第42回 新名徹郎

入った頃、芝居が下手で「新喜劇オンチ」と言われました。


―NSC25期ですが、お笑いを目指されたきっかけは?

小学校の頃から新喜劇は見てました。土曜日、学校からいっぺん帰ってきて、お昼ご飯食べながら新喜劇見て、その後、学校のサッカー部行って、その後少年野球やって。昔からお笑いはずーっと見てたんですよ。みんなが「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)を見てた時に、なぜか僕はとんねるずさんの番組ばっかり見てたんです(笑)。ALFEEさんとの卓球対決とか。お笑い番組を見るのは大好きやったんです。ただ、自分がお笑いをやろうとは思ってなくて。高校2年の時にクラスの仲のいい子が、そいつは他のクラスでも知られるひょうきん者みたいな感じやったんですが、「学園祭に漫才やって出えへん?」と誘ってきたんです。そっから、ネタ作らなアカンと思って、漫才番組をメッチャ見出して。自分で考えたネタを何個か書いて、その子に渡したら、「これおもしろいやん。これやってみよう」と。初めて学園祭で大勢がおる前でやったら、メチャクチャウケたんですよ。それがもう味わったことのない感覚やって…。衝撃的でした。何百人いる人を笑わせたら、「ドン!」ってなって、こんな感情になるんやって。これは気持ちいいなっていうか。すごい興奮して…。
(すごい出合いですね)
「これメッチャ面白いな!」となって、そっからハマってしまいましたね。漫才番組を見たり。好きやったのが、中川家さん、フットボールアワーさんとかメッチャ好きでしたね。チュートリアルさんもそう。一番初めのbaseよしもと世代ですよね。それを見て、ほんまに面白いなと。

―高校2年で漫才にハマるということは、受験に影響が?

そうなんですよ。そこから受験勉強もロクにせず。その時は、スポーツが好きやったんで大学も体育大学に行こうと思ってまして、親も賛成してくれてて。サッカー選手なりたいと思って、もし、なれなくても体育大学出てたら、なんとかなる、それこそスポーツトレーナーとか、色んな道があるからという筋書きを親はしてたみたいなんですけど。案の定、大学は見事に落ちまして。全然勉強しなかったんで、楽勝で落ちてると思います。
(浪人されたんですか?)
その時に親に専門学校へ行ったらどうや? と言われまして。専門学校から編入で入ったらええんちゃうかと。ちょうど新しく出来る学校があったので、そこに受かって…。お笑いのことは、大学落ちた時くらいに「やりたい」って、親に軽く言うたんです。「それはもう許さん。そんなん仕事にするな趣味でやれ」と。何回か押して言うたんですけど、「絶対反対、絶対許さへん」って言われて。でも、専門学校行ってから、僕がどんだけ目標なく入ってきたかということを気づかされました。周りの友達は、どうしてもスポーツトレーナーやりたいとサラリーマンを辞めて入って来てたり、僕より年上の人がいたり、ほんまに「これしかない!」と来てはる人ばっかり。僕が仲いい4人グループは、高校からそのままあがってきたような奴ばっかりやったんですよ。周りを見てて、空気が違うなと思ったんです。居づらいな、申し訳ないなと。

―その後、どうされました?

半年くらい過ぎた時に、親に「学校を辞めて、お笑いの方へ行きたい」と、言うたんです。最初は「絶対アカン」と言われて、それから毎日のように言うたり、行く気がないのをアピールするために、わざと学校に遅れたりしたんです。何日かして、明らかに母親が泣いてたみたいで目を真っ赤にしてましたね。ほんまにもう、ダメ息子です。でも、お笑いの方を本気でやりたいという話を家族会議でしたら、親父も「もうわかった。お前がそこまで言うんやったら、好きにせえ。お前の人生なんやから。やれるとこまでやってみなさい」。それが、11、12月くらいやったと思うんです。専門学校に退学届け出して、翌年にNSCを受けて受かりました。学費は…バイト代では全然足りなくて、親に借りました。そこはもう呆れてましたね。「もう!」って。

―NSCでは漫才コンビを目指されて?

