MBS(毎日放送)

第87回 ジャボリ

明日死んだらきっと後悔すると思って、オーディション受けました。

―アメリカのコロラド州のご出身ですが、日本に来られたきっかけは?

結構長い話になるんですが、アメリカの8年生、日本でいう中学校が終わった夏休み前に、先生から、宿題として自己紹介の手紙を書くように言われたんです。その宿題の手紙を出して、夏休みに入って次は高校生だから、(書いたことを)忘れてたんです。夏休みの間に、先生がその手紙を日本に送ったと思うんですよ。それで日本のペンフレンドが出来たんです。そこがスタートで、日本に興味を持って…。高校の時に日本から和歌山の人がうちの高校に留学してたんですよ。日本に興味があるから、その人と仲良くなって、ちょっとずつちょっとずつ、興味が高まってきて、25歳になった時に、ずっと日本語も勉強してるし、ある程度、日本語しゃべるようになった、ちょっとチャレンジしたいなと思って。とりあえず、日本に行って、ダメだったら帰ってくればいい、と。とにかく今から行かないと、10年後、35歳とか40歳になった時に、「行けばよかった」と、きっと後悔するやろな、と思って、(日本に)来ました。
(最初から大阪へ?)
最初は東京ですね。
(お仕事は英語を教えられていたんですか?)
じゃなくて、毎日のようにジャパンタイムズの仕事のセクション(求人)を見ながら、仕事を探して…。どっちかというと、英語の先生になりたくなかったんですよ。何故かというと、元々、英語はプロだから。アタマ全然使わない。違うところで、日本語も使い、英語も使えるような仕事を探して、人事の仕事を…。
(人事ですか?)
人材紹介ですね。バイリンガルの、英語も日本語もしゃべれる人を探して、いろんな外資系に紹介する。例えばゴールドマンサックスやリーマンブラザーズに、優秀な英語も日本語も出来るアナリストを探して、何10人も面接して、人を絞って紹介して、採用された人の収入の一部の報酬が入るという…。

―すごい堅いお仕事ですね。全くお笑いと接点がないんですけど…。

元々アメリカにいた頃から、日本語にも日本にも興味があったし、大学ぐらいになって、周りに、日本人の友だちが増えたんですよ。コロラド州はメチャメチャ日本の留学生が多かったんですよ。テレビ番組とか、いろいろ教えてくれて、日本のレンタルビデオ、例えば「電波少年(日本テレビ)」とか、とんねるずさんの番組とかを借りて見て、それはそれで日本語の勉強になるという形だったんです。だから日本のお笑いには興味があったんです。日本に来て、確かに、お笑いの仕事が出来たらいいなあと、ずっと思ってたんですよ。思ってたんですけど、まず知識はそこまでない。日本語のレベルとかもっともっとマスターしないといけないと思ってたから。思ってたんですけど、リーマンショックの時…。
(2008年ですね)
東京の信託銀行の人事として働いてて、ショックによって僕が解雇されて、落ち込んで。なんていうかな…これから毎日暗いけど、毎日お笑いを見て、自分の人生を明るくすると、何とかなるでしょ、と思って。その時に、元々舞台も好き、お笑いも好きだから、ネットで検索したら新喜劇が出て来たんですよ。「これ面白い!」と思って。リーマン以来、家にいる時は新喜劇を流しっぱなしだったんです(笑)

―新喜劇のオーディションを受けられたきっかけは?

