MBS(毎日放送)

第41回 レイチェル

ピン芸人だったので、一番うれしいのはツッコミという文化、ですね。

―金の卵4個目ですが、以前は東京で活動されていたんですね。

もともとは東京で、吉本じゃなくて、ワタナベエンタテインメントの養成所を出てからピン芸人を経て、金の卵4個目のオーディションを受けて、大阪に来ました。
(お笑いを目指されたきっかけは?)
ずっとやりたかったというか、小学生の頃から好きだったんです。20歳過ぎた頃、大学を途中で辞めて行こうかと思ったんですけど、まだ踏ん切りがつかず。大学卒業してから、一度は挑戦してみたいな、って。じゃないと将来的には後悔するだろうなというのがあったんで、養成所に行きました。お笑いをやるというのが夢でしたね。
(ピン芸人を目指されて?)
ダウンタウンさんとか、とんねるずさんとか、ウッチャンナンチャンさんとかのテレビを見て育った世代なんで、もちろんコンビでやりたいなというのはあったんです。が、養成所に1人で行ったんで、そこでコンビを組む相手がいなかったんですね。たいがい同級生とか2人組で来てる人が多くて。1か月後にはネタ見せライブがあったんで、1人で出なくちゃいけなくて、1人で出たんですね。そしたら、思ってたよりいい感じだったんで。そのままピン芸人に。
(ちょっといける? みたいな)
そうっすね~ワタナベの養成所に在学中に、ありがたいことにテレビの仕事決まったんです。卒業前にネタ番組ひっかかって。当時の「エンタの神様」(日本テレビ)の深夜枠の「エンタの天使」という番組だったんですけど、それに出れることになりまして。僕は6期生だったんですけど、それまで在学中に番組に出た人はいなかったらしいんです。だから、「やったー!」と。でもその先に行けなかったんですよ。もっと跳ねたら、「エンタの神様」にも出れるという感じだったんですけど、全然だったんです。そこからピンネタにき詰まって…。

―新喜劇のオーディションを受けるきっかけは?

ライブでもウケないし…というのが半年間ほど続いて、悩んでる頃、深夜の漫画喫茶でネタとか考えてた時に、「オーディション」で検索したら、1個目に出て来たのが「吉本新喜劇金の卵4個目オーディション」だったんです。僕は埼玉で育ったから、子どもの頃から新喜劇を見ていたわけじゃないですけど、それでも存在は知ってるんですね。藤井隆さんとか全国で活躍してたんで。日本一のお笑い劇団だろうなというイメージはあったんです。1人で、ピンで行き詰って悩んでるから、団体に入ったら、ちょっと違う世界が見えるかなと思って、オーディションだけ受けてみるかと。
(すごい思い切りですよね)
そうですねえ。ピンで、もうちょっとこれはダメだなあと。ピンで1個のネタをやって、ウケなかったら、そのネタ自体がもうダメになっちゃうんです。ということは、また違うのを考えないといけない。その頃は1分ネタブームで。そういうのがあったら、こっちへ来るのは、いい意味で考えやすかったですね。その時は、まだ、ただ「テレビ出たい、出たい」という気持ちで、そればっかりしか考えてなかったんですけど。ちょっとしたプチ挫折ですよね。行けるかなと思って行けなかった。
(大阪から東京を目指す人は多くても、逆はあまりないのでは?)
そうですね。基本的にいないとは思いますね。大学が4年で卒業なんですけど、僕、半年間だけダブっちゃって、9月に卒業したんです。その半年後の春から養成所へ行くことになって、半年間どうしようかなという時に、「大阪へ行こう」と思ったんです。笑いのメッカは大阪だ、お笑いを始める前に、大阪に半年間いようと思って、大阪に来たんですよね。レオパレス借りて、服屋さんの事務で働きながら。そこで、ちょっとだけ大阪の人と仲良くなってたりしたので。自分のやりたいネタが受け入れらるかという不安はありましたけど、知り合いとか、その時働いていた人とかいたので、1人で来るのは不安じゃなかったです。

―オーディションではどんなネタを?

