第69回 服部ひで子

ドラマでいう名脇役のような存在になりたいですね。


―もともとお笑いを目指されていたんですか?

いや~違いますね。お笑いは全く考えてなくて。一番最初にこの世界を目指したのは小学校低学年の時で、女優さんになりたいと。それから漠然と「将来は女優さんになりたいな~」と思ってて、小学校の頃からオーディションを受けたりしてました。
(女優さんになりたいと思ったきっかけは?)
きっかけは完全に学芸会なんですよ。ふふふ。保育園の学芸会も楽しかった記憶があって。タヌキの役ですけど。小学校の時も、何かになれるっていうお芝居が楽しくて…。普段の私がガツガツ前に出ていくタイプじゃないし、主張するタイプでもないんで、お芝居を通じて、何かになれるっていうのが楽しかったんでしょうね。高校の進学を決断する時に、1番目になりたかったのが女優さんなんですが、狭き門ですし、オーディションもずっと惨敗。で、中学生ながらに考えて、高校の進学は2番目になりたい看護師さんになろうと思って。とりあえず看護学校へ行って、准看護師の免許を取って、アルバイトを始めたら、お金をある程度稼げるようになったんです。
(看護師って大変な職業だと思いますが…)
自分でもよくやりました(笑) 若い頃はがむしゃらで、あんまり記憶がないんですよ。高校時代もけっこう本格的にいろんなオーディションを受けたんですが、なかなか受からなくて。19歳の時に、「ちゃんとお芝居を学ぼう」と、アルバイトで貯めたお金でタレント事務所の養成所に入って、6年間くらいやってみたんですけど、全然ダメで、私自身も成長していないな、と。その時に「自分に足りないのは何だろう」と考えて、ボキャブラリーやユニークさを養いたいと思って、たまたまHPでNSCの女性タレントコース(※現在はありません)を見つけたんです。ここで環境を変えて学んでみようと思って、名古屋から近鉄電車で週末だけ通ってました。 (通うのはすごいですね)
月~金まではアルバイトして、土日は電車に乗って大阪へ来て、土曜日はカプセルホテルに泊まって…を繰り返していました。

―新喜劇との出会いは?

女性タレントコースに通ううち、夏くらいに新喜劇のオーディションがあるという情報をいただいたんです。昔は名古屋でも新喜劇を放送してて、よく見てたんですけど、大人になってから見る機会が減ってしまって。「あ~新喜劇か~」と思って、改めてNGKに見に行った時に、「これや!」と思ったんです。本当に面白くて、お芝居で笑って、ほろりと泣けて、それが1時間の間にギュッと詰まってる。「私、新喜劇入りたい!」と思って。もともと喜劇が好きだったというのを、改めて思い出させてくれた新喜劇と出会って、オーディションを受けて、ありがたいことに金の卵4個目で入ることが出来て、今に至ります。回り道だったんですけど。
(でも、ずっと女優を目指して基礎を積んで来られたわけですから)
全然、ですよ。養成所時代は何かやってるということに満足してたみたいな。実力も伴ってなかったし。自分の中で、もっと本気になっていたら、もっと結果残せたかなというのもあったので。自分に甘えてたな、と。
(看護師を職業にしようとは?)
よく周りから、「食いっぱぐれないね」とか言われるんですけど、私の中では、一番はこの職業(女優)で食べていけるのが目標で、あくまでも看護師さんは生活を支えるための職というか。看護師の職業も大好きなんですけど。でも、看護師やってますというだけで、オーディションも受かったのかなという自覚はあります。

―人生の転換点になった新喜劇はどんなお芝居でしたか?

