第50回 西川忠志

僕にとって、新喜劇はなくてはならぬものですね。


―西川さんは新喜劇と縁が深いですね。

そうですね。父と母が50年ほど前に出会った場所が新喜劇の舞台だったので、新喜劇がなければ、父と母は出会わなかったでしょうし、たぶん、僕という人間も生まれてなかったでしょうし。西川家と吉本新喜劇は切っても切れない縁ということになりますね。
(舞台は小さい頃からご覧になっていましたか?)
父がやすきよで漫才をやっていた頃、学校が休みの時に、よく劇場に遊びがてら連れて行ってもらいました。舞台を見るというよりは、楽屋でありがたいことに他の皆さんにかわいがっていただいて、遊んでもらえるのが楽しみで…。正直、客席で舞台を見た記憶より、楽屋で遊んでもらっていたことの方が記憶に残っています。

―芸人ではなく、役者を目指されたのは?

実は、幼稚園の時に子役としてドラマに出していただいたんです。朝日放送が大阪でドラマを撮っていた時代なんですが、宇津井健さんと有馬稲子さんが出演するドラマ(「嫁サこらんしょ」1973年)で、有馬さんが離婚してフランスから帰ってくる子連れの女性の役なので、大阪で洋風の顔立ちをした子どもが欲しいと、捜してて。「大阪でそんな子どこにいる?」 「あ、きよしさんとこの子どもや」と。父に「お子さんを貸していただけないですか」という話になったんです。それで出たのが、お芝居をする初めての体験だったんですが、幼稚園の頃なので、詳しくは覚えていないです。スチール写真とかを見て、何となく覚えている感じです。本格的に役者になりたいと思ったのは、小学校3年生の時に東京の知り合いの家に夏休みに遊びに行った時、連れて行ってもらったミュージカルですね。日生劇場の夏休みこどもミュージカルでフランス文学の「にんじん」(1979年)という、赤毛の少年が髪の色のせいでいじめられるという話をやっていたんです。わざわざ一番前の真ん中の席を取ってくださって。その時、にんじん役を演じてらしたのが大竹しのぶさん。これがすごく印象的で。たった1回しか見てないんですけど、みんなにいじめられて家に帰ってきてボロボロひとりで泣いて、「(歌)居眠りして~た神様~が、作り損ねたダメな子ども、ぼくはにんじん」って歌うんです。1回しか見てないのに、僕、その歌、覚えてるんですよ。
(え~っ!? すごい!)
涙ぽろぽろ流しながら、自分なんて死んだほうがいいんだって、水がたまったバケツに映った自分の赤毛を見て、「こんなの嫌だ!」って水に髪をつけて。子どもなりに苦しんでいる、その演技を見た時に、「ここに立ちたい!」ってほんとに思ったんですね。客席じゃなくて、舞台の上に立ちたい、役者をやりたいって。自分発信で思ったのは、その瞬間だったと思うんです。その時から全く気持ちが変わらずに、今まで来てますね。
(その話、大竹しのぶさんにされました?)
ちょうど同じ事務所で一緒になった時期がありまして、そのお話をさせていただいたら、第一声は「ありがとう」とかじゃなくて、「あなたと私、そんなに歳が離れてるの?」でした(笑)。

―実際に役者の道へ進まれたのは?

この世界に入ったのは、19歳です。両親には、ずっと「お芝居がしたい」と言い続けてたので、それとなくわかっていたと思います。中学校の時に父から「お父さんもこの世界にいるから、止めることは出来ない。ただ、自分が何も持ってなかったら、すぐに終わってしまう。やるならやるで、少しでもいろんなことを身につけておきなさい」と言われました。芸事は嫌いじゃなかったので、ジャズダンスを中学生から始めたり、日舞を始めたり、習っていたピアノも高校まで続けて。高校を卒業する時に、演劇が学べるところへと思って、玉川大学芸術学科へ行きました。それと同時に東京の芸能事務所に預かっていただき、そこから、西川忠志としての芸能活動になったんです。

―俳優として、20年のキャリアを積まれてから、なぜ新喜劇に?

