第36回 平山昌雄

いじられキャラなんで、いじっていただいてナンボです。


―平山さんはもともとジャパン・アクション・クラブ(JAC)にいらしたとか?

そうなんですよ。東映の京都撮影所でずっと斬られ役をしてました。撮影では「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」とかそういう時代劇に主に出て、ずーっと、毎日のように斬られてました。

―JACに入られたきっかけを教えてください。

ジャッキー・チェンに憧れまして。「ポリス・ストーリー」(1985年公開)を高校2年の時に初めて見て衝撃を受けたんです。それまでに「酔拳」とか「蛇拳」とかいろんな作品があったんですが、なんせ、世間知らずだったもんですから、初めてみたのが「ポリス・ストーリー」で。それを見ていなかったら、この世界に来てなかったです。今ごろ、運送会社で働いてましたね。高校時代にずっとアルバイトしてましたから。で、いろいろと探して、当時アクション専門のJACに入ろうと。

―運動神経良かったんですね。

いえ、僕は運動神経悪いんです。人より、練習しないとあかんタイプやったんです。その時は、JACへ行きたいという頭だけしかなくて…。(養成所の)練習はキツかったですね。でも、あのキツさが今すごく役に立ってますね。
(JACとして東映京都へ?)
東映の仕事はJACから行って、アクション、チャンバラ、イベントなどに出演してました。時代劇に出ているとか言っても、アップとかそんなのはなくて、(作品も)マニアックなのばっかりですね。仕出し(エキストラ)とかが多かったです。

―何年くらいJACに?

9年ですね。最初はアクションだけ出来たらええわ、芝居なんてどうでもええわと思ってたんですけど、やっぱり、やっていくうちに、アクションもチャンバラもお芝居やと気づきまして。東映のある役者さんに、初めて芝居心をつけていただいて。僕の中で心の師匠と思っているんです。
(どなたですか?)
谷口高史さんという方です。もう東映にはいらっしゃいませんが。やっていくたびやっていくたび新鮮で、芝居が面白くなっていって。最初はアクションだけと思っていたのが、だんだん時代劇にハマり出しました。

―お笑いに転向されるきっかけは?

東映の太秦でやっていた17、8年前に、宮川大助・花子師匠の舞台が当時の「京都シアター1200」でありまして、そのオーディションを2人で受けに行ったところ、受かったんです。内容も時代劇で「新選組」の話でした。そこで初めてお笑いの舞台というのに立たせていただきました。台本どおり、そのまま読んでいたらお客さんが笑ってくださる。その笑いがすごく快感になりまして…。それが、ま、きっかけですね。新喜劇はもともと好きだったんです。悩んだんですけど、お笑いの世界に入って、今こうしてやらせていただいてます。
(ちなみにどんな役を?)
僕は監察の山崎烝(すすむ)役でした。ほんとはオーディションを、沖田総司役で受けたんです。で、東映から受けたもう1人の方が沖田総司役になったんです。この顔を見たらわかると思いますけど、沖田総司は美男子やと聞いたんで、絶対無理や、と(笑)。あかんかったんですけど。チャンバラが出来る、アクションも、上から落ちたりとか、スタントが出来る、ということで。その時、オーディション審査にいらしたのが、チャンバラトリオの山根伸介師匠、そして、桂三枝(文枝)師匠、作家さんで。オーディションの時に山根師匠に気に入っていただいて、師匠の最後の弟子になりました。

―お笑いは全くの別世界ですね。

そうですね。笑いを取るとか、そういう仕事じゃなかったんで。舞台といえば忍者ショーとか。時代劇とは違う世界でしたね。
(その後すぐに新喜劇へ?)
いえ、3年悩みました。その時、結婚してたもんですから、やっぱり行きたいとなると、家族もあるし、スタントで貰っていたギャラも少なくなるし、どうしようと思ってたんですが、嫁が「好きにしたら」と言うてくれたのがきっかけで、行かせて貰いました。
(新喜劇への橋渡しはどなたが?)
当時、大花師匠についていたマネージャーさんに相談させていただきました。まず、進行係から入った方がと言われて、最初はNGKの進行係を4か月、勉強させていただきました。それから新喜劇ですね。
(思い切った選択でしたね)
でも、今、後悔はしてないです。

―新喜劇に入られて戸惑われたことは?