2016年の9月くらいかな、ある新喜劇の終わりのコーナーで、吉田裕さんが出て来て、「どうも~吉田裕です。吉本新喜劇の金の卵のオーディションを行なってま~す」みたいなこと言って。「えっ!? オーディションってあるんだ」と思って。でも、オーディションがあるって言われても、外国人出てるの見たことないし。日本人の伝統のようなお笑いの舞台だし、経験ないし、「無理やろ~」って。一旦、悩んで、いろんな昔からの友だちに「どう思う?」って相談したら、「行けるでしょ。書類出すか出さないかはジャボリ次第でしょ」と。確かに~と思って。明日死んじゃったら、これにチャレンジしてなかったことを、絶対、後悔するやろ、と思って。
(死んじゃったら、って…(笑))
とりあえず、ダメ元で、書類を準備して送ったんですよ。そしたら、連絡が来て、「書類審査がパスしました、面接に来てください」。え~っ!? と思って。結婚してたんですけど、当時の奥さんから「お前、大丈夫?」って言われて。「いや、大丈夫か、わかんないですよ」って。オーディションやったことないし、どうしよう、取りあえず、自分の自己紹介と、僕の大好きな親父ギャグを連発すればいいかなと思って。奇跡的に芝居選考に行って、ハア~出来ることはやって来た、でも無理やろ、これで終わりやろ、でも、チャレンジしてよかった、と思いながら東京へ戻って。何週間か後、電話がかかってきて、「通りましたよ。最後、面接に来てください」と言われて、「はあ~!?」と思って。最後の面接行って、合格ですって言われて。とにかく合格ですっていうことが分かったら、倒れましたね。半分泣きながら、昔からしたいなあと思ってた仕事ができるようになって、しかも新喜劇、素晴らしい、と思って。やっぱり、人生は何でもチャレンジするべきだな~と。
(合格した時、奥さまは?)
最後に合格した時、「えっ!? ダイジョウブ?」みたいな。「こういう運命や。僕の運命や」って。で、結局、その奥さんと離婚したんですけど…。
(えっ!? そうなんですか? はははは(笑))
そ~なんですよ、はははは(大笑い)
(あはははは…ここ、笑っちゃダメですよね、笑うとこじゃないですよね(笑))
はははは(笑)いや、悪いことじゃないですよ。うはははは。うれしいことでもないですけど…。とにかく、離れちゃうというのもあるし、向こうは、東京でいい仕事をしてて、そのまま。一緒に大阪へ行こうと言ったら、行かないというし。ま、細かく言えば、あまりコミュニケーションがうまく行ってなかったんですよ。一旦、あるものを壊してしまえば、後から見て、お互いの大事さというものを感じるし。今の方が、仲がいいですよ。21歳の時に出会った人だから、長く一緒にいて、家族というか、身内のお姉さんみたいで。
(あ、そうなんですね)
まさか40代になったら、お笑いやってるというのは。さっきも言ったようにちょっとだけ頭に「こういうのができたらいいなあ」というのはあったんだけど、そやな~まさかそれが現実になるとは。今でも驚いてます、毎日。

―初の外国人座員ということで、ジャボリさんも座員の方も驚きだったと思うんですが。

みんな驚きですよ(笑)
(ですよね~。ジャボリさんにとって一番の驚きというか、カルチャーショックは?)
カルチャーショックというのはありますね。特別な日本の文化の中で、さらに吉本の文化に入った。もっともっと濃い文化。ビッグピクチャーで見れば。特別なルールとかいろいろありますから。先輩・後輩がしっかりしてる。
(縦社会?)
そう、縦社会。会社で働いていた時から、そういうのは一応ありますよ。上司・部下とかは、そこまで濃くはないので、めちゃめちゃ特別に感じてますね。
(新人はいろいろしなければいけないことがありますね)
パフ洗いとか。え~と、早めに来て、今週は特に辻本さんと共演させていただいてるんですけど、その辻本さんのフォローとか。僕だけじゃないんですけど、一番下の2人で、パフ洗いとか洗濯を出す、新聞を持って来たり、部屋の温度調整とか、いろいろ気づかない細かい仕事は、びっくりしましたね。ちょっとずつ慣れてきましたけど。
(座員の方とのコミュニケーションは?)
元々人事の仕事をやって来たから、人とコミュニケーション取るのは、そんなに壁はないかな、とは思ったんですけど。ただ、日本語の敬語とか、先輩に対しての話し方とか、後輩に対しての言葉とか。そこまでは全然上手く出来てない。川畑さんにしょっちゅう注意されていますね。外国人だというのは、みんな理解してもらっているし、日本人であったら当たり前の知識がないというのも、理解してもらっているので、失敗だらけの中では上手く行ってます。