いきなりではなく、徐々になんですけど…。小学生の頃から、ありがたいことに夏休みに僕が「芝居を見たい」と言えば、東京の叔母さんのところに2~3週間送り出してくれて、いろんな劇場でお芝居三昧してくるという学生時代を送らせてもらいました。それは自分の宝物なんですけど、実際自分でやり始めると、それまで見てきた“演劇”をやろうとしてスタートしたんです。初舞台は、帝国劇場で森繁久彌さん主演の「碧血の波濤―明治太平記」(1992年)でした。その後も、森光子さん、杉村春子さん、山田五十鈴さん、そうそうたる方々と舞台をご一緒させていただく中で、皆さん、素晴らしい存在感の方ばかりなんですが、根底に喜劇やコメディセンスをお持ちだというのを感じたんですね。森繁さんは喜劇「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」で、森光子さんも大阪で喜劇を、山田五十鈴さんも芸事を身につけられて、小粋なくすっと笑わせるお芝居をされていて。山田さんとは「たぬき」というお芝居でご一緒したんですが、三味線を弾く芸人さんの役で、軽さみたいなものがあるんです。僕はがむしゃらで、熱い、汗をかいて、大きい声を出すお芝居をやってたんですが、コメディでもホロッと泣けるものってありますよね。何気ない空気のようなお芝居の中でもお客さんの琴線に触れて、ホロッと涙が出る。舞台で先輩とご一緒する中で、こういうお芝居がしたいと感じはじめて。でも自分に来るお仕事は、真面目、好青年、というような役が多くて。それまで父がいる世界は自分には縁がないと思っていたんですね。でもいろいろ考える中で、ふと頭の中に新喜劇が浮かんで、コメディや喜劇の勉強を出来る世界が身近にある! それに自分の役者人生で、コメディや喜劇の要素を身につけたいという思いが重なって、手後れにならないうちに、新喜劇で勉強したいと思って、父に相談したんですね。それまでお世話になった事務所にも相談して、自分の思いを伝えると、社長が「役者として色んなモノを吸収して頑張りたいなら、止めないし、また縁があると思う。自分の役者人生を深めるために頑張ってきなさい」と言っていただき、吉本の大﨑社長にもお許しをいただき、吉本に入り、新喜劇に入団させていただいたという経緯です。

―入団されてからは?

2009年3月から半年間、当時は、京橋花月で「よる芝居」という公演があって、新喜劇の方だけでなく、ゲストを呼んでのお芝居があったんですが、そこで経験させてもらいました。
(ずいぶん勝手が違ったのでは?)
もちろん、稽古は前の日だったり、稽古期間が短いということはありますけど、自分に与えられた時間の中で本を読んでセリフを覚えて、稽古をし、本番に挑むという形は変わらないです。ただ、やはり新喜劇というチームワークの凄さを一番最初に感じました。いきなり知らない方が集まって前の日に稽古して、本番というのは、きっと無理。長年の皆さんの経験とチームワークがあってこそです。そこに新しい人が入っても皆さんに助けられ、また育てられながら成長していく気がしました。稽古量の少なさから言えば、ドキドキで、何度も空えずきするみたいなこともありましたけど。いろんな方から、「新喜劇ってアドリブが多いんですか?」って聞かれますけど、中身はアドリブでも、基本はほんとに稽古どおり、ちゃんと巧みに計算されたお芝居を最初から最後まで作り上げる。瞬間的、自然発生的に湧き上がった笑いを広げていくことはあったとしても、同じです。

―初舞台は覚えていらしゃいますか?

もちろん。京橋の時も、11月のNGKの時も座長は内場さんでした。ほんとに緊張しました。家で1人で練習していると、母が「明日が初舞台と思ってるでしょうけど、私があなたを身ごもった時、一緒に舞台に立っていたから、明日が初舞台じゃないのよ。安心して行きなさい」とお守りの言葉をもらって、初舞台を務められました。
(どんな役でした?)
真っ白のつなぎを着た宅配便のお兄さんの役で、「お兄さん頑張ってるね~」と声をかけられて、「小さなことからコツコツと…」をやらせてもらいました。
(あれは初舞台から?)
台本に書いていただいているのがほんとにありがたかったです。内場さんからも「無理して笑いを作るより、今まで経験してきたことをきちんと出していけば、それでいいから」と言っていただきました。僕が勝手にやっても、さぶいですし。与えられたことをきっちりやることですかね。まずは台本どおり、きちんとやればいいんだと。

―この7年間に学ばれたことは?