その時は、ひたすらギャグをやっていたと思いますね。芝居審査とか、自己紹介とかあって、最後に自己アピールタイムみたいなので、5~6個くらいはやったと思います。誰も笑ってなかったですけど。その時は、キャリーバック片手に、落ちたら夜行バスに乗って帰るだけ。身ひとつで来てるから、(やるだけやらないと)後悔しかないじゃないですか。ハートの強さだけは見せられたかな、と。その時、同期で家門鈴乃ちゃんという子もいたんですけど、当時19歳くらいで、上下関係もわからないすごいイケイケのギャルみたいな感じで。その子が、僕のネタを見てたんでしょうね。僕が終わって、コロコロ持って歩いていたら、後ろからボンボンと叩かれて、「兄ちゃん、ギャグ、オモロかったで」と言われたんですよ。「何やねん? こいつ!?」って(笑)。まあ、ありがたいですね。こっち(大阪)のイマドキの子がオモロイと思ってくれたんだ、と。
(すごいですね~)
すごいっすよ(笑)。その後に、帰ろうかなと思ったら、電話がかかって来て、「まだ帰ってない?」「まだ大阪います」「じゃあ、戻ってきて」と。その日のうちに合格が決まりました。

―初舞台は覚えてらっしゃいますか?

覚えてますね。初舞台は金の卵ライブが初舞台でしたね。その時は、もう辞められた先輩2人と3人組のヤクザだったんです。僕、ほんとにラッキーだなと思うのは、その時の作家さんが今、小籔さん週を担当されている大崎(知仁)さんで。けっこう優しくしてもらって、「好きにやっていいよ」と。唯一、1個だけネタを放り込めて、それが、「また来るから、その時までに金を用意しとけよ」と言った後で、「指きりげんまん、ウソついたら、お前の母さんとワンナイトラブ」というのをやらせてもらって。ウケたんですよ。それから、大崎さんと親しくなって、1回コントを一緒に作ったりとか。その時のギャグがウケたので、その後すぐに、NGKの内場さん週に入ったんです。未だに覚えてますけど、それもヤクザ役で、当時は金髪で肌も真っ黒で。最初そんな感じだったんですよ。内場さん、そんな奴、嫌いだし。全然口とかも聞いてもらえず。でも僕は何かしないといけない。全く関係ないギャグとかひたすらやってたんですが、NGKのお客さんは全然笑わないし。1日何回か公演があるので、毎回ギャグを変えて、どうにかしようと。その時に、同じ金の卵4個目のしみけん(清水けんじ)さんが一緒で、毎日お昼とか連れて行ってくれて。楽屋とかで僕がギャグ帳見ながら頭を抱えてるのを見て、「何してるの?」「次にやるギャグどないしようか考えてるんです」「これどうなん?」とか言ってくれて。その中に、歌ネタで意志の弱いチャゲ&飛鳥という、「今から一緒に殴りに行こうか、や~め~た」というのがあって、清水さんが、「それでええやん」「はい?」。それで相手に殴りに行こうとして、「や~め~た」「やめんのかい!」で終われるやんって。金曜日の1回目のカメリハの時はまだウケてなかったんですが、3回目の公演で、初めてそれでメチャメチャ、ウケたんですよ。で、土曜日の収録に間に合って、「や~め~た」のギャグ出来て。だから皆さんのお陰です。今でこそ、内場さんにもメチャメチャよくしてもらってますけど、飲みに行った時とかに「あの頃のお前、死ぬほど嫌いやったで」とか言われるんです(笑)。「ムチャクチャな芝居とは関係ないギャグやりまくるし。見た目も肌黒くて金髪で汚らしいし…」って。徐々に徐々に仲良くなれて。けっこう皆さんに助けられてますね。僕は。
(※内場さんのインタビューで一緒に屋久島へ行った話があります)

―レイチェルさんは歌のネタが多い気がします。

最初で言うと、ピン芸人だからギャグをやることが多かったんですよ。ギャグを考えるのに、歌が使いやすいというのが一番大きかったんです。それをなるべく芝居に乗せようとしたら、歌に乗せて…となって、気づいたら歌を歌う人みたいになってて。もともと歌や音楽が好きで。ダンスはやってなかったんですけど、高校時代からクラブのDJをやってたんですよ。だから音楽とかそういう文化が好きなんです。友達とかにダンサー多かったので、見よう見まねでダンスも。ちょっとだけ珠代姉さんと絡ませていただく時とかありますね。お笑いと音楽がメッチャ好きなんで。

―音楽はどんなものが?

