第62回 岡田直子

関西弁が難しくて…ニュアンスがわかんないです。


―岡山県ご出身ですが、新喜劇はご覧になっていましたか?

岡山でも山の方だったので、田舎すぎて放送局が少なくて。でも新喜劇はかろうじて見れていて、土曜日に学校から帰ったら新喜劇やっている、みたいな感じでした。小学校5年の時、ちょうど吉田ヒロさんが全盛期やったんですけど、めちゃくちゃ好きで。「吉田ヒロさんになりたい」と思ったんです。
(ほ~吉田ヒロさんになりたい?)
新喜劇に入りたいじゃなく、まず、「吉田ヒロさんになりたい」って思って。その時にお母さんに「私、新喜劇に入るから。これになりたい」って、言ったんですよ。そこからずっとなりたいと思って、計算して、学校もそのために考えて、高校を卒業したらNSC入ろうと思ってたんです。高校の時にお母さんに、「このまま卒業したらNSC入るから」って言ったら、「何それ?」みたいな。私が言ったこと忘れてて…。
(小学5年生からずっと思い続けていたのがスゴイです)
「あれ、本気やったん?」みたいな感じでした。「芸人さんは将来不安やから、とりあえず資格を取って」って言われて、「わかりました~」って。その時、私も甘かったから、入学金のこと考えてなかったんですよ。お年玉はずっと貯めてたんですけど。そうか、お金も足りないな~と思って、とりあえず短大へ入ることにしました。地元の県立短大が一番安くて、介護福祉士の国家資格も取れる、国家資格やったら文句ないやろと思って。短大入って、ちゃんと卒業して、国家資格取って、バイトもしてお金貯めて。「これでNSC行かせてください」。
(めちゃめちゃ計画性高いですね)
うひひひ。その頃は計画的な人間でした。今はそんな計画性ないです。そこまでしたら、お母さんも「行ってらっしゃい」ってなって。今も応援してくれてます。

―大阪に出てくるとなると、住むところも…。

大変でしたね~やっぱり(お金の面では)親に手伝ってもらったところはありますね。親には感謝してます。
(NSCに新喜劇コースは?)
この時はもうなかったです。私の学生時代にはあったので、あると思ってたら、26期までで、私が入る時(28期)はなかったので、どうしよう?と。新喜劇の入り方がわかんないから、とりあえずNSCでお笑いすればいいかと、漫才タレントコースの方に行きました。入ってすぐ、コンビ組むかピンになるかと言われて、ネタ見せして。あ、ネタの作り方教えてもらえないんだと思いましたね。自分たちで全部せえ、みたいな。で、その時にコンビ組んで、1人目は1か月くらいで失敗したんですけど、2人目の子と「ジェンカ」というコンビでずっと漫才やってました。
(ネタは作る方?)
いえ、私はネタを作らないです。全然作らない方です。ツッコミやったんで。今もいじられてツッコむ側なので、一応、ツッコミです。うふふふ(笑)。
(コンビはどのくらい?)
卒業してすぐに、MBSの「ジャイケルマクソン」の企画の「吉本国勢調査WOMAN」(2006年5月10日放送)に芸歴1か月で出させていただきまして。それきっかけで、「オーサカキング」というイベントでお笑いアイドルユニット「ジャネットマクソン」の一員に選んでいただきました(※2006年7月29日~8月5日「オーサカキング」でダンス&ネタを披露)。その頃、「baseよしもと」(当時の劇場)のオーディションずっと落ち続けてたんですよ。全然引っかからなくて。そのお仕事いただいて、頑張って踊ってたら、広島の方でも「ジャイケルマクソン」が放送されていたので、当時、広島吉本の所長の野田泰久さんがたまたま見てくださっていて。相方が広島出身、私が岡山出身だったんで、ずっと方言漫才やってたんですよ。その頃、広島吉本に女芸人が1人もいなかったんで、わざわざ大阪まで来てくださって、「広島吉本に所属せえへん?」と言ってくれたんですよ。家族にも相談して、広島へ行って舞台とか踏んで、仕事できたらいいねって、一大決心で広島に所属しました。
(Uターン通り越して…)
シュン! と行っちゃいました。(広島には)2年9か月くらいいました。
(どんなお仕事を?)
ありがたい話、広島は芸人人口も少ないですし、出来たばかりの事務所で、女芸人は私たち1組だけというラッキーが重なって、全然出来ないのに、半年くらいでテレビのレギュラーをいただいたんですよ。朝の帯の情報番組の木曜レギュラーさせてもらって。でも始まって半年くらいで、相方が「もう芸人出来へん」って言い出して…ちょっとモチベーションも下がってたので薄々わかってました。相談して、じゃあ解散しようかとなって、事務所に言ったら、ほんまに優しくて。テレビがまだ続いているので、「岡田ちゃんだけでも残れるんだったらやってみる?」と言って下さって。そのままレギュラー番組に出させていただいて、ピンで1年ちょっとやってたんです。相方も「岡田さん辞めないよね? 辞めない方がいいよ」って。私がもともと新喜劇に入団したくてNSCに入ったのを知っていたので、新喜劇に入れって言ってくれたんですよ。私たちが解散したのが10月で、その次の年の夏くらいに金の卵オーディションが再開して。「え~マジか?」と思って。相方も言ってくれてたし、オーディション受けてみようと思って。

