第90回 小西武蔵(こにし たけぞう)

「何がしたいんやろ?」と思った時、芸人の夢を思い出しました。


―お笑いはお好きでしたか?

僕、子どもの時からお笑いがすごい好きで、小・中学校の頃から寝る前に、「明日友だちに何話そう」というのを3つくらい考えて(学校へ)行ってました。テレビをむっちゃ見るというよりは、友だちとしゃべってる方が面白いと思ってましたね。その時は。
(Twitterのプロフィールに、「不良小学生」とか「ニュージーランドで羊飼い」とあって…)
あはははは。「誰やこいつ!?」って思いますよね。小学校の時は、親がマナーとかに厳しくて。廊下で並んで待っている時も正座してたんです。マッシュルームカットで天然で髪が茶色くて色白で、それが珍しいのか、悪ガキがいじって来るというか。「何やねん、あいつ」みたいな感じで、いじめられっ子になりそうやったんですけど、母親に相談したら、「あんた、男の子やったら、やられたらやり返しなさい」と言われたんです。いまだに「言わんかったら、良かった」って言ってますけど。その次の日、2対1のケンカに勝って、そこから休み時間はほとんどケンカで過ごしました。気が付いたら「ヤンキーや」「不良や」って言われるようになってたみたいな。
(それで、「不良小学生」)
小中高までは、地元の京都にいましたが、高校の時に、「悪い」と思われて、校長先生とケンカをして退学になっちゃったんですよ。
(えっ!? どうして?)
高校2年の冬くらいですね。自転車の傘さし運転をしたか、してないかでもめて退学になりました。
(はあっ!?)
あははははは(笑)…ほんまに。「悪い、悪い」と言われているんですけど、そんなこともないはずなんです。学校には休まずに行くタイプでしたし。でも、僕、ファッションとかも好きで。見た目も派手やったし。何かある度に目の敵にされるというか。金髪にしたりとか、ツイストって髪の毛ねじって、苔みどり色に染めたりとか…。あはははは。
(う~ん、学校は…)
そんな奴、要らないというか。ただ、ルールというか、約束ごとは守るタイプなんで、傘さし運転アカンから、雨の日は学校に行かないことにしてたんですよ。そしたら父に、「学校の近くまで自転車ごと車に乗せたるから、そっから傘さして自転車押して行け」と言われて。それで押して行ったんですよ。そしたら、校門にいた先生から「お前、そこまで乗って来て、途中で下りて押して来たやろ」と。説明したんですが、「嘘つくな!お前」となって。嘘ついてないのに、だんだん腹立ってきて、そのまま校長室に乗り込んで…。
(校長先生とまた揉めた…)
何か事情聴取されているみたいですね。
(正確に書くために事情聴取させてくださいね)
はははは。それで母親がいろんな高校探してくれたんですよ。そしたらニュージーランドにある高校へ行けると。昔からサッカーが好きで、海外に興味はあったんです。その流れでニュージーランドへ行ったんです。その時に、ファームステイという仕事を手伝いながら、住ませてもらうという形で、羊飼いをしながら…。
(それで羊飼いなんですね。高2で退学されて、2年…)
ほぼほぼ4年間高校に通っている感じでしたね。当時は、ニュージーランドの高校の卒業資格で、大学受験が出来たんです。そのまま、東京の大学へ。僕は英語入試で小論文と面接だけやったんです。
(なるほど~不良小学生からは想像できないですね)

―ニュージーランドでは、英語で笑いも?

それこそ最初は「How are You?」もわからなくて。住んでるうちに覚えて、日常会話くらいは出来ます。こう言ったらウケるとかいうのは考えてました。英語にはツッコミという文化がないんです。だから、1回乗っておいて、「No way」=「なんでや」みたいに付け足す、ノリツッコミみたいなのを覚えて実践したら、「これ、めっちゃウケるやん」と。動きのボケの方がウケやすかったりとか。楽しかったですね。僕、フレンドリーやったんで、街で出会う日本人とかによく声かけたりしてたんですよ。そしたら、オークランドで、「メチャメチャ面白い日本人がいる」ということで、ラジオ局にスカウトされたことがあるんです。でも、僕「Naughty boy(ノーティボーイ)」って、「アカン子や」って言われてて、門限とかがあったんで、そこには出られなかったんですけど。

―ルーマニアに行かれたのは?

