第85回 親泊泰秀(おやどまり・やすひで)

すっちーさんから「すっぴんのアジャコング」って言われます。


―2011年に開校したよしもと沖縄エンターテイメントカレッジ(YOEC)の1期生ですが、もともとお笑い好きだったんですか?

僕は沖縄出身なんですが、父の転勤で幼稚園の時に大阪へ引っ越して来たんです。小学校の卒業まで大阪で過ごしてまして。その時は、ずっと少年野球をやっていて、大阪に住んでいながら、土曜のお昼の「よしもと新喜劇」を見たことがなかったんです。それが小6の2学期くらいに、クラスで仲良かったメンバーから集団無視みたいなのがあって、学校へ行かなくなるんですよ。
(えっ!?)
それまでバラエティーとかは一切見てなかったんですけど、ずっと家にいるんで、「笑っていいとも!」とか、「SMAP×SMAP」(CX)とか見て、面白いなと思い始めて。中学になってまた親の転勤で沖縄へ戻ることになって、最初は学校へ行こうと思ったんですけど、なかなか心が戻らず、結局、中1もほとんど行ってないんです。その時に「M-1グランプリ」(ABC)とか、あと深夜ラジオでナインティナインさんとか極楽とんぼさんとか、雨上がり決死隊さんとかの番組を聞いて、お笑いにハマって行ったっていう感じですね。それまで家では父親がちょっと堅いキャラだったんで、テレビはプロ野球とNHKニュース、「筋肉番付」(TBS)くらいしか許されてなかったんです。

―YOECに入られたきっかけは?

結局、引きこもってから、何となく、お笑いの世界に憧れはあったんですけど、ネットとかで調べてもNSCは東京と大阪だけで。40~50万かかるんか…他の事務所も、もっとするなあ、と。NSCに行けたら一番いいなあと思っていたら、ちょうど20歳の年の冬に、2010年の「M-1グランプリ」にスリムクラブさんが出て来たんですよ。それまで沖縄出身のガレッジセールさんとかはいたんですけど、スリムクラブさんって、あれだけ沖縄なまり使って、独特のテンポで、すごいなあ~と思って。ちょっと背中を押してもらったというか。僕は小学校が大阪なので、半分大阪、半分沖縄なんですが、「スリムクラブすごいな~」と思っていたら、年明けに「沖縄よしもとを作ります」って発表になって。こんなタイミングないわ~と思って、すぐ願書送って、入ったのがきっかけです。

―引きこもりは治っていたんですか?

それが難しいところで…。小学校で野球やってた時は、キャプテンで4番やったんですよ。
(え~っ!?)
だから、クラスの中では中心の方やったと思うんです。僕を無視したグループは遊びのつもりだったようですが、仲良かった人から嫌われるというのが、トラウマになって。中学校1年の時も行こうと思ったんですけど、全校集会になるとすごい人数で、「全員が僕の方を見てる」とか、「僕の悪口を言ってる」くらいに心が追い込まれてたんです。そのうち、母親が落ち込むようになって、どう見ても原因は僕しか考えられないんですね。見たことないくらい暗くなっていくのを見て、これはもう(僕が)変わらないと、家族全体が崩壊していくような気がして。中2になった時に思い切って担任に電話して、裏門で待っていてくれるというので、メッチャ怖かったんですけど、どっかで開き直って行った感じですね。学校に戻ったら、意外にみんな「家で何してたん?」とか、いろいろ話聞いてくれるんです。あったかく迎えてくれて、とりあえず、良かった、と。
(ようやく外へ出られた…)
しかもその時、あることが起こって…。先生と裏門で合流して、教室に入る前に、別室でしばらく一人で待っていたら、ちょうどスズメが飛んできて、窓ガラスに「バーン!」って当たったんです。
(え~っ!?)
窓ガラスの外に机が一つ置いてあって、そこに落ちたんです。で、1分くらい経ったら、スズメが意識を取り戻して、飛んで行ったんです。それを見た時に、外ってちょっと面白いなって。
(スズメが窓ガラスに当たるから…(笑))
家の中にいると、自分への言い訳というか、全部家の中で出来るし…みたいな感覚でいたんですけど。外へ出たら、家の中では起きないような出来事があるな~って。何とか通えるようになりました。結局、人としゃべってるうちに、ビクビク度は治って行った気がしてるんですが、人との関係性がギクシャクすると、ビビってしまうところはまだ残ってます。

―YOECでは、漫才を目指されて?

