僕は、新喜劇を目指して入ったんですよ。
(え!? そうなんですか!)
新喜劇に入りたかったんですが、何の情報もなくて。当時、「2丁目ワチャチャBOOK―ぼくらがヨシモトの新兵器だ!!」(1993年10月発行)を買ったら一番後ろの方に、NSCの生徒募集の記事があって、「これしかない!」と。230人くらいの生徒がいて、入学式が2丁目劇場でありました。
(授業はどうでしたか?)
僕らの時代は発声、漫才、演技という授業があって、確か月・水・金が漫才、火・木が演技で、日曜は発声だったかな。実は僕は漫才の授業に行ってなくて…。
(もったいない…)
そうなんです。でも漫才したないし、相方も探す気なくて。NSCの漫才の授業って、相方とネタを作って持って来て、それを構成作家に見せてダメ出しを受けるという形だったんです。入った頃はチラッと行ってたんですけど、結局、僕は漫才する気がなかったので。漫才の授業はただただ見てるだけやったんですよ。で、演技と発声だけ行ってたんですよ。
(それは異色ですね~)
でも、ほんまに漫才師を目指してた人は逆に演技の授業には来てなかったんですよ。
そこで湊裕美子さん(演出家)に出会ったんです。「あんた演技したことあるの?」「ないですけど」。でも、やってみると楽しくて。湊さんにいろいろアドバイスしていただいて、卒業公演では準主役をもらったんです。その翌年に、新喜劇の一般オーディションがあったんです。面接に行ったら、湊さんがおったんですよ。ほかにも先生いっぱいおったんですけど、結局、湊さんとマンツーマンでしゃべってました。10人くらいの集団面接で、ほかのみんなはネタとかしてたんですけど、僕は「ネタは何もないです。ただただやる気だけはあります」っていうことを伝えて。あの時、ギャグとかしてた人は落ちてますね。今はどうかわかりませんが。秋田久美子ちゃん、五十嵐サキちゃん、山田亮さんとか同期なんですが、あの当時は芝居重視のメンバーを集めたかったんかな、と。僕が入団出来たのは、湊さんのお陰やと思ってます。夢叶ったと思って…。今の金の卵オーディションだったら、落ちてると思いますね。
大阪なんで新喜劇は小学生の頃から見ていて、中学3年生で進路相談の時に「吉本に行きたいですけど…」って。
(中3で?)
進路相談の時に、弟子入りでもして行こうと思ってたんですけど、親から「せめて高校は行っとき!」と言われて。皆さん、そうやと思うんですけど、まあ普通、反対されますよね。で、高校3年、やっぱり夢は忘れられなくて。なんでしょうね。演技もしたことなかったのに、新喜劇の舞台に立ってる、という漠然としたヘンな夢やったんですよ。
(その頃ご覧になっていた新喜劇は?)
寛平さんですかね、寛平さんのおじいちゃん。今のベテランさんのめだかさんのカニバサミとか。一番「入りたい、入りたい」と思ってたのが、内場兄さんと辻本兄さん、石田兄さんの3人がニューリーダーになった時です。面白いな~と思って。ますます入りたくなりましたね。
何もかもが知らないことだらけすぎて、新鮮で楽しかったです。緊張はしましたけど。僕が無知やったということもあるんですけど、まずステージ用の化粧のために塗るドーランって、知らなかったんですよね。「化粧? 化粧って、何つけているんですか?」みたいな。パフの洗い方も全く知りませんでした。その当時、僕の先輩っていうと、藤井隆さん、烏川耕一さんで、丁寧に指導していただきまして。今でこそ、僕、パフ洗いのスペシャリストくらいの腕前です。
(パフ洗いの?)
ほんとに。僕らの下が入って来なかったんで下積みの期間が長いんですよ。あと、「トリ、もたれ、しばり」この言葉も意味分からなくて。
(え? トリ、もたれ…しばり?)
