大阪・岸和田にある“お城の道場”がなくなる!?歴史ある建物の廃止決定に対して、市民からは存続を求める声もあがっています。

岸和田城の敷地内にある市民道場『心技館』 廃止方針を伝えられた管理団体の会長は「びっくり」

 心身を鍛え、己に打ち勝つ。スポーツとしてだけでなく人づくりの道として親しまれている剣道。大阪府岸和田市にある市民道場「心技館」では、半世紀以上にわたり、多くの人が竹刀を交え、修行を積んできました。

 (剣道歴3年・2級)「礼儀や作法を学べるところがとても楽しいです」
 (剣道歴42年・7段)「泉州地区の中心ともいえるような道場です。これだけ8段7段の先生がそろっている道場も少ないと思います」
 (剣道歴62年・7段)「心技館は昭和36年(1961年)にできました。そのとき小学生だったのですが、そこからずっと続けてやっています」
b5.jpg
 心技館が建つのは岸和田城の敷地内。かつて藩主が暮らしていた二の丸跡です。城下町の風情を彩る趣深い武道場は市民らに広く愛されてきました。ところが…

 「急に、今年度末で終わると、廃館にするということを言われたんです。それでびっくりしてもうて、えっ?ていうことになりました」
b9.jpg
 こう話すのは、心技館を管理する団体で会長を務める松端孝元さん(82)。去年5月、市の担当者が今年度末で心技館を廃止して取り壊す方針を伝えてきたといいます。理由は、建物の「老朽化」と「耐震性の不足」でした。

 (松端孝元さん)「岸和田城の一角に心技館があるということは、すばらしい価値じゃないかと、文化じゃないかと。そういう文化を耐震構造ができていないから取り壊しますと簡単にしていいんかなと。耐震補強をすれば存続は可能なはずですよね。潰して更地になってしまったら、なんのための岸和田城かと」

60年以上の歴史「岸和田の誇り」「あこがれの場所」

 岸和田は江戸時代、大阪南部唯一の城下町として発展。岸和田藩は大坂城に異変があれば真っ先に駆け付ける役割を担っていたとされています。そのため、市民の間でなじみの深かった武道を通じて青少年を育成しようという機運が高まり、道場の建設を願う寄付も集まったといいます。そして1961年、念願の市民道場として「心技館」が誕生。以来、泉州地域の武道の中心として時を重ねてきました。
b13.jpg
 松端さんは剣道7段。この道場で60年以上、心と技を磨いてきました。

 (松端孝元さん)「あれが神棚です。神棚をまつっている道場なんてそうないと思います。道場には立派な先生がいます。人間としてどうあるべきか、剣道とはどうあるべきかというような指導理念があって、それを慕って稽古に来る」
b3.jpg
 現在、剣道・柔道・空手・居合道の団体がここを使っていて、毎日のようにいずれかの稽古が行われています。
b16.jpg
 2019年のG20の際には海外メディアの取材も入り、元剣道部の永野耕平市長自らが剣道を披露。「岸和田の誇り」として紹介しました。市民にこの道場について聞くと…

 「柔道一直線って知ってる?あれにあこがれて柔道で通ってたんや。よー投げられた先輩に(笑)」
 「うちの息子が剣道をやっているので、あこがれの場所。最近すごく岸和田城も人気が出てきてたくさんの方が来てくれるので、そのときにここに心技館があると価値を皆さんに知っていただけて、すごく素敵なところではないかなと」

存続を求める署名を提出するも…廃止案は市議会で僅差で可決される

 しかし、10年前に行われた調査で、耐震性に問題があることが判明。岸和田市によりますと、当時の試算で耐震補強には最低でも1.9億円(当時)かかることや、代わりに使用できる体育館があることなどから、今年度末での廃止を決めたといいます。心技館の建物に関しては、文化財に指定されている石垣に負担がかかっているなどとして、取り壊し撤去するとしています。
b22.jpg
 市は去年11月に2回、市民説明会を実施。以前から廃止の方針は伝えてきたと主張し、理解を求めました。一方で松端さんらは、耐震工事費の試算が10年前から更新されておらず廃止と判断する根拠が乏しいと主張。岸和田城と一体で文化的に重要な建物だとして、存続を求める約1万5000人分の署名を市長に提出しました。

 (松端孝元さん)「人の命に関わることだから存続できませんと言われたらその通りなんですけど、どこをどうすれば耐震補強ができるんやというようなことまで踏み込んだ説明はまったくないです。『潰さず補強したらどうや』という意見が出てくるのは当然やと思いますね」

 しかし、説明会から1か月あまり、去年12月20日の市議会で、廃止案が13対10の僅差で可決され、廃止が決定したのです。

南海トラフ地震の発生を懸念 市長「我々はこの結論を重く受け止めて進める」

 納得できないという声があがるなか、これで説明責任を果たしたと言えるのか、2月1日に市長に直接問うと…

 (岸和田市 永野耕平市長)「我々は、これまでに市民の皆さんにした説明で十分であったというふうに考えています。すべての人が『わかった、じゃあもう心技館とはお別れや』ってなるとこまで納得して廃止していくっていうのが、ほんまは理想やと思いますね。ただ、申し訳ないですけれども、そうしている間、心技館をスポーツ施設として使っていくことっていうのはやっぱりリスクがありますので」

 市長は、南海トラフ地震の発生も懸念されるなかで早急に判断する必要があったとしたうえで、建物の耐用年数の65年も迫っていて、存続させるためには莫大な費用がかかり、現実的ではないと話しました。

 (岸和田市 永野耕平市長)「13対10(で可決)ということも、相当迷ったということがわかる。ただ『廃止はやむなしやな』というのがギリギリで多かったていうのが今回の結論だと思います。これは民主主義が出した結論ですから、我々はこの結論を重く受け止めて、粛々と進めていくということになると思います」
b30.jpg
 城下町の伝統を紡いできた武道場の行末。安全の確保と同時に市民の思いに寄り添った対応が求められるのではないでしょうか。