はい、M-1を見てお笑いに憧れてたんで。養成所で3回くらいコンビが変わったんですけど、結局、全然思ってる通りには行かないですよね。素人の時から、自分なりにネタの台本とか書いてたんですが、それが全く通用しない。ライブ映像とかで自分を見た時に、下手くそで、早口やし。「なんやこれ!?」と思って。卒業間近の時に、組んでいた子が急きょ事務所を辞めることになって、「あれ? 1人か…どうしよう」と思って。もともと人数が60人くらいやったんで、コンビを組みなおすにも人が少ない。そんな時、たまたま「NGK、ルミネ、浅草花月の舞台進行を募集してます、ちゃんと給料も出ます」というメールがYOEC全員に送られて来たんです。当時、沖縄でやりたいことが分からなくなってたんで、(沖縄を)出てみようかな、と。大阪に心残りもあったので、決心して、作家を目指してた一番仲良かった子と一緒に行ってみようとなって。大阪でNGKの劇場の支配人の面接を受けて、採用してもらいました。その時、「2年間は進行を務めてください」と言われていたので、修業のつもりで、そのあと、また沖縄に帰るのもありやな、と考えて、進行の仕事を始めました。

―進行さんってよく耳にしますが、具体的にどんなことをするんですか?

朝来て、まず楽屋にその日の出番表を貼ったり、「開演何分前です」というのを伝えたり。トップバッターの方が舞台に上がったら、次の出番の方に「お出番10分前です」とか。個人的に一番緊張していたのは、大トリの方が舞台に上がったら、新喜劇の楽屋をノックして、「失礼します。進行です。トリの方、〇分押しで上がられました」と言って、スピーカーの音量を1つ上げるという作業があるんです。
(あはははは…細かい)
新喜劇の方は舞台の音を聞きながら、「あ、そろそろネタが終わるから舞台に行こうか」となるんです。漫才師の方たちだと1人2人に言えばいいんですけど、新喜劇の場合は10何人くらいが一斉にこっちを見る。一番緊張する仕事でした。でも、NGKは楽屋の上の階に事務所がありますし、いろんな人に顔と名前を覚えてもらえました。沖縄から出てNGKの舞台進行になったのは、大きかったと思います。今でもよく決断したなと思います。
(家族の方からは何か言われました?)
母親は、僕が引きこもっていた時から、「お笑いが好き」というのをわかってて、したいことがあることを喜んでくれてましたね。それまで「あれがしたい、これがしたい」ということがなかったんで。大阪に行く時はお互い寂しかったのか、父親が泣いているのを初めて見ました。
(たまには実家に帰られる?)
沖縄なんで、力入れないと帰れないんです。年に1回は帰ってあげたいんですけど…。清水けんじさんから「1年に1回帰るとして、あと10回、15回会えるか?」って言われて。めちゃめちゃ芯を突かれました。今、沖縄で放送が始まっているんで、たま~に舞台に出てると、すぐ「見たよ」ってメールが来るんです。ちょっとだけでも親孝行になっているんかな、と。

―進行は何年務められたんですか?

結局、2年10か月くらいやりました。ちょうど2年くらい経った時に、金の卵7個目のオーディションがあったんです。小籔さんとめだか師匠くらいしか知らなかったんですが、毎日舞台袖で見ているうちに、「新喜劇って面白いな」と。最初はボケで全部ズッコケるだけと思ってたんですよ。50分、ちゃんとお芝居があって、いい意味でカルチャーショックやったんです。7個目のオーディションはまたとないタイミングだったんです。グループ面談があって、お芝居の審査まで通らせていただいて。あとは個人面談があるだけとなって、いろんな人から「これは絶対受かってる」と言っていただいたんですが、最後の個人面談で落ちちゃいまして…。人生で一番ヘコみました。その時、支配人から「どうしたいの?」と聞かれて、「次のオーディションがあるまで、やらせていただいていいですか」とお願いして、進行に残らせていただいて。その後、1年しないうちに8個目のオーディションが発表になって、「次は絶対」という気持ちで受けました。その時一緒に受けた進行の、大黒ケイイチさん、松本慎一郎さんと3人とも合格して、進行を卒業することが出来ました。

―新喜劇に入ってみてどうでしたか?

進行をやっていたので名前と顔と人柄とかがなんとなくわかっていたので、楽屋に馴染むのは早かったと思います。「引きこもり」だったことや過去の弱さもエピソードにして話させてもらって、笑いに出来るのは、この世界独特やなあと感じました。進行をやっていた頃に、たむらけんじさんのコメディーが月1回、1年間くらいあって、中川家さんや藤井隆さんが出ていらしたんですが、東京所属の方はリハーサルに来られないので、大黒さん、松本さんと僕でリハーサルの代役をやらせてもらったりしてました。すっちーさんが、アドリブで僕のことを「すっぴんのアジャコングみたいな奴、来たで」とか言ってくださって。プラン9さんの月刊コントのリハーサルにも参加させていただいて、舞台の楽しさを経験させてもらっていましたが、いざやってみると、出来ないことが多々ありました。

―初舞台は覚えてますか?