―オーディションはいかがでしたか?

緊張しましたね~私は正直、ボケる才能もないですし、ネタ作る力もなかったし、キャラクターだけで無理やりやっていたところがあるから、すごい難しくて。結局、人に恵まれてたというか、周りの人にけっこう良くして貰って。大工富明先生っていらして、だいぶお世話になったんです。NSCの講師の先生で、漫才もすごい見てくださってて。オーディションの時も大工先生がたまに広島に来られた時に相談するとか。当時baseの支配人していた方が、わざわわざ大阪から解散する時に来て、話を聞いてくれたりとか、もありましたし。頑張ろう、という感じでした。お芝居もしたことがなかったので、緊張はしました。でも、新喜劇好きはずっとあったので…。
(印象に残っていることは?)
1次は書類審査、2次は集団面接、3次が芝居選考やったんです。3次の時に当時の金の卵2個目の方たちがお手伝いで来てたんですよね。私たちが役を当てはめられて、余った端役を2個目の方たちが一緒にやってくれるんです。それをスゴイ覚えてて、入った時に「あ~!」と思いました。森田まりこと音羽一憲君と信濃岳夫さんがいたと思います。その時のイメージがすごく強かったです。

―憧れの新喜劇はどんな感じでしたか?

全員に緊張しましたね。正直、それまで広島にいて、漫才をちょっとだけやらせてもらってたんですけど、広島の芸人さんて、5~6組くらいしかいなくて、けっこうフラットで先輩後輩がないんですよ。そんなに芸歴も変わらなくて、すごい上の人もいないから、アットホームな感じだったんですよ。こっちに来たら、師匠とか、めちゃくちゃ上の人と同じ楽屋にいるじゃないですか。それにまず衝撃受けて。敬語も使えないくらい、しゃべり方も全然ダメだったので、めっちゃ怒られました。あいさつの仕方もわからないから。師匠方へのあいさつって、広島のあいさつの仕方とは違うじゃないですか。
(広島はどうだったんですか?)
「おはようございま~す! ワ~!」みたいな感じだったので。事務所も家みたいなとこで、「失礼しま~す」「おじゃましま~す」みたいな感じだったんですよ。全然世界が違う…はあ~みたいな感じになって。最初それは苦労しました。礼儀作法とか話し方とか、あいさつの仕方とかはけっこう教えてもらいました。

―ファンだった吉田ヒロさんとは?

吉田ヒロさんと初めてお会いしたのは、入って2年半くらい経った時で。その当時はまだ京橋花月があって。そこに、まだ出始めて2回目、全然何したらいいかわからない時にご一緒しました。ほかの方たちには先輩とか師匠という感じですけど、ヒロ兄さんに関しては憧れすぎて、好きすぎて、「本物や! ヤバ」みたいに思いました。ふふふふ。生で初めて見てテンション上がりましたね。その時、秋田久美子姉さんがすごい優しくて、話しかけてくださって、「ヒロ兄さんが好きやった」という話をしたら、久美子姉さんがヒロ兄さんに言って、一緒に写真撮ってくださって…えへへへ。「ファンです」って。…ヒロ兄さんも優しいからすごい話しかけてくださったりして。今では「ヒロ君」って呼んでます。ふふふふ。私のこと、「う○こ」って呼ぶから、「ヒロ君、小学生じゃないんだからやめなさい」って。

―初舞台は覚えていらっしゃいますか?