内場座長の新喜劇でしたね。もちろん、定番のギャグとかあるんですが、一番感じたのは、内場座長はお芝居がすごくうまいですし、驚くしぐさひとつで笑いが起こる。ギャグをしてるわけでもないのに、お芝居してて、リアクションひとつでドッと客席が沸く、喜劇王だな、と。内場兄さんは男性ですけど、あ、こんな存在になりたいな、と思いました。
(入ってみて違ったなと思ったことは?)
ありましたね。入って、初めは台本があると思ってたんですよ。ギャグは別として、ネタとか全部台本に書いてあると思ってたんですけど、いざ入ってみると自分たちでネタを考えないといけなかったり…。ハケネタとか、オープニングのネタとか、それにすごい戸惑いがありましたね。あと、私の勝手なイメージなんですが、お笑いの世界、吉本っていうイメージだけで、いじめられるっていう覚悟で来たんですよ。芸事の世界は厳しくて、先輩にいじめられるのは当たり前だろうな、って。覚悟して来たら、逆でしたね。皆さん優しくて、いろいろ教えてくださって。楽屋のしきたりとかもあったりするんですけど、私が想像していたより100倍くらい優しい世界だったので、ちょっと肩透かしでした。

―初舞台はいつごろ?

初舞台までは半年くらいあったと思います。なかなか舞台に立てなくて。発声の練習をしたり、劇場で舞台を見て勉強したりとか。私、けっこう同期の中では遅かった方だと思います。
(同期は?)
同期入団は芸歴のある清水けんじさん、あとは新名徹郎さん、レイチェルさん、奥重敦史さんとか。皆さん、どんどん舞台に立って行くんで、焦りました。もう出れないんじゃないかと。
(初舞台は覚えてますか?)
すごく覚えてます。川畑座長の週で、最後のオチで出てくるんです。舞台は離島で五十嵐サキ姉さんが女医さんで、島を去られてしまう、と。「サキ先生、行かないで」と懇願する島の住人たちのところに、最後にバーッと出て来て、「サキ先生の後任で参りました、服部ひで子と申します」というと、島の人たちが「サキ先生、さよなら~!」っていうオチになるんですけど、もう、緊張しすぎて。たった一言のセリフの、自分の名前が言えないんですよ。「服部ひで子です」とか、自分の名前がなまるんですよ! その一言を300回くらい家でずっと練習してました。

―名古屋のご出身ですから、大阪弁と違いますよね。

全く違いますね。どちらかというと、関東弁の方が近くて、プラス名古屋の独特のイントネーションあるんです。標準語は喋れるんですけど、関西弁は未だに…。
(苦労されてます?)
めちゃくちゃ苦労してます。いろんな人に聞いて、自分で台本にイントネーションつけたり、大阪の人に言ってもらったり、劇場での会話に聞き耳を立ててたり。関西でも、大阪、兵庫、京都、滋賀、和歌山…全部関西弁だと思ってたんですけど、その中でも違うんだな、というのに気づいて。意味わからなくなりました。最初のレッスンの頃、ほんとに関西弁がわからなくて。壇上茂先生のレッスンがあったんですけど、台本が昔の大阪弁なので、難しくて。関西弁を覚えて言っても、そこに感情を乗せられないんです。だから棒読みですね。標準語で言ったら感情を乗せられるところが、関西弁というワンクッションあるので、セリフと心がバラバラで。本当に下手くそで、壇上先生に死ぬほど怒られました。

―新喜劇の入団とともに1人で大阪へ?

入団が2008年10月だったんですが、オーディションで3次審査を受けた直後に合格の連絡が来たので、直後に物件を見に行きました。正直お金もなかったので、物件探しのためだけに大阪に来るのは無理だと思ったので、その場で決めましたね。
(早くから独立されてるところがすごいです)
そうなんですよ。だからダメなんです。だから彼氏が出来ないんですよ。あははは(笑) 小さい頃から目標があったので、ひたらすらそこに向かってきたところがあって。看護師になって、ずっとアルバイトしてたんですが、まさか新喜劇で大阪に出て来るとは思ってなかったので、貯金ゼロだったんですよ。26歳で出て来たんですけど。当面の生活費をお姉ちゃんに50万円借りて(笑) 出て来たばかりの時は、3つアルバイトしてたんです。餃子の王将と病院と、介護のお仕事の3つ、それを4~5年続けていました。ギャラも少ないですし、出番もないですし。お金がなくて、バイトばっかしてて、なんのために(大阪に)来たんだろう、と意味が分からなくなる日もありながら…。
(そんな時、支えになったのは?)
周りですね。人間関係には恵まれている方だと思ってます。いろんなお兄さんお姉さん方にご飯に連れ行っていただいたり。新喜劇はよく家族って言いますけど、そのチームワーク感とか、居心地がいいなと思うところはあります。それだけじゃダメというのはよくわかってるんですけど。ふふふ。それで支えられてますね。何度かくじけそうになる時もあるんですけど。もうちょっと頑張ってみようって。