台本を覚えるというのが一番戸惑いました。
(え? それは…)
今までJACでやっていた時は、台本を一字一句言わなあかんかったんです。「それ取ってくれるか」「はい、わかりました」と、一字一句言うから、セリフを返せるわけですが、新喜劇に入って、「お~い、取ってくれる?」とか「取ってくれへん?」とか、台本と違うことを言われたら、僕は(次のセリフを)言うていいんかな? と。変な間(ま)が空いて、「こいつ、変な間の持ち主やで」で、笑いがドーン! 先輩方から突っ込んでいただいて。僕、ほんまに台本覚えが悪いもんですから、よう真っ白になったり。それを先輩方から助けていただいて、うまいこと笑いに変えていただいてます。

―初舞台は覚えていらっしゃいますか?

祭りの屋台の設定でした。吉田ヒロさんと辻本茂雄さんが座長で、僕はヤクザ役で、もうひとりの山田亮さんと2人で出てきていろいろと掛け合いをするんですね。その時、座長お2人がすごくいじってくださって、それがすごい笑いにつながりました。その時に初めて思ったのが、お客さんの笑いって「ドーン」と来るじゃないですか。スピーカーから重低音が響くような「ドーン、ドーン」という感じ、あるじゃないですか。あんな感じで「ドーン、ドーン」と響くんです。これ、すごいなあ、これが笑いっていうものか、と。僕自身は必死でセリフを言っていたので、周りのことも見えてなかったんですが、終わってからですね。「あ、あれすごかったな」と。その感覚だけは印象に残っていますね。

―役柄はヤクザが多かったんですか?

ヤクザと警官が多かったですね。JACで培ってきたものを出せましたので、バク転したり。それが今までなかったらしいんですね。それで、いろいろとアドバイスもらったりしながらやらせてもらいました。
(歌舞伎トークで回り続けるのは?)
最初は、飲料のCMで「燃焼系、燃焼系、アミノ式」という歌が流行っていた時(2003年)なんです。僕がちょうど入った舞台で、「燃焼系、燃焼系」で、何回も回される、それが一発目ですね。
(何回も回ってますよね~)
皆さんから、「何回も回されて大変やな」と言われますが、そうじゃないんです。あれは辻本さんが合わせてくださってるんです。僕のリズムでやらせてもらっているので…。最初は30回とか余裕で回れていて…拍手2回来たから、ここで止めよかとか、こっから背中から落ちようとか…。
(わざと落ちてたんですか!)
これもJACで培ったアクションですね。ほうり投げられて、背中から落ちるという。背中から落ちてたら、また拍手が来る。あ、2回拍手してくれた、じゃあ、ここで止めようかと。自分の感覚でやらせていただいてるんですよ。今はもう4回くらいやったらヘトヘトですけど。

―印象に残っている舞台とかありますか?

一番最初の舞台もそうですし。ツアーで、昔、月組花組ってあったんですが、各地を回っている時、辻本さんと2人ヤクザで、大縄跳びをしたんですよ。そこで、大縄跳びの中でバク転をするという時に、バク転したのはいいけど、頭から落ちて…。
(え~っ!?)
みんな大笑いですよ。全然大丈夫でしたが。「怪我したら緞帳おろさなあかんから、気をつけえよ」ってアドバイスをいただいて。あとは、毎回必死で…。

―悩んだりした時期はありましたか?

ありました。お父さんとか、社長の役もやらせてもらうようになると、芝居上、大事なセリフがあるんですよ。それも普段使わないような言い回しです。舞台袖では言えるんですけど、緊張のあまりか、舞台上に立ったら言えんようになるとか。そこで、「どないしよう…向いてへんのかな」と悩んだことはありました。
(他の方に相談されたりとかは?)
あんまりないですね。(悩みが)ピークに来た時に、会社に言いに行ったことがあります。「今すごく皆さんのおかげでありがたく、お父さん役とかやらせていただいているんですが、(セリフが)言われへんので、オープニングとかに回してください」と。会社からは「そんなん言うてたら仕事なくなるで」と言われました。
(きっちりこなさないと気が済まないタイプ?)
言わなあかんセリフとかあるじゃないですか。言えて、それを崩すのなら構わないと思うんです。例えば警官が逮捕するときに、罪の内容とかちゃんと言えて、「あといろいろな罪で」というたら、「ちゃんと言えや!」と突っ込める。崩す人はちゃんと言えて、崩していく。基本があってのこと。そのちゃんと言わなあかんところが出来てない。だから、僕自身は自分からは発信のボケっていうのはやらないというか、実力もないんですけど。決められた台本にあるセリフをちゃんと言えてから、ボケようかなと思ってたら、ズルズルズルズルとボケられず…。
(緊張するタイプですか?)
緊張します。役によって、舞台上で手が震えとったり。あと、袖にはけてきたら、急激に手が震え出したり…緊張しいです。大事なセリフを間違えたらあかんな、と思ったら、言えなくなるんです。「間違ってもええから、リラックスしてやれよ」と先輩方から言われるんですが、ちゃんと言わないといけないフリとかあるじゃないですか。ちゃんと言わんと次のボケが利いてこない。そこで(セリフが)飛んだりすると、ひとつボケがつぶれてしまう、と思うと…。

―大失敗とかありますか?