入って1年くらい経った時ですかね。私入ったのが、ちょっと遅かったんです。金の卵5個目なんですけど、みんなは10月に入って。私まだその時、広島吉本の仕事でレギュラー番組をやらせてもらってて、次の年の3月までだったので、3月いっぱいまで広島でお仕事して。4月に半年ぐらい遅れて入ってきたので、「誰?」みたいな感じで。他のみんなは新喜劇の皆さんへのごあいさつも終わっていて、私だけひょろっと中途半端に。その当時、同期入団でNSCで1個先輩だったいちじまだいきさん(退団)が、途中から入って来た私に、いろいろ気を使ってくださって、「お前、遅れて入って来て、誰もお前のこと知らんから、365日、毎日NGKに見に行け」って言ってくださったんですよ。その当時、ほんまにお金なくて、京橋は電車で行かないといけないんで、週に1回くらい。NGKは全公演見に来てたんですよ。
(全公演…)
途中から1日1回になったんです。あんまり見に行きすぎて、怒られたから。はははは。ほんとに毎日行ってたんです。そしたら、川畑兄さんが面白がって、「なんやねん。毎日同じの見て、おもろないやろ!」って。ほんまに1年ぐらい出番なしで、バイトしかすることないし。レッスンもみんなはもう終わってるし。何にもない日々が続いて。次の年の夏だったと思うんですけど。京橋に出させていただいて。1年くらいかかりましたね。川畑兄さんの週やったと思います。セリフもなかったです。最後に「村の人たちです」って、若い子が大勢出てきて、拍手して終わるだけ。ただの人数あわせみたいな感じで。NGKはさらに次の年の1月くらいだったと思います。それも川畑兄さんの週で、オープニングの芝居でした。
(半年遅れでレッスンもなく、かなり大変でしたね。)
なじむまでに時間がかかりましたね。人見知りなので。環境も全然違いますし、上の方とどう接したらいいのかもわかんないし。中途半端に芸歴があったので、後輩が一気に増えて。金の卵2個目から下、全員後輩なんですよ。森田まりこ後輩ですし、井上安世も音羽も藍ちゃんも。最初、覚えていただけるまでに時間かかりました。「まりこちゃんとタメ語やけど…」みたいな。

―「いや、はや」は、ご自身発信ですか?

あれはもともと川畑兄さんと袖でしゃべってて、私、ちょっと喋り方おかしいらしくて、「ともあれ」とかヘンな接続詞みたいなのをめっちゃ使ってたんですよ。「なんやねん! その喋り方。ともあれってなんやねん。いやはやってなんやねん」と袖でしゃべってたのを宇都宮まき姉さんが見て、「出た! 川畑・岡田劇場や!」。そういうノリがあったんです。その時の川畑兄さんの中で「いやはや」が残っていたらしくて。「あれ、ちょっと使えるん違う?」って、突然台本に書かれてて。「どうしたらいいんですか?」ってなって。川畑兄さんがほぼほぼプロデュースしてくださって。
(両手を肩のところで開く動きもありますね)
もともと私叩かれたらクセで動いちゃってたんですよ~。それを川畑兄さんが「お前、その動き何やねん!」って「あ、すみません、叩かれたら動いちゃうんですよ」「それはそれでオモロいわ」って拾ってくださって。内場兄さん週の時に、すち兄さんが「あれ、オチつけた方がいいんじゃない?」「え? オチですか?」「最後スカすから」と言ってくださったのが始まりですね。川畑兄さんからすち兄さんです。「めっちゃしゃべるキャラ」はもともと川畑兄さんが作ってくれたんです。楽屋でめっちゃしゃべってたら「めっちゃしゃべるやんか。しゃべりすぎや!」って怒られて。それを使ってくださって。それに叩きを加えてくださって。
(いつ頃からですか?)
NGKの初舞台で「めっちゃしゃべるキャラ」をやってるんですよ。ハケてもしゃべってる、というキャラクターを。

―これまでに印象に残っている舞台ってありますか?