ブラックミュージックとか、ヒップホップとか、R&B、洋楽、邦楽ですね。5つ上のお兄ちゃんがいるんですけど、すごいチャラチャラしてて、あんまり仲良くなかったんですが、僕が高校生になった時に、その兄がいきなり僕の部屋をドンドンとノックして、「お前、DJになるかサーファーになるか、今ここで選べ」と謎の選択を迫られたんです。
(あははは~)
謎の2択ですよ。「なんで?」と聞いたら、「高校に行ったら、このどっちかやってないとモテねえぞ」と。「お兄ちゃんがサーファーだから、俺はDJやろうかな」と言ったら、アニキがその1週間後に友達からDJの機材をもらってきてくれたんです。そっから、DJとかもやるようになって、今、新喜劇でもDJのネタとかやるようになり…。
(幅が広いというか、新喜劇にこれまでにないタイプというか)
こんなん言うとなんですが、遊びの延長線上にあるネタというのが多かった気がしますね。

―新喜劇に馴染みのなかったレイチェルさんにとって、新喜劇とは?

何もわからずに来てしまったから、そのありがたみとかわからずにいたんですが、いればいるほど奥の深さというか、先輩方が築き上げた歴史が凄すぎて。まだまだ勉強不足ですけど、ちゃんとしたフリとオチとかネタの作り方とか、新喜劇に入っているんですよ。ピン芸人だとそういうこと考えもしなかった、笑いの基本が全部詰まっているのが、勉強になりました。先輩に感謝、しかないですね。何も知らんと、埼玉から来た男が普通にいさせてもらえることに感謝、ですね。何よりも僕、ピン芸人だったので、一番嬉しいのはツッコミという文化、ですね。すごいスペシャリストがいっぱいいらっしゃるんで…。
(うれしいツッコミというのは?)
それこそ、全員でコケてくれるのとかって、やっぱり、皆さんの優しさなんで。「や~め~た」「やめんのかい!」でコケてもらうと、涙出そうになりますね。メッチャうれしいです。たぶん、普通のツッコミだけより、周りの方がドテッとコケてくださると、その方が笑いが来るんですよ。新喜劇って、自分がウケた笑いをちゃんと周りに返してくれる。改めて勉強させてくれる場所ですね。

―初舞台以降、どんな役柄を?

最初、それこそ金髪だった時は、仕事もあんまり役を与えられないし。そりゃそうなんですが、おまわりさんとかはできない。ヤクザしかない。だから、1年間やって金髪はやめたんですよ。そこからですね。黒髪になって肌の色も普通にしてからいろいろやらせていただくことになりました。
(辻本座長との3人ヤクザもありますね)
あれ、メッチャ緊張しますよね。やっぱりすごいネタなんで。ローテーショントークは平山(昌雄)さんに教えてもらいながら、必死で覚えました。若手が一番緊張するのって、ベテランさんの往年のギャグのお相手させてもらう時に、メッチャ緊張するんですね。
(緊張しないタイプでは?)
いや、緊張はしてますよ。毎回。ガンガン行っていいところと、おそらくここは違うというのが、徐々にわかってこれたかなというのはありますね。あとお芝居だったら、それこそ(佐藤)太一郎さんプロデュースのお芝居をやったのも大きいですね。これまでにやったことないような、しっかりしたお芝居を。あと、「キング・オブ・コント」の予選に一緒に出ようと言って来てくれたり。太一郎さんには感謝してます。
(ほかに仲のいい先輩とかは?)
森田(展義)さんは入ってすぐ、金髪で得体の知れない、関東から来た奴に対しても良くしてくれて、飲みに行かせてもらったりとか。「金髪やめたら」と言ってくれたのも大きかったですね。一緒にご飯連れて行ってもらったり、飲みに行かせてもらったりとかは、内場さんとか高井(俊彦)さんとかですかね。

―新喜劇での失敗談などは?