―台本のセリフを覚えるは大変だと思うんですが。

最初のオーディションの時の芝居選考で、10ページの台本を送ってきたんですよ。このキャラのセリフを覚えてください、さらに、男性のセリフは全体的に出来れば覚えた方がいいよ、と。急にキャラが変わったりすることがあるから。それでも、10ページですよ。そのなかでは4ページくらいしか、僕のセリフ入ってないけど、もう1週間、毎日、朝から晩まで勉強しても勉強しても。(覚えられず)大変でしたね。ほぼ寝れず。メッチャ大変でしたけど、今になって慣れて来たっていうか、覚え方を変えたんですね。ただセリフを覚えるんじゃなくて、イメージトレーニングというか、状況を頭に入れて、というような覚え方をすれば、楽になったというか。
(そのシチュエーションのセリフであれば、新喜劇の場合は多少違ってもいいですもんね)
そうです、そうです。ですから、最初は大変でした。入ってすぐは台本が大体3日前か2日前。一番今までヤバイのは、代役で今日言われて明日出番、っていうのがありました。ぐちゃぐちゃでしたけど。ちょっとずつちょっとずつ、楽になってきてます。

―初舞台とか覚えてますか?

覚えてます、覚えてますわ。ハハッ。初舞台と言っても、同じ時期くらいにたくさんあったんですよ。ひとつは「大阪芸人掘り出しライブ」。ミニ新喜劇をすっちーさん、清水けんじさん、松浦景子さんと僕の4人で漫才劇場でやったんですけど。それ以外だと祇園花月が初舞台で、僕は井上安世ファンの役でした。ちょっとだけのセリフで。も~、緊張しました。今でも緊張あるんですけど、緊張感違うんですね。最初と今の緊張感と。当時はもう、中も緊張してて、身体も震えてる、そういう緊張やった。今になって、身体はそんなに震えないけど、中は…なんていうんですかね? 日本語で…。
(う~ん、難しいですね)
中の緊張ね、ワクワクしながら、楽しくやりながら、緊張して、いろんなエモーションが渋滞して…。
(舞い上がる、かな? 座長はどなたでした?)
座長はすっちーさんでした。確か。ちょっと待ってください、これ、間違えたらアカンな。間違えたらいけない、怒られるやつや~(笑)怖いわ~。

―舞台でうれしかったことは?

とくに今週の辻本さん。辻本さんと舞台に出たのは2回目なんですけど、2回目といっても、1回目はカラミなかったんですよ。今回はカラミがあるんですよ。さっき言ったように、信じられない。あんなに僕が昔、よく見てた、大好きな辻本さんの舞台。辻本さんのおかげで新喜劇、ほんまに大好きになった。もちろん、小籔さんもすっちーさんも川畑さんもみんなそうなんですけど、一番の印象は辻本さんだった。舞台で、最後にアドリブを振られるのは、夢のようです。その時に、いろいろネタを準備して、毎日バーッと出して、怒られるか、怒られないか。どっちかなんですよね。笑いを取れば怒られないですけど、スベったら、めっちゃ怒られるというやつですけど。もう、鳥肌立ってますもん。今でも。え? 辻本さんと一緒に出て、これがいつも俺が昔見てたアドリブがバーッと出て来て、(振られた)本人が困ってる、それが俺になった。(机を叩いて)もう、僕、明日死んでもいい! 幸せです。だははは~(笑)

―ジャボリさんが先輩でお世話になったという方は?