やっぱりNGKの初舞台ですかね。緊張しまくりました。2組のカップル役で、最初に男2人女1人でまず川畑兄さんと喋ってて、「もうすぐ俺の彼女来るから。かわいいんですよ」と紹介されて出て行って、「いや、めっちゃブスやん」とツッコまれて、めっちゃしゃべるっていう…。漫才の時もNGKなんか立ったことないから、楽屋も緊張したし、楽屋前のロビーも「テレビで見たことある!」って思って。舞台袖も初めてで、スタッフさんに心配されるくらい緊張してました。ちょっと泣いてたんですよ。「怖い~」って半泣きになってて。そしたらみんなが集まって来て、1人ずつ握手してくれて。手がめっちゃ冷たくなってました。暗幕のところでうなだれてたら、すち兄さんにバレて「お前、何してんねん、こんなとこで。お前、泣いてんのか? 大丈夫や!」って。ガチガチで出て行ったのを覚えてます。
(いきなりしゃべりまくるのは緊張しますね)
最初はね、台本にも私の長いセリフを書いてくれてたんですよ。それを私が頑張って覚えて一生懸命しゃべってたんですけど、ある日、突然、「岡田しゃべる」って書いてあって、あれ?って。
(あはは…でも自分でやっていいってことですね)
その時にちょっとうれしかったですね。「岡田しゃべる」、ボケとして認識されるようになったというか。ここであのボケをするということを、このト書きだけでみんながわかってくれる感じなんだと思ったら、ちょっとうれしかったですね。「岡田叩かれる」とか、「岡田いやはや、ありまして」とか。うれしいですね。
(叩き方も座長ごとに違うんですか?)
あ、違いますね。叩き方のタイミングとか、全然違います。叩くのは全員上手いので、私はゆだねてしまうだけで…私がしゃべってて、よきところで叩いてくださる。だから皆さん、すごいなって思います。私はただしゃべるだけだから。

―苦労されていることは?

正直、お芝居は下手くそなんですが、関西弁がまず喋れないんで…今も苦労します。関西弁難しいですね。いつも訛っているって言われるんです。
(方言を武器にしていくのは?)
それは、私は違うと思うので…。やっぱり新喜劇をしたいので。
(どういうところが一番難しいですか?)
ニュアンスが、なんかわかんないです。全然。単語とかも。ヌ? イヌ? コ? ネコ? 何? どっち? どっち? みたいな。何が訛って、何が訛ってないか、いまだに分かんないです。だから、同期に聞きます。「このセリフなんて言う?」って。台本に「おかしいやろ!」って書いてあるじゃないですか。「おかいやろ」「おかしいやろ」もどれ?って。結局、ホンモノを知らないから、いつもどれがホント?ってわからないんです。
(先輩を見て盗むしかないですね)
すち兄さんに「関西弁練習せえ!」って言われてます。

―声にも特徴があるし、キャラクターも印象的です。手ごたえは?

手ごたえは、いまだに感じないです。感じたことなど1度もない!(笑)。ずっとわかんない…。私が笑いを取ってるってイメージじゃないです。自分でボケを考えられないので。人にいじってもらうしか出来ない子やから、1人じゃ無理なんです。周りの皆さんのお陰なので、「あ、川畑兄さんスゲーな」とか、「清水さんスゲーな」「内場兄さんスゲーな」みたいな感じ。私が個人で取ってる笑いはないので。
(この先、やりたい役とかは?)
わかんないけど…必要とされていたいですね。必要であれば、どれだけでも働きます。必要とされるようになりたいです。最終的に365日NGK出たいですね。それが一番うれしいですね。

―趣味とかプライベートでハマっていることは?

私、オタクなんですよ~。それだけは止めれないです。アニメ、漫画、声優さんは止められないですぅ~。
(もともと何でハマられたんですか?)
もともとは、アニメです。うちの家族全員オタクなんですよ、サラブレッドでして。親もですし、兄弟もなので。親の方針かどうかわからないんですけど、お母さんが「勉強しろ」って言わなくて。ちょっと変わった人で漫画とかも全然ダメっていわれなかったし。私は部活の方にもハマってて、当時はそんなに読んでなかったですけど。NSC行き出してから、ふとテレビ見た時に、その前から「ケロロ軍曹」(TXN)というアニメがすごく好きやったんで、ずっとケロロ軍曹のファンやったんですけど、「涼宮ハルヒの憂鬱」(TXN)と「ひだまりスケッチ」(TBS)という2つの深夜アニメにどハマリしまして。そっからですね。ハマって抜け出せなくなりました。今もMBSさんにすごくお世話になってます。深夜アニメ全部見てます。地上波だけで週42本、見てます。
(すご~い!!)

2017年5月15日談

プロフィール
1984年4月30日 岡山県生まれ。
2005年 NSC大阪校 28期生・YCA広島事務所・金の卵オーデイション4個目。