「生活保護の制度がなかったら生きていくのが無理だった」。そう語るのは、35歳のシングルマザーです。乳飲み子を抱えて深夜にアルバイトを続け、ボロボロになっていた彼女を支えたのは、生活保護を受給中に出会ったひとりの女性でした。舞台は兵庫県尼崎市です。 その女性とは、尼崎市福祉事務所で働く林美佐子さん(48)。受給者たちが仕事をみつけ自立するまでを支援する非正規の相談員です。林さん自身、障害のある子どもを育てるシングルマザー、自らも保護の対象になりそうなときがありました。役所の人から「保護受けたいんでしょ」と冷たく言われた原体験が、福祉事務所で働くバネとなり、多くの受給者と向き合ってきました。「死にたいほどつらいんやな」「いまは働かんでいいよ」。林さんは、受給者と面談し、心に染み入るような言葉をやりとりします。
生活保護受給者の51パーセントは高齢者です。一人暮らしの河村惠子さん(72)は、5年前、病気で倒れ、救急車で運ばれながら「医療費が払えない」と叫んでいました。わずかな年金と貯金を切り崩していく生活に心身とも弱っていたのです。その後、河村さんは年金分を差し引いた額の保護費を受けとることになりますが、当初撮影を申し込むと「世間の餌食になるのはいや」と断られました。それほど生活保護へのバッシングが強いと感じていたのです。
しかし、河村さんは町内でさらに弱い立場で暮らす人々の相談にのるようになり、「生活保護は駆け込み寺みたいなもん、ボロボロになる前に声をあげなあかん」と訴えるようになります。カメラの前で「保護を受けている、と自分の口から言えるようになったよ。あれだけ世間の目から嫌だと思っていた自分がここまで変わるとは・・」と語り始めます。
「健康で文化的な最低限度の生活を保障」する生活保護制度。ところが、誤解を招く多くの情報が垂れ流されています。番組では生活保護を利用して人生を立て直したり、今ももがきながら利用する人たちの思いに耳を傾け、支えて、支えられる、成熟した社会とは何かを考えます。
月1回、それも日曜日深夜の放送という地味な番組ながら、ドキュメンタリーファンからの根強い支持を頂いており、2020年4月で放送開始から40年になります。
この間、番組は国内外のコンクールで高い評価を受け、芸術祭賞を始め、日本民間放送連盟賞、日本ジャーナリスト会議賞、更にはテレビ界のアカデミー賞といわれる国際エミー賞の最優秀賞を受賞するなど、輝かしい成果を上げてきました。また、こうした長年にわたる地道な活動と実績に対して、2003年には放送批評懇談会から「ギャラクシー特別賞」を受賞しています。
これからも「地域に密着したドキュメンタリー」という原点にたえず立ちかえりながら、より高い水準の作品をめざして“時代を映す”さまざまなメッセージを発信し続けてまいります。