第26回 高井俊彦

やりたいことは、いっぱいあります。


―芸人を目指されたきっかけを教えてください。

3つ年上の兄貴の影響ですね。お笑い好きで、いろんな番組を録画して見てました。兄貴より俺の方が面白いと思ってるから、小さい時から負けんように見ていました。その頃は自分が(芸人を)やるとは全く思ってなかったです。ずっとテニスを頑張っていて、高校3年の時はスポーツで大学へ行くつもりやったんです。でも大会の試合中にケガをして。肩が外れたんです。軽い脱臼みたいになって。顧問の先生に病院連れて行かれて、医者から「有望な選手ですか?」と聞かれたんです。一応、大学の推薦もちょっといただいていたんですが、自分からは言えないでいると、顧問の先生が「あ、普通の選手です」。「あれ? 俺、普通の選手やったんや」って。テニスで食べていくのは無理やな、身長も低いし。テニスで大学行くつもりやったんで、やめたら何しようかな、と。

―人生設計が変わったんですね。

お笑いも好きでしたけど、その頃、小演劇もメッチャ好きやったんで、ほんまは劇団員になりたかったんです。で、募集もかかってないのに、ポンと行って「入りたいんです~」と、ひとつの劇団の門を叩いたんです。茶髪でチャラチャラしてて、見てくれから門前払いです。「基礎とか出来てるの?」と聞かれて、「いえ、何も」。「そんなんあかん。専門学校行かんと」と言われて。そこからいろんな専門学校のパンフレットを取り寄せて、その中にNSCもあったんです。「演技・発声・漫才」とあって、お笑いも好きやし、吉本って会社やし、1回試してみようと思ってNSCへ。恥ずかしいですけど、もともとは役者志望。劇団でお芝居をしたい、舞台俳優をしたくて、この世界へ入ったんです。

―それがランディーズにつながるわけですね。

漫才の授業の時に知り合ったのが相方(中川貴志)で。漫才も面白いし好きでした。相方とどこまでいけるかということで、コンビがスタートした感じですね。それまでテレビで見てるだけで、やったことないことだったので、こんな世界やったんや、と。ロケとかいっぱい行かせてもらって、リポーターやらせてもらって。初めての海外旅行が大道芸修行でしたが、タダで海外行けるやん、て。ロケは過酷やったんで辛かったんですけど。CDも出せたし、芸人ってなんでも出来るなあと思いました。

―舞台、テレビですごい人気でしたね。

「WEST SIDE」(関西テレビ「紳助の人間マンダラ」で企画された男前芸人のダンスユニット)の時は、正直、戸惑ってましたね。あれをやりたいとは思ってなかったんで。クラスの女子って、イケメンアイドルが好きじゃないですか。男ってイケメンが大嫌いなんですよ。そう言うてたタイプの僕が、アイドルグループみたいな事を番組企画でやらせていただくって。それも、一番最初は、「男前の若手芸人集めろ」のなかに、僕ら入ってなかったんです。
(そうなんですね!)
最初にライセンス、ロザンが集められて。僕らは番組の前説をずっとやってたんです。その間に、海外の大道芸の修行に2か月間行きました。帰ってからロケに「男前に何が出来んねん」みたいなノリで、にぎやかしで行って、海外修行で覚えた鼻に釘刺したり、火を食べるのを見せたら、紳助さんが「こいつらええやんか。男前軍団に入れ」と。それまでそんな部類に入ってなかったんで、「えっ!?」となって。ライセンスは「自分らのやりたいことがあるので、入りません」、その替わりにキングコングが入って、6人で組むことに。ちょうどSMAPがコントをやり出した時で、紳助さんが言うてはったんは「アイドルがコントをする時代やから、逆におまえらが歌って踊ってもええやないか」と。僕らがなんでその中に入ってるのかなという感じでした。

―高井さんはリーダーでしたね。

一番年上やったから、リーダー的な感じでやらせてもらってましたけど、ただただ、年長やったからです。ワーキャー言われたことないのに言われて調子にも乗りますし。めちゃめちゃイキってました。日頃からサングラスかけたり、憧れのスターになれたかも? と思いましたね。ただそんな甘いもんやないと、どっかで第三者的に「アホやな~」と笑って見てる自分もいて、「今しか出来へんな~これ」と思ってましたね。せっかく番組の企画でチャンスもらって。僕らの拙いダンスと歌に、こんだけお客さんが来てくれはるんや。それは一生懸命やってましたね。ロザンは冷静でしたけど。キングコングは若かったんで、「大人がメッチャ動いてんねんから、ちゃんとせえ!」って学校の先生みたいにメッチャ怒りました。当時は、自分がやりたいことというよりは、ランディーズでやらなあかんこと、という感じ。僕はツッコミで何も出来ない方ですが、相方がやりたい方向ってなんやろ? と自分なりには思ってました。

―漫才師ランディーズとして目指していたのは?

