MBS(毎日放送)

第74回 もりすけ

頭だけじゃなく、一の介師匠のお芝居を目指してます。

―愛媛のご出身ですが、お笑いを目指されたきっかけは?

小学生ですね。僕は愛媛でも田舎の方で、テレビもお笑いとかほとんど放送してなくて新喜劇もやってなかったんですけど、小学5年くらいかな、NHKのEテレで「フルハウス」っていう外国ドラマをやってたんです。ホーム・コメディで、思いっきり笑い声とかを足してるやつで。それにお笑い芸人が出て来てて、「カッコいいな~」と思って。
(※「フルハウス」1993年~97年に放送されたシチュエーション・コメディ。妻を交通事故で亡くした男性が男友達や義弟と3人の娘の子育てに奮闘する。主人公の親友がコメディアンのジョーイ(声・山寺宏一))
それが、最初のきっかけやったと思います。
(どんなところがカッコいいと?)
そのコメディアンが大事な時にずっとふざけてるというか。一緒に住んでる小さい女の子が、「何でこんな時にふざけるの?」と怒ったら、「僕は人を笑わすことしか能がないんだ」みたいなこと言ってて。人を笑かすしか出来ないなんて「カッコいいな」と。
(珍しいですね。外国ドラマでお笑いに憧れるって)

―実際にお笑いの道に行かれたのはいつから?

18、9歳の頃、愛媛の美川スキー場(2014年廃止)というところでアルバイトしていたんです。その時に一緒に働いていた一つ上の人がスノーボードがすごい好きで。ニュージーランドまで滑りに行ってて。それ聞いて、僕はお笑いをやりたかったけど、ビビってて、ずっと行動に移してなかったんですが、ニュージーランドへ行くのに比べたら大したことないやと思って。それで、僕も大阪に行ってみようかなと。NSCのことも調べてたんで。
(スキーとかもされるんですか?)
スキーよりもスノーボードですけど、スキーは、クロスカントリーで国体に行ったことが…。
(えっ!? 国体…)
高校2年やったんですが、愛媛って、競技人口が20人もいなかったと思うんですよ。「ちょっと頑張ったら、公欠取って(大会に)行けるぞ」と言われて、学校休めるんならやってみようと思って。でもあまりにもしんどくて、高3の時には一切やらなかったです。
(愛媛って、雪、降るんですか?)
降ります。僕の家の方は標高が高くて。積もりますね。
(高校時代、ほかにスポーツは?)
一応、野球部と両立でしたね。
(意外と、運動神経いいんですね~)

―高校卒業後は大学へ?

僕、勉強がほんとに嫌いで。大学に行ってまで勉強するの、嫌やなと思って。家が林業やってたので、親父と一緒に林業を1年やって、松山の方で就職したんですが、辞めて。冬は雪が降って林業が出来ないので、スキー場で働いてました。スキー場ってめちゃくちゃ稼げたんで、会社辞めた時には、お笑い芸人になろうと思って、スキー場でパッパッと稼いで大阪に出て来ようと。
(ご両親の反対は?)
「行って来い」と。親父とか、家を継いでくれると思ってたと思うんですけど、僕が行くと言ったらそう言ってくれましたね。すごい自由にさせてもらってます。小学校5、6年くらいの時やったと思うんですけど、奈良に姉ちゃんがいて、会いに行きたいって言ったら、「わかった、1人で行って来い」と。普段、僕の地元はド田舎で、バスとか電車とかもほとんど乗ったことがなかったんですけど、電車の切符だけ買ってくれて。「これで行って来い」と。
(ご自宅って、最寄り駅からどのくらいなんですか?)
バス停だと3キロくらいですか、電車の駅だと30キロくらい行かないと…。だから、電車乗ったことなかったんです。松山までなら車で1時間くらいですかね。

―大阪に出て来られてカルチャーショックなかったですか?

「クサ~!!」って思いました。
(え!? クサ~って、何?(笑))
とにかく大阪、臭いな~って。
(あはははは。何の臭いですか?)
排気ガスとかですかね~。
(あ~なるほど。ものすごく空気のいいところに住んでいらしたから)
ほんとにそうです。3、4年前に同期を何人か連れて実家に帰った時、星空がメッチャきれいで、流れ星もあって。道路に寝っ転がって見ようかと、家の近くのちょっと大きな2車線道路に寝転がって見てたら、1時間くらい寝てもうて。車が全然、通らないんですよ。今でもそんなところです。
(※絶対マネしないでください)

―大阪へ出て来られて、すぐにNSCへ?

