り切れたというか。母も「いいよ」と行ってくれたので、一切、就職活動やめて、タレント事務所が経営してる養成所に入って、お金払いながら、週1回くらいの割合で、自然なお芝居に歌とダンスを習ったり、たまに自分でエキストラの仕事に行ってみたり。エキストラのお仕事ってほとんど待ち時間じゃないですか。でも、現場の空気に触れてみて、やっぱりこういうお仕事がしてみたいと改めて思いました。
フリーター状態で大学を卒業して、お金もなかったので、大阪に戻りました。バイトしながらお芝居の勉強出来るところだと舞台かな、大阪の劇団かと考えていたら、何のきっかけかはわからないんですけど、ふと新喜劇のことを思いだして…。新喜劇も喜劇やし、劇団ちゃうかなとふと思い出しまして…。調べたら、私、金の卵6個目なんですけど、5個目さんから6個目って3年間オーディションがなかったんです。それまでは1年ずつあったのに。調べた時には「3年間行なわれてません」という記事しかなくて。え? 次、いつあるんやろ? そっから、もう、心に決めたというか、新喜劇しかなくて。なんばグランド花月の近くにいたくて、受付のバイトにも応募したんですけど、何の音沙汰もなくて…。普通にバイトして新喜劇見てた時、告知コーナーで小籔兄さんの金の卵6個目募集の告知があったんです。「キターーー!!これしかない~!!」と。すぐに書類送って、ドキドキして待ってたら、書類通りましたという知らせが来ました。
2次はグループ面接で、ひとりひとり自己紹介するんです。私なりに「インパクト勝負やな」と思って、夏だったので浴衣着て、流行っていた少女時代踊ろうと。行ってみたら、ほとんどの人が「よしもとクリエィテイブ・エージェンシーから来ました」。人妻ニャンコさんとかブルマーをはいて来てる人もいて、「プロの人やん?」と。てっきり素人ばっかりだと思っていたので、プロに勝てるわけないと思って、笑けてきて…。それでちょっと気が楽になったというか。負けて当然やし、楽しんで帰ろうと思いました。よしもとの方が多かったので、ネタをされる方が多くて、一緒だった北山麻依加さん、忘れもしないです。B’zの音楽でキュウリと大根とニンジンを頭で割るっていう。インパクトすごすぎて。それ見て普通に笑ってました。ほんと楽しんじゃって。審査終わって、親にも「楽しんだわ」って言ってたら、「合格しました」って。
3次はお芝居の台本が送られてきて、女性のところを覚えてきてください、と。女性は確かやすえ姉さん、靖子姉さん、珠代姉さんで、どの配役に当たるのかわからないので、緊張しました。人がいっぱい見てますし、ビデオも撮られてて、落ち込んで帰ったような気がします。何を見てくださったのか、通りました、と。最後の面談は、フランクな感じでした。最後の合格通知が送られてきた時は、母と2人で泣きながら、「やっとスタートラインや~」って。そこに「新喜劇の繁栄のために、ともに汗水流しましょう」みたいな文が書いてありました。入るまでがけっこう大変で。拾ってもらった感じです。
良かったと思うのは新喜劇を見てたので、あんまり見ずにはいる人よりは見てて良かったな、と。空気感というか流れを見ていたのは、スゴイ良かったな、と。戸惑ったことは、なんて奥が深いんだろうって。それまで、笑いを考えることをしたことがなかったので、ウケるためにはどんな言葉の方がいいのかとか。お盆のどこで頭を叩いたらいい音が出るのかとか、自分で体感してみないとわからない。それを難しく見せないのがプロなんやな、って。皆さんすごくて…。
もう、忘れもしないです。緊張しました。初めて週出番いただいた時は、祇園花月で、新名(徹郎)兄さんとカップルやって、幕明きの芝居で、「ねえ、にいな君」と言わなきゃといけないのに、ふと、「にいな? しいな? どっちや!?」と緊張のあまり、逆の方を選んじゃって、「しいな君!」って全力で間違えて…「にいな、や!!」って突っ込まれて、そこからパニックになりました。舞台のハケ際の、「ほんま腹立つわ~○○」「俺かい!」っていうくだりも頭が真っ白になって、「ほんま腹立つわ~」だけでハケてしまって…散々で。舞台からハケた瞬間に、涙がボロ~ってこぼれて…。末成由美姉さんが一緒の出番で、「すみませんでした」と言ったら、「ええねん、ええねん、最初はみんなそんなんやから」と言ってくださって、またその優しさにボロボロ涙がこぼれてきて…。
