土曜日の昼下がり、大阪の街のど真ん中で聞いたウクライナ国歌。悲しげな、しかし、どこか力強さを感じさせるメロディだった。そう感じた理由はロシアの軍事侵攻に反対するウクライナの人々が歌っているからというだけではなかった。調べてみると、そもそもこの国歌が「ウクライナは滅びず」という題名であった。そして歌詞は日本語訳すると以下になる。

【ウクライナ国家「ウクライナは滅びず」の歌詞の日本語訳】
ウクライナの栄光は滅びず、自由も然り
運命は再び我らに微笑まん
朝日に散る霧のごとく 敵は消え失せよう
我らが自由の土地を自らの手で治めるのだ

自由のために身も心も捧げよう
今こそコサック民族の血を示すときぞ!

元々は1917年に起きたロシア革命により独立を宣言したウクライナの民族主義者により国歌として採用され、ソ連に併合されるまで使われた。ソ連から独立後に再び国歌として復活したということだが、戦火と国家存亡の危機にさらされ続けたウクライナという国に生きる人々の覚悟、決意表明ともとれる歌詞だ。

ロシア軍に立ち向かう人々

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2月24日に始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻。世界史的な事件であり、プーチン大統領の考えや論理に大義も、正当性も見出すことができない戦争に直面し、1年前までヨーロッパを中心に取材を続けた身としては強い関心を持たざるを得ず、何もできないでいる自分に苛立ちすら感じている。外電の報道に触れていると、特に国家存亡の危機に対して多くのウクライナ市民が立ち上がり祖国防衛のため戦っている姿に衝撃を受けている。15万もの軍を投入するロシアの優勢は揺るがないと伝えられる中で、18歳から60歳までの男性は国に留まるよう要請され銃器や火炎瓶などを手に市街地戦に挑んでいる。しかし、この事態に、日本ではワイドショーなどで「市民は逃げるべきだ」「命より大切なものはない」といった机上の空論が飛び交っている。もやもや感は高まるばかりだ。

そんな思いを胸に3月5日、JR大阪駅前で行われたロシアの軍事侵攻に反対する集会を取材した。関西に住むウクライナ人や支援者らおよそ200人が集まった。冒頭の国歌斉唱のほか侵攻により犠牲となった人へ黙とうがささげられた。「当たり前の平和な時間が無くなった」。「一つの国家が他の国家を野望の為に侵していいわけがない」。皆一様にロシア軍の撤退と一刻も早い停戦実現を訴え、時に涙ぐむ人の姿も見られた。

もちろん参加者の多くはデモでプーチン大統領の考えが変わるなどと甘い幻想は持ってはいない。ただ今、日本にいる自分たちにできることは集まって声を上げること、SNSなどで抗議の意思を拡散させていくしかないと行動している。国内最大の原発が砲撃を受けるなどロシアの攻撃は激しさを増している。自らの国が滅びるかもしれない危機が迫り、胸が張り裂ける思いを抱えながら遠く離れた日本で暮らしている。そんな彼らにあえて問うてみた。「なぜ立ち向かい戦うのか?」

なぜ戦うのか?

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日本で2013年から暮らし、デモのために山口県から来たというウクライナの女性は
次のように答えた。

 (山口から来たというウクライナ人女性)
「当たり前のことです、わたしもウクライナにいたら家族と一緒に現場にいて、軍隊ではないが何かできることは絶対にあるので現場で手伝いたい。ウクライナにいれば命をささげられますが、いまはここにいるから私たちにできることはとても限られています。それはとても痛感している」

また、大阪で13年暮らす30代のウクライナ女性は次のように話した。

 (30代のウクライナ人女性)
「私の男性の友達、男性の親族は全員戦闘に行っています、いまは連絡とれる人が一人もいません、安否確認できない、無事かもわからない、帰ってくるかもわからない、自分の命をかけて大好きなウクライナを守ろうとしている」「ウクライナはウクライナでいて欲しい
ロシアの一部では無くてウクライナはウクライナです、ロシア軍に比べ戦っているウクライナ人は少ないかもしれないが自分の国を必死で守りたいです」と話す。

さらに、来日20年になる須田エフゲーニアさん(47)は次のようにと強い口調で訴えた。

(来日20年になる須田エフゲーニアさん)
「誰もやりたくて戦っているわけではない、でももしロシアの一部になれば民族も国も消えてしまう」、「もし無くなれば国を復活させるには何百年もかかる」

「命より大切なものがある」

ソ連から独立したウクライナは1994年、核兵器を手放す代わりにアメリカ、イギリス、ロシアが主権と安全保障を保証する「ブダペスト覚書」に調印した。しかし、その後ロシアによるクリミア併合、東部ドネツク、ルガンスク地域への侵攻、占有が続き、国民の中で自分の国は自分たちで守らないといけないという意識はいま芽生えたわけではない。長年、日本で暮らすウクライナ人と交流しサポート活動を続ける日本ウクライナ文化交流協会の小野元裕さんは「歴史が示してもいるがウクライナの人は『絶対に屈してはならない』、『命より大切なものがある』と考える人が多いのだろう」と指摘する。

 国のために、民族のために、家族・友人のために、未来の子供たちのために...。好戦的なメッセージを発したいわけでも、国の危機において戦う姿を美化したいわけでもない。戦時のメンタリティーが掻き立てられている部分もあるだろう。「逃げるのか」、「戦うのか」簡単に答えなど出るわけもないこともわかっている。しかし、ウクライナの人々の思いに触れ平和ボケしてしまっている私の頭の中は大きく揺さぶられている。

ウクライナの栄光は滅びず、自由も然り

自由のために身も心も捧げよう

2022年にもなって前時代的な侵略戦争の被害者となった人々の声に耳を傾け伝えていく大切さを改めて強く感じている。

(大八木友之 MBS報道情報局統括編集長、前JNNパリ支局長)