―ご家族は新喜劇に入るのには反対は?

全くです。親には「自分のやりたいことをやれ」と、小さい頃からずっと言われてきて、芸能界目指すとか、新喜劇に入るって行った時も、「自分の好きなようにやりなさい、その代わり、責任は自分で持ちなさい」というスタンスだったので、そういうのでも自立したんでしょうね。
(経済的に自立できると結婚が遠のくような…)
やっぱり! そうですよね。わかります。私も仕事と恋愛だったら、仕事をやりたいって。自分が夢見てた仕事、夢がやっと仕事になって、そこからもうワンステップして、この仕事を一生続けていきたいと思っているので、ほんとに恋愛が遠のきますね。考え方が男性なんですよ(笑)
(先輩方には、結婚されている方もいらっしゃいます)
お姉さん方には「恋はしなさい」と言われますね。みどり師匠も、もともと「結婚しない」予定だったみたいなんですけど、「そんなあなたと結婚したい」というすてきな旦那様と巡り会って、今も仲良くされてるんです。みどり師匠によく言われるのは、「男は、理解してくれる人を見つけるんじゃなく、育てなさい」って言われるんですよ。それがなかなかできないんですけど。今、新喜劇の女優陣は30オーバーがすごいいるんですよ。楽屋の中では、結婚とか、どう生活していこうとか、リアルな話が飛び交ってます(笑)

―これまでに印象に残っていたり、忘れられない舞台とかは?

もう大失態を犯しました。ほんとにこれは忘れられない、たぶん私しかいないんじゃないかというくらいの大失態があります。地元の名古屋に中日劇場という名門の劇場がありまして、毎年そこで年末興行してるんです。そこに名古屋出身ということで出させていただいて。6日間公演があったんですけど、千秋楽の最後の回の時に……吐いてしまったんです。舞台上で。
(え~っ!?)
忘れもしないですね。これは経緯があるんで、ちょっと弁明させてください。入団3年目くらいで、初めての6日間の地方公演だったんです。女性が6人くらいで、全員お着物で、若手がお姉さん方の着付けをするんですが、私が一番若手だったんですね。一番若手は楽屋のお仕事もあるし、すごい気を張ってて。途中で全員着替えもあって。とにかく、記憶にないくらいバタバタしてたんですよ。終わったら、毎晩毎晩宴会をしてくださって、千秋楽の前の夜に、生ガキをいただいたんですね。食べられない方もいたので、3つくらい食べたんです。
(あ~生ガキ…)
その晩に寝てたら、吐き気に見舞われまして…。朝起きたら気持ち悪くて、気持ち悪くて…楽屋で「う~」となってたら、前田真希姉さんもしんどそうに来られたんですよ。「どうしたんですか?」と聞いたら、同じ症状で、カキに当たってしまいまして。普段は元気だったら当たらないんですけど、疲れも溜まってて、気も張ってて、体力も免疫力も下がってたんですね。舞台の途中で、真希姉さんが出られなくなって。金原早苗姉さんと3人女中の役だったので、私と早苗姉さんで真希姉さんのセリフを割り振りして、合間に病院に行って点滴も打ちながらなんとか舞台に立ってました。私は吐き気だけだったんで、まだ我慢できたんです。でも、この舞台が終わったら大丈夫という最後の舞台中に、気持ち悪さが増強してきて…。その後、暗転だったので、よし、暗転になったら最悪どっかに吐こうと思って我慢してたんですけど、自分の意志とは裏腹にこみ上げてきまして…着物だったので、袖口に受けてごまかそうと思ったら、袂からマーライオンみたいになってて、「うあっ!」って。その時、感動したのが、珠代姉さんとオクレ師匠と坂田利夫師匠が、即座に私の前に3人並んで隠してくださって、珠代姉さんが私がハケるタイミングで、「一緒にハケよう」って声をかけて、引っ張ってサーッと。その後、転換だったので、何事もなかったかのように舞台が進んでました。ほんとにご迷惑おかけして…いまだに言われます。
(金原さんは大丈夫だったんですか?)
大丈夫だったんですよ。早苗姉さんが、真希姉さんと私のセリフを全部任されて、意味わからなくなってました(笑) 忘れられない舞台です。大失態を犯したのと同時に、周りの方々のありがたさを改めて感じましたね。新喜劇ってすごいなって思いました。トラブルの時の対処の仕方が素晴らしいです。生の舞台をずっと踏まれている先輩方なので、何かトラブルが起こっても絶対対処できるっていうのがほんとにすごいなと。それ以来、体調には気を付けています。情けなかったです…。

