MBS(毎日放送)

第119回 岩﨑タツキ
(いわさき・たつき)

漫才は大好きなんで、新喜劇と漫才、二刀流みたいなのが出来れば。

―小さい頃からお笑いを目指されてましたか?

そうですね、目指していたというか、憧れてはいました。小学校6年の時にM-1グランプリでチュートリアルさんが優勝したのを見て、「カッコええなあ」と思いましたね。なんか、人を笑わせるというのが素敵やなというか。その頃は「カッコええなあ」というイメージだけで。自分が仕事としてやるというのはないですね。
(クラスとかで皆を笑わせたり?)
小学校5、6年生くらいから、そういう立ち位置で振る舞おうと頑張ってました。中学1、2生の時には、仕事は別として、友だちと1回は(お笑いを)やってみたいなと思ってました。

―NSCに入られたきっかけは?

大学では教育課程を取っていて、先生になろうと思ってたんです。それも人に教えるのが好きというよりは、人前に立って喋る仕事がしたい、というのがあって。人前でうまく喋れたり、何か面白いユーモアが発揮できるような経験が欲しいと思って、学生団体に入って、新入生向けのセミナーの司会をやったりもしてました。でも教育実習に行った時に、失敗して(笑)。「先生ようせえへんわ」ってなって。その頃、たまたまNSCが47都道府県で説明会を開くっていうのがあったんですよ。僕は奈良出身なんで、説明会だけでもと行ってみたら、ほかに誰も応募してなくて僕1人だったんです。で、マンツーマンで話聞いていただいて。その時、NSCは1年間だけって聞いたんで、あ、これは大学卒業して1年通って、アカンかっても、次の仕事に行けるかなと思って。1年間だけ、お笑いの勉強したいなと思って、卒業後にNSCに入りました。
(ちなみに教育実習では何があったんですか?)
3週間の研修の成果をみせる授業が最後にあって、他の先生も見に来られるんですが、それがボロボロで。生徒が僕に気を遣って手を挙げてくれるくらいの失敗しちゃって。終わってから、校長先生に、「君の授業はイライラする」って言われて・・・。
(あはははは~)
ほんとに、嫌な言い方じゃなくて、信頼関係のもとに「君のことを思って言うけどね」って前置きもあったんで、そこまでガツンって来たわけじゃなかったんですが、人をイライラさせるようじゃ、ダメやと思って、先生は諦めました。

―NSCに入っていかがでしたか?

自分が思ってたよりも楽しかったです。もっと厳しいかと思ってたし、難しいこともあったんですけど、1年間、いろいろ経験させていただいて、一言で言うと楽しかったですし、もっとやりたいと思いました。1年間で様子見て、と思ってたんですけど、結果、5年目まで芸人を続けられてるんで、NSCがいい経験だったんだと思います。
(最初は漫才を目指されて?)
漫才が好きで、漫才師になりたいと思って入りましたね。3回コンビ結成したんですけど、3回解散して。卒業の時にはピン芸人でしたが、ずっとコンビ組みたかったです。新喜劇には入ってますけど、出来ることなら、新喜劇と漫才と、大谷翔平じゃないですけど二刀流みたいなのが出来るのであれば、やってみたいなという気持ちはあります。今も漫才は大好きですね。

―新喜劇に入られたきっかけは?

NSC卒業後、3年ピンで漫談をしてました。社員さんにずっと新喜劇の話をしていただいてたのが大きいかな。実はNSC卒業してピンになった1年目から「オーディション受けてみないか」と言われてて(笑)。ずっと断ってたんですよ。漫才がしたいから。そんな気持ちで入るのは絶対違うし。3年目の時に、「とにかくオーディション受け」って。僕もその時は、ピンでやってても先が見えなかったし、コンビも組めそうにない。消去法みたいな感じになってるんですけど、何もせずにだらだらしてるくらいなら、受けてみようと思って、受けました。
(オーディションは割と軽い気持ちで?)
そうですね。でも、軽くはないかな~。「1回受けてみたれ」みたいな感じはありましたね。書類を出してから審査の結果が来るまで長かったので、合格した、次行かな、で緊張する間もないままでした。受かった時は、「あ、受かった」みたいな感じになりました。何の味も匂いもない感じの(笑)。嬉しくないわけじゃないんですけど、「受かったんか」みたいな感じでしたね。

―新喜劇に入ってみていかがでした?