新喜劇の前には漫才や落語などがあるんですが、出番の1本前の演目がトリ、2本前がもたれ、3本前がしばりっていうんです。初めは意味わからなくて…。最初、先輩から「もう、トリあがったんか?」と聞かれて、「え? トリ? トリって何?」みたいな。でも、あの当時は何が何でも食らいついて、ついて行くぞという精神でしたね。いろいろ知らない世界なんで勉強になることが多かったです。
97年1月に入団して、初舞台は4月の梅田花月で、川畑泰史さんが座長でした。檀上茂 先生の作で五十嵐サキちゃんとカップル役。
(そのお話、五十嵐さんがされてました。ボケを全然考えてくれなくて、ケンカになったとか)
僕はただただ芝居重視でやろうという気持ちしかなかったんです。まず、ボケるというのがよくわかってなかったんですよ、「ボケって何? 考えなあかんの?」みたいな。吉本やのに「お前、何しに来てん?」ていう感じやったんですけど。警官の役とかいただいても、先輩と2個イチなんで、先輩がボケはるんですよね。単独で出ることもあんまりなくて…(ボケは)苦手分野でしたね。1年目、2年目、3年目とほとんどやったことなかった感じでした。例えば、同じボケを僕が言うのと、すごいボケの人が言うのとでは、ウケの度合いが全然違うじゃないですか。例えば、今別府君とか、諸見里とかが僕とおんなじボケをするとしたら、彼らの方が絶対、ウケると思うんですよ。やっぱりボケ人(にん)と見た目が普通の人って、全然違うんですよ。それを肌で感じてしまったんです。僕はボケに行かなくて、どこの道が一番いいんやろって考えたら、やっぱりお芝居寄りの道へ行こう、と。そこで決まっちゃいましたね。ま、「ボケ出来へん」と上の人からも思われてたかも知れませんが。だから、「健二君」と呼ばれる役が多かったです。問題起こして帰ってくる息子の役とか。新喜劇ってストーリーの軸があるじゃないですか。「息子に金貸してるんや」と借金取りが来て、家族が「あいつ何してんねん」と言う時に、ひょっこり帰ってくる、そういう役が多かったですね。
今、パーンと浮かんだのは、ラーメン屋が舞台の三兄弟の話で、一番店を守るために頑張ってる三男役だけど、実は本当の子どもじゃない。そこへ本当の両親がやって来て、店の借金のためにそっちへ行くことを決めるという人情話で。(2001年1月20日放送「僕と兄貴のラーメン」)最後に僕が本当の両親に頭を下げて「やっぱりこの店にいたいです、お金は何とかします」って頼むシーンが、一番僕の中では印象的でしたね。初めての泣きの芝居というか。その時の長男が大山英雄さん(退団)、次男が烏川兄さん、本当のお母さんが由美姉さん、お父さんが一の介兄さん。その当時、僕は若手も若手やったんで、すごいメンバーの中に放り込まれてるんですよ。辻本さんに「下手やけどな、気持ちが入ってるねん。ええ話になるで」と言われた事がありまして。「演じようとするな」というアドバイスをいただいたのを覚えてます。一番印象に残っているのはそれですかね。その役をしたからこそ、新喜劇の話の軸になる「健二君」役が増えましたね。その当時は今より12~3キロ瘠せてて、シュッとしてたんですよ(笑)。
これも作ったわけじゃないんですね。(笑)ウィキペディアにも書いてありますけど…。楽屋で辻本さんと「新幹線みたいな顔しやがって!」「そうですかね」という、何気ないやりとりを舞台でやって、お客様にウケていただいたのがきっかけですかね。あの時スベってたら、何もなってなかったんでしょうけど…。忘れもしない。急に楽屋のノリを言い出して、それでお客様にボカーン! ウケたんで…。
(※当時の伊賀さんのブログに詳細が書かれています)
初めてあんなにウケたので、びっくりしました。その時、辻本さんと烏川兄さんと安尾兄さんが3人ヤクザやったんです。アドリブで烏川兄さんも安尾兄さんも次々ボケてくる、あたふたしながら突っ込んでました。烏川さんが急に「ビールにお茶~」と言うた時に「いや売りにも来んでええねん」って。それが一番最初の自然なツッコミと言うか。安尾兄さんに「確認もしなくていいですよ~」と。かぶせ、かぶせでお客さんも笑う。新幹線ネタが誕生した時やったですね。その名残りで新幹線のイジリも3人パターンが基本なんですね。「確認」とか、「売り子」とか。2回目からは作ったんですよ。こうやって、こうやって、こうやってと。ウケたネタは残して、いろいろ増えていってますね。
(最初は3人ヤクザにいじられてたんですね)
今みたいな白スーツでもなく、普通のスーツで。2006、7年くらいに、「どうせやるんやったら、白スーツに青ネクタイもしたいいんちゃう?」 で、今の形が誕生です。
まず、「なんでそんなウケんの?」って思いました。何でそんなオモロイ?って。意外でしたね。考えて作ったネタじゃない、じゃないですか。ただ、辻本さんが楽屋で「お前の横顔、新幹線みたいやな」っていう、「横顔新幹線」というフレーズを作った辻本さんがスゴイんじゃないですか? フォルムを手でなぞる動作でさらにお客さんが笑うっていう、「うわ! ほんまや!」って認知をさせる丁寧さがウケたんかな、って。「よう見たら、違うやん!」ってよく言われるんですけど…。
(あはははは~)
実際会ったら、「そうでもないやん!」って言われるんです。「横顔新幹線、違うやん」って言われるんですけど、舞台で見るとそう見えるんですかね。服装もあるんでしょうけど。言葉のチカラじゃないですかね。
(「新幹線や~ん!」の節回しもいいですね)
それまでキャラもなくていろいろいじられてましたけど…。キャラがあれば子どもたちにも、わかりやすいですもんね。名前では覚えてもらってないと思いますが、認知度は上がりました。やっぱり続けてるっていうのも大きいのかも知れないです。
(12年になりますね)
「今はもうないやろ、その形!」って言われてますからね。「鉄道博物館にあるやないか!」って(笑)
探り探り、石田兄さんに「ゆで卵」って言われて、頭バチンと叩かれて、「カラ固いな~」とか。そんなのもやってましたけど。
(ご自身では何か作られようとは?)