全体的に見れば、やっぱり最初からお芝居のレッスンに時間を使ってくださった、川畑さん。あんなに忙しいのに、時間を作ってみんなを育てるためにレッスンをするというのは、もちろん新喜劇のためでもあるんですけど、私たちにとって、ものすごく大きい。あと、もちろんすっちーさん、とってもお世話になってるし。今週(7月13日放送「恩返しは突然に」)はアキさん。ほんまにアキさんがいるだけで安心ですね。いろいろ細かいところ教えてくれるから。元々僕はバカだから、芝居についての知識がそんなにないので、ホントに助かりますね。ほかにも清水けんじさん、諸見里さんとか、吉田裕さん、みんなにお世話になってますね。
(台本の日本語は大丈夫なんですか?)
はい、台本が出てきたら、このセリフを英語で言ってくださいというのを、英語で考えて。英語だと自動的に(頭に)入るね。あとは、本読みとか、舞台の勉強とともに、日本語の勉強でもあるから。この2年で日本語を読む力がUPしましたね。以前は人事関係の日本語しかほとんど見てないんで。今はお笑いの日本語を。
(ちなみに印象に残っている舞台は?)
祇園花月ですっちーさん週で、アドリブですっちーさんとの絡みの中で、「すし食っとけ!」というネタが出来たのはすごく印象に残ってます。僕が自然に言ったのを、すっちーさんがいろいろ教えてくれて、NGKでも使いましょうと。ものすごい感動しましたね。え? こんなネタが放送に出るなんて…また鳥肌立って来た…(笑)

―失敗しちゃったということは?

失敗だらけですよ。一番の大失敗は、今週の稽古スタート時間を勘違いしちゃって遅れて来たんですよ。(夜の)10時からスタートだと思ったら、9時スタートだった。逆だったらよかったのに。9時5分前に電話かかってきて、「どこや? お前」って。あれ? と思って台本見たら、あと5分でスタートじゃない? ヤバイ! と思って走ったから…。それ、僕の中では大失敗。あと、最初の舞台はけっこう噛みまくったね~日本語。もう、川畑さんにものすごい怒られたわ~。「お前、練習しなさすぎやろ~そんなに噛むか?」って。そりゃ怒られるわって(笑)

―3年目になりますが、この先の目標は?

そうですね。誰かと似たようなキャラというのはなくて、自分は自分で新喜劇の新しいキャラで。これから先、若手が入って来て、ジャボリみたいなキャラになりたいという人のために頑張りたいと思いますね。もちろん憧れは多いんですけどね。ボケキャラ。すっちーさんとか安尾さんとか。ボケキャラ大好きで。自分は自分で外国人として新しい感じじゃないですか。いい歴史を作れたらいいなと思います。
(外国人の後輩が入ってきたら?)
来ないでよ。
(え? 来ないで? あははは)
ははははは(大笑い)もちろん、入ってきたら、うれしいし、サポートしたいし、育てたいし…。けど、僕は結構変わってる奴ですよ。新喜劇相当好きじゃないと来ないですよ。給料安いし。来ないんちゃうかな~俺、変わってるからね。
(じゃあしばらくはジャボリさん1人で…)
新喜劇、守ります。

―最近、ハマっていることや趣味は?

趣味でやってるのは、DJとか、スクラッチとか。結構長くやってますね。20代から趣味でやってます。もちろん、マージャンも好きだし。最近、出来てないですけど。新喜劇に入る前は、DJ、マージャン、新喜劇にパッションがあった。その中で、新喜劇が自分のキャリアになって、ここにしか集中してないというのが事実ですね。新喜劇1本で、ネタ作りや台本を覚えたり。やっぱり、日本人じゃないから、けっこう、壁みたいなものがあるんですよ。全体の話を把握して、その中でボケを考えないといけない。僕の時間、すべてを新喜劇につぎ込んでますね。
(台本通りだったらいいですけど、いきなり振られたりしますしね)
けっこう、最初からそれが難しくて。いろんな先輩から言われたのは、その場その場で、何か言ってください、とにかく、舞台では何も言わないのはアカン、と。すごい、訓練されましたね。楽屋でも川畑さんが「おい、ジャボリ~」って来たら、思ったことをすぐ返して。「おい、カワバタ~」って(笑)
(それ、舞台で使われてましたね)
そう、アハハハハ。それもテクニックがあるけど、まだまだうまくは出来てないけど、これからが楽しいですね。日本語でバッと応えたいな、と。いつかマストで毎週出られるようになりたいですね。

2019年5月20日談

プロフィール

1974年5月24日米国コロラド州出身。2017年金の卵9個目。

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