思いっきり舞台上で鼻血流したことがあります。
(鼻血ですか?)
手が当たって、ピューと出てきて、そのままハケて、直行で病院に行きました。今はないですけど、鼻の粘膜が弱くて、よう鼻血出とったんですよ。「待ってくれ!」とか言うお芝居だと、血が上るじゃないですか。ふ~っと鼻血が出てくるんです。舞台上で勝手に鼻血が出るって僕が初めてで。ティッシュ詰めて。新喜劇やから許されるんでしょうね。

―この先、舞台でやって行きたいことは?

新喜劇で僕のキャラを出していけたらええなと。僕のキャラはいじられキャラなんで、皆さんにいじっていただいて、ナンボ。それを生かせていけたらええな、と。
(舞台上と印象が違いますね)
よう、おっとりしてると言われます。楽屋でも鏡前に座ってぼーっとしてたり、ですね。

―プライベートでは?

カラオケが好きなんで、カラオケも置いてある地元の居酒屋さんに、すごくお世話になってます。そこによく1人でカラオケを歌いに行きます。ストレス発散ですね。よく行っていたときは、週に4~5回くらい。演歌を歌います。そこはおっちゃん、おばちゃんとかで若い子は来ないんです。
(ちなみに十八番は?)
杉良太郎さんの「江戸の黒豹」(テレビ時代劇「新五捕物帳」の主題歌)とか、北島三郎さんとか川中美幸さんですね。よく行ってるからか、お客さんもすごく応援してくださいますし。トークは全然しません。あまりしゃべりたくないので。ひとりでゆっくりと飲みたいタイプなので。

―「チャンバラトリオ」の後を引き継がれましたね。

今年5月12日に山根伸介師匠が引退されて、「チャンバラトリオ」が解散しました。で、その跡継ぎとして、新ユニット「チャンバラJAPAN」をやらせていただくことになりました。師匠の遺志を受け継ぐのと、自分が培ってきたものを生かして、「チャンバラJAPAN」しかできないものをやりたいですね。「チャンバラトリオ」は全員東映出身なんです。南方英二さんは、美空ひばりさんや市川歌右衛門さんの時代劇に引っ張りだこやったんです。チャンバラは出来て当然。リアルな立ち回り、情感のある立ち回りを見せたいです。それが山根イズムです。それを見せて笑いも見せて、アクションも取り入れてやっていきたいと思います。ハリセン(大阪名物ハリセンチョップ)は必ず。
(メンバーは?)
新喜劇のタックルながい。と一応、今は2人なんです。あとは新喜劇の新名徹郎君がツッコミで手伝ってくれたり、アキさんや、レイチェル君なり奥重君なり4人。あと東映で現役でチャンバラをやってる方を2人。吉本だけやったら、イズムを継いでいくためにちょっとまだ早いんで、東映の方にお手伝いしていただいて、リアルな情感のある立ち回りを、僕が殺陣師でつけさせていただて、やっております。
(公演は?)
今は1か月に1回、祇園花月でコントですね。今年の12月25日には「チャンバラJAPANvol.2」をやります。これから先、漫才劇場なり、NGKなりで出来れば…。
(大変な遺産ですね)
大きいですね。やっぱり「チャンバラトリオ」は52年続いた大きな看板ですから、比べられると仕方ないですけど。師匠に近づけるよう、いえ、追い越すぞという気持ちで精進して行こうと思ってます。
(普段、殺陣の練習ってどういったことをされるんですか?)
僕が、皆さんに教えてるのは基本です。最初は面白くないかもしれないですけど、やっぱり基本をやってなかったら、カッコ悪いですし。基本をやっていることによって、立ち姿がきれいに見えるんです。ちょっとした構えでも基本をやっていたら、腰が入るんですね。細かいとこですけど、基本のことやって、損はない、と。
(新喜劇の中にも殺陣が取り込まれたらいいですね)
時々、「殺陣つけて」とか言われて、やらせていただいてます。「大坂の陣新喜劇」では久々に真面目な立ち回りもさせていただきました。チャンバラが好きなんでしょうね。新喜劇も好きなんですけど。
※チャンバラトリオの山根伸介師匠は11月14日死去されました。

2015年11月2日談

プロフィール
1974年12月9日 兵庫県生まれ。