漫才でNGKに立つことは、NSCから目指してました。あこがれていた中川家さんみたいになりたいと思って、やってました。でも、やっぱり、自分の中ではM-1の決勝へ行けなかったのが大きかったですね。そこに向かって切磋琢磨してたというか。ブラマヨさん、フットボールアワーさんやチュートリアルとか、同世代でやってた人たちが、M-1取って、どんどん出て行く。(M-1出場は結成)10年目までしか出場出来なかった。自分ら決勝にも行かれへん。頭打ち感があって…。そんな時に、NHK教育の「中学生日記」のオーディションに行くことになって。たまたま合格させてもらって、ドラマの世界が経験できたんです。
(もともとやりたかった世界ですよね)
そうなんですよね。漫才このままでええんやろかという時に、目の前にニンジンぶら下げられた感じでした。これが2人で受かったわけではなくて、自分だけ受かったんで、相方にどうしようかと言うた時に、「俺は俺で自分がやりたいことするわ」、で川藤さんのモノマネをやり始めたんです。相方は1人でイベント打って、キャラクター作って、R-1とか出て。おのおのやりたい事をやって、方向性として分かれていったと思います。まだ漫才の仕事もありましたし、2年後ですかね。12年目に「新喜劇どうや」という話があって。話し合って、ランディーズとしてやって行きたいことは「今はないから」となって。自分らは解散を考えていたんですけど、会社の人は解散せんでもいいと。新喜劇でやっていくことになりました。

―新喜劇のことはどう思われてましたか?

正直に言うと、言葉は悪いんですが、芸人になる前はバカにしてましたね。関西では小学校の頃は新喜劇を全員見てると思うんです。中学に行くと新喜劇離れしていって、高校になったら、漫才やバラエティーが盛り上がり、ちょっと新喜劇ダサい、みたいなイメージがどっかにあったと思うんです。この世界に入ってからは、しばらく漫才やってたんで、新喜劇ってスゴイなあとは思ってました。でも、同じ会社にいても「劇団」という別世界で、ちょっと違うジャンルという感じでした。「WEST SIDE」の時に3組持ち回りで、新喜劇の若手の人たちと、月1回、NGKで新base喜劇というのがあって、MBSで深夜放送もあったんです。(「爆劇!新base隊」2002年6月~2003年9月)それで新喜劇の真似事は経験させてもらいました。劇団は好きやったんで、お芝居の楽しさはあって、新喜劇がちょっと近い存在になっていたと思います。お話いただいた時は、「劇団」に入れる、みたいな感じでした。コッテコテなんやろうな~、どっかで新喜劇で笑いを取るのは簡単やろな、と思ってました。

―実際、入ってみてどうでしたか?

初舞台は覚えているんですが、メッチャすべりました。ヤクザの役で、中條健一さんが兄貴分で僕が手下でした。自分のギャグがないんで、これまでやってきたことをギャグにするのがええと思って、ダンス踊りました。わ~と踊って、「かかって来い!」「何踊っとんねん!」と、ちゃんと突っ込んでもらっているんですけど、ズルッズルにすべりましたね。ボケてるんじゃなくて、ただのふざけてる若者みたいな。アカン、アカン、軽すぎる。これはちゃんとせなアカンわ~と。1日目、2日目そんな感じで、何してもウケへん。で、アホなんで、鼻に釘を刺すという誰にも出来ないネタを、新喜劇のギャグにしようと。「こいつらに釘刺したれ!」と振ってもらって、トンカチと五寸釘出して、自分の鼻の穴にトントントン…「自分に釘刺してどうすんねん!」と突っ込んでもらったんですけど、半分くらいお客さん引いてしまって…。
(笑いじゃなく?)
五寸釘ってかなり太いんですけど、1000人近く入る劇場の大きさに比べたら、ちっちゃいんですよ。ボケが。見えないですし。でもテレビで放送されるから、テレビではいけるやろと思って、どうしてもやらせてください、と言って、やらせてもらったんですけど。カメリハの時に、お偉いさん方が、「限りなく黒に近いグレー」(=NG)と言い出したんです。「子どもは真似しないでください、ってセリフで言えるか?」とか審議になって、「やめとこか」と。結局、ボケも何もなく、1週間の舞台は終わりました。お話の中でボケる難しさを思い知りましたね。漫才をやっていた12年間のアドバンテージがゼロやと思いました。

―まさにゼロからの出発。その後は?