NGKでは「すち子のメリーハリークリスマス!」で、ホテルのロビーで音楽を演奏するバンドメンバーの横にいる、サンタクロースの格好をしてリズムに合わせて踊るでした。めちゃくちゃ緊張して、笑顔が引きつってました。幕が開くと、目の前に900人くらいのお客さんだったんですが、意外に冷静になって、内場さん、メチャメチャ声出るな~とか、ちゃんとセリフにリアクションしてるなあとか。舞台袖で進行として見てるのと、同じ舞台上で体験するのと全然違いましたね。
(セリフは?)
袋からプレゼントを出して「メリークリスマス!」っていうだけなんですが、バカでかい声でしたね。やってみて、自分が出てる映像みて、わあ~下手やなあと。

―印象に残っている舞台は?

清水けんじさんの週の祇園花月で、まさかの回しの役をいただいて。清水さんはおしみばあさんの役で。一番大変でしたね。一番緊張しました。清水さんも「お前が出来るとは思ってないけど、一から覚えて行ってくれ」という感じで、毎公演終わってから細かくアドバイスいただきました。祇園花月は電車移動が50分あるので、台本を見ながら復習するんですけど、翌日やっぱりうまいこと出来なくて。その時、50分出ずっぱりなので、めちゃめちゃお腹が空くんですよ。座長の「はあ~疲れた!!」というのを実感しました。技術的なこともそうなんですけど、いろんなことを教えてもらった1週間でした。
(ほかには?)
意外と内場さんがボソッと言われる一言が印象に残ってます。内場さんは、手取り足取りというタイプじゃなく、僕らが見て学ぶんですけど、ふと帰り道とかに「あのシーンのお前の役の感情やったら、あの動きにはならんはずや」とか。その時は、フラれて自殺しようとする役で、入って来て奥のカウンターにある包丁を持ち出すんですが、内場さんから「お前、入って来た時からあそこに包丁があるの分かってんねん。入って来て、探して探してあそこにたどり着いて、ダーッと行かな」。台本を読んで、ほんとに分かった上で芝居をするというのは、分かってないことを含めて分かる、というか…。
(段取りで芝居をするな、ってことですね)
内場さんがたまに言ってくださることは勉強になります。

―新喜劇に入られて5年目ですが、これからの目標は?

40~50分の新喜劇ですが、ちょっとでも舞台上にいたいなと。やっぱり話の中心の人がメインだと思うんで、憧れてしまうのは、出ずっぱりの人たちですね。
(回し役で?)
ルックスもあるので、その辺は考えながら。内場さんや清水さんみたいにシュッとした感じではないし…。よく「アジャコング」とか「イソジンのカバ」とかイジられるので、僕はイジられて、てんやわんやしながら対応していくタイプなんやろな、と。仕切って回しては理想ですけど、スマートにはなれないんで。
(スマートが絶対じゃないのが新喜劇ですから。ツッコミをどう打ち返すか、四番バッターに期待してます)

―最近、ハマっていることや趣味は?

趣味は…ギターですね。それこそ引きこもっていた時に、家に父親のギターがあって、その時、Mr.ChildrenとかB'zが好きになって。それを独学で弾いてたのが、こっちへ来てから自分で1本買って、家で毎日5分でもいいので、触るようにしてます。1回、信濃さんのリーダー週で弾かせていただきました。
(そうなんですね! ギターの種類は?)
アコースティックギターは音が大きいので、エレキギターをアンプにつながず、ちっちゃい生音で弾いて…。たま~にお昼に家にいる時とかにアコギで弾いたり。こっそり松浦さんに教えてもらったりとかして…。音楽好きですね。まんべんなく聞いてますね。
(一番好きなのはB'zとか、ミスチル?)
一番で言うと、SMAPなんです。僕。
(あ! そうなんですか? あははは…)
引きこもりの時もSMAP大好きで。今でもSMAP入りたいくらいです。
ライブDVDとか家で流してます。SMAPがレジェンドでB'z、ミスチルがお父さん、お母さんみたいな感じです。
(なるほど~。いずれギターネタが出来るといいですね)
信濃さんの週の時も、僕がジャイアンとして「ギター弾かせてくれや」と出て行くんですが、ジャイアンって歌が下手じゃないですか。で、自信満々で歌ったら、「普通」って。下手じゃないけど、上手くもない「普通」。信濃さんからは「上手くなりすぎてもオモロなくなるん違う?」と言われてます。たまにNGKでホンワカパッパ―隊に入れたらなあと。でも松浦さんがいるんで…。
(松浦さんがいたからギターの道が開けたというか…)
すっちーさんからは、「特技があるんなら言うて」と言われるので、アピールはしてるんですけど、「松浦おるからなあ。よっぽどお前が面白いネタ考えないとアカンで」と言われてます。
(「歌ネタ王」どうですか?)
〆切がまだまだ先なんで、今ちょっと考えてます。
(MBSなんで、是非!)

2019年5月13日談

『歌ネタ王決定戦』とは?
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2019年は夏ごろ放送予定