2012年に入団して、まだ3年目でした。辻本兄さんの週でちょっとセリフの多い役をいただけるくらいの時で。ほかはそうそうたるお姉さんたちじゃないですか。
(前田真希さん、金原早苗さん、福本愛菜さんですね)
言われた時は、心の中で「えーっ!?」って。真面目な涼しい顔で聞いてましたけど、「何で私!?」って、マイナスな方にしか捉えられなかったです。マドンナを目指して「闘う」というのも衝撃で。こういう世界なんで、ある程度、そういう気持ちがないとダメなのもわかるんですけど、平和に行きたいタイプなんで。
知名度も明らかに低いし。客観的にみたら、なにも失うものはないし、逆にどの順番だとしても知っていただける貴重な機会で、一番私がラッキーやったと思うんですけど、その時は「何で!?」しかなくて。親に話したら、「お前はにぎやかし要員やから、その役目を果たせばいいんや」と言われて、納得しました。自分のアピールポイントを出していかなきゃいけなくて、経験も浅いし、自らの持ち味もわからない。何が得意かもわからなくて、何も考えられなくて。新人を売りにするしかなかったです。
(結果は2位でした)
びっくりしました。新人と言うので、応援票を入れてくださったのか。ありがたいと思いました。
あれは珠代姉さんが引っ張ってくださるので、全力で、ただやらせていただいてます。私が出来ることは、恥を捨てることしかないんで(笑)。1回やるとヘットヘットになるんです。珠代姉さんってすごいなと思いました。あのエネルギーは誰にも出せないなって。自分がやらせていただく度に、珠代姉さんのすごさを感じます。
(最初は照れとか恥ずかしさがありました?)
どうでしょう? …終わったら、メッチャ手とか震えるんですが、開放された感じはあったかも。なんか解き放たれたみたいで。上手く言えないんですけど。NGKで2回くらいやらせていただいたんですけど、必死で見て覚えますね。分からない時は、誰かに後ろからささやいてもらってやってます。
やすえ姉さんはじめ、あき恵姉さんやどの姉さん方も私の隣に、「あの姉さんがいる!」という思いになることがいまだにあります。やすえ姉さんのキレ芸見た時は拍手というか、鳥肌と言うか。感動の方が勝ってしまいました。特別公演の時に、ほとんどの座員さんが舞台上にいて、舞台上の一番後ろから全座員さんと客席を見た時には、「うわ~! 新喜劇の座員なんや~」と改めて思って、すごい幸せを噛みしめてました。夢が叶っているんや、そこに居れてるんや! って。新喜劇の舞台って幸せな空間ですよね。笑いに包まれて。アドリブとかハプニングとかあったら、お客さんだけじゃなくこっちも面白いですし。テレビを見てる家族が笑ってくれるのが、一番嬉しいですね。何かあったら一番、言ってくれると思うんで…。
新喜劇はもちろんですけど、去年、太一郎兄さんと2人芝居をさせていただきまして…。
(心斎橋のカフェでされたものですね)
そこで初めて、新喜劇とは違うお芝居をさせていただきました。新喜劇もお客様あってのことなんですが、お芝居はお客様がいないこととして進むじゃないですか。それを、お客様にお友達として語りかけたりとか、客席に向かって自分の感情を出したりとかいうのが、初めての経験で。ほんとに太一郎兄さんに全く別の競技やらされてるみたいやなあ、と。全く別物でした。今、太一郎兄さん、いろんなお芝居されてて、引っ張ってくださっていて。そういう舞台のお芝居とか映像のお芝居とかそういうものにもチャレンジできたらいいなあと夢がどんどん広がって…。何がきっかけでチャンスをいただけるかわからないので、ひとつひとつ頑張らないといけないな、と思ってます。
2016年2月8日談
1989年12月2日大阪府高槻市出身。
2012年金の卵6個目。