「あのとき、生活保護を受けて立ち直ろうとしていた。SOSを出していたのにー」。大阪・北新地。事件現場のビルを見上げて、女性はこう話した。4年前、近くで女性に「生きるための相談」をしていたのが、谷本盛雄容疑者本人だった。交友関係がほとんどない中、“わずかに”つながりのあった女性の話は、私が想像していた容疑者像と、大きく異なっていた。

男は5年で100回以上通院の元患者
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心療内科クリニックに放火して、26人を殺害した疑いがもたれている谷本盛雄容疑者(当時61、死亡)は5年間で100回以上通院していた元患者だ。このクリニックでは、さまざまな事情で離職した人などの再出発を図る「リワークプログラム」が行われていて、警察は「復帰を目指す前向きな患者たちと、再出発できない自分自身を比べ、妬みに似た感情があったのでは」と犯行動機を推定した。
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谷本容疑者自身、再出発すべき環境にあった。2008年に離婚、2011年に長男に対する殺人未遂事件で懲役4年の判決で服役した。出所後は、ほぼ定職に就かず、交友関係もなく、2015年時点で150万円あった貯金を切り崩していったようだ。
所持金5万円以下で「ドヤ暮らし」女性に生活相談
そんな中、谷本容疑者は冒頭の女性に生活相談のために会っていたのだ。2017年当時の所持金は5万円以下、此花区の家に住んでいたが、トイレもなく劣悪な環境だったため、浪速区にある簡易宿舎で半年間ほど暮らしていたという。1泊1300円、いわゆる「ドヤ暮らし」だ。
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女性によると、谷本容疑者は「すごく礼儀正しくて、ハキハキ話していた。時折笑ってコミュニケーションがうまくとれる人」だったという。凶悪犯罪の容疑者とは、かけ離れた違う印象だ。仕事を探していたものの、インターネットで過去の犯罪履歴調べられ、面接するも採用には至らなかったという。
「不安」「家族と疎遠」アドバイス受け生活保護を申請
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女性のアドバイスに従って、谷本容疑者は生活保護を申請していた。申請書には「生活に困窮していて、この先食べていけるか不安です」「家族とも疎遠です」と記されていた。申請したのは簡易宿舎のあった浪速区役所だったが、「自宅のある此花区で申請するよう」断られたという。その後、此花区に戻り、申請したとみられているが、最終的に生活保護の受給には至らなかったようだ。
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そして4年後、重大事件を起こした。メモには「ジッポに火がつくか確認する」「果物ナイフを必ず持っていく」。そして、自転車にガソリンを積み、クリニックに向かったとみられる。
女性「絶望して事件を起こしてしまったのは、彼1人の問題ではない」
事件から1年を前に、現場を初めて訪れた女性はビルをじっと見上げ、少し間をおいて、こう話した。「約4年前に会った時は、前を向いて立ち直ろうとしていたのに、彼はなぜ人を恨んで巻き添えにしようと思ってしまったのでしょうか」「SOSを求めていた人が絶望して事件を起こしてしまったというのは、彼1人の問題ではない」

女性は、「過ちを犯した人を受け入れられる社会であれば、事件は起きなかったのではないか」、と感じていた。

1年間この事件を取材する中で、発達障害で孤立していた女性は「苦しいことがたくさん重なると心は簡単にペチャンコになってしまう。人を恨むことで自分を保っていた。もしかしたら事件の犯人は私だったかもしれない」と取材に答えていた。元受刑者の男性は「服役中は自暴自棄になっていた。事件はありえないことだが、容疑者の気持ちがわかってしまうこともある」と話した。

聖マリアンナ医科大学の安藤久美子准教授(犯罪心理学)は「自分の境遇自体に不満があり、その中で他責的になって誰かを巻き込んで殺したいという、そういった心性が考えられる。今回の事件の予備軍となる人は一定数いると考えられる」と指摘している。

こうした境遇にいる人たちへの対応は非常に困難が伴う。ただ地道だが、そこに目を向ける企業や取り組む団体が少しずつ増えているというデータもある。孤独で苦しんでいる人を取り残さない社会を目指すことも、この事件の教訓ではないかと思う。

MBS報道情報局
法花直毅