1月6日。輪島市の中心部から西へ向かう。日本海沿岸を通るのが県道38号だ。土砂崩れで通行止めとなり「落石注意」と書かれている。正午ごろ、そこに車を止めて降りてきた男性が私に、「この先は行けるのか?」と声をかけてきた。

 八幡雄示さん(62歳)。この先の坂の上にある特別養護老人ホーム「輪島荘」に行きたいという。93歳になる母親が入所しているが、地震の後、施設に電話をしても繋がらないという。八幡さんは母の身を案じていた。

「どうしようと聞かれたって、こっちが聞きたいわ」

八幡さん:「電話も通じんし全然ダメ。こういうときどこに連絡してどういうふうに聞きゃいいもんなのか、それもわからんし。いま歩いて行けって言われたって、ぐらってこられても困るし」

私:お母さんとはいつから連絡とれていないのですか。
八幡さん:「全然。地震の後、全然。電話通じん。向こうからもなんも言うてこんし。生きとるのか…。」

私:これからどうしますか。
八幡さん:「どうしようと聞かれたって、こっちが聞きたいわ本当に。どうするって…。海沿いから回る道もダメだし」

 こう話した八幡さん。輪島市内の自宅は全壊して、自身も避難所暮らしだという。この日は仕事に向かう必要があると言って、通行止めの場所から立ち去った。

別の道から老人ホームに辿り着けないだろうか?

 私たちは、「別の道から老人ホームに辿り着けないか?」と、海側の袖ケ浜に迂回する道を探した。住宅が傾くなどして、車一台どうにか通れる道だ。すると、袖ケ浜の前で道路を修理していた人が「通れるよ」と手招きしてくれる。導かれるまま進むと「輪島荘」と書かれた看板があった。

 その先は上り坂になっている。ただし土砂崩れが起きていて道の半分しか通れない。徒歩で向かうことにした。道路には亀裂が入り、5センチほどの隙間が空いていた。

 高台にある輪島荘に着く、中の様子は…。一階の部屋に高齢者の姿が見える。

「八幡さんのお母さんはどうされていますか?」

 施設の統括主任、北村寿美子さんに話を聞いた。停電で固定電話が使えない、水道も使えない環境下で、地震発生以降入所者ら24人と職員6〜7人が過ごしているという。

 備蓄していた食料で4日間を乗り越え、5日に救援物資が届いたという。私は北村さんに聞いた。「八幡さんのお母さんはどうされていますか?」

すると「元気にされていますよ」との返答。私は携帯電話で八幡さんに連絡をとり、輪島荘にたどり着いたことを伝えた。そして電話を北村さんに代わった。

北村さん:いつもありがとうございます、北村です。お母さま元気でいらっしゃいますよ。
八幡さん:あー、よかった。
北村さん:寒いわー、とか言ってますけど、ほんとに元気です。
八幡さん:それ聞いてほんと安心した。

北村さん:心配されたと思いますけど、当日はみんなびっくりしたかと思うんですけど、利用者さんみんな一緒に寝ていますので大丈夫です。
八幡さん:連絡も取れなかったので…。
北村さん:こちらからも連絡できなくて申し訳ないです。水も電気も来ていないので電話も無理で。こういった形でお電話いただいたらうれしいです。ありがとうございます。

 八幡さんのほっとした声が電話の向こうから聞こえた。電話をする北村さんの目から涙がこぼれていた。

輪島荘・北村寿美子さん:「ご家族さん、心配されている方いらっしゃるかと思うんですけど、みなさん元気です。大丈夫です。よかったです、伝えられて」「ありがとうございます、本当に。伝えることができた」

 老人ホームは停電がなお続き、水道は通っていない。トイレも大きな課題だという。24人いる高齢者の多くは、体調に大きな変化がないというが、迅速な支援が必要だ。八幡さんが93歳の母親と無事に再会できることを願い、輪島荘を後にした。
(MBS報道情報局 気象・災害担当記者 福本晋悟)