すぐに入りました。で、1回コンビを組んで解散して、ずっとピンでやってました。NSCでは緊張してたと思います。ネタを作るなんて初めてだし。ピンでは漫談とかやってて「NSC道場」に出て、「けっこうスベったな」と思ったら、終わってから、MCをされていたへびいちごの島川さんがわざわざ来てくださって、「面白かったからずっとそのままでいいと思うよ」と言ってくださって。それ覚えてますね。島川さんに言ったら、忘れてましたけど(笑)
(ご自身ではお笑いに手ごたえを?)
ピンの時はコンビ組みたいな~とずっと思いながらやってたんですけど。まあまあ、行けるんかなと思ったりしてました。その後は、当時インディーズライブとか出来てて、出てましたね。しばらくしてコンビ組んで、2年弱くらいやってから、次にトリオになりました。「ドルフィンズ」という名前で、その時に、baseよしもとにも所属出来て、単独ライブとかも。
(ほ~すごい!)
僕らのお客さんはもう、男ばっかりで女の子がめっちゃ少なくて。
(どんなネタを?)
男同士でキスしたりとか…。女の子が嫌がるようなことばっかりやってたと思います。「オールザッツ漫才」(MBS)とか出させてもらったんですけど、めちゃくちゃスベりました。

―どうして一旦、辞められたんですか?

もうめちゃくちゃしんどくて。毎週ネタ作らなあかんし。今より給料もないですし。1か月1万円くらい。精神的にも参って。トリオでネタ考えてたんで、2対1になることも多くて「もうちょっと僕、無理」ってなって。お笑い辞めようと思ったんです。当時は彼女もいて、結婚するつもりでした。その前に好きなことやろうと思って、お金貯めて旅行に行ったらフラれてしまって…。
(どこに旅行されたんですか?)
四国八十八ケ所、お遍路さんをやったんです。その時に1200キロくらいあると言われてて、結局、39日かかったんですけど自信にもなりましたし。その時に出会った人が、「カナダはすごく美しい」と言ってたのが頭にあって。お遍路終わってから、次何しようと思って、カナダとか回ったら自信になるな、と思って…。
(彼女さんほったらかし?)
そうですね。はい。
(そりゃフラれるね~)
フラれますね~(苦笑)歩くって嫌でしょう? やっぱり、怖かったというか。危ないこと巻き込まれるとか。行く前に彼女に聞いたと思うんです。「こんなんしようと思うけど、どう思う?」みたいな。「嫌や」と言うてたと思うんです。そりゃ、嫌やと思いますわ。
(なのに、やっちゃった…笑)
やっちゃいましたね。
(結婚する気がなかったとか?)
ありました、ありました。カナダへ行く前にフラれたんです。そのまま付き合ってたら、僕、お笑いやってなかったと思います。カナダ行く前は、結婚もするし、絶対生きて帰らないかんな、と。でも、フラれたら、生き甲斐を失くした感じで。死に場所探しにカナダ行くみたいな…。

―ツイッターを拝見しましたが、ロッキー山脈を自転車で横断?

あの時、自転車でしたね。何キロやったか正確には覚えてないんですけど、2600キロぐらいですかね。目的地までまだ半分くらいのところで、自転車壊れて、工場で働いている人に引き取ってもらって、ヒッチハイクで目的地まで行きました。
(へえ~!! 目的地は?)
ケベックですね。バンクーバーから始めてケベックまで。3か月のオープンチケット買ってたんですけど、全く勉強してなくて、カナダに行ってから英語のしゃべれなさに、ヤバ!ってなって。怖くなって、1週間以上カナダで引きこもってて…。
(あはははは)
調べたら、クマが出るとか。テントの外におったとか、少年たちにナイフ突き付けられたとか。で、怖くなって、もう、無理やと。でもこのままやったらいかんなと思って、いろいろ行こうと思って、バスの周遊券買って、アメリカの方へ行って、シアトルとサンフランシスコ、ラスベガスとか。グランドキャニオンとか見たり。でも、全然面白くなくて…。こりゃいかんわと思って。その時は「死なんかったらええわ」くらいの感じで、カナダに戻って、それで自転車旅行始めました。1か月半くらいで行けましたけど。
(無事に帰還されて、もう1回人生を考え直して…)
そうですね。2回目戻って来た時は、僕、友だちが愛媛にはそんなにいなくて。大阪が青春みたいな感じなんですよ。お笑いは好きなんですけど、この人らと一緒にずっとおりたいと思ったんです、最初。

―金の卵7個目を受けられたのは?