初めて「プロや!」って思いましたね。「お金取ってする仕事や」って。僕も新喜劇に入る前は、一生懸命やってたつもりだったんですけど、芸人ごっこしてただけやったな、と。新喜劇に入ってからは、ほんまにやらないと、仕事が来ないし、給料がもらえない。面白いのが当たり前みたいな。ウケないといけないって感じですかね。もちろん、先輩たち優しいので、スベっても怒られることはないですし、「何しとんねん!」とかも言われない。でも、やっぱりNGKでスベるわけにもいかないし、祇園や他の営業も、お金もらってやってる以上は、やらないといけない。一言でいうと、「わ~プロや!」っていう感じでした。
(稽古が短いのは大丈夫でした?)
期間が短いより、稽古のスピード感に驚きの方が大きかったですね。3回しかせえへんのや、じゃなくて、その1回がものすごく短く速くて。本読みして、はい、立ち稽古。それも、流れでこうなって、ああなって、こう言いました、はい、はい、みたいな。そのテンポ感が恐怖でしたね(笑)。本番より、僕の場合は稽古の方が緊張してます(笑)。

―初舞台は覚えてますか?

覚えてます。感想みたいなこと言ってもいいんですか?
(はい、どうぞ!)
僕は、けっこう声とか発声には自信があったんです。ちゃんと通る声やと。NSCの初舞台でも、声だけは出てるって言われてたんで。初舞台の1回目を、友だちが見に来てて、終わってから「声出てなかったね」って言われたんですよ。今までそんなん言われたことなくて。それが一番衝撃でした。実際、声も震えましたし。「何やこれ?」ってなりました。
(どんな役だったんですか?)
オープニングで清水啓之兄さんと小寺真理姉さん、僕と同期の咲方響ちゃんのカップルで旅館に来たお客さんの役でした。忘れ物の話になって、小寺真理姉さんに「ブラ忘れちゃった」と言われた時、「僕、持ってるで」って、カバンからブラジャー出すだけやのに、めっちゃ緊張したし、メチャクチャ難しかったんですよ。タイミングとか、カバンを開いてからの出し方とか、収録の時のカメラワークで顔とかぶってるとか。長ゼリフもないのに、手が震えるくらい。新喜劇って、小道具を使ったりする時、所作ひとつ、動きひとつ、簡単そうに見えることがまったくそうじゃなくて。警官役とかでも、手錠かけるのがものすごく難しかったり。
(手錠は「もう、自分でやれ!」とか、ありますよね~)
警官役は最後に出て行って、「○○で逮捕する!」と言って、連れて行く間に落ちてるナイフ拾ったり、決められた所作をしながらボケないといけなかったりするので、いまだに緊張するというか、ドキドキします。

―先輩からのアドバイスで印象に残っているのは?

僕が祇園花月で警官をやった時に、いろいろボケを考えてたんですよ。それを見た先輩に「ボケ考えるのは大事かもしれんけど、その前にお芝居がまったく出来てないから、(ボケても)ウケへんで」という言葉をいただいたんです。一番最初に「お芝居が一番やから」って。怒られたわけじゃないですが、けっこう強く言っていただきましたね。いまだに印象深いです。
(それはどなたから?)
清水けんじさんですね。ほかの先輩方にもアドバイスいただくんですけど、最初に清水さんに言われたのが大きかったですね。「あ、そうか」ってなりました。そこからは、出来てる出来てへんは別として、まずはお芝居。感情入れて、こうして、ああしてを意識するようになりました。

―印象に残っている舞台は?