―これからやっていきたい役柄とかは?

今考えると、たぶん最初は、きれい目な役柄で使っていただいていたのかなという記憶があって。でも自分でそういう自覚がなかったので、すごく中途半端で使いにくかったと思います。3枚目でもないので、そういう役自体も回ってこないというか。フリになって、しっかり3枚目のオチにつながるセリフを言う、という部分の役回りになりますね。それでもギャグも入れきゃダメだとは思うんですけど…。
(地味でも重要な役周りですよね)
はい、全体を考えたら。お芝居で締める役とか、セリフのきっかけを出していくとか。最近気づいたんですよね、主役になりたいわけじゃなくて、ドラマで言ったら、名脇役の方がいるみたいに、ああいう存在になりたいな、と思って…。
(名脇役の方って、ずいぶん経ってから気づかれる…)
そうです、そうです。脇役を重ねて、重ねて、重ねて…あ、そういえば、あのドラマにも出てた、あそこにも出てたと。だんだんだんだん存在感出てくるような。一見、華やかではなく、埋もれててわからないんですけど、ちゃんとどこかで締めてるとか、目にはつかないけど、そういう感じで新喜劇を支えていけたらいいな、というのを最近感じてます。誰かを支えるのが好きみたいです…(笑) 看護師の精神もあるかもしれないんですけど。誰かのお世話をしたりとかすごい好きで。新喜劇の舞台でも、そんな役割ができればと思います。

―趣味とかハマっているものは?

旅行が好きで、最近1人でも行っちゃうんですよ。1人旅が好きというわけじゃないんです。だんぜん誰かと行った方が楽しいと思うんですけど、スケジュールが合わなかったりするので、海外にも1人で行くことがありまして。1人で飛行機のチケット取って、ホテル取って、計画して、そこで何かを得られた時の達成感とか、ひとつ自分が成長出来たとか、失敗しても、その失敗が成長につながるみたいなところが楽しくて(笑) 台湾とか韓国、近距離なんですけど。全くなにもわからないところで、1人でどこまでできるかなという挑戦が楽しかったりして…えへへ(笑)
(他には?)
あとは献血ですね。高校生の頃から始めて、献血はもう75回くらい。
(それはすごい!)
この間、表彰状届いたんですよ。
(10回の時に、ガラスのお猪口をもらったことがあります)
あれね、回数ごとに色が変わっていきますよ。黄色とか、青とか緑とか。70回の時に、タンブラーに変わりました。次は100回目指して。それぐらいしか、社会貢献が出来ないので、何か人の役に立てればと。2週間に1回は行ってます。献血が趣味なんです(笑)
(100回目指して頑張ってください)

2017年9月11日談

プロフィール
1982年10月20日 愛知県生まれ。
2006年 NSC大阪校 女性タレントコース4期。2006年10月 入団。