仙台育英(宮城)が東北勢初の全国制覇を成し遂げて幕を閉じた104回目の夏の甲子園。今年は、3年ぶりにブラスバンドやチアリーディングなどアルプスの応援も本格的に復活。市船橋(千葉)の『市船ソウル』や札幌大谷(南北海道)の『きつねダンス』、近江(滋賀)の『HOT LIMIT』といった、各校の工夫を凝らした応援でアルプスも大いに盛り上がった。

 “耳新しい”応援曲が話題を集める中、高校野球ファンにとっての定番曲も甲子園に鳴り響いた。沖縄代表・興南のアルプスで演奏された『ハイサイおじさん』だ。今年も奏でたのは、市立尼崎高校吹奏学部の生徒たち。指導する羽地靖隆さん(74)が沖縄県出身という縁から、楽器の運搬に膨大な費用がかかる沖縄代表校の応援を26年前から市立尼崎高校が引き受けている。羽地さん自身は、前任の中学校時代と合わせると今年で“友情応援”はなんと42年目となる。

 1990年・1991年に沖縄水産が夏の甲子園で2年連続準優勝したときも、2001年のセンバツで21世紀枠の宜野座がベスト4入りし旋風を巻き起こしたときも、2010年に沖縄県勢で初めて興南が春夏連覇を成し遂げたときも、全て羽地さんがタクトを振った演奏で選手たちを後押ししてきた。

 羽地さんは中学生だった1962年、家族の仕事の都合で、沖縄から兵庫へとやってきた。沖縄がまだ本土に復帰していない当時、渡航にはパスポートが必要だった。いわゆる「罰札制度」による方言弾圧のもと、地元の言葉をしゃべることさえ禁じられるなど、沖縄に対する差別・偏見・同情にさらされる出来事も経験した。

 今年で本土復帰50年を迎えた沖縄。取り巻く環境は大きく変わった。甲子園における沖縄代表校のアルプスを見ても、沖縄野球のファンや、旅行で沖縄を好きになった人など、全国の沖縄好きが集結する。その様子に羽地さんは「時代は変わった。同情なんてされなくなった」とうれしさをにじませる。沖縄には「ごちゃまぜ」を意味する「ちゃんぷるー」という方言があるが、沖縄代表校の甲子園のアルプスはまさに「ちゃんぷるー」。学校関係者や沖縄出身者はもちろん、関西に住む沖縄県人会の人たち、そして沖縄好きな人たちと、多様性に溢れている。それを束ねるのが市立尼崎高校の吹奏楽部の演奏なのだ。そんな光景が今年、3年ぶりに甲子園に広がった。

 8月8日、沖縄代表の興南は市船橋との初戦に臨んだ。試合が動いたのは3回表、興南の攻撃。チャンスの場面に流れたのは『ハイサイおじさん』。約35年前から演奏される沖縄代表校の定番曲だ。羽地さんがタクトを振ると、アップテンポのリズムに乗ってアルプスも湧き上がる。選手たちもそのエールに応え、この回一挙5得点。喜びの指笛が鳴り響いた。

 初めて沖縄代表校のアルプスで演奏をした市立尼崎高校吹奏楽部部長の中野亜月さん(3年)は「この光景は伝統となっているところがあるので、(演奏ができて)すごくうれしい。沖縄の曲を聴くと、沖縄の方と一体となっているという感じがするので、すごくグっとくる。熱い感じがこれからこの先も続いていってほしいと思う」と笑みをこぼす。

 そんな中、試合は怒涛の展開に。5点あったリードも市船橋に徐々に詰め寄られる。5対5の同点で迎えた9回裏、市船橋の攻撃。一死満塁とサヨナラのピンチの場面で、押し出し死球…興南は涙を飲んだ。それでも最後まで全力で戦い抜いた選手たちにアルプスからは温かく、そして盛大な拍手が送られた。

 本土復帰50年。今なお沖縄が抱える問題は山積。基地問題では県民の考えが分断されることもしばしば。それでも沖縄の野球熱は熱く、甲子園が始まるといつも県民が1つになって代表校を応援する。球場では「ちゃんぷるー」なアルプスを羽地さんのタクトで、これからも束ねていく。「年だからいつまでできるかわからないが、続けられる間は続けていく。もし、僕が続けられなくなったとしても友情応援は引き継いでいくよ」と羽地さん。これから先、何年も、兵庫と沖縄の友情は続いていく。