え~と・・・うわ~どうやろ? そこまで大きな役はやったことがないので。でも、1回川畑さんの週の「お眼鏡にかなえば明るい未来」(2022年2月)で、メインどころのセリフのある役をいただいたことがあって。それが一番印象に残ってるんかな? 最初から最後まで舞台に出て来た役やったんですけど、セリフが多い方が意外と早く覚えて、出来るようになるな~と思いました。ワンポイントでポンと出て来て、大事なセリフを言う方が難しいし、そのセリフもなかなか頭に入らないというか、言えないことの方が多くて。セリフが多い方が、けっこう早く覚えた思い出があります。それとは別に、作品として凄いなと思って印象に残ってるのは、祇園花月のすちさんのクイズ同好会の作品があるんですけど、「うわ~よう出来た話や」って、偉そうにメッチャ上から言ってるみたいですけど(笑)、ウケるし、すごい上手いこと出来てるな~って思いましたね。

―これからやってみたい役柄は?

入った時は回しやツッコミをやりたかったんですけど、いろんな先輩のを見て、回しはやっぱり難しいなと思うようになって来て。今、じゃあどんなんやりたいかって言ったら、ポンとは出て来ないですけど・・・アバウトな言い方になって大丈夫ですか?
(大丈夫です。そのまま文字にしますから)
信頼される人になりたいと思います。「岩﨑置いといたら、大丈夫やろ」っていう人にはなりたいですね。メインじゃなくても、回しじゃなくても、1ボケじゃなくても。それこそ、新人の子が入って来た時のオープニングに、「岩﨑おったらなんとかしてくれるやろ」とか、「ここのシーン、ゴチャゴチャなりそうやけど、岩﨑おったらなんとかなるやろ」と思ってもらえるような座員さんになりたいなと思ってますね。そこが出来るようになったら、すごいいいなあと思います。
(新喜劇は合間を支える人がいないと成立しないですよね)
本当にそうやと思います。10人がそれぞれの仕事しないといけないので、そこを任せていただける人になりたいですね。

―目標にしている先輩は?

僕の目標は、清水けんじさんですね。でも、こんなん言ってたらダメですけど、追い抜かせへんやろなと思っちゃいますし。僕の中では、清水けんじさんが目標というか、教科書というか。それでよく見させていただきますね。
(凄いと思われるところは?)
僕とかは、ボケられたら、すぐに言い返したりとか、全部ツッコまな、と思うんですけど、清水さんはお芝居に乗っかって、無言でツッコんでる時があるんですよね。僕の感覚なんですけど。腕組んで動かないとか。
(はははは~ありますね~)
何でもかんでも「それちゃうやろ!」「なんでやねん!」って言うんじゃなくて、ちょっと待つ、というか。待ってるけど、無言でツッコんでたりとか。そういうテクニックが凄いというか。まだまだ凄さ100%わかってるわけじゃないですけど。袖で見てて、1~10までツッコミの段階があったら、手で3のツッコミしたり、顔で10のツッコミしてはる気がして。それは何かちょっとえげつないなと思いますね。
(なるほど~無言のツッコミですね)
清水さんから「俺、そんなことしてへんわ!」って言われたら、困るんですけど。僕が勝手に解釈してただけって(笑)。

―昨年9月にセカンドシアターのネタバトルで準優勝されました。

吉田ヒロさんと漫才させていただきまして。謙遜じゃなくて、準優勝はホントにヒロさんのおかげでして。ネタもヒロさんが作ってくださって。ヒロさんが、何でもOKしてくれはるんですよ。最初から、「それでかめへんで。お前は何にも問題ないから、それでええで」って言ってくださったので。その一言がなかったら、僕ものびのび出来てないし。そんなんも含めて結局、コンビで2位でしたけど、ヒロさんが2位を取ったという感じです。ネタバトルは4月から始まって、毎月、ピンと漫才で出させてもらってました。漫才は毎回コンビを変えてて、一番最初は同期入団の野崎塁君っていう、僕はそんな男前やと思ってないですけど、男前の(笑)。それから入澤弘喜さん、祐代(すけだい)さん、あと咲方響ちゃんとも出させてもらいましたね。
(ヒロさんとはどんな経緯で?)
1回、「ご飯いこか」と言っていただいた時に、「僕、漫才大好きなんです」って言うと、ヒロさんも元々漫才の方なんで「俺も漫才好きやねん」っていう話から、「じゃ、ネタバトル出てみよか」って誘っていただいて。新喜劇のオーディションの時じゃないですけど、けっこう軽い感じでした。
(しばらくはヒロさんと?)
向こうはそう思ってないかも知れないですけど。あははは(笑)。

―この先、芸人としてどうなって行きたいですか?