何よりも7年の間に、舞台上に自然にいることがどれだけ難しいことか、またそれが必要なことか、を感じました。ある時、他の舞台からも声をかけていただいて、藤山直美さんとご一緒した折、何気なく「忠志君、自然と舞台にいるね」という言葉をかけてくださったんです。僕にとってはホメ言葉というか、うれしく思いましたね。これは新喜劇のおかげだというのをすごく感じました。今までの汗水流しながらの演技というのもありますけど、大阪のお兄ちゃん、お姉ちゃんとかが会話する中でくすっと笑えるような自然な居ずまい、会話の仕方、それを少しずつ経験でき、自分に少しずつでも備わっていっているのかな、と。
(ご自身でどのくらいのところまで、来れた感じですか?)
そうですね…パッと思ったのは、(山の)5合目? でもお芝居は舞台上のものだけじゃなくて、日々の客席の空気感も変わりますし、それもひっくるめて1回1回のお芝居なので、客席の空気を感じるというのは、まだ全く出来てません。舞台からハケて来た時に、他の皆さんが、「今日はかわいい子来てるな」とか、「前の人寝てるで」「あのおばさん、よう笑ってくれはるな~」とか言われるんですが、なっかなか、僕、そこまで目が行かないです。だから、今までより少し舞台に自然に立てるようになったとしても、それはお芝居の部分だけで、お客さんの空気を感じて出来てるかというと、そこは0点に等しいです。劇場全体の空気感をつかみながら、その日の空気にあわせてナチュラルに出来たらなと思います。

―西川さんにとって新喜劇とは?

最初も申し上げましたが、なくてはならないものです。皆さん、かわいがってくださるので、ありがたいの一言です。
(ご両親が舞台を見に来られたりしますか?)
たまにですけど、見てくれることもあります。とくに母ですかね、「ほんとにあなたは人様に助けられてるね。もっとそれを感謝しいや」というようなことをいつも言われますし、自分でもそう思います。

―新喜劇でのこれからの目標は?

そうですねえ……基本は、普通の真面目な演技の中から、自分が発信するよりは、皆さんが拾ってくださって、「お前、何真面目やねん!」と突っ込まれる形が多いので。それはお芝居としては正解なんですけど…。
(突っ込んでもらってナンボですね)
そうです。自分が出す色合いの中で、ツッコミの方がいてくださり、相手の方が振ってくださる中で、西川忠志とはこんな雰囲気なんやと、見たお客さんに印象づけられるような、そういう新喜劇での存在感を増していきたいということですね。
(新喜劇の中での西川忠志色(いろ)を…)
色を深めて行きたい。それが何なのかというと、やっていく中でつかんでいくもんじゃないかな、と。

―最近、ハマっているものは?

自分発信という意味で、これまでやってこなかった、ブログを始めたんです。名前も「西川忠志の忠義の忠に志す!」っていうんですけど。何気ない自分が普段思ったこととか、感じたこととかを発信して、みなさんがどういう風に見てくださるか。心では思っても行動に移してなかったんですが。やっと。
(ほかには?)
朝起きたら、必ず40分くらいストレッチと、ラジオ体操はやりますね。今まで色んな舞台や現場で稽古でやってきた中で、自分にあった物を取り入れながら、自分なりに作ったモノです。朝出る時は人様に見られるので、身だしなみは僕なりですけどきっちりしたいんです。少しでも皆さんに元気そうやなという顔を見ていただきたいので、そこだけはどれだけ朝が早かろうと、前の日が仕事で遅かろうと、家を出る前に、プラス、ストレッチをする時間を入れた時間前に起きて、毎日仕事に出かけるようにしてます。自分の気持も違いますね。
(真面目ですね~)
真面目の定義が自分でもよくわかってなくて。そこが真面目やといわれるんですけど(笑)。自分自身、真面目だとは思ってません。朝起きると眠たいし、毎日、大の字になって、深い呼吸から始めるんですけど、やっているうちに気持ちよくなってきて、終わった時には、すがすがしいんですよ。「わ~きもちいい~!!」って。その気持ちが待ってるから、その感覚を自分で知っているから、眠たい目をこすっても、40分後にはそれが待ってると思うから、続けられるのかな。あははは(笑)。
(ありがとうございました)
あ、無精ひげを伸ばしているのは、役柄だというのを書いておいてくださいね!

2016年9月5日談

プロフィール
1968年4月20日 大阪府生まれ。