ピンでやってたんですけど、ピンでは無理やなと思ってて、先輩のピン芸人のグイグイ大脇さんが、一緒にアルバイトしていた時に、「新喜劇みたいなんがいいんと違う?」と言ってくれて。それで新喜劇を見るようになって、面白いなと思って。そこからですね。
(オーディションはどうでした?)
実際、台本を持ったら、全然しゃべれなかったです。コントとかしかやったことなかったし。
(受かった時は?)
ひと安心というか。お笑いの厳しさはある程度は分かっていたので、調子に乗ることはなかったと思います。

―初舞台は覚えていますか?

覚えてます。入団した年の11月で川畑座長週でNGKでした。僕と一緒に出てたのは、辞められた安井まさじさんと、小寺真理、あと一人誰やったかなあ…忘れました。結婚して実家に妻と子どもを連れて帰って来る息子の役で、セリフも一言二言しかなかったです。(※島田一の介さんの息子役で、妻は今別府直之さんだった)めちゃくちゃ緊張しましたね。自分らで作ったものをやるより、緊張しますね。今もたまにオーディションとかでネタを作ってやるんですけど、その時はそんなに緊張しないんですけど、新喜劇はなぜか緊張します。

―印象に残っている舞台は?

出だして間もなくして、また川畑さんにNGKに入れてもらった時、オクレ師匠、やなぎ師匠、僕で、遊園地の話やったんですけど、3人がショッカーみたいな役で出て行って。何ていったらいいかよくわからないんですけど、A-B-CでCがオチでズッコケて終わり、なんですけど、僕、AのあとでCをやってしまいまして。1人だけコケたんですよ。本番で。収録で。それで、もう、ちょっと記憶ないんですけど。しかもそれが結構ウケてたんですよ。放送もされてしまって…。
(お客さん、失敗好きですからね~)
しかも、そこで暗転やったので、「やってもうた~」怒られると思ったんですが、暗転から出て来た川畑さんが「アホやな~」って笑ってくれて。でもやらかしたな~というのはありますね。

―カツラ飛ばしの技はいつから?

あれは、2年ぐらい前の祇園花月の辻本座長の回で出来ました。確か、案くれたのは、新名徹郎さんと森田展義さんだったと思います。もともと何をしようかと悩んでた時に、新名さんが言ってくれてて、相談した森田さんも同じこと言ってくれて。じゃあ、やってみようと…。

―4年目になりますが、この先やっていきたいことは?

やっぱりハゲてるだけじゃダメなんで、お芝居も出来て、ネタも面白いものをいっぱい入れて、オープニングのネタであったりが出来る面白い人になりたいですね。
(目指されている先輩とかは?)
頭だけじゃなくて、一の介師匠のお芝居とか、いいなと思います。あんな風に出来たら。僕はお芝居がなかなかうまくできないんですけど、ネタ出来る人はすごいなあと思いますね。
(お世話になった先輩とかは?)
結構、いろんな先輩にお世話になってます。ギャンブルとかメチャメチャ弱くて、ツイてないことも多いんですけど、人には恵まれて来たなと思いますね。同期の漫才師とかもめっちゃ仲良くて、よく飲みに行きます。

―趣味とかハマっているものは?

ボルダリングですね。
(おおっ!)
スノーボードも結構好きで。実家に帰った時にスノーボードしながら自撮りして、それ(動画)をツイッターに上げてるんですが、僕のなかではめちゃくちゃお気に入りです。スノーボードはけっこう、芸人の中では負ける気はしないですね。
(ボルダリングはいつから?)
昨年の12月くらいからですね。つい最近です。もともと気になってたんですが、僕の家の近くにボルダリングの施設が出来たんですよ。それで行ってみたら面白くて。3か月間通って、借金もして靴買っちゃって。
(運動神経、いいんですね~)
どうなんですかね。まあ、悪い方ではないかもしれないですね。
(脱いだらスゴイとか…)
最近までブヨブヨやったので、走るようにしたら、みんな褒めてくれるようになりましたね。
(ぜひ、運動神経を活かした舞台を)
そうですね。いろいろできたらなあ、と思ってます。

2018年1月22日談

プロフィール

1986年3月17日愛媛県上浮穴郡出身。
2006年NSC大阪校29期生。
2014年金の卵7個目。

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