最初の頃、当たり前のようにやってしまって、これはいけないことだなというのがあって。「吉本新喜劇ファン感謝祭」で、誰が最後まで残るか、という風船バレー大会があったんです。その絶対にめだか師匠が優勝しなくちゃいけない場面で、何を思ったのかただの目立ちたがりで、僕が最後まで残っちゃったんです。得体の知れない、ファンも誰も知らない、入ったばかりの、誰やねん? コイツみたいな。「やっちまった~!!」ヤバイ、先輩立てなきゃいけないのに~って。あと、やすえ姉さんのキレるネタに、言い返したことがありました。周りは黙ってるか、怖がってなくちゃいけない、当たり前のお約束に、何を思ったか、その時初めてでテンパっちゃってて、「おい、コラァ!」に「なんじゃ、コラァ!」と言っちゃて…。
(あはははは~)
「違う、違う、違う、令ちゃん違う!」と後ろから教えていただいて。「あ~すみません!」て。メチャクチャ謝りましたね。知らないうちにどえらいミスをしてしまって…。
(稽古はしたんですよね?)
稽古は、皆さん、流し気味に稽古されるので、本番でどういうこと? というのはありました。最初、ほんとにこんなに短時間の稽古で本番行くのかな? と思いました。僕は最初、ヤクザ役で、セリフが「やったりますわ」と「やったりましたわ」ぐらいしかなかったんで、皆さん、大丈夫なんかな、って。一晩寝たら、めだかさんとか(中山)美保姉さんとか、皆さん(セリフが)入ってるんで、「すご!」と思いましたね。それに対しては慣れて来ました。新喜劇って、毎週毎週、楽日があって、今日までのことは今日捨てて、今日の晩に明日のことを入れないといけないんですよ。となると、1週間1週間、脳みその新しいところ空けていかないといけない。だからちょっとした暗記力はよくなったんです。ただ、ちょっと前のことをすぐに忘れるようになってきましたけど。

―これからやって行きたいことは?

アキさんが(新喜劇に)入ってきたことによって、エンタテインメント性の風が入りましたね。僕もそういうのが好きなんで嬉しいですね。去年の歌ネタ王は裕兄さんと組んで、準決勝に行けたんですよ。それでやったネタなんて、まさに新喜劇のネタですし。歌ネタ王とか、一番決勝へ行きたい賞レースだな、と思います。若手のイベントでは、最近、チャラチャラしたキャラの延長線上で、マイクパフォーマンスのネタもやらせてもらったりしてます。本公演ではできないんですけど。
(どんなネタですか?)
それこそユーロビートとかを流して、ホストクラブとかのメンバー紹介みたいな感じです。そんなのもまたやって行きたいですね。去年から、一時辞めていたんですけど、またちょっとDJをやりはじめたんです。プライベートでも。家に機材とかレコードもあるので。家でやったり、知り合いのバーでやったり、イベントとかでも。音楽やっぱり好きなんで。音楽的なことがなにかきっかけになって、テレビでもラジオでも音楽の番組に携われたらいいな、的な目標で始めました。あと、ネタとかはすごい好きなんで、今度2月に久々に単独をやるんです。今回、作家さんはなしで、全部自分で書いたコントを、太一郎さんと裕さんに協力していただいてやります。14日のバレンタインデーです。どんだけチョコもらいたいんだ、って(笑)。うれしい話、1日で完売しました。道頓堀のZAZAポケッツですけど。新喜劇のお陰ですね。

2016年1月12日談

プロフィール

1983年12月30日埼玉県上尾市出身。
2008年10月金の卵4個目。

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