新喜劇の幕開きの芝居で、特に川畑さんとかに新喜劇の笑いの作り方というのを、勉強させてもらいました。幕が開いてすぐ、お客さんはい、学祭の時の気持ちが忘れられず、ずっと漫才をやりたかったんで。入る時に、ちょうどその年にM-1が始まって、NSCからも全員出ろと。最初に組んだ子と出たんですけど、全然ウケなくて。お互い「そりゃそうやろ」と解散しました。M-1終わった時に、生徒が半分減ったんです。25期は今まで一番生徒が多くて、大阪だけで800人くらいいたんです。
(ええっ!? 800人?)
夏にM-1始まって終わったら、みんな壁にぶち当たって、生徒が半分に減ってました。それでもまだ400人くらい残ってたんで、僕も色んなクラスを見に行って、相方を捜してました。違う相方と組んで、しっくり来ないなと思って解散して。次くらいの時かな? 安井まさじと組んでるんですよ。1か月だけ。安井まさじもM-1終わって解散して、また次のコンビ組んで解散して。僕も「ダ・ヴィンチ」組むまでに5人くらいと解散してるんですが、その間の1人に安井まさじが入ってます。
(そうなんですね!新喜劇トリビアですね~)
昔から仲良くて、同じクラスで、まさじの方が「新名、やれへんか?」と誘って来てくれて。いろんな奴から聞いたら、その当時、みんなボケで入って来てるんですよ。僕みたいにツッコミやりたくて入って来てる奴はなかなかいてない。で、やってみたんですけど、僕は漫才やりたい、まさじは千原兄弟さん好きで入って来てるんで、結局コントがやりたかったんです。まさじもいい奴なんで、僕の漫才に付き合ってくれてたんですけど、考えてくるネタはコントばっかり、僕は漫才ばっかりで。まさじが「新名、コントやりたいんでゴメンな」で解散。その後、何人かと組んで、12月、1月くらいですかね。(釜口育と)「ダ・ヴィンチ」を結成したんです。相方も解散してピンでやってたんです。インパクトのある顔やし。僕は今もですけど、フットボールアワーさんの漫才がホンマ好きやったんで、憧れるじゃないですけど、後藤さんと岩尾さんみたいな感じでやろうと。6年目くらいに解散しましたね。

―解散の理由をお伺いしても?

全然大丈夫です。周りからは「絶対、仲悪かったやろ?」と言われるんですけど(笑)。僕らプライベートであんまり会話しなかったんです。ネタ合わせの時くらいしか。お互い(ネタを)書いてたんで…。
(なるほど~)
お互い書いて見せ合って、「これええんちゃう?」「やろか~」とやってたんで。今思ったら、それがアカンかったかもしれんな、と。解散の一番の理由は、関西の新人の賞レースって、結成5年未満(が条件)なんですよ。5年までに、テレビに映る本戦へ出なアカンな、というのをずっとしゃべってて。今でも思い出しますけど、一番惜しい時はすごいブロックに入ってしまって。プラスマイナスに、ビタミンSに、僕ら、ジャルジャル。予選でかなりウケたんですけど、結局、本戦へ行けなかった。解散する前くらいに相方が、「もう今のブサイクネタ続けていくつもりはないねん」と言ってきて、じゃあ解散しようか、と。前説だけなんですけど、いろんなテレビ番組の仕事もちょこちょこ入っていて、悩んだんですけど、仕方ないな、と。それで解散しました。

―解散した後、次の相方を?

そうなんです。同期の大脇里村ゼミナールの里村(現在は作家)が、自分のかわいがってる後輩とか同期とか先輩とかのいろいろイベントをやったりしてたんです。いろんなコンビを知っていたので、相談して、いろいろ考えてくれたんですが、前の相方がインパクトあったんで、「あれくらいインパクトある奴おれへんで。難しいわ」と。どこかの解散を待つ? みたいな話をしてたんですけど、何か行動しないと不安やったんで。里村の家にいた時に、チラッと新喜劇の金の卵4個目のオーディション見てたら、「これ、〆切1週間伸びてるで。誰かに聞いたけど、清水けんじさんも受ける言うてたわ」と。清水さん受けはるんや。メッチャ意外やな、ピンで司会とかしてはるのに…と思ってたら、「新名、これ、ダメもとで受けてみたら?」と言われて。で、新喜劇は小さい頃見てたこともあって、4個目のオーディションを受けたんです。ただ、ちょっと裏話がありまして…。
(裏話、ですか?)
実は僕、吉本の社員サッカー部で新喜劇の制作の方を知っていて、新喜劇のことをいろいろ聞いていたら、「最終審査だけ受けたらいい」と言われて、結局、それで入らせてもらったんです。今でも同じ4個目の奥重さん、先輩なんですけど、「お前、最終しか来てへんよな」と言われます。「俺は1次から受けたから」って。

―新喜劇に入られた印象とか戸惑われたことは?