(大学を)卒業はして、就活しようかどうか迷ってた時に、ニュージーランドに僕を行かせてくれてた会社の社長さんに、「仕事手伝ってくれへんか?」と誘われたんです。僕に行って欲しいというのが、ルーマニアか、セルビアモンテネグロ。その時、セルビアモンテネグロは内戦中だったんですよ。ほんなら、ルーマニアにしますということで。踊る方のバレエを習いたいという人の面倒を現地で見る、お世話係で行ったんですけど、治安が悪すぎて、誰も来ない。ニートみたいなことに。半年もいなかったですね。
(それが「ルーマニアでニート」ですね。帰って来られてからは?)
「何したいんやろ?」と思って、ずっと好きやったのは何かなと思った時に、ファッションがやっぱり好きだと。全国に店舗があるファッション関係の会社の広告を作る部署に入社したんです。そこの会長さんが、現場が一番の広告やと、研修期間に靴屋の店舗で働くことになって、何百人もスタッフがいる中で、売り上げが1か月でベスト10に入ったんです。(販売に)向いてるとなって、現場に入りながら、広告をすることになりました。半年くらい働いて神戸で店長になりました。
(そのまま行っても良かったくらいですね)
そうなんです。僕、会長さんに気に入られてまして、朝7時くらいに大阪梅田のスターバックスで貿易の勉強させられて、11時になったら京都の河原町でお店をやって、8時に店閉めて。もう1回梅田に戻って、他の会社や工場長の接待。そんな毎日の繰り返しでした。23、4歳くらいから5年くらいですかね~。
(5年も!)
メチャメチャしんどかったですけど。会長さんは「夢がなかったら明日死んでもいい」という人で、「夢がないのは、努力したことがないからや。夢っていうのは努力の報酬やから、努力した人にだけ、夢が与えられる。お前は今まで何の努力もして来なかった、何の夢もないんや。たまたま何かの巡り合わせで靴屋になったんやったら、今、この仕事を死ぬ気でやれ」と。それで必死にやってたんです。当時、年に2回ホノルルマラソンの時と、グレート・アロハの時期にハワイで仕事してたので、ハワイの店のオーナーにしてやるからハワイに行けと言われたんです。そこで「僕、芸人になるから辞めます」と。
(いきなり芸人? 急転直下ですね)
ずっと会長と一緒に働いて、これは会長の夢を支えてるだけやな、と。僕、靴屋で働いている時、神戸の元町駅から三宮まで高架下を朝イチで全部掃除してたんですよ。毎日掃除をしてるうちに、何がやりたかったか、思い出したんです。ずっと芸人がやりたかったんやなと。ただ、勇気が出ないからやってなかっただけで。どうせ究極、死ぬだけじゃないですか。失敗しても別にええかと思って、挑戦したんです。僕29歳で芸人始めてるんで。みんながもう、諦めて辞めるような時にやっとスタートラインに立ちました。
(で、NSCへ)
NSC33期になります。トリオで活動してました。一応、NSCは2位で卒業してるんです。首席の次で。
(へえ~すごい。トリオ名は?)
ヒップ☆スターという名前で。順調に行ってまして、関西の賞レースでも2位に入ったり、決勝とかにも。今の漫才劇場にも出てたんですが、メンバーの1人が辞めると言い出して、34歳の時に解散になりました。そこから、コンビとかも誘っていただいたんですけど、もう解散するのが嫌やったというか。34歳で、もう1回、1からスタートして、相方が辞めるわって言い出して、辞めることになったら悲惨やなと思って。コンビを組むことは考えてなかったです。どうしようかな、という時に、新喜劇に入らせてもらったということです。

―実際、新喜劇に入った時に感じられたことは?

ずっとロン毛にヒゲで。イエス・キリストとかジョン・レノンみたいとかでやってたんですけど、老若男女を笑わせようと思った時に、ちょっと邪魔になるかな、と。座長もいろいろ考えてくれはるんで、そういう役の時にはハマるんですけど、普通の役が回って来ないんですよ。僕は入った時は、ある意味、尖ってたのか、「オモロかったらええ」と思ってたんですけど、そうでもない。日常っぽさ、普通っぽさが必要、というか。新喜劇のオープニングのお客さんも、面白人間って出て来ないんですよね。普通の人が、こんなことしちゃった、笑えるな、なんです。そこの違いみたいなのがすごく難しかったですね。すちさんとか清水けんじさんがいろいろ教えてくださるんで、すごくお世話になりました。
(台本が来るのが遅いとか、稽古が短いとかは?)
それは前情報として耳にしてたのと、自分でネタ書いてる時に、朝5時に出来上がって、「ごめん、これで」という時とかもあったんで。ただ皆さんの覚えるスピードにはビックリしました。「何ページのどこ、こうして」というのに、ページ開くのがついていけないくらいで。

―初舞台は覚えてますか?