入って1週目に桑原師匠から言われたんです。「お前、芝居好きやろ? 見てたら分かるわ。芝居をせんとあかんで、新喜劇は。コントやないから。芝居をするということが、笑いを取る人のフリになる。そのフリがしっかりしてるから、ボケがウケるねんで。ベースみんな俳優や」と教えてもらったんです。お芝居をしっかりするというのは自分がしたかったことでもあるな、と。その後、辻本茂雄さんが扮する茂造というキャラクターの週のツッコミに抜擢してもらったのが、転機になりました。茂造ってすごいウケるキャラクターで、出てきたら「キャー!」何をやってもドッカン!ドッカン!ウケはる。その横で2年近く、ずっと茂造さんのツッコミをやらせてもらったのは勉強になりました。それが新喜劇かというたら、辻本さんの新喜劇、でしたね。それから、自分がなりたいのは、どんな人か、ポジションはどこかと考えて、内場さんを見習いたいと。ツッコミで、まわりの人がみんなボケてストーリーを運んでいく。内場さんを見習ってやる方向に自分の中で切り替えていくようになりました。僕、ほんま友達少ないんで、いろんな先輩と飲みに行こうと思って連れて行ってもらいましたけど、一番多かったのは結局、内場さんです。誘ってもらうのがうれしくて。むこうはしんどかったと思うんですけど、「ここはどうするんですか」とか、アホみたいに質問ばっかりして。内場さんはいろいろ言うてくれるタイプじゃなくて、「知らん」と。冷たいというんじゃなくて、自分で感じろっていうことでしょうね。一緒にいて盗めたらいいな~と、いまだに僕は内場さんを追いかけてる感じです。

―新喜劇でやりたいことはありますか?

「一発ギャグ、はい、どうぞ~」というのは、もう出来ない。笑いを取れと言われるのは苦手なんです。お話を作るのが好きなんで、自分の週をいただいた時は、楽しくてしょうがなかったです。
(どんな話を?)
言い方が難しいですね。文章になったらメッチャ恥ずかしいですけど、仕掛けをいっぱい作って、それを開けていくみたいなんが好きなんです。伏線をいっぱい張って、「どうなるねん?」と思わせて、最後に全部つながります! みたいな話を常に考えてましたね。ばら撒いた伏線を全部回収できたら気持ちいい、そんな感じです。
(新喜劇と言うより、普通の芝居に近いような…)
僕は新喜劇とその融合ってどこやろ? と捜してて、その中間地点でやろうと思ってたんです。新喜劇って、ギャグがば~っとあるのが表立ってますけど、やっぱり話がおもしろいのも僕はいいと思うし、話を作る人がいっぱいいてもいいと思う。
(やっぱり目指すのは座長ですか)
話を作りたいという意味では、座長にならんと作れへんかな~と。でも「座長になるしかない」ということではないです。僕は舞台でお芝居をしたい人なんで、オールラウンダーになりたいと思いますね。島田一の介さんとか、浅香あき恵さんとか。男版のあき恵さんになれたらうれしいなという感じはありますね。あき恵さんが出てきたら、絶対、明るいんですよ。お芝居、ものすごい上手ですし。もしかして、自分のやりたいことの延長線上に、男版のあき恵さんがいるんじゃないか、と。まだまだやりたいことが自分の中であるので、それをイベントとかでやっていけたら、いいですよね。

―最近、新しいイベントに取り組まれました。

つい、このあいだ「しんきげきといっしょ」というイベントをやらせてもらいました。結婚してだいぶ経ってから、思いがけず自分の子どもが出来て、子どもと家で遊んでいると、メッチャ笑うんです。この年代の子が何百人かおったら、「俺、売れるんちゃうか?」と思って(笑)。今まで子どもがいなかったので、子ども向けの番組は見てなかったんですけど、見てみたら、いい意味でコントっていうか、今年40になるオッサンが「こんにちは~」というのが、面白くてしょうがなかったんですよ。これ、新喜劇になるかも知れへん。自分の中にないのはさわやかさやと思っていたので、そんな僕が歌のおにいさんをやったら、ちょっとオモロイなと思って。森田まりこと、さわやかじゃない2人で歌のおにいさんとおねえさんをライブでやって、そこに人気者のキャラクターで酒井藍ちゃんにも出てもらって。何にも着ずに着ぐるみやれるんで…(笑)。幼稚園以下のお子さんをターゲットにしたかったんです。ほんまは作り込むのが好きなんです。回収型なんで僕は(笑)。でも、そうじゃない真逆のことを楽しみたくなって。そしたらハプニングだらけで。舞台から「お友だち、誰か手伝って!」と言ったら、10人くらい手をあげたんです。で、「舞台に上がってきて~」と言ったら、50人くらい上がって来たんです。
(多すぎる!)
僕もうパニックです。どうしよう? どうしよう? でもそれが面白かったですね。こないだ1回目やったんですけど、なんか自分のキャラクターになっていくんちゃうかな~と。

―最近ハマっているものは?

教育テレビですね。ほんまに面白い。大人になってみたら、こんなに面白いかと。よう出来てるんですよね~。
(お子さんと一緒に?)
子どもが見てるんですけど、すぐ飽きてどっか行って、結局、僕がひとりで見てるんです。わくわくして見てます。この前、ファミリコンサートで全員に赤い紙を配っていて、何するんやろ? と思っていたら、紙を半分に折って、丸くちぎって、パッと広げたら、ハートの形になる。そこから子どもさんに顔を出させて、「じゃあ、聴いてください。ハートのうたです」と、ハートのうたを歌うんです。会場全体がものすごいええ感じになっているんです。うわっ楽し!これ!って。知らなかった世界でした。

2015年5月22日談

プロフィール
1975年8月27日 奈良県生まれ。1995年 NSC大阪校15期生。