36人が犠牲となった京都アニメーションの放火殺人事件。発生から4年を経て、初公判が始まりました。
9月5日朝、京都地裁近くの京都御苑では、裁判の傍聴券を希望する人たちが行列を作っていました。36人が犠牲となった深刻な事件。傍聴希望の人たちの顔には静かな緊張感がただよっていました。京都アニメーション放火殺人事件の裁判が9月5日に始まりました。自らも大やけどを負い、一時は生死の境をさまよった青葉真司被告(45)。法廷で一体、何を語るのでしょうか。
2019年7月18日午前10時31分ごろ、京都市伏見区の京都アニメーションの第1スタジオが放火されました。火災直後の様子を捉えた映像では、足をひきずりながら逃げる人や路上に倒れ込む人、裸足で逃げてきた人の姿が確認できます。社員36人が死亡、32人が重軽傷を負うという、平成以降の殺人事件で最多の犠牲者となりました。
東京一極集中だったアニメ業界で京都から次々とヒット作を世に送り出してきた京アニ。繊細な絵や高い表現力は社員同士で能力を高めあうことで築き上げられ、世界中のファンを魅了。『日本アニメ界の宝』とも言われました。そんな中、犠牲となった若きクリエイターや監督たち。多くの人が献花に訪れました。
現場にガソリンをまいて火をつけた青葉被告。逮捕された当初、容疑を認めたうえで、次のように供述しました。
「京都アニメーションに小説を盗まれた。だから、火をつけた」
自身も全身の9割以上にやけどを負った青葉被告。事件から1か月後の動画では、顔全体に包帯が巻かれていました。
さいたま市で生まれた青葉被告。9歳のころに両親が離婚し、父親・兄・妹の4人で暮らしていたといいます。その後、定時制高校に通いながら、埼玉県庁の非常勤職員として3年間働きました。青葉被告の元上司は次のように話します。
「真面目に仕事はしていましたよね。仕事は言われたことは全部ちゃんとやりましたし、(仕事ぶりは)普通よりもちょっと上という感じです」
しかし20代前半のときに父親が自殺。30代前半で派遣切りにあいます。その後、茨城県内でコンビ二強盗を起こして逮捕された青葉被告。MBSが入手した当時の捜査資料では、動機について、京アニ事件と同じく『小説』がキーワードとなっていました。
【青葉被告と捜査関係者とのやりとり】
(捜査関係者)「きっかけは?」
(青葉被告)「母親があまりよい顔をしてない」
(捜査関係者)「何について?」
(青葉被告)「小説を書いていたけど、それを送らなかったこと」
(捜査関係者)「どこに?」
(青葉被告)「出版社に。郵便局を首になったときは、母を、兄も含めて、ガソリン撒いて燃やしてやろうか、と」
この7年後に青葉被告は凶行に及んだのです。一命を取りとめ、事件から10か月半後に逮捕された青葉被告。精神鑑定は、京都地検、京都地裁で起訴の前後で2度も実施されました。
事件から4年、京都アニメーションの八田英明社長は今年の追悼式で次のように述べました。
「4年が過ぎようと、何年が過ぎようと、気持ちはいささかも変わらないです。本当に優秀な仲間を一瞬にして失った悲しみというのは癒えることではないです」
そして迎えた9月5日の初公判。傍聴券の抽選に並んだ人は…
「京都アニメーションの作品を見て、すごく感動して、涙がとまらなかったんです。引きこもりから脱した経緯もあって。(Q初公判はどこに注目?)自分の言葉で何か話してほしいなというのがあります」
「涼宮ハルヒの憂鬱」「響け!ユーフォニアム」などでキャラクターデザインを担当した寺脇(池田)晶子さん(当時44)を亡くした夫は、裁判の前、次のように話しました。
「やっと始まったかな。何でこんなことしたん?って、可能なら反省しているのか、話してほしいかなって、正直にね」
9月5日、法廷に車いすに乗って現れ、上下青のジャージを着て、髪は短く丸刈り、マスク姿だった青葉被告。「間違いありません」と起訴内容を認め「事件当時はそうするしかなかったと思っていて、たくさんの人が亡くなるとは思わなかった」と述べました。