初舞台は川畑さんかすちさんの祇園花月なんです。同じ時期なんですけど、たぶん、川畑さんが先です。川畑さんの時はオープニングのお客さん、すちさんの時はストーカーの役です。その時はロン毛やったんで、どっちもやりやすかったというか。お2人とも、若手を先に楽屋で笑かしたりしてくれはるんです。リラックスさせてくれるというか。自分たちでネタ作っているより時よりもはるかに緊張しました。迷惑かけたらあかん、というのが働きすぎて。ありがたいことに両舞台ともネタを作らせてもらってました。
(アドバイスはどなたが?)
すちさん、清水さん、川畑さん、最近は藍姉さんが若手を大胆に使ってくださるというか。フレディ・マーキュリーのいじりとかもすちさん、藍姉さんにやっていただいて。藍姉さんは座長になられたばっかりで、自分自身で大変な時期に、それを放り込める勇気は本当にすごいな、と思います。上の方々はほんとに偉大な人ばっかりなんですけど、僕らは若手らしく、アホなまま、渡された船のオールを漕いで、追い越して行かなければならないと思います。

―この先、やってみたい役は?

1ボケという、ずっとボケ続ける役をやりたいんですけど。いじられたり、ツッコミも楽しいんですけど、僕は基本的にお笑い全般が好きなので。どんな役というよりは、来た役のベストが出せるようにはしたいな、と。ヤクザなり、警官なり、アルバイトなり、ベストが叩き出せるような。今までに誰もしてないようなことがやりたいですね。
(虎視眈々と?)
あはははは。虎視眈々と一応、考えてます。藍姉さんなり、すちさんが見逃さずに見てくださっているというか。営業とか地方でやったようなことを、「あれ、今度ちょっとやってくれる?」と言ってくれはったり。60年続いて来た歴史の中でほとんどのことはやられているんですけど。僕が唯一考えているのは、そこにインスタ映えとか、社会の新しい流れを汲み込むとか。それは昔はなかったんで。時代の流れを察知して、昔のものと組み合わせる作業ですかね。
(ファッションとかお好きだから、ファッション新喜劇とか?)
やりたいんですよ。オシャレ新喜劇みたいなのは、やりたいですね。セットもオシャレにして、セリフもオシャレにして。

―4年目ですが、これからの抱負は?

新リーダーが4人。次の時代の新喜劇を支えて行けるような人間にはなっていきたいな、と。芸人になった時から変わらないんですけど、面白いことをしたいというのが1位なんですね。それが座長になることなのか、外に出て何かすることなのか。常に面白い方を選びたいなというのはありますね。
(新しい面白さを求めて我が道を行く?)
カッコいい(笑)学校のテストとかも答えがわかってても、いいボケがあったら、そっちの方を書いてました。だからめちゃくちゃ点数が悪かったです。結局、芸人なんて、自分が芸人だから言えるんですけど、ほかのサラリーマンとかの方々とかが、疲れた時に「こんな奴でもやっていけてるんだから、楽勝や」と思うような、下に見て欲しいですよね。尊敬されるより、バカにされてこそというか。それが尊敬されるようになれば…。

―最近ハマっていることや趣味は?

最近ハマっていることと言えば、筋トレというか。僕、もともとガリガリやったんですけど、「新喜劇あるある」で新喜劇に入ると太るんです。大人になってから60キロちょいだったんですけど、こないだまで72キロくらいあって、今20日間くらいで5キロ痩せたんです。60キロ、重くても62キロにはしたいと思っております。衣装さんにも迷惑かけるんで。
(ほかには?)
映画を見るのはずっと好きで。僕、ムチャクチャいろんな映画見るんですよ。「ホーリー・マウンテン」(1973年メキシコ・米)というチリ出身の監督が作った映画とか、「悦楽共犯者」(1996年チェコ・英・スイス)というチェコの監督の映画とか。インド映画とかも好きですし。こういう仕事してたら「1位は?」ってよく聞かれるじゃないですか。こう見えて、僕、ディズニーが大好きなんですよ。
(ええっ!? ディズニーなんですか?)
ディズニーで働きたいくらい好きです。特に「トイ・ストーリー」、夢があって、メチャメチャ好きで。ディズニーは全部好きなんですけど、「トイ・ストーリー」が一番ですね。
(子ども心をくすぐりますよね~)
むちゃくちゃ泣くんです。涙腺が弱すぎて。説明してる時にも泣いてしまうようなタイプなんです。
(ほかに何か言い残したことがあれば…)
最後にこれだけ言わせてください。昔、「不良、不良」と言われてて、ずっと「不良」扱い受けてたんです。でも、親も自分自身も「不良や」と思ったことはないんですよ。最近、たまたまNSCの34期の子が、地元の京都の居酒屋で飲んでる時に、僕の話になって「小西ってあの小西?」みたいなことになって「むちゃくちゃ悪かったらしいですね」という話になったらしくて。芸人になって、「悪かった」ということで売っていく気はなかったんですけど、よくいじられるから、乗っかってる間に「すごい悪い奴」みたいになってて。笑える範囲ならいいんですけど。ヘンなことになっているんで。そこんとこ、よろしくお願いします。

2019年7月1日談

プロフィール
1981年5月19日京都府生まれ。