これからの新喜劇をどうやってうまいこと回していくか、日々そればっかり考えてます。座長になる人を育てなあかんし、誰と誰を組ませてみようとか、新しいイベントとか色んなことを吉本の社員に働きかけて、ずっと話をしてます。ほんで、座員は110人いてるけど、なんばグランド花月や祇園花月に出てるのは、だいたい決まったメンバーが30~40人ほど。出てない子もいてるわけでしょ。それを全部調べて、ここ出てないやん、ここ出してあげよ、とかね。一方で、座員の子らには、言いたいことがあればなんでも言うてこいよと。全部話を聞いてやって、必要であれば僕が会社に言うてやるからって。
そう。会議も打ち合わせも全部やって。吉本の社長にも色んなことを言うんですよ。例えば、今年から座員たちが一生懸命やってるネタバトル。今後グランドチャンピオンを決めるから、賞金出してくださいとか、その時は審査員してくださいとか。社員やったら社長によう言わないでしょ(笑)。社長はやっぱりお笑い好きやし、新喜劇が好きなんです。だから、ニコニコしながら「ええよ」って言うてくれるんですよ。そういうとこにも入って、社員だとなかなか言えないことも僕が直接行ってお願いしてます。
セカンドシアターは若い子らのためにと思って作りました。新喜劇に入ったばっかりとか、20歳だとか、4年5年とかたって舞台に出られない子のためにです。若い子らの心のよりどころになって欲しいなと。家に居ててもしゃあない、あそこ行ってみよ。行ったら誰か居てるやろ。そこで話をしながら頑張ろう、一緒になんかせえへんかという話になるかもしれへんし。家賃が払われへんなら、貸したろかとか言うて(笑)。そんな感じの座員が助け合う場になってほしいと思ってるんやけど、一方で若い子らやとチケットが売れないという声もある。でも、社長はかまへんと。その子らの勉強の場やから。勉強のために舞台に立たせてやれと言ってくれてます。
それは高まってます! 僕もウケるウケへんより、若い子らがもっと舞台に立って、そこで思い切り頑張ってる姿を見せて欲しいと思ってます。僕は昔、木村進に引っ張ってもろうて、舞台に出て行った。僕がどうしようもないアカンって時には、めぐ兄ぃ(池乃めだか)に台本書いてもらったりして。みんなが帰った後に、うめだ花月の楽屋に一升瓶置いて、「めぐ兄ぃ(めぐにぃ)、頑張ろうな、売れていこうな」「月に給料50万円もらえるようになったら寛平ちゃん、俺、飲みに新地連れてくわ。よっしゃ、頑張ろう」って、そんなんして僕らやってた。でも、今の子はないんですよ。アルバイト優先とかで。まぁそこは、時代が違うのかもしれへんけど。そうはいっても、やる気が出てきているのはすごい感じます。
そう! すごいことが起きてますよね。ほんであまりテレビに出てなかったアキが1位になってるとか、そのへんとかもすごいじゃないですか。昨日の営業すごかったですよ、アキ。1000人以上入るところが満席。えらいことがおきてるな、これ。アキが営業いったらお客さんがついてくるなと思ってずっと見てました。うれしいです。
新喜劇まつりでは、僕が提案して座員たちにお客さんの出迎えやチケットのもぎりなども全部やってもらいます。上位30人には帰りにお客さんの見送りをやってもらいます。30位に入っていない座員はめっちゃ悔しがってるけど、でも、そんなんやないと。こんなんで落ち込んでたらあかんねんと。うれしいのが、辻本(茂雄)が今度、30位に入ってないメンバーだけで新喜劇をやろうと思ってるって。上位に入っていないメンバーでもこんだけ面白いんやでという新喜劇をやるっていうから、僕、感謝しましたわ、ありがとうって。頼むで~いうて。
そうですね。僕らの時代とはまた違うけど、やっぱり新喜劇おもろいなぁ、変わったけどちょっといいなぁ、とかお客さんに思ってもらえるようにせなあかんと思ってる。僕らの笑いは古いし、こってこて(笑)。でも、笑いは絶対に負けへんという気持ちでやるから。短い人生やから思いきりやったんねんて。ほんで座員一人一人をほんまに大事にして、新しい新喜劇を作ってやりたいと思ってます。今回の新喜劇まつりのオンラインチケットの売れ行きもすごい言うてましたよ。それだけ新喜劇ファンっていてるんですよ。だから大事にしたいですね。新喜劇いうたら、大阪の宝やもんね。昔、新喜劇の人気が下火になった1989年の「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」の時は、ほんまにつらい時期やった。内場(勝則)、(未知)やすえ、(島田)一の介、(浅香)あき恵が歯を食いしばって頑張ったんですよ。僕は新喜劇を離れて33年。今の新喜劇がどうなってるのか全く分かってなかった。で、入ってみて、あぁそうかぁと色々気が付くこともありました。もどかしいのが、みんなで頑張っていこうとか、この子を育てようとか、そういうものが感じられない。それはなんでかと言ったら、座員が110人いてるから。自分も頑張っていかなあかんから、生きていかなあかんから。自分が生きていくためには、下の子が育って出てきたら、自分の出番がなくなるな、って考えるわけじゃないですか。例えば、僕は、タックルながい。は2代目島木譲二としていけると思ってる。だけど、僕が座員の立場やったらそこは協力しないかもしれんなって、色々感じるわけですよ。そのへんが難しい。今、地団駄を踏んでるところなんです。
そうですね。でも一番はお客さんのことを考えなあかん。お客さんの立場になって、頭を切り替えて動いたら正しく進むやろうと思ってる。お客さんを一番に考えたら絶対ブレへんやろうと思ってます。だから、会社に対してもなんでもガーッと言えるようになるんですよ。大変ですよ、ほんまに。毎日、嫁さんと話してますわ、座員のことについても。あの子はどうしたらいいやろとか、一人ずつ、ずっとやってます。寝てても、あぁどうしたらいいかなとか。誰か飛び抜けたやつが出てこうへんかなと。
昔は明石家さんまちゃんなんか、舞台出るだけで若い女の子なんかがギャーって歓声上げて満席になって、裏から出ても裏にもいっぱいファンがたむろして、そんな時代を僕らずっと見てきたんですよ。新喜劇で第二のさんまを作らなあかんって言うてたけど、見つかりません(笑)。
でもまだ分からんからね。どうなっていくか。とりあえず、今考えてるのは、20歳ぐらいの子らに歌と踊りを作って、イベントの前に出てもらおうかなと思ってます。若いファンがついたらモチベーションも上がるし、新喜劇のちょっとの出番でもお客さんの歓声が上がりだしたら、自信がつくかなと。自信って怖いから。バァーッと跳ねたときがすごいからね。来年の春くらいにはちゃんとやりたいと考えてます。
もうめちゃめちゃ爆発するくらい面白い新喜劇をみんな頑張って作ろうとしていますから。テレビ観て笑ってもらって、劇場のほうにも足を運んでください。生の舞台を観てください。よろしくお願いします。
2022年10月3日談
1949年7月20日高知県生まれ。1970年に吉本新喜劇に入団し研究生に。花紀京の付き人をしながら、1974年に24歳の若さで座長に就任。2022年2月に吉本新喜劇史上初のGM(ゼネラルマネージャー)に就任する。