全く、ボケがなかったんですよ。なんでしょう? 芝居の方でどんな役でもしたかったんで。どんな役でもちゃんとトスを上げれるというか、なんか爪痕を残せる役というか…新喜劇にこの人が出てきたら、安心します、みたいになりたいな、と。だからキャラとかギャグは思ってもなかったですね。新幹線ネタもあり、普通の役もありで行きたいんですが、こんな恰好だと浮きますもんね。白スーツじゃ社長とかヤクザの役しか無理じゃないですか。たまに、普通の役が来ると新鮮です。万人の役をしたいですね。
あれね~厳しかったですよ~。初めて「よる芝居」でやった時、普段から動きがニューハーフになっていたんですよ。あの役をしてる時の稽古とかで、こう(小指を立てて)なってましたね。しゃべり方とかも。お酒を飲むコップを持つ手の小指が立ってたりとかして、「そこは直そう」って言われましたね。また、辻本さんが変な新境地を切り開いてくれたというか。お仕事する機会がほとんど一緒なので。法律用語ばっかりの長ゼリフとかもね~。
(あれもビックリしました。…)
厳しいですけど、やりがいありますね。「よる芝居」から始まって、3年間ですもんね。誰が思いついたかわからないんですけど。辻本さんでしょうね。弁護士志望で理詰めで悪い奴を追い払うという…。いいハードルをどんどんあげていただいて行ってるなっていう感じはありますね。昔ね、坪田君(坪田光生。金の卵3個目)という、新喜劇でものすごい長ゼリフをしゃべらせられる人がおって。今、辞めちゃいましたけどね。凄かったです。京阪電車の駅名を淀屋橋から出町柳までをぶわ~っと全部言うセリフを覚えてきたんですよね。スゲエな、と。刑事役とかになったら、たいてい説明ゼリフを言わされて。もうそれこそ、MDMAの説明とか。新喜劇の台本に書いてあるんですよ。MDMAとは…って。僕が法律用語を言わなあかん時に、それを思いだしました。そういえばそういう奴もおったな、って。結果、あれだけ拍手も貰っているし、不安要素がなければ、すばらしく気持ちいい役です。絶対的に言える自信があって、言えた時は、皆さんからの拍手はすごい快感です。これやからやめられへんと思いましたね。何でもそうでしょうけど。拍手もらえるって気持ちいいですもんね。普段味わえない感覚。あと、ボケた時にお客様が笑ってくださる、あの時のお客様の顔が見れるのが、今は一番うれしいですかね。
「伊賀流」っていうイベントをやっているんですよ。もう何年も離れているんですけど。28歳で1巻をやりだして。今年41歳なんですけど、まだ4巻しかやってません(笑)。
(超寡作ですね~)
これを早く作りたいな、と思ってます。この芝居はちょっとこだわりがあって、大きなところでやるんじゃなくて、300人くらいの空間でやるのが楽しいかな、と。あと、「新幹線新喜劇」に関しては1回きりじゃなくて、やって行きたいなと思ってますね。将来は、10年後とかを見据えて、新幹線も出来ます、普通の役も出来ます、お父さん役とか。年配の役はやったことがないんで、わからないですけど。オールラウンドプレーヤーになりたいですね。
僕、謎でしょう? もっぱら飲みなんですよ。日本酒がね、めっちゃ好きで。冷酒が大好きで日本酒をかなり飲みに行ってるんですよ。それまで冬に熱燗は飲んでたんですけど、冷酒に出会ってから、美味しいお酒、辛口のとか、数々の銘柄を制覇して行ってるんです。別にウンチクはないんですよ。飲んだことない、この名前、飲もう、次はこれ!って。
(辛口がお好きですか?)
純米酒が大好きです。原酒とかがあったら、飲んでみようと思うし。サラッとした奴も好きなんですよ。岐阜の「無」に「風」と書いて、「むかで」って読むんですけど、コレ、美味しいです。これが、辻本さんと東京で飲みに行った焼き鳥屋さんで出てきた日本酒なんですけど。それでハマったんですね。「日本酒ってめっちゃ旨いですね」って言うて。なかなかないんですよ。ラベルに「ムカデ」の絵。ちょっとかわいらしいムカデなんですけど。そこからハマりまして日本酒飲みたいなと、思っちゃうんです。いろいろ名称をスマホに放り込んで行ってるんですよ。「どこどこの○○」って。最近勧められた愛知の九平次っていうお酒、めっちゃ美味しいです。あんまりないんですけど。だからね、時間があったら日本酒バー行っちゃうんですよ。あははは(笑)。
2017年5月22日談
1976年12月10日大阪府大阪市出身。
1995年NSC大阪校15期生。