上の先輩ばっかりでしたね。トミーズさん、ナイナイさんよりもっと上の師匠方、桑原師匠とか一の介さんとかいらして、こんな感じなんやと。とにかく、色もん(漫才)の時って、優しい人ばっかりやったんです。年が近いというのもありますし、「頑張って、baseよしもと盛り上げて行こうな!」、という感じだったんで。入って、いきなりbaseそのままの感じでワーと言っていたら、楽屋とかで全然ウケへんな。あれ、のけ者にされてんのかな、という感じがありました。色もんの時って、滑ったら誰かフォローしてくれるんですよ。「すべってるやんか!」と。「おもんない!」とか。反応全然なかったんですよ。「入ってきたばっかりの奴が何言うてんねん」みたいな視線ばっかりで。「あれ?」と思いました。若手が入ってきたら、まず一番最初に先輩方の周りのことをやる。お茶入れたり、掃除したり、衣装をそろえたり。今思えば、そういう感じが戸惑いでした。厳しいなというのはありました。芝居でもそうでしたし…。

―初舞台は覚えてますか?

川畑さんの週で。オープニングに出させてもらいました。離島の診療所を舞台にした話で、僕と清水啓之が海辺でケガしたと、2人だけでいろいろボケ考えて。一番初めは、やっぱり、スベってましたね。川畑さんからアドバイスいただいて。金曜日のカメリハまでには何とかウケるようになりました。ただ、楽日に、川畑さんに「下手くそやな~新喜劇。ずっと思ってたけど。色もんって応用力効く奴多いから、意外とスッと入ってくる奴、多いねんけど」と言われて。めっちゃショックでしたね。ある程度出来ると思って入ったんで。そんなことを言うてはった川畑さんが、京橋花月で、いきなり芝居のある役をやらせてくれて。メチャクチャ焦りました。たくさんセリフがあるのは初めて。前日の稽古で「何やこれ? こんなん明日までに覚えなあかんの?」って。入って半年ぐらいした頃だったかと思います。そこでも「下手やな。新名、新喜劇オンチやな」って言われました。

―ご自身で手ごたえを感じられたのは?

1年半か2年ぐらいして、辻本さんの週にちょこちょこ出てたんです。ある時、急にお芝居のある役に抜擢されたんです。それがすごいいい役で、西川忠志さんが長男、長女が秋田久美子さん、僕が次男。3人兄弟で、実は次男だけ血がつながってないという、三兄弟の話。最後はいい芝居で、お客さんも泣いてはるようなお芝居なんです。その中で僕だけ全然出来なかったんですよ。初日からずっと怒られてて、「全部アカン」。毎回終わって帰ってきて、「何にも出来てない、まだまだアカン」と言われ続けてて。その時、あき恵姉さんから(お芝居のことを)いろいろ聞きました。未だに覚えてます。「徹っちゃん、やろうやろうと思わんで。お芝居やろうとしたら絶対アカンで。その役の気持ちやから」って、ずっと言われてて。忠志さんからも「気持ちやで」と。でも、その時は全くわからなかったですね。「気持ち? 気持ちって言われても。そんな血つながってない親子ってなったことないし」みたいな。なんとか、怒られながらやり続けて、土曜日の収録の回くらいから、あき恵姉さんから「良くなってきたよ」と言われて、忠志さんも「良くなってきた」って言ってくれはるようになりました。それを経て、だんだん「気持ちでやる」というのがわかってきて。そこでのアドバイスがありがたかったです。ほんまにしんどかったですけど。

―今、7年。これから先どんなことをやっていきたいですか?

僕は今別府さんや吉田裕さんみたいに見た目、面白いタイプじゃないんで。逆にそういう荷物を背負ってるんで…僕は周りの人を生かして、もっと面白さを引き立てて、この人がこんな役をやったら面白いとか、こういう面白さがあるんやとか、僕がみんなから引き出しながら、芯となってやっていければな、と。こないだの「吉本新喜劇2026」みたいに。今年1月から「吉本新喜劇2026」という公演が始まったんです。これは10年後の吉本新喜劇の担い手を作ろうと、今年からは若手座員が座長となって毎月2回のペースで持ち回りでオリジナルの吉本新喜劇を上演してます。1月は信濃岳夫と太田芳伸が座長に。2月3日に僕が座長の公演があったんですが、ちょっとハードルの高いことに挑戦しました。舞台の女子高が共学になって、初めてやってくる男子転校生が僕、という設定。今別府さんの怪演や吉田裕さんには女番長・吉子でドリルをやってもらったり…。「2026」でやったようなことをもっとやって行きたいですね。僕自身はギャグもないし、面白い訳でもない。周りの人を生かして、もっと面白い部分を引き出して行きたいんです。
(もともとツッコミですもんね)
昔、ブサイクを操っていたみたいに、色んな人を操ってやっていきたいなと。入って7年やってきて、新喜劇ってほんまに面白い団体芸やと。こんなに奥が深いんやと。お芝居大切にしていきながら、新しい新喜劇を作っていければなあと思います。

2016年2月8日談

プロフィール
1982年5月22日 大阪府生まれ。2002年4月 NSC25期生。