二刀流っていう話をしたんですが、それも含めてこれでやって行く、とはまだ言えないんですけど。僕はとにかく毎日舞台に立ってお客さんを喜ばせる芸人さんになりたいと思ってます。テレビとかよりも、舞台に来たお客さんに笑ってもらえるようになりたい。舞台を第一に考える芸人さんになりたいな、と思います。結果、新喜劇なのか、漫才なのかどうかわかりませんけど。はたまた手品やってる可能性とかもあるんですけど。とにかく、舞台に呼ばれる、寄席に呼ばれる芸人になりたいです。
(最初に目指されていた、人前に立って喋る仕事ですね)
そうやと思いますね。目の前のお客さんに一番笑って欲しいっていう。
(最初からブレてないですね)
自分では話しながら、ブレブレやと思ってたんですけど、そう言ってもらえたら、心強いです。今回お話ししてて、初めて「そっか~」と思いました。入口と今目指してるものと変わってない、って。
(これからも真っ直ぐに進んでください)

―今、ハマっていることや続けている趣味は?

20年近く卓球してます。ブログにもよく書いてますけど。一番楽しそうにしてるのは、たぶん、卓球してる時が一番楽しそうにしてる可能性があります。あははは~(笑)。コロナ禍になってからは、そんなに出来てないんですけど。卓球は小学生の時に始めて、高校3年生までガッツリ部活でやってて、大学では部活には入らず、「自分で作っちゃえ!」と思って、大学1回生の時に地元に卓球のチーム作りまして。今、40人くらいいるんですよ。地方のアマチュアのオープン大会とかに出たりしてます。
(20年の間に卓球ブーム、来ましたよね~)
去年一昨年とか、盛り上がったじゃないですか。卓球に目もくれなかったような人らが手のひらを返したように、「卓球やってるんや」キャーキャーみたいに言って来るんですよ。
(昔は卓球と言ったら、地味なスポーツの代表みたいな感じでした)
今だに楽屋で「卓球してたんです」って言ったら、「マイナーなん?」って言われますもん。でもね、メジャーでもマイナーでも、ずっと好きでやってたんで、あんまり何も思ってなかったですけど(笑)。盛り上がった時は、「ほら、すごいやろ」っていう感じでしたね。
(卓球の魅力は?)
誰でも出来ます。これ、「よしもと新喜劇NEXT」っていう番組でも言ったんですけど、老若男女、年齢も関係なく、ほんとに誰でも出来ます。身体の不自由な人でも出来るんですよ。目が見えない人でも出来る卓球があったり、両手が不自由でも口でラケットくわえて出来るとか。一番バリアフリーで、一番いつからでも始められるスポーツって卓球だけちゃうかな~と思いますね。ラケット持って、あの範囲をそこそこ動けたら、ラリーは出来るんで。ずっとスポーツとして楽しめるのが、卓球の一番の魅力やと思いますね。エキサイティングに熱く、もっと語れるスポーツなんですよ。これ、話し出すと僕、3日間くらい話しちゃうんで・・・。
(それは遠慮しときます)
でも、ほんとに、いろんな戦術があって。それこそね、卓球はお笑いとよう似てます。それぞれに戦い方があって、お笑いで言うと、笑かし方があって。こういうスマッシュを打ちたいから、こういうボールを先に送っておく、とか。こういうボケを言いたいから、こういうフリをしておく、みたいなとこが、すごい、似てるなと思いますね。勝手に僕がつなげてる可能性もあるんですけど(笑)。
(どっちもひとつ前が大事なんですね。ぜひ、卓球のノウハウをお笑いに活かしてください)

2022年11月1日談

プロフィール

1994年4月27日奈良県出身。
NSC40期